いよいよと言うか漸くと言うか「川手山」に行く事にした。数年前に入須川の
遊神館から行こうとして悪路のため撃退された記憶があるので四万から。
中之条市街地を抜けて353号線を北上、名所の「四万の欧穴」を過ぎると
右へ入る林道風の道発見。橋の名は「秋鹿橋」、丁度下ってきたバイクライダーに
道の状態を聞いたら「乗用車? 多分大丈夫かな?」と一寸不安をそそる。
だが、ここまで56kも走行してきて帰るわけにも行かない。林道に入ると
直ぐに二又で右への舗装路はゲート封鎖、左は明らかに判る未舗装の悪路。
角に林道看板、どちらを指しているのかは不明(10.05)。
覚悟を決めて突入するが予想以上のガタガタ道、落ち葉が多く昨日の雨に
濡れて黒っぽく見え、特に大型の朴の葉が石に見えて困惑。但し、救いは
道幅が広いこと、轍や雨水で抉られていない事。杏ヶ岳林道より少し悪いか?
運転に自信の無い爺イはボロ愛車の足回りも慮って時速5kから10kの殆ど
歩行と大して変わらない低速で厳しい蛇行道をノロノロと。薄暗い林間。
ガツンと一発、車の腹に衝撃を受けてから避けきれない石を一々車から降りて
除くので余計に時間が経過する。
漸く遠くの尾根に送電線が見えてくる頃、こんな景観も前方に見える(10.43)。
やがて「奥井沢橋」を渡ると
悪路は変わらないが、ガードレールが出て来たり轍の跡も見えるので
何となくホッとする。突然四つ角、待望の「霧峠」だ(10.57)。
左右の道は舗装だがゲート付き、恐らく送電線管理道路。とすれば
右からの道は先日「村長さん」が岩本山の帰りに辿って来た林道だろう。
ここまで走行距離はたつた6kなのに50分を要したので平均時速は7.2kの
体たらく。登山口まで更に1.3k。
峠からは下りだが相変らずの悪路、前方に紅葉の山、若しかすると川手山?
「石門山の泉」前を通過、奥の流れの事か?路傍まで導水パイプが出ている。
前方に車が多数見えた。川手山登山口到着らしい。日曜なので賑やかだな
と思ったら、少し様子が違う。テントが張られシートが敷かれ数人が鍋を並べて
調理中。何か行事?と聞いたら今日は川手山の「閉山祭り」で地元の入須川の
人たちが山伏を呼んで山頂でお祭りの最中だとか(11.20)。
「急いで行けば山伏のお祈りが見られるよ!」「旨いうどんを振舞うから早く
登って来な」「右回りが面白いよ」とか、色んな声に背中を押されてスタート。
少し登ったら数人が下山して来た。祭りに使った用具の余りを運んでいるのだと。
既に山伏は西に下山しつつ御払いをしているとの事。法螺貝を吹く音、これは
本式だ。「あとで寄ってきな」とここでも言われて急ぎ足でと思うが山道は
簡単ではない。
最初に現れるのは菩薩の代表格「弥勒菩薩」
「みろく」とは元はサンスクリット語で「滋より生じた人」の事。釈迦の救済にも
洩れた人を救う神とか。像容は「半跏思惟ハンカシユイ」と云われロダンの
「考える人」を連想させる。
直ぐ先に「光ゴケ」、これがそうかな?確信は無いが。ジグザグの急登。
続いて分岐で50m位下って高さ1mの岩窟の中に「産泰神」、安産・子育ての
守護神らしいが、前橋・下大屋町に在ると言う「産泰神社」の繋がりかな?
直ぐに木段の下で「馬鳴メミョウ菩薩」、インド伝来ではなく元は中国の
民間信仰らしい。貧窮の衆生に衣服を与える菩薩、養蚕・機織の守護。
像容は馬に跨り脇侍を従えて雲上を闊歩している。
ここから補助ロープ・木枠段の急登を何回も越えると左にズニ石の
「行者窟」。
ズニ石とは単独なのか?岩に張りついているこれなのか?
直ぐ右に「不動明王」、最高位の明王と云われ、梵名は「アシャラナータ」。
「アシャラ」とは動かないもの、「ナータ」とは守護神、だから
「山の守護神」だろう。仏教では「大日如来」の「憤怒神」とか。
尚も登り切りの右に「妙石洞」、身延山に日蓮の最初の説教地とされる
「妙石坊」があるが関連あるのかな?
左に曲がって下ると「蔵王権現」、日本仏教独自の仏。釈迦・観音・弥勒の
合体という優れもの。「役の小角」が示現したと言うが小角自体が伝説なので。
像容は怒髪天を衝くと言われ、右手・右足を高く上げ左手は腰にが一般と
されるが、ここのは何とも優しい感じ。
此の辺に展望台がある筈なのに見逃してしまって更に登る。やがて
「大日岳」の看板、ここが頂上か?
左目のシャクナゲに囲まれたピークに行ったら標柱と標識が二枚。
本日の爺イ。
樹葉に囲まれ展望は北の一方だけ(12.30-12.39)。
西への下り口にシャクナゲ群落地の看板。
急降を木枠段で下ると26段の小ピークの先に「十二山神」、鉄柵の中のこれは?
やがて名物の石門。上からは良く判らない。下からの方が良く判る。
最後の「月海法印像」をみると間も無く林道に帰着(13.12)。
瀧峨山と嵩山を併せたような雰囲気の山だった。
祭り後の宴会真最中、「こっち こつち」の声が飛ぶ。さっき往路で立ち話した
人たち。敷物の上にサッと場所が作られ直ぐに女性が小盆にご馳走。
何とも恐縮の至りだが、お神酒は丁重に辞退して地元の人たちと一緒に
歓談。此の辺の山関連情報を詳しく仕入れる。この親切な御仁は遊神館近くの
酒屋さんのご主人。40分も楽しませて貰って「5/5の開山祭りに又来いよ」の
声に送られ帰途につく。
本日の主役の山伏さん、臨時ではなく本職だそうだ。
下りの遊神館までの5.5kの路面は往路より幾らかマシ。到着は14.10。
大道峠で先日判らなかった「百観音」探し、さっき仕入れた情報で山中で
発見。相当荒れてはいるが兎に角、南入り口からズラッと並んでいた。
そのまま、53号線を下って中之条経由で帰宅。往路63.1k、復路68.2k。
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遊神館から行こうとして悪路のため撃退された記憶があるので四万から。
中之条市街地を抜けて353号線を北上、名所の「四万の欧穴」を過ぎると
右へ入る林道風の道発見。橋の名は「秋鹿橋」、丁度下ってきたバイクライダーに
道の状態を聞いたら「乗用車? 多分大丈夫かな?」と一寸不安をそそる。
だが、ここまで56kも走行してきて帰るわけにも行かない。林道に入ると
直ぐに二又で右への舗装路はゲート封鎖、左は明らかに判る未舗装の悪路。
角に林道看板、どちらを指しているのかは不明(10.05)。
覚悟を決めて突入するが予想以上のガタガタ道、落ち葉が多く昨日の雨に
濡れて黒っぽく見え、特に大型の朴の葉が石に見えて困惑。但し、救いは
道幅が広いこと、轍や雨水で抉られていない事。杏ヶ岳林道より少し悪いか?
運転に自信の無い爺イはボロ愛車の足回りも慮って時速5kから10kの殆ど
歩行と大して変わらない低速で厳しい蛇行道をノロノロと。薄暗い林間。
ガツンと一発、車の腹に衝撃を受けてから避けきれない石を一々車から降りて
除くので余計に時間が経過する。
漸く遠くの尾根に送電線が見えてくる頃、こんな景観も前方に見える(10.43)。
やがて「奥井沢橋」を渡ると
悪路は変わらないが、ガードレールが出て来たり轍の跡も見えるので
何となくホッとする。突然四つ角、待望の「霧峠」だ(10.57)。
左右の道は舗装だがゲート付き、恐らく送電線管理道路。とすれば
右からの道は先日「村長さん」が岩本山の帰りに辿って来た林道だろう。
ここまで走行距離はたつた6kなのに50分を要したので平均時速は7.2kの
体たらく。登山口まで更に1.3k。
峠からは下りだが相変らずの悪路、前方に紅葉の山、若しかすると川手山?
「石門山の泉」前を通過、奥の流れの事か?路傍まで導水パイプが出ている。
前方に車が多数見えた。川手山登山口到着らしい。日曜なので賑やかだな
と思ったら、少し様子が違う。テントが張られシートが敷かれ数人が鍋を並べて
調理中。何か行事?と聞いたら今日は川手山の「閉山祭り」で地元の入須川の
人たちが山伏を呼んで山頂でお祭りの最中だとか(11.20)。
「急いで行けば山伏のお祈りが見られるよ!」「旨いうどんを振舞うから早く
登って来な」「右回りが面白いよ」とか、色んな声に背中を押されてスタート。
少し登ったら数人が下山して来た。祭りに使った用具の余りを運んでいるのだと。
既に山伏は西に下山しつつ御払いをしているとの事。法螺貝を吹く音、これは
本式だ。「あとで寄ってきな」とここでも言われて急ぎ足でと思うが山道は
簡単ではない。
最初に現れるのは菩薩の代表格「弥勒菩薩」
「みろく」とは元はサンスクリット語で「滋より生じた人」の事。釈迦の救済にも
洩れた人を救う神とか。像容は「半跏思惟ハンカシユイ」と云われロダンの
「考える人」を連想させる。
直ぐ先に「光ゴケ」、これがそうかな?確信は無いが。ジグザグの急登。
続いて分岐で50m位下って高さ1mの岩窟の中に「産泰神」、安産・子育ての
守護神らしいが、前橋・下大屋町に在ると言う「産泰神社」の繋がりかな?
直ぐに木段の下で「馬鳴メミョウ菩薩」、インド伝来ではなく元は中国の
民間信仰らしい。貧窮の衆生に衣服を与える菩薩、養蚕・機織の守護。
像容は馬に跨り脇侍を従えて雲上を闊歩している。
ここから補助ロープ・木枠段の急登を何回も越えると左にズニ石の
「行者窟」。
ズニ石とは単独なのか?岩に張りついているこれなのか?
直ぐ右に「不動明王」、最高位の明王と云われ、梵名は「アシャラナータ」。
「アシャラ」とは動かないもの、「ナータ」とは守護神、だから
「山の守護神」だろう。仏教では「大日如来」の「憤怒神」とか。
尚も登り切りの右に「妙石洞」、身延山に日蓮の最初の説教地とされる
「妙石坊」があるが関連あるのかな?
左に曲がって下ると「蔵王権現」、日本仏教独自の仏。釈迦・観音・弥勒の
合体という優れもの。「役の小角」が示現したと言うが小角自体が伝説なので。
像容は怒髪天を衝くと言われ、右手・右足を高く上げ左手は腰にが一般と
されるが、ここのは何とも優しい感じ。
此の辺に展望台がある筈なのに見逃してしまって更に登る。やがて
「大日岳」の看板、ここが頂上か?
左目のシャクナゲに囲まれたピークに行ったら標柱と標識が二枚。
本日の爺イ。
樹葉に囲まれ展望は北の一方だけ(12.30-12.39)。
西への下り口にシャクナゲ群落地の看板。
急降を木枠段で下ると26段の小ピークの先に「十二山神」、鉄柵の中のこれは?
やがて名物の石門。上からは良く判らない。下からの方が良く判る。
最後の「月海法印像」をみると間も無く林道に帰着(13.12)。
瀧峨山と嵩山を併せたような雰囲気の山だった。
祭り後の宴会真最中、「こっち こつち」の声が飛ぶ。さっき往路で立ち話した
人たち。敷物の上にサッと場所が作られ直ぐに女性が小盆にご馳走。
何とも恐縮の至りだが、お神酒は丁重に辞退して地元の人たちと一緒に
歓談。此の辺の山関連情報を詳しく仕入れる。この親切な御仁は遊神館近くの
酒屋さんのご主人。40分も楽しませて貰って「5/5の開山祭りに又来いよ」の
声に送られ帰途につく。
本日の主役の山伏さん、臨時ではなく本職だそうだ。
下りの遊神館までの5.5kの路面は往路より幾らかマシ。到着は14.10。
大道峠で先日判らなかった「百観音」探し、さっき仕入れた情報で山中で
発見。相当荒れてはいるが兎に角、南入り口からズラッと並んでいた。
そのまま、53号線を下って中之条経由で帰宅。往路63.1k、復路68.2k。
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川手山の標識は 見逃したのかなぁ~w
雨見山 私も いつか 行って見たいと思っていますが
な~んか ちょこっと 雰囲気が 怖いんだよなぁ~
爺ィさんの報告を待ってからにしようかなぁ~(ずるい?)
本日は 二階山へ行ってきましたw
が・・・。
北山の標識は発見できませんでした・・・。
岩を見ただけで尻込みしてしまったので。
標識は赤白鉄塔方面を向いて右手の樹上にありましたが
名刺より少し大きい位の大きさですし、金属板叩き出しのものは色が完全に周囲の紅葉に同化しているので目立ちません。
遊神館から森林公園入り口までは再度来られそうなので、
何時か旧新治の雨見山にでも行こうかと思っています。
まさに その通りですねw
歩いていて 飽きない 楽しい山ですよねw
展望台は 山頂手前で 鋭角に右へ曲がるところの 左手の岩の先にあるんですw
私が歩いた日には 山頂標識は ひとつも無かったんだけどなぁ~
霧峠の ゲート~ 御察しのとおり 私が 岩本山から 下りてきた道ですw
私
本日は 高野山へ行ってきましたw
クタビレさんの文字も 山頂で発見して
手を叩いて 喜んできましたw