北海道新聞2020年2月11日、小樽・後志版から。
筆者は、どうしんウェブで読みました。かなりの長文記事( https://www.hokkaido-np.co.jp/article/392133 )が会員以外でも読めるようになっていました。
以下、一部を引用します。
小樽市は、市が建物を所有し閉鎖を検討していた妙見市場(花園2)について3月末で閉鎖することを正式に決めた。入居する5店のうち3店は移転して営業を続け、残る2店は廃業する。閉鎖後の建物は来年3月までに解体する方針。
妙見市場は終戦直後の1946年に樺太引き揚げ者らが妙見川(現於古発川)下流部に開いたのが始まりとされる。64年に市が現在地で於古発川の上に鉄骨造の建物を建てたが、老朽化と維持管理費がかさむことなどを理由に閉鎖を決めた。当初は3棟に100店あったが、2012年に1棟を残して取り壊され、現在は5店のみ。
(中略)
妙見市場の閉鎖後、小樽市場連合会加盟の市場は中央市場、中央卸市場(稲穂3)、三角市場(同)、南樽市場(新富町)、新南樽市場(築港)、鱗友朝市(色内3)の6カ所となる。(以下略)
もしかしたら、40代以下の人は「市場」という商店の業態それ自体になじみがないかもしれません。
ひとつの屋根の下に、八百屋、魚屋、肉屋、総菜店などが並び、客はそれぞれの店で、対面販売で買い物をし、支払いをするというスタイルです。
戦後の代表的な小売業のスタイルでしたが、スーパーマーケットに取って代わられていきました。
東京や京都だと、狭い道路の両側にそれらの店が並んでいる商店街がありますが、あれが同じ室内に入居したような感じです。
札幌では「まるやまいちば」が有名でしたが、2010年になくなりました。
琴似には共栄市場がありましたが、いまはどうなっているでしょう。
かつては豊平、西岡など、いろいろなところに市場がありました。
あ、札幌は、そういえば「二条市場」が有名ですが、あれは魚屋ばかりだし、もうかなり以前から観光客向けですからね。屋外に向けて軒先が並んでいるというスタイルも、他の市場とは異なります。
札幌に比べると小樽は市場が栄えたマチです。
森山大道の写真に登場する、小樽駅のすぐそばの「三角市場」などを思い出す人もいるでしょう。
小樽築港地区に巨大店舗が進出したとき、あえてその近くに進出した南樽市場のような積極派もあります。
しかし、旧手宮駅近くの手宮市場などは、いまは閉鎖されています。
筆者がこの記事を書いているのは、小樽在住で、戦後の北海道を代表する水彩画家のひとりだった白江正夫さん(1927~2014)に「市場通り(妙見市場)」という印象深い作品があるからです。
この絵は1987年作。ですから、札幌などではすでにスーパーマーケットが小売業の覇権を握って久しく、地方都市の市場や中心商店街の地盤沈下がすでに指摘されていた時代です。
ところが、白江さんのこの作品は、かまぼこ型の独特の建物の横で買い物をする多くの人を描いています。混雑というほどではないにせよ、それなりの活気が感じられます。
画集が手元にないのですが、縦構図で、冬の夕方だったように記憶しています。
なお、小樽の水彩画家を代表する存在として森田正世史(1912~1990)がおり、彼にも「妙見市場」という作品があります。
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白江正夫さん(水彩画家、小樽)死去
白江正夫展 (2003、画像なし。「市場通り(妙見市場)」に言及)