しつこいようですが、「構造社 昭和初期彫刻の鬼才たち」展(1月15日まで。ただし12月29日-1月3日休み)で、筆者が気になった作品について書きます。
斎藤素巌「泉」
石膏着彩とは思えぬボリューム感豊かなレリーフ。裸婦と田園というモティーフもあわせ、「いやー、いかにも古代ギリシャだな」と思わせる見事な作品。
綜合試作のところにあった「荷重」は、やはり古代ギリシャの「アトラス」像とよく似ている。
日名子実三「女」
1930年の作品。で、この髪型なんですけど、当時ハリウッドに彗星のように現れたルイーズ・ブルックスそっくり。「フラッパー」と呼ばれた20年代米国の「とんでる女」の間でもこのヘアスタイルがはやったんですよね。
日本でも「モボ・ボガ」とか言われてモダンな文化風俗が花開いた短い時代です。その風潮が反映している作品だと思います。
陽咸二「釈迦の降誕」
その3でも書きましたが、ドイツ表現主義の影響を受けつつも、東洋的なものと無理なく融合を果たしている佳作。よく考えるとプロポーションも現実離れしているんだけど、それが全く不自然に感じられない。
中牟田三治郎「きつね」
キツネといっても、手の影絵のキツネ。作品のバランスも見事だけど、こういうさりげないユーモア感覚、すきだなあ。
中野五一「建国の賦」
富山県高岡生まれですが、幼いころ小樽に移った彫刻家で、この作品は道立近代美術館の所蔵です。北見にも「伊谷半次郎翁像」など多くの屋外彫刻があります。
こうして見ると、中野の像もアカデミックですが、良い作品だと思います。なにより、西洋人ではなく日本人のプロポーションで制作されているのが良い。1933年という制作年から国家主義的なものを連想する人もいるでしょうが、それは、後世の発想ではないでしょうか。
全体としては、小品や、メダルなどが多く、一般的な見ごたえという点ではそのぶんだけマイナスということになるんでしょうけど、「人々の生活の向上」という観点から見ると、大作一本やりの風潮に対して異議を申し立てているという見方もできるのではないかと思います。
また、古代ギリシャふうや、「モボ・モガ」風に交じり、清水三重三の「朝寝髪」とか、江戸趣味の色濃い作品もあるのは、ひとつの時代を一面的にとらえることがいかに間違っているのかを教えてくれていると思うのです。
余談。
佐藤武造「マダム・ネルベ」って、池田理代子のマンガみたい。日本画の手法で西洋人を描くと、どうも変わった作品になります。
余談その2。
平井為成「青いヴェールの少女」は、少女の服が葉脈の模様と一体化している異様な作品。きちんと額装されていたのではなくキャンバスが巻かれて保管されていたのは明白で、よくぞ残っていたと思います。
この平井をはじめ、戦後ほとんど美術の表舞台に出ることなく長逝した出品者も何人かいます。
天才の栄光の影に、こういう人生もあるのだなと、なんだかしみじみしてしまいました。
斎藤素巌「泉」
石膏着彩とは思えぬボリューム感豊かなレリーフ。裸婦と田園というモティーフもあわせ、「いやー、いかにも古代ギリシャだな」と思わせる見事な作品。
綜合試作のところにあった「荷重」は、やはり古代ギリシャの「アトラス」像とよく似ている。
日名子実三「女」
1930年の作品。で、この髪型なんですけど、当時ハリウッドに彗星のように現れたルイーズ・ブルックスそっくり。「フラッパー」と呼ばれた20年代米国の「とんでる女」の間でもこのヘアスタイルがはやったんですよね。
日本でも「モボ・ボガ」とか言われてモダンな文化風俗が花開いた短い時代です。その風潮が反映している作品だと思います。
陽咸二「釈迦の降誕」
その3でも書きましたが、ドイツ表現主義の影響を受けつつも、東洋的なものと無理なく融合を果たしている佳作。よく考えるとプロポーションも現実離れしているんだけど、それが全く不自然に感じられない。
中牟田三治郎「きつね」
キツネといっても、手の影絵のキツネ。作品のバランスも見事だけど、こういうさりげないユーモア感覚、すきだなあ。
中野五一「建国の賦」
富山県高岡生まれですが、幼いころ小樽に移った彫刻家で、この作品は道立近代美術館の所蔵です。北見にも「伊谷半次郎翁像」など多くの屋外彫刻があります。
こうして見ると、中野の像もアカデミックですが、良い作品だと思います。なにより、西洋人ではなく日本人のプロポーションで制作されているのが良い。1933年という制作年から国家主義的なものを連想する人もいるでしょうが、それは、後世の発想ではないでしょうか。
全体としては、小品や、メダルなどが多く、一般的な見ごたえという点ではそのぶんだけマイナスということになるんでしょうけど、「人々の生活の向上」という観点から見ると、大作一本やりの風潮に対して異議を申し立てているという見方もできるのではないかと思います。
また、古代ギリシャふうや、「モボ・モガ」風に交じり、清水三重三の「朝寝髪」とか、江戸趣味の色濃い作品もあるのは、ひとつの時代を一面的にとらえることがいかに間違っているのかを教えてくれていると思うのです。
余談。
佐藤武造「マダム・ネルベ」って、池田理代子のマンガみたい。日本画の手法で西洋人を描くと、どうも変わった作品になります。
余談その2。
平井為成「青いヴェールの少女」は、少女の服が葉脈の模様と一体化している異様な作品。きちんと額装されていたのではなくキャンバスが巻かれて保管されていたのは明白で、よくぞ残っていたと思います。
この平井をはじめ、戦後ほとんど美術の表舞台に出ることなく長逝した出品者も何人かいます。
天才の栄光の影に、こういう人生もあるのだなと、なんだかしみじみしてしまいました。
構造社は良かったと思います。中野五一はうまいですよね。アカデミスムぽいということであまりとりあげられないのかもしれませんが・・・
やっと「構造社」行ってきました。
私は中野五一の「四天王之内持国天」が一番好きです。人間の体と、四天王の表情・髪型を違和感なく合体させていました。
「マダム・ネルベ」では私も「ベルバラ」を思い出し、神津港人の画は何だかエロかったです。