らいらっく・ぎゃらりいが、南大通に面した4丁目の北海道銀行本店1階から、同じく南大通沿いの2丁目に新築なった「ほくほく札幌ビル」1階へと移転したのを記念して企画された連続個展の第5弾。
作者はいずれも「道銀芸術文化奨励賞」の受賞者で、今回個展を開いている陳曦さんは、第10回(2000年)に受賞しています。
陳曦さんは西安生まれ。
「日本画」を学びに北海道教育大に留学し、卒業後も札幌に住んでいます。
今個展には、日本画のオリジナル作品8点と、壁画の模写1点が展示されています。
陳曦さんは近年、道展などには風景画を出しているという印象が強いのですが、今個展には、それ以前に手掛けていた人物画が多く並んでいます。
右が「旅想」(F30)。
左は「ふたり」(F50)。
「旅想」を見ていると、師匠である川井坦さんの教えをよくのみこみ、展開しているなあと感じます。
タージマハルなどのシルエットが、題の通りに、見る人を旅想へと誘います。
過去の旅の思い出を静物に託すのは、川井教授の得意とするところでした。
「高原の子」(F40)。
民族衣装を身に着けた女性たちを、丹念な筆遣いで、写実的に描写しています。
人物の存在感がこちらに迫ってくる感じがします。
…とまあ、20世紀までの批評や紹介であれば、こんな感じだろうと思うのですが、いまは2024年なので、見る側の視線は、もう少し複雑なものになっています。
筆者はこれらの作品を前にすると、生み出された関係性の複雑さに、頭がくらくらしてきます。
にかわや墨を用いて制作される絵画は東アジア全体にあるのではないかと思われます。この列島では、そういうタイプの絵画を、国名を冠して呼んでいるのです。フランスで制作された絵画をフランス絵画と呼びますが、油彩全般をフランス画とは呼びませんよね。
むしろ「中国」のほうが古い伝統がありそうな気もしますが「日本画」を学ぶために陳曦さんはわざわざ日本に来ています。
せっかくなら、本場で学ぶほうが良いのではないかとも思ったりします。日本の内国植民地であり、その伝統を欠く「北海道」を留学先に選んだのは、いささか不思議です。
もちろん、留学にはさまざまな制約や事情があり、だれでも望めば東京藝大や京都の美術学校に入れるものではないのでしょう。
そして、今回の作品のモティーフは「中国」の少数民族です。
漢民族が少数民族を見る際の視線に「オリエンタリズム」的な色合いが混じることは、否定できないでしょう。いわば「アイヌ絵」にみられるような、まなざす側(支配する多数派)とまなざされる側(圧迫される少数派)との不均衡が、不可逆的に発生します(発生させようとしているかどうかの作者の意図の有無は、ここでは二の次となります)。
陳さんの出自が漢民族なのかどうかは明記されていませんが。
彼女の絵には、民族の誇りのような感情も、虐げられたきた歴史的背景も、とくに強調して描こうとした形跡はみられません。おそらく、民族衣装の装飾性への関心と、人物そのものの存在感が、作品成立の基底部を支えているとみてさしつかえないのではないでしょうか。
これはもちろん、絵画そのものの良しあしについての言説ではありません。
作者の姿勢も作品そのものも四半世紀前とは何も変わったわけではなく、見る側の世界や認識が、時代とともに変わっただけといえましょう。
もし作者に話を聞く機会があれば、いま挙げた二重三重の「ねじれ」とでもいうべき事情についてどう思っているか尋ねてみたいですが、一方で、本人にステイトメントをする意向がないのだとしたら、あれこれ問うてもしかたがないことのような気もします。
2024年7月10日(水)~21日(日)平日正午~午後4時。午前7時~午後10時(最終日~4時)もガラス越しに作品を鑑賞できます
らいらっく・ぎゃらりい(札幌市中央区大通西2 ほくほく札幌ビル)
過去の関連記事へのリンク
■北の日本画展 (2015、画像なし)
■第22回北の日本画展(2007、画像なし)
20周年記念 北の日本画展(画像なし)
第18回北の日本画展 (2003、画像なし)
■陳曦個展 (2002) ※3月21日の項
作者はいずれも「道銀芸術文化奨励賞」の受賞者で、今回個展を開いている陳曦さんは、第10回(2000年)に受賞しています。
陳曦さんは西安生まれ。
「日本画」を学びに北海道教育大に留学し、卒業後も札幌に住んでいます。
今個展には、日本画のオリジナル作品8点と、壁画の模写1点が展示されています。
陳曦さんは近年、道展などには風景画を出しているという印象が強いのですが、今個展には、それ以前に手掛けていた人物画が多く並んでいます。
右が「旅想」(F30)。
左は「ふたり」(F50)。
「旅想」を見ていると、師匠である川井坦さんの教えをよくのみこみ、展開しているなあと感じます。
タージマハルなどのシルエットが、題の通りに、見る人を旅想へと誘います。
過去の旅の思い出を静物に託すのは、川井教授の得意とするところでした。
「高原の子」(F40)。
民族衣装を身に着けた女性たちを、丹念な筆遣いで、写実的に描写しています。
人物の存在感がこちらに迫ってくる感じがします。
…とまあ、20世紀までの批評や紹介であれば、こんな感じだろうと思うのですが、いまは2024年なので、見る側の視線は、もう少し複雑なものになっています。
筆者はこれらの作品を前にすると、生み出された関係性の複雑さに、頭がくらくらしてきます。
にかわや墨を用いて制作される絵画は東アジア全体にあるのではないかと思われます。この列島では、そういうタイプの絵画を、国名を冠して呼んでいるのです。フランスで制作された絵画をフランス絵画と呼びますが、油彩全般をフランス画とは呼びませんよね。
むしろ「中国」のほうが古い伝統がありそうな気もしますが「日本画」を学ぶために陳曦さんはわざわざ日本に来ています。
せっかくなら、本場で学ぶほうが良いのではないかとも思ったりします。日本の内国植民地であり、その伝統を欠く「北海道」を留学先に選んだのは、いささか不思議です。
もちろん、留学にはさまざまな制約や事情があり、だれでも望めば東京藝大や京都の美術学校に入れるものではないのでしょう。
そして、今回の作品のモティーフは「中国」の少数民族です。
漢民族が少数民族を見る際の視線に「オリエンタリズム」的な色合いが混じることは、否定できないでしょう。いわば「アイヌ絵」にみられるような、まなざす側(支配する多数派)とまなざされる側(圧迫される少数派)との不均衡が、不可逆的に発生します(発生させようとしているかどうかの作者の意図の有無は、ここでは二の次となります)。
陳さんの出自が漢民族なのかどうかは明記されていませんが。
彼女の絵には、民族の誇りのような感情も、虐げられたきた歴史的背景も、とくに強調して描こうとした形跡はみられません。おそらく、民族衣装の装飾性への関心と、人物そのものの存在感が、作品成立の基底部を支えているとみてさしつかえないのではないでしょうか。
これはもちろん、絵画そのものの良しあしについての言説ではありません。
作者の姿勢も作品そのものも四半世紀前とは何も変わったわけではなく、見る側の世界や認識が、時代とともに変わっただけといえましょう。
もし作者に話を聞く機会があれば、いま挙げた二重三重の「ねじれ」とでもいうべき事情についてどう思っているか尋ねてみたいですが、一方で、本人にステイトメントをする意向がないのだとしたら、あれこれ問うてもしかたがないことのような気もします。
2024年7月10日(水)~21日(日)平日正午~午後4時。午前7時~午後10時(最終日~4時)もガラス越しに作品を鑑賞できます
らいらっく・ぎゃらりい(札幌市中央区大通西2 ほくほく札幌ビル)
過去の関連記事へのリンク
■北の日本画展 (2015、画像なし)
■第22回北の日本画展(2007、画像なし)
20周年記念 北の日本画展(画像なし)
第18回北の日本画展 (2003、画像なし)
■陳曦個展 (2002) ※3月21日の項