(承前)
午後3時38分、長岡駅に到着。
新幹線と在来線の2回改札口を通ることを知らず、切符が出てきてびっくりしていると、あっという間に切符が機械に回収されてしまいました。駅員に頼んで切符を出してもらいました。
閉館時刻の5時が近づいているし、土地勘もないので、いさぎよくタクシーに乗ることにしました。
信濃川にかかる、1キロを超える長い橋を渡ります。
タクシー運転手さんの話によると川沿いの土地は以前は田中角栄が持っていたとのこと。
その土地に新潟県立近代美術館など文化施設が建っています。
この名称の美術館が県庁所在地にあるのは珍しいことですが、大コレクターが長岡にいたためです。
長岡駅から美術館まで、ちょうど2000円でした。
展覧会は、同館と久留米市美術館が共同で企画したもので、ナビ派の理論家として知られるフランスの画家モーリス・ドニ(1870~1943)と日本のかかわりに着目した、非常にユニークな視点で構成されていました。
ドニが育った時代はフランスでジャポニスムが盛んだった時代で、日本絵画からの影響(ゴーギャン経由も含む)もあって彼は平面性の強い絵を描いています。
一方、日本も洋画家のパリ留学が増えていった頃です。黒田清輝と久米桂一郎がアンデパンダン展でドニの絵を見たり、ドニの開いた絵画学校「アカデミー・ランソン」に梅原龍三郎らが通ったり、さらには「松方コレクション」で児島虎次郎がドニの絵をまとめて買い付けたりしており、ドニと日本の美術界の間にはさまざまなキャッチボール(かかわり)がありました。
これまでドニというと、ナビ派の文脈で論じられることが多かったですが、アートの前衛がめまぐるしく移り行くなかで最前線から退却して宗教芸術に力を注ぐようになった後半生の歩みもしっかりおさえています。
出品作は計129点。
前後半で展示替えがあります。
ドニと、彼の周辺の画家(ゴーギャン、ボナール、ルノワール、ルドンら)がだいたい半分、彼に関係する日本の画家が半分といった印象です。すべて国内の美術館や個人の所有のようです。
ドニの「ベンガル虎 バッカス祭」(1920年)のみ写真撮影可でした(次の画像は、一部分の拡大)。
この絵は、室内装飾用壁画がいったん分離されて売却されたものが現在は新潟県立美術館・万代島美術館の所蔵になっています。かなりでかいです。
また、まったく同じ構図のタブロー「バッカス祭」(同年)を、アーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)が所蔵しています。壁画より少し小さめですが、それでも99.2 × 139.5センチあります。
この2点がおなじ会場に陳列されるのは、非常にまれなことのようです。
国内勢で個人的に、オオっと思ったのが青木繁「温泉」(1910)。
28歳で夭折した天才の、はじめて見るタブローなんて、そうそうないですよ。
裸婦の表現は「わだつみのいろこの宮」を思わせ、輪郭線ではなく面と肉づけで対象をとらえる、日本人離れした青木の才能がみなぎっています。
ただ、ドニがあえて平面的な画風を採用した画家であるので、会場全体では浮き上がって見えます(笑)。
そもそも、なんで青木繫があるかというと、どうやら黒田清輝が評価したっていうことだけで、あまりドニやナビ派とは関係なさそう。
それを言うと、藤田嗣治や岸田劉生があるのもよくわからない。
このへんは、どうも「人寄せパンダ」というか、「友だちの友だちはみな友だちだ」のような気がしないでもありません。
すべての画家にモノグラフ(略歴)パネルが添えてありましたが、フジタやセザンヌを知らない人がこの会場に来ているとも思えません。一般的な略歴より、ドニとの関係に触れた解説文がほしかったです。
セザンヌはごく小さい絵(「水浴」)がありました。
これも、ドニが有名な「セザンヌ礼賛」(オルセー美術館蔵)を描いていることを知ると、なるほどと思いますが…。
アカデミー・ランソン組でいうと、矢部友衛、黒田重太郎、板倉鼎、高畠達四郎、小柴錦侍らがいます。
あの岡本太郎も通った一人で、すでにドニは教えておらず、今回タブローは出品されていませんが、資料が展示されていました。また、戦後には、札幌に個人美術館がある日本画家関口雄揮も在籍していたそうです(出品なし)。
中でも板倉(1901~29)の「休む赤衣の女」は、その題のとおり、真っ赤なワンピースを着た女性(妻で画家の須美子がモデルだそうです)がこちらを見つめている、印象に残る作品。背景の、ヨットが浮かぶ海や、黒いパンジーの花々が、岡鹿之助によく似ていて、驚かされます。
小柴(1889~1961)は、現存作品が少ないため半ば忘れられていますが、戦前の帝展では高く評価されていました。「卒世やさしいサンタマリア」など、ドニからの影響の大きさに目をみはります。
このほか、ドニについて初めてまとまった文章を書いて「白樺」誌に寄せた斎藤与里や、ゴーギャンに私淑したのでドニと画風が似てくる土田麦僊の絵も展示されています。
また、資料類が豊富なのも、この展覧会の特長です。
ドニが弱冠19歳で書いた評論「新伝統主義の定義」の初出誌「アール・エ・クリティク」もありました。
これは「絵画とは、軍馬や裸婦や何かのエピソードであるよりも以前に、本質的に、ある順序のもとに集められた色彩で覆われた平坦な表面であることを、思い起こすべきだ」という有名な書き出しで知られ、ナビ派の事実上のマニフェストであるばかりか、モダニズム絵画の出発点にもなった重要な論文とされています。
ところで。
会場のいすに閲覧用の図録が置いてあるのはよくあることですが、新潟県立近代美術館のえらいところは、販売は4時半までと明記していたことです。
じっくりと見るには少し時間が足りないし、この展覧会は後で図録を読んで学び直した方がよさそうだと直感した筆者は、会場の係員に申し出ていったん受付に戻り、図録を購入(2500円)して、ふたたび鑑賞を始めました。
荷物になるので、図録を買わないことも多いのですが、今回は「大当たり」でした。
新潟、久留米両美術館の学芸員はもちろん、さまざまな面からドニの芸術や日本との関係などを記したコラムが11本も収録されているのです。
中には、近年のアニメーションの傾向に触れた文章もありました。たしかに、ドニの平坦な色面は、もはや現場でセル画が使われなくなってもなおその画調を維持している日本アニメに共通するものがあります(叶精二の指摘)。
巻末の年譜なども非常に充実しています。
会場ではちょっと展示している画家の範囲が広すぎると感じても、図録を読んで
「なるほど、こういう意味でドニとの関係性をみているのか」
と膝を打ったこともしばしばでした。
展覧会に足を運べない関係者が多いと思いますが、ドニやナビ派に興味がある人は図録だけでも手に入れることを強くおすすめします。
良い展覧会でした。図録は他に類のない、すばらしい出来です。
2024年8月27日(火)~10月20日(日)午前9時~午後5時(入場30分前)、月曜休み(祝日の場合は開館し翌火曜休み)
新潟県立近代美術館(新潟県長岡市千秋3)
午後3時38分、長岡駅に到着。
新幹線と在来線の2回改札口を通ることを知らず、切符が出てきてびっくりしていると、あっという間に切符が機械に回収されてしまいました。駅員に頼んで切符を出してもらいました。
閉館時刻の5時が近づいているし、土地勘もないので、いさぎよくタクシーに乗ることにしました。
信濃川にかかる、1キロを超える長い橋を渡ります。
タクシー運転手さんの話によると川沿いの土地は以前は田中角栄が持っていたとのこと。
その土地に新潟県立近代美術館など文化施設が建っています。
この名称の美術館が県庁所在地にあるのは珍しいことですが、大コレクターが長岡にいたためです。
長岡駅から美術館まで、ちょうど2000円でした。
展覧会は、同館と久留米市美術館が共同で企画したもので、ナビ派の理論家として知られるフランスの画家モーリス・ドニ(1870~1943)と日本のかかわりに着目した、非常にユニークな視点で構成されていました。
ドニが育った時代はフランスでジャポニスムが盛んだった時代で、日本絵画からの影響(ゴーギャン経由も含む)もあって彼は平面性の強い絵を描いています。
一方、日本も洋画家のパリ留学が増えていった頃です。黒田清輝と久米桂一郎がアンデパンダン展でドニの絵を見たり、ドニの開いた絵画学校「アカデミー・ランソン」に梅原龍三郎らが通ったり、さらには「松方コレクション」で児島虎次郎がドニの絵をまとめて買い付けたりしており、ドニと日本の美術界の間にはさまざまなキャッチボール(かかわり)がありました。
これまでドニというと、ナビ派の文脈で論じられることが多かったですが、アートの前衛がめまぐるしく移り行くなかで最前線から退却して宗教芸術に力を注ぐようになった後半生の歩みもしっかりおさえています。
出品作は計129点。
前後半で展示替えがあります。
ドニと、彼の周辺の画家(ゴーギャン、ボナール、ルノワール、ルドンら)がだいたい半分、彼に関係する日本の画家が半分といった印象です。すべて国内の美術館や個人の所有のようです。
ドニの「ベンガル虎 バッカス祭」(1920年)のみ写真撮影可でした(次の画像は、一部分の拡大)。
この絵は、室内装飾用壁画がいったん分離されて売却されたものが現在は新潟県立美術館・万代島美術館の所蔵になっています。かなりでかいです。
また、まったく同じ構図のタブロー「バッカス祭」(同年)を、アーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)が所蔵しています。壁画より少し小さめですが、それでも99.2 × 139.5センチあります。
この2点がおなじ会場に陳列されるのは、非常にまれなことのようです。
国内勢で個人的に、オオっと思ったのが青木繁「温泉」(1910)。
28歳で夭折した天才の、はじめて見るタブローなんて、そうそうないですよ。
裸婦の表現は「わだつみのいろこの宮」を思わせ、輪郭線ではなく面と肉づけで対象をとらえる、日本人離れした青木の才能がみなぎっています。
ただ、ドニがあえて平面的な画風を採用した画家であるので、会場全体では浮き上がって見えます(笑)。
そもそも、なんで青木繫があるかというと、どうやら黒田清輝が評価したっていうことだけで、あまりドニやナビ派とは関係なさそう。
それを言うと、藤田嗣治や岸田劉生があるのもよくわからない。
このへんは、どうも「人寄せパンダ」というか、「友だちの友だちはみな友だちだ」のような気がしないでもありません。
すべての画家にモノグラフ(略歴)パネルが添えてありましたが、フジタやセザンヌを知らない人がこの会場に来ているとも思えません。一般的な略歴より、ドニとの関係に触れた解説文がほしかったです。
セザンヌはごく小さい絵(「水浴」)がありました。
これも、ドニが有名な「セザンヌ礼賛」(オルセー美術館蔵)を描いていることを知ると、なるほどと思いますが…。
アカデミー・ランソン組でいうと、矢部友衛、黒田重太郎、板倉鼎、高畠達四郎、小柴錦侍らがいます。
あの岡本太郎も通った一人で、すでにドニは教えておらず、今回タブローは出品されていませんが、資料が展示されていました。また、戦後には、札幌に個人美術館がある日本画家関口雄揮も在籍していたそうです(出品なし)。
中でも板倉(1901~29)の「休む赤衣の女」は、その題のとおり、真っ赤なワンピースを着た女性(妻で画家の須美子がモデルだそうです)がこちらを見つめている、印象に残る作品。背景の、ヨットが浮かぶ海や、黒いパンジーの花々が、岡鹿之助によく似ていて、驚かされます。
小柴(1889~1961)は、現存作品が少ないため半ば忘れられていますが、戦前の帝展では高く評価されていました。「卒世やさしいサンタマリア」など、ドニからの影響の大きさに目をみはります。
このほか、ドニについて初めてまとまった文章を書いて「白樺」誌に寄せた斎藤与里や、ゴーギャンに私淑したのでドニと画風が似てくる土田麦僊の絵も展示されています。
また、資料類が豊富なのも、この展覧会の特長です。
ドニが弱冠19歳で書いた評論「新伝統主義の定義」の初出誌「アール・エ・クリティク」もありました。
これは「絵画とは、軍馬や裸婦や何かのエピソードであるよりも以前に、本質的に、ある順序のもとに集められた色彩で覆われた平坦な表面であることを、思い起こすべきだ」という有名な書き出しで知られ、ナビ派の事実上のマニフェストであるばかりか、モダニズム絵画の出発点にもなった重要な論文とされています。
ところで。
会場のいすに閲覧用の図録が置いてあるのはよくあることですが、新潟県立近代美術館のえらいところは、販売は4時半までと明記していたことです。
じっくりと見るには少し時間が足りないし、この展覧会は後で図録を読んで学び直した方がよさそうだと直感した筆者は、会場の係員に申し出ていったん受付に戻り、図録を購入(2500円)して、ふたたび鑑賞を始めました。
荷物になるので、図録を買わないことも多いのですが、今回は「大当たり」でした。
新潟、久留米両美術館の学芸員はもちろん、さまざまな面からドニの芸術や日本との関係などを記したコラムが11本も収録されているのです。
中には、近年のアニメーションの傾向に触れた文章もありました。たしかに、ドニの平坦な色面は、もはや現場でセル画が使われなくなってもなおその画調を維持している日本アニメに共通するものがあります(叶精二の指摘)。
巻末の年譜なども非常に充実しています。
会場ではちょっと展示している画家の範囲が広すぎると感じても、図録を読んで
「なるほど、こういう意味でドニとの関係性をみているのか」
と膝を打ったこともしばしばでした。
展覧会に足を運べない関係者が多いと思いますが、ドニやナビ派に興味がある人は図録だけでも手に入れることを強くおすすめします。
良い展覧会でした。図録は他に類のない、すばらしい出来です。
2024年8月27日(火)~10月20日(日)午前9時~午後5時(入場30分前)、月曜休み(祝日の場合は開館し翌火曜休み)
新潟県立近代美術館(新潟県長岡市千秋3)
(この項続く)