今日は田植えのお手伝いを予定していたのだが、段取りが進んでいるのでかまわない・・・ということだったので、今日も「お墓ハンター」に打ち込むことになった・・・。
資料は何もない。地元の人の記憶もない。何の手がかりもないとなると、お墓に聞くしかないではないか。というので、今日は江の浦地区の共同墓地に行ってみた。昔からの習慣で、それぞれの集落ごとに墓地がある。それも海岸沿いの砂浜だった場所である。
この江の浦という集落の場合も海岸の砂浜にあったが、今は埋め立てられて小学校・中学校が建っている。ここも少し前までは「両墓制」だった。両墓制が顕著なのがお隣の佐柳島や高見島。
これが高見島の墓地。手前が「埋め墓」で自然石なんぞを積み上げて目印にしている。奥手側が「参り墓・拝み墓」という立派な石碑が建ち並んでいる。こういう二つのお墓を作るから「両墓制」という。
で、何気なく歩いていたら・・・この左の背の高い石碑に「地福寺先住・・・・」と刻んである。「住職さんのお墓はお寺にあるはず。なんで、こんなところに・・・」と、振り向いたら、この手前側の小さな墓に・・・。
「粟根氏産」という字が読めた・・・。その横には「用之江村:もちのえむら」という字も・・・。これは、別の研究テーマの「英国士官レキの墓研究」に出てくる「阿闍梨等観」のお墓ではないか・・・。つまりはこれは、等観の埋め墓ではないか・・・。
これが・・・医光寺跡に残る「阿闍梨等観」の参り墓らしい・・・。刻まれている文字も年月日も全く同じ・・・。ただ、こちらが拝み墓だけに立派なだけ。
連日、お墓の話ばかりでは訪問者も退屈するだろうから、このあたりにするが、まぁ、坊さんのブログだからと言うことでご勘弁を・・・m(_ _)m。
で、墓地やら廃寺跡やらを歩き回ったもので、今日は手軽に「そうめん」での昼食になった。今日は田植えのお手伝いをする積もりで珍しく・・・朝ご飯に米粒を食べたから・・二束で200グラムのそうめんを湯がいたら・・・今度は夕食が入らなくなった・・・。
ナンテンの花が開きだしたようだ。昼食後はまたしても、お昼寝タイム・・・。時間は20分ほどだが、確かにこれで午後は楽になるように思う・・・。
午後からも散歩をしたが、歩いたからと言って、食欲が増すでもないし、体重が減るでもない・・・。むつかしい年代やね。のどの痛みやタンや熱はないし、めまいもしなくはなったけれど・・・。
今日の掲示板はこれ。ま、なんだかんだと言うても、苦しみも悲しみも喜びも怒りも・・・。自分の荷物は自分で背負って歩いて行くしかないではないか。誰にも肩代わりはしてもらえないのだから・・・。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。