まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

薄氷 割る人もなし 手水鉢

2016年01月15日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は2度から9度、湿度は64%から54%、風は2mから4mの西北西の風が少しばかり。明日の16日は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 左側の昨年の工事が終わったと思えば、今度は右側も防災工事とかで山肌を削る作業が始まっている。さてさて、どのような形になるものやら・・・。

 

 平成27年の確定申告用の資料を整理し始めた。と言うても、わが家は「医療控除」だけ。それも、夫婦二人だけだから簡単なものだ。

 

 それでも、総額で24万円もの医療費になった。戻って来るのは数万円かな・・・。

 

 さぬき市志度図書館へ本を返却するために出かけたが、少し時間が早いので、久々にここに寄ってみた。東かがわ市小砂(こざれ)にある「庄松同行」の小砂説教所跡である。

 

 ここを、正式にはどう呼ぶのか確かめたことはない。「庄松同行墓所」とも、「正真同行墓所」とも「小砂説教所」とも、「正真講本部」とも呼んできた。

 

 庄松が臨終の床についた時、生涯独身であったため、一人で寝ていた。そこへ同行の市蔵が見舞いにやってきて、市蔵は庄松に「同行らと相談したんだが、お前 が死んだら、墓を建ててやるから、あとのことは心配するなよ」と言った。すると庄松は、「おらは石の下にはおらんぞ」と答えたと言う。既に阿弥陀仏の本願 に救われている身なので、墓石の中ではなく、浄土に生まれることを確信する中から発せられた言葉だと言えよう。

 

 しかし、現実にはこんなお墓が建っている。これは「報恩感謝」のお墓なのである。御恩報謝の念仏と同じである。供養のためではない。石碑には「庄松同行の墓」とあり、「釈正真信士墓」と刻まれている。 没年は明治四年三月四日と刻まれており、他面には、大同行 俗称 谷口庄松 丹生村 と刻まれている。

 

 これが、小砂説教所の内部である。正面には本尊阿弥陀如来立像。ここで、皆さん、合掌礼拝・読経される。あと、左三間は庄松さん関連の品物が展示をされている。詳しくはここにお参りしてご覧あれ。

 

 こういうものもある。ご勧章「聖人一流章」を上下逆にして、文字の読めない庄松さんが読んでいる図である。庄松さんは文字や本を読むのではなく、こころで「ほとけさまの願い」を頂くのである。

 

 東かがわ市丹生(にぶ)から国道11号線を西に走ってさぬき市志度に入る。JR志度駅から右折して海の方に進むと、この「さぬき市志度図書館」がある。現在、香川県立図書館は防災工事のために一部を開放しているだけで、大部分には入れない。そこで、2月上旬まではここを使うしかない。

 

 今回、借りたのはこういう本。私たち団塊の世代が歩んできた時代の遊びや風俗などをまとめたもの。

 

 こういう、なつかしいものがたくさん見られる。まだ、こんなものを懐かしむ年ではないのだが、頭を休めるにはいいかも知れない・・・などと。

 

 こういうものとか・・・。

 

 そういう点からすれば、私は「おへんろ」という信仰文化を、「仏教民俗学」的に見ているのかも知れないなぁと思った。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生 初の今日であり 今である」という、町内のお友達のお寺にあった言葉から。よく見かける言葉だけれど、どこの誰の言葉かわからなかった。私たちは、当たり前のように生きているのだけれど、「今」という一瞬は「今」でしかないし、「今日」という時間はまるきり人生で初めての「今日」であって、もう、二度と今日という日はやって来ない。その今日という日の積み重ねが、この私の「人生」となる。それだから、今日、出来ることは今日にやっておきたいものだし、今日、見ておきたいものは、ぜひとも今日に見ておきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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