まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

犬啼いて 妻の居ぬ間に みぞれ降る

2016年01月23日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で雲が広がり、はじめ晴れていたが、気圧の谷や寒気の影響で昼過ぎから雲が広がり、雪や雨が降ってきた。気温は2度から9度、湿度は89%から75%。風は1mから4mの西の風が一時強かった。明日の24日は、強い冬型の気圧配置となるため雲が広がり、雪が降りやすく、雷を伴う所もある見込みらしい。

 

 今日は寒くなり、雨や雪になるという予報だったもので、デスクワークの日と決めていた。不要不急の用事もないときには無理をしないのが安全策。インフルエンザが流行期に入ったというし、最近はバスの事故も目立っている。触らぬ神にたたりなし・・・などと言うては不謹慎か。

 

 そういうことで、「お袈裟ってなぁに」のスライドの作成作業をやっていた。今日は、この、「如法衣」とか・・・

 

 三緒袈裟とか・・・

 

 地蔵袈裟とか・・という、あまり、知られていないお袈裟の種類の部分・・・。

 

 午後からは、明日の「志度寺案内ガイド」の予習勉強・・・。高松市文化財保護協会の会員さんたち100名がおいでになるらしい。で、さぬき市志度の町並みを見学しながら歩いて志度寺に入られる。その100名さんを三班に分けて、町並み部分は「町並みガイド」さんが案内し、私たちはサポート係。「車が来ますよぉ~」とか、「右側に寄ってくださぁい~」というお役目。

 

 志度寺に入れば攻守交代。ここからが、私たちのガイド役が始まる。この山門の説明、ここにある仁王像のお話・・・なんぞから、高さ33メートルの五重塔のお話なんぞ。

  

 この牢獄のようなもの。これが「謡曲、海士の玉取伝説」にからむ、「海士の墓」と言われるもの。この経筒を削り取る不埒者対策のための防護柵である。

 

 こんな石を削って飲んでも身体にいい筈はないと思うが、全国的に、有名人のお墓を削って持ち帰る人は多いらしい。中には、これを削って販売する人までいるのだとか。買う人も買う人だなぁと呆れたりする。

 

 ここもガイドでは欠かせないところ。「無染庭」という枯山水のお庭である。造園家の鬼才、重森三玲さんが作ったもの。玉取り伝説を表現してあるという。三玲という名は、フランスの画家ジャン・フランソワ・ミレーにちなみ本人が改名したもの。美術学校時代から雅号として「ミレー」を名乗っていたが、やがて出家すれば戸籍を抹消できることを知り、一度出家して戸籍を抹消し、再び戸籍に入る時に三玲と改名した。子供たちに名前をつける時にもヨーロッパの偉人に因み、長男には完途(カント)、二男には弘淹(コーエン)、長女には由郷(ユーゴー)、三男には埶氐(ゲーテ)、四男には貝崙(バイロン)と命名したが、長男の完途は父三玲の西洋趣味に反発し、自らの子供には古事記や万葉集に由来する日本風の名前をつけた・・・というお話なんぞを・・・。

 

 この志度寺さんの閻魔さんは、頭上に十体の観音さんが乗っているという変わったもの。本尊の十一面観世音にあやかったものだと言われている。でも、それより、明日の天気が心配だ。明日はこの冬一番の冷え込みになるのだとか・・・。

 

 夕方になると、お天気があやしくなり始めてきた。

 

 今日の掲示板はこれ。「現在が続いて将来となる 現在を離れて将来はない」という清澤満之先生のお言葉から。清澤先生は文久3年、尾張藩に生まれた。東京帝国大学卒業後、明治21年、京都府尋常中学校の校長に赴任するが、辞任して禁欲自戒の生活に入った。明治25年、『宗教哲学骸骨』を刊行。宗門改革のために雑誌「教界時言」を発刊し一時僧籍を剥奪されるが、僧籍を回復し真宗大学初代学長に就任。明治 34年、雑誌「精神界」を発行。明治36年、愛知県で死去。享年41歳であった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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