まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

火鉢欲し 山の一人は 暇すぎて

2016年01月25日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は冬型の気圧配置になっているため、雲が広がりやすくなっていたが、晴れ間ものぞいてみるみるうちに雪は溶けてしまった。気温は氷点下2度から5度とまり。湿度は84%から66%、風は3mから5mの西の風が一時強かった。明日の26日は、寒気の影響で雲が広がりやすいらしい。昨夜は旧暦12月15日の「十五夜」だった。

 

 一昨日あたりから、書斎のエアコンの調子が悪くて部屋が暖かくならない。ここも新築して10年になろうとしている。そろそろ、エアコンにもゴミが溜まってきたのだろうか。で、二月頭には上洛するので、頭をきれいにした。いや、中身じゃなくて髪の毛だ。で、頭を洗おうとして風呂に入ったのだが、この寒さのせいだかでなかなかに暖かくならない。頭はクリクリ坊主で寒いし、お湯は湧かないしでブルブルと震えていた。

 

 で、起きたら真っ白けだった。今朝は道路まで真っ白け。奥方が、「今日は送って行ってよ~」というので仕方がない。若い頃には4WDにプラスチック・チェーンとかスコップとかを装備していたが、雪の量が大幅に減ったもので、タイヤ・チェーンも冬用タイヤも買ったことがない。

 

 県道は除雪をしてあるし、融雪剤を撒いてあるので雪はないが、脇道や町道に入るとそのまんま・・。奥方を下ろしてからユーターンしてわが家に戻って来たが、ヒヤヒヤもの。全く、だらしなくなったものだ。

 

 ついでに旧宅跡まで行って来たが、この少しの登り坂で滑って動かなくなったのでギブアップして引き返えしてきた。こんな坂さえも登れなくなったのか・・・。全く、年取ったもんだ。

 

 で、例のお袈裟の資料作りの追加として、法衣用小物として、中啓(ちゅうけい)・夏扇(なつせん)・雪洞(ぼんぼり)も追加した。中啓は檜扇(ひおうぎ)が変化したもので、檜扇は、「笏(しゃく)」を束ねたものという説がある。「笏」は、メモ帳で、それだけでは足りないから25枚もの板を束ねて糸で結んだものという説があった。もちろん、「神職宝鑑」には、そんなことは書いていない。威儀を正すものだとの説明があった。

 

 時間があれば、これもお話する用に、「法具」もまとめておくことにした。

 

 でも、私が子供の頃、60年昔、昭和の30年代・・・。雪は膝まで降っていたが、家には暖房器具らしいものは火鉢くらいなもので、あとはおこたしかなかった。

 

 火鉢は、顔や手は温かくなっても、背中が温まらなかった。でも、江戸時代から、いや、もっと前から、これで人々は暖をとっていたことだろう。少なくとも、高校生くらいまではこれだった。

 

 おこたは、こういう「番屋こたつ」というものだった。その他にも「置きこたつ」というものもあった。

 

 この丸いものも、番屋こたつと言うていた。寝るときには、危ないので、布団から出すように言われていた。昼間は、この上に「やぐら」を乗せてふとんを掛けた。

 

 昔は、これでも我慢するしかなかったように思うし、みんな、我慢をして遊んでいたように思う。考えてみれば、石油ストーブだ、電気こたつだなんていうのは、ごく最近のことのような気がする。

 

 お昼からは、「もう、溶けたかなぁ・・」と、大窪寺方面へ出かけてみたが、車がフラフラするようで、あきらめて帰って来た。全く、だらしのないことだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「頂上ばかり眺めずに まず目の前の一歩をどう歩むかです」という石川真理子さんのことばから。

おなごがでたらめになれば世の中がでたらめになります。
目に見えぬものに振り回されぬように心の目を開きなさい。
自由と身勝手をはき違えてはなりませぬ。
一家の安泰は我が身にかかっているということを識りなさい。
お金も物も、この世での借り物と思えばよろしい。
頂上ばかり眺めずに、まず目の前の一歩をどう歩むかです。
逆境こそが己に与えられた宝と心得るのです。
厳寒の中で咲き誇る梅花のようでありなされ。
明日を案ずるより今日を最期と生きるのです。
    石川真理子氏 『女子の武士道』より

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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