まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

赤とんぼ 夕焼け空は 遠そうだ

2016年09月06日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は湿った空気の影響で概ね曇り、雨や雷雨となっている所があるらしい。気温は25.1度から30.1度、湿度は94%から78%、風は0mから3mの東の風が少しばかり。明日の7日は、引き続き湿った空気が流れ込むため、概ね雨で雷を伴う所があるらしい。

 

 この花おくら、毎日毎日、15個から20個くらいの花をつけるが一日限り。咲いては落ち、咲いては落ちていく。もう、わが家では食べ飽きたし、介護施設にもあげ尽くしたということで、今日は前山の俵札調査のおねえさん方に持って行ってあげることにした。

 

 いくら、おいしいと言うても、毎食毎食ともなれば飽きてくる。サラダにしたり酢の物にしたけれど、そうそうは花オクラばかりもは食べられない。

 

 つかさの会のおばさまたちはまだ二度目だから新鮮そうにのぞき込んでいた。このネバネバ感がいいのよね~・・と言うていたので、来週もOKかも知れない。

 

 で、今日は恒例の火曜日出勤の日。例の「俵札調査」の日である。寒川家、飯田家、田淵家の三家にあった俵札の中身を調べているのだけれど、遍路札と呼ばれる「納め札」については調査が終わり、現在、ここで展示をされている。

 

 で、今度は、寒川家の俵に収められていた「その他」の紙くずの調べである。先週は「お守り札」の整理を行い、ナンバリングという一連の番号を振り当てて整理をしていく作業に入った。

 

 で、たまたま掴んだ箱の中身は「寺院札」というジャンルだった。どういう基準で選んだのか不明だが、とにかく、四国霊場の札所が発行したお札のようだ。これは版木に墨を載せて印刷した「版刷り」と呼ばれるものに朱印を押したもの。大窪寺は薬師如来が本尊で有名であるが、十二神将もいたのか・・・。

 

 これは素戔嗚尊(スサノオノミコト)の神像ではないのかと、よくよく見ると、御誕生所 善通寺とある。75番札所の善通寺さんのもので、空海さんの子供の頃の「御影(みえい)」である。空海さん、子供の頃は「佐伯真魚」と言ったらしい。真魚は宝亀5年(774)、讃岐国多度郡屏風浦(現:香川県善通寺市)で生まれた。父は郡司・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母は阿刀大足の娘(あるいは妹)。真言宗の伝承では空海の誕生日を6月15日とするが、これは中国密教の大成者である不空三蔵の入滅の日であり、空海が不空の生まれ変わりとする伝承によるもので、正確な誕生日は不明である。

 

 これなんぞは、お札(紙切れ)の部分であるが、四国霊場の「結」願所・・と言えば「大窪寺」であるので、紙切れではあるが、「大窪寺発行の祈祷札であることが知れる。なお、大窪寺の本尊は「薬師如来」であるので符合する。

 

 渡邊会長は「梵字札」を解読している。持っている本は「梵字辞典」。私は梵字はさっぱりである。

 

 多田先生は整理の済んだ資料をデジタル・カメラで画像としてデータ格納している。

 

 台風12号が消滅したと思えば、新たな13号が発生した模様。で、明日からあさってにかけて西日本から東日本に接近する恐れがあるそうな・・・。雨は欲しいが災害は欲しくない。欲しくないというても、こればっかりはどうしようもないのだけれど。

 

 今月はのんびりと、自由研究ができるかなぁと思ったけれど、この週末から来週末あたりに予定が入ってきている。なかなかに自由研究にも手がつけられそうにもない。

 

 今日の掲示板はこれ。「君が自分の目で確かめたか。自分の足で歩いたか。自分の手で触ってみたか」という松下幸之助さんの言葉から。私が現役の頃、朝のミーティングで、「現地に行こう、現物にさわろう」というようなことを唱和したことがある。会議の席上ではいろんなことが言えるし、提案もできる。しかしのかかし、現地を知らず、現場を知らないでいくら議論を重ねても意味はない。自分の目で確認し、自分の足で現地を歩き回り、自分の手で現物に触ってこその発言は重すぎるほどに重い。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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