まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

薄氷 割る人もなく 手水鉢

2017年01月13日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、概ね晴れていた。気温は6.0度から8.2度、湿度は79%から55%。風は6mから8mの西の風が冷たく厳しかった。明日の14日は、冬型の気圧配置が強まるため概ね曇りで、夜遅くには雪が降る見込らしい。

 

 朝方は風が冷たかったので、デスクワークになった。寒いときに集落内パトロールをやっていて風邪でもひいたら肺炎になりそうな気がしたもので。

 

 で、昨日、病院とか薬局からの領収書をいただいて、「あ、そうか・・」と思って、気が早いけれど「医療費控除」の準備をすることにした。奥方と私の分の領収書を整理して、パソコンからの出力用紙の裏に張り付けて整理する。

 

 病院と薬局に分類して整理して貼り付けていく。

 

 それを家計簿ソフトを利用して投入して記録する。毎年、こうして整理をしている。

 

 奥方は両方で3万円ちょっとだが、私は検査入院したことや、高価な利尿剤を服用しているから、44万4800円ほどになった。合計で47万5千円ほどになる。医療費ばかりが高くなるなぁ。

 

 10時過ぎからは担当地区内パトロールに出かけた。まだ、お会いできていないおばあさんが三人ほどいる。訪ねて行っても誰も出てこないので、ご近所で確認したら、耳が遠いとか、けがをして寝ているとか・・。

 

 手持ちの資料にいないはずのご婦人がいるので、自治会長さんに確認すると、奥さんのお母さんを引き取っているのだとか・・。資料だけではわからない事情が見えてくる。

 

 午後からは、またしても思い出したように庄松同行のお墓に行ってきた。ここを、正式にはどう呼ぶのか確かめたことはない。「庄松同行墓所」とも、「正真同行墓所」とも「小砂説教所跡」とも、「正真講本部」とも呼んできた。

 

 庄松が臨終の床についた時、生涯独身であったため、一人で寝ていた。そこへ同行の市蔵が見舞いにやってきて、市蔵は庄松に「同行らと相談したんだが、お前 が死んだら、墓を建ててやるから、あとのことは心配するなよ」と言った。すると庄松は、「おらは石の下にはおらんぞ」と答えたと言う。既に阿弥陀仏の本願 に救われている身なので、墓石の中ではなく、浄土に生まれることを確信する中から発せられた言葉だと言えよう。

 

 しかし、現実にはこんなお墓が建っている。これは「報恩感謝」のお墓なのである。御恩報謝の念仏と同じである。供養のためではない。石碑には「庄松同行の墓」とあり、「釈正真信士墓」と刻まれている。 没年は明治四年三月四日と刻まれており、他面には、大同行 俗称 谷口庄松 丹生村 と刻まれている。

 

 これが、小砂説教所の内部である。正面には本尊阿弥陀如来立像。ここで、皆さん、合掌礼拝・読経される。あと、左三間は庄松さん関連の品物が展示をされている。詳しくはここにお参りしてご覧あれ。

 

 こういうものもある。ご勧章「聖人一流章」を上下逆にして、文字の読めない庄松さんが読んでいる図である。庄松さんは文字や本を読むのではなく、こころで「ほとけさまの願い」を頂くのである。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生 初の今日であり 今である」という、町内の善楽寺さんの掲示板にあった言葉から。よく見かける言葉だけれど、どこの誰の言葉かわからなかった。私たちは、当たり前のように生きているのだけれど、「今」という一瞬は「今」でしかないし、「今日」という時間はまるきり人生で初めての「今日」であって、もう、二度と今日という日はやって来ない。その今日という日の積み重ねが、この私の「人生」となる。それだから、今日、出来ることは今日にやっておきたいものだし、今日、見ておきたいものは、ぜひとも今日に見ておきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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