まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

水仙の 花の白さや 峠道

2017年01月20日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で概ね曇りで、時々雨や雪が降り、雷を伴う所があったらしい。気温は3.8度から10.8度、湿度は86%から62%、風は2mから9mの西南西の風が一時は強かった。明日の21日は、気圧の谷や寒気の影響で概ね曇りで、明け方にかけて雪や雨の降る所があるらしい。雷を伴う所もある見込みなのだとか。

 

 今日は大寒だとか。南国讃岐も冷たい朝になった。朝から冷たい雨が降る中を、奥方が携帯電話を忘れたからと言うので事務所まで届けに行って来た。車に乗り降りするだけで、しっかりと濡れた。

 

 つかさの会の会長から、島のお大師まいりのチラシの修正が入ったので、直して再送しようとすると、エラーが出て、端末を代えて再送したりと、なかなかにスムーズにはいかないお年頃になった。私が老化したのか、端末が陳腐化したものなのか・・・。

 

 さて、一昨日、塩飽広島に帰った時、自治会長さんにお会いしたのだが、「英国士官レキ氏没後150周年記念イベント」をどうするかという提案を受けた。明治元年(1868)年12月20日に死亡したのだから、来年の2018年が150周年になる。もう、来年なのに、骨格もプランもできていないし、やろうという機運もないし、空気もないという。もちろん、資金もないし、浄財もない。

 

 昨年の12月に、丸亀市で病没したロシア兵士の慰霊祭があって、新聞やテレビで放送されていた。だとしたら、英国士官の慰霊祭ならば、堂々とやればいいじゃないですか。と、答えたが。

 

 こんな立派なものやなくても、やれると思うのだが、誰がリーダーで、どうするのかということを考えないといけない時期だと思うのだが。

 

 こんな、陸軍墓地というのがあることも知らなかった。一度、訪問したいものである。

 

 雨は降ったりやんだりを繰り返し、空も暗くなったり明るくなったりを繰り返している。先ほどは大きな雷鳴でどきっとした。そんな不安定な天候だった。

 

 さて、昨日のこの本である。ここに出てくるのは、浄土真宗の寺院で、真宗大谷派(東本願寺)の末寺の「松江山 宝泉院 明圓寺」さん。鞆の浦の中心を抜け、石畳を上ると明圓寺はあるらしい。現在は鞆の浦にあるが、天文年間(1532~1554年)山田村に創建されたと伝えられている。

 

 元は天台宗であったが、2代目が山南 光照寺の明光上人に化導され、歴仁元年(1238年)に真宗に改宗した。文明年代末期(1486年頃)山田村の豪族から日蓮宗に改宗を迫られたが改宗せず、室町末期(1570~1580年)に鞆の浦に移転した。

 

 戦国時代末期にあった織田信長と本願寺の戦い(石山合戦)では、住職の長存が備後門徒を集め、「進者往生極楽、退者無間地獄」の旗を掲げて奮戦し、その後は東本願寺設立にも尽力した。「松江山明圓寺」の寺号はこれらの功績により、顕如上人の長子教如上人から授けられたものだという。

 

 鞆の浦にもお邪魔したが、そういうお話は聞かなかった。また、いつか、訪れてみたい所である。

 

 一月も20日になったので、一月分の活動記録も整理しておいた。今夜あたりから明日の朝にかけても天候は荒れるらしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「寒しばれ 暦の上で大寒の こえを聞いたら 春あと少し」というもの。遙か昔の小学校の時、「寒い」を使った言葉で思いつくもの」という先生の問いに「大寒!」というと、「代官は違います!」と云われて悔しい思いをしたのを思い出した・・・。今日から立春(2月4日)までが大寒。この時期さえ過ぎれば・・・あとは、春の足音を待つばかり・・・とは言うものの、これからが冬本番。三月に入るまでは春は遠い・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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