まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

薄闇に お茶の香りや 冬至の日

2017年12月22日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は3.1度から11.8度、湿度は74%から60%、風は1mから4mの西の風が少しばかり。明日の23日は、高気圧に覆われて晴れるが、夕方からは気圧の谷の影響で雲が広がる見込みらしい。

 

 今日は「冬至」。さぬき市の日の出は7:07分、日没は16:58分。日中の時間は9:52分。夜の時間は14:08分。夏至の日と比べて、4:35分も短いのだという。

 

 さて、今朝方も寝ている最中にも鼻血が流れたようで、顔中血まみれになっていた。だから、奥方には内緒でパジャマや枕カバー、シーツなんぞを洗濯して干した。ついでに、布団や枕も干しておいた。

 

 正月用の松の枝を売っていないかどうかと、ホームセンターにやってきたが、まだ世の中はクリスマスセールということで、それらしきものはない。

 

 掃除用の「たけぼうき」と「がんじき」である。雁(がん)が,ななめ一文字になって飛ぶさまを「雁字」といい,その形になぞらえたことばの「雁字器」だろうといわれている。元は「播州弁」だと言われており、讃岐で「熊手(くまで)」というと、潮干狩り用の小さなものを言う。

 

 午後からは山の中を走って松の枝を探してきた。いいなぁと思っても、高くて手が届かないものが多い。

 

 悪戦苦闘しながら、少しばかり切ってきた。

 

 この位有れば、仏壇にもお墓にも生花用にも使える筈。年末には、この松の枝探しが子供の頃からの役目だった。

 

 玄関飾りも用意できた。この紅白の紙垂(しで)はやり代えだな。

 

 昨日に買った「おやじギャグかるた」を開けてみた。

 

 彼の作ったカレーが辛ぇ・・・。

 

 ステテコを捨ててこい!・・・。

 

 妻がつまずいた・・・。さぶぅぅ・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分は正しい 自分は賢い というところに立っている それが人間の迷いのもとです」というもの。私たちはいろいろなことを日々考えながら生きている。しかし、そのほとんどは自分中心の考え方。「オレが」「私が」から始まるのである。しかしながら、それをやめなさいと言ったところで、やめることはできない。「私が」考えたり思ったりしているのだから、自己中心的になるのは「当たり前」なのである。やめることが良いとか悪いとかではなく、その背後にはどんな気持ちがあるのかということなのだ。それは「受け入れて欲しい」「私を理解してほしい」という気持ちである。人は誰しも不安を抱えて生きている。人間にとって一番つらく悲しいのは見捨てられること。この不安が強い人ほど、正しさや正義、優劣、勝ち負けにこだわっている。それは、子供が親に「これだけ出来たのだから褒めて」と言っているのと同じこと。私たちは身体は成長するが、心は案外子供の頃から変わっていないものなのだなぁと思うことである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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