まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

蓮咲いて 法に遭えよと いう教え

2018年07月05日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で激しい雨の降っている所があった。気温は24.1度から25.6度、湿度は96%から88%、降雨量は1mm/hから10mm/h、風は1mから3mの東の風が少しばかり。香川県では、土砂災害や河川の増水に警戒するよう呼びかけている。明日の6日も、西日本に梅雨前線が停滞するため雨や雷雨となり、夕方まで激しく降る所がある見込みらしい。

 

 そんな激しい雨の日だが、県立病院の予約診察日だから出かけなくてはならない。ま、雨だと言っても車で走れば何の問題もないのだけれど。

 

 駐車場から建物までは、少しばかり雨に濡れながら歩いて行った。走るということは、まだまだ無理だ。傘をさしていけばいいのだが、傘置き場に忘れてしまうのが常だ。

 

 病院では「たなばたモード」、こういう飾り付けをする看護師さんとか事務員さんとかがいるみたい。子供の字で「お金もちになれますように」と書いてあったが、もっと、夢はないのか・・・とつぶやいてみた。

 

 「サッカーでワールドカップにしゅつじょうするぞ」くらいは書いてもらいたいもんだ。「大きくなったらかんごしさんになれますように」という短冊もなかったな。

 

 恒例の胸部レントゲン検査をまず受けて・・・。その後、検体検査ということで採血と採尿。今日はトイレに行くのを我慢していて採尿はOKだった。

 

 診察までに30分くらいの時間があるので、三階の心臓病センターに上がってみた。で、担当看護師だった、「ショーボブ姐さん」(と言うても、私の娘みたいな年齢だ)に、退院後の血圧体重心拍数などのデータや、毎日、何をしていたかなどの記録を手渡した。ま、心配はしていないのだろうが、「元気でやってますから・・」という報告の意味だ。

 

 だいたいのところ、血液検査の結果が出るのに一時間弱かかるらしいので、10時過ぎになって、ようやく、ドクターの診察になる。その前に、「きむらさん・・」と近寄ってきたのが「心不全担当ナース」。

 

 「来たな・・」と、あらかじめ用意していた、この用紙を手渡した。「快気祝いのバーベキュー大会、どうやった?」というので、これで、「この通り、大丈夫でしたよ」と説明したが、退院直後は60Kg台だったのが、バーベキュー・パーティー周辺から、63Kg台になっていると、厳しいご指摘が。「ええ、これは食べ過ぎての体重増加で、その後は、62Kg台まで戻してますから・・」と説明して納得してもらった。些細なことを・・・。

 

 ドクターの診察では、「胸水は許容範囲内で収まってますね。」というので一安心。でも、やはり、少し歩けば呼吸困難になるし、重いものは持てないし、正座もまだまだできない状態はそのまんま・・・。奥方の言うように、「開胸手術をしたのだから、半年や一年では無理無理・・・」なんだろうか。ちなみに「足のむくみ」も今日はない。

 

 帰りに、調剤薬局で薬を受け取った。病院からファックス送信しておけば、帰る頃にはお薬ができているという計算。

 

 いつもと同じ28日分。薬局の請求書を見て驚いた・・・。

 

 これが、これまで・・というか、昨年までの分。今年は入院とかがあったので参考にはならない。

 

 それが、右端の14,000円になっている。左端は在宅酸素療法の機材のレンタル料金。先月、請求漏れだったとお詫びの電話があったが、まけてくれるという話にはならない。真ん中が、その機材のレンタル料金と今日の検査料・診察費の合計。そうなんだ、今月から医療費が「三割負担」から「二割負担」になったのだ。薬代がお安くなるのはうれしいものだ。

 

 これが、その「在宅酸素療法」の機械である。空気中の酸素を圧縮して、私の肺臓に送り込む機械で、夜間だけ、これを装着して寝ている。緊急用で、私の呼吸が止まりそうになったときに使うものだが、肺をふくらませて大きくするために、毎晩、使用している。このために、胸水が溜まりにくくなったのではないかと思っているが、ドクターは、「全く関係ありません」とにべもない。

 

 我が家の横を流れる河川はごうごうと音を立てていたが、夕方からは音も水量も減ってきたようである。

 

 今夜の掲示板はこれ。「人の悪を咎め 自分の悪には気がつかない」という本山興正寺の掲示板にあったことばから。人間は皆、こういう姿勢でいるのだろう。蓮如上人も『御一代記聞書』第 五十八条に「たれのともがらも、われはわろきとおもうもの、ひとりとしても、あるべからず。これ、しかしながら、聖人の御罰をこうぶりたるすがたなり。こ れによりて、一人ずつも心中をひるがえさずは、ながき世、泥梨にふかくしずむべきものなり。これというも、なにごとぞな れば、真実に仏法のそこをしらざるゆえなり」(『真宗聖典』866頁)と、明らかに教えてくださっている。人間というものは、自分の悪いところが見えないもので。このような在り方になるのは親鸞聖人の教えを身で聞いていないからではないだろうか。だから一人ひと りが本当に、自分自身に気づかせてもらう教えに遇わないと、永い人生が、休みなき苦しみになるのである。本当に真実の仏法に遇うてください、と訓してくださっているように私は聞いた。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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