まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

如月は 人の数だけ 鬼がいる

2019年01月30日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、夜は気圧の谷や湿った空気の影響で曇るらしい。気温は0度から10.3度、湿度は90%から63%、風は0mから1mの北西の風が少しばかり。明日の31日は、前線や湿った空気の影響で、朝から夜のはじめ頃にかけて雨となる見込みらしい。

 

 113/63-59 36.2c-97 61.4Kg 1024hPa,5c,50% 昨夜の夕食は奥方自作のにぎり寿司だったもので、少しばかり食べ過ぎたようで体重が少しばかり増えてしまった。相変わらず肩こりは楽にならない。

 

 ということで、今日も石仏、道標、供養塔の調査である。こういう地蔵堂や釈迦堂なんぞは先生たちや先輩たちも話してはくれない。とにかく時代が古いとか年号が古いものがお好きなようで、江戸時代後半や幕末から明治期のことなんぞは眼中にない。それじゃダメじゃん、春風亭昇太。私たちは観光ガイドであって、歴史研究会ではないのである。

 

 で、地図に位置を確定しながらマーキングしていく。ところが、このへんろ道は狭くて車を停める場所が少なくて遠い。

 

 これが釈迦堂で、ちゃんと扉を開けて確認する。しかしのかかし、「釈迦堂」と言うもの自体が珍しい。地蔵菩薩やお不動さんはあちらこちらで見かけるがお釈迦さん、しかも石に刻んだお釈迦さんというのは珍しい。

 

 これが、そのお釈迦さんの石仏である。お釈迦さんだと言われれば、へぇ、そうなんだ・・と思うくらい。安全のためにお線香やろうそくはお供えしない。

 

 で、ダムに沈んだ中津にあったへんろ墓を集めたという「中津庵」も探して行ってきた。

 

 この一群がそうらしい。ここは場所だけが確認できていたらいい。遍路墓は後半だ。まずは、道標や供養塔、丁石なんぞからやってみる。それだって大変なことなんだ。

 

 戻ると、地図を取り込んで、そこに矢印マークを張り込んで案内図を作っておく。

 

 そうして、ワードを使って文章やら説明やら刻まれている文字などを整理し、地図も張り込めば、観光ガイドのマニュアルができる。これは歩いてみなければわからない情報が詰まっている。

 

 こうしたお地蔵さんのよだれかけもめくって調べてみるが、お参りはしない。

 

 これは馬の墓だが、これは明治後期のものらしく、先生はこれには触れないし、先輩たちもノーマークである。徳島県には「犬の墓」というものがあるが、ここには観光バスを止めてでも拝観に行くのだけれど。ま、お大師さんがらみでないと話題にも上らない。

 

 ときどき、袖の刻まれた道標があったが、呉服屋さんが建てた道標であるらしい。着物屋さんのPR道しるべなのか。

 

 二月が近くなったら、鬼のお話ばかりになるが、今日の掲示板はこれ。「ぬけぬけと「鬼は外」とは笑止なり」という、いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。調べてみれば、この句は、ある同人誌に投稿された俳句であるらしい。節分の行事は、お寺でも神社でも行われているが、神社では「追儺(ついな)」という行事からの変化らしいが、お寺の節分はそれなりの独自の意義と作法のある法要になる。そんな難しい節分の意義を、一言で表す法語がこれだが、別のお寺では、「ぬけぬけと 「鬼は外」とは その口で」という句を見かけた。上五・中七は同じだが、「その口で」というのが鮮やかなぁと思ったことだった。節分という季節の変わり目を機会に、この口を、このこころをリセット・再起動せよというているのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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