まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

芍薬にこのこだわりを置いてくる

2022年05月14日 | 時には日々是日

 14日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で昼前は曇っていたが、その後は高気圧に覆われて晴れる見込み。気温は18.5度から23.7度、湿度は98%から56%、風は4mから1mの西南西の風が少しばかり。明日の15日のさぬき市は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 収縮期100mmhg、拡張期61mmhg、脈拍80bpm、体温36.6c/酸素濃度97%/体重62.1Kg 室内気温19.0c/室内湿度70.2%/気圧1005hPa 体調に変化はない。今日の日の出は05:03分、日の入りは18:58分 月齢は13.3の中潮。

 

 朝の間はぐずついた天気で開けた。今日もお出かけはなしかなぁと空を見上げるばかり。最近はスズメもシジュウカラもやってこない。雨のせいだけでもあるまいに。

 

 で、今の「マイ・ブーム」になっている「遍路墓学」の仕上げ段階になってきたのだが、どうにも、これだけでは単なるガイドブックになってしまうような気がする。

 

 そこで、墓学らしく、お墓の建立年別やら月別に分類をしてみた。お墓を建てた月とお遍路さんが亡くなった月とは一致しないとは思うのだが、そんなにもは違わないだろうという計算でやってみた。やはり、6月から10月の農繁期にはお墓が少ないし、お遍路さんが多くなる春にはお墓が多く建てられていることが見えてくる。また、寛政、文化・文政・天保というような、江戸時代後期のお遍路さんが多い時期にはお墓の数も増えている。

 

 また、大窪寺を中心とした地域にはお墓が多くなっていることがわかるし、京阪神や讃岐近県からのお遍路が多かったことも見えてくる。また、岩手や長野・岐阜・九州などからのお遍路もあった。そういう集計調査もやっていた。

 

 で、今日のお昼も懲りずに「TKG」。とろろとカニカマの卵かけご飯である。で、どっさりとハチクの煮物がついている。

 

 で、お昼からは空が明るくなってきたので、お墓調べに出かけてみた。先月だかに歩いて調べた、東かがわ市長野から払川方面の再調査である。文章にまとめていると、腑に落ちない点があちこちにあって、それの細密調査である。

 

 この四つの遍路墓の文字がどうしても読み取れない。そこで、懐中電灯やタワシなんぞを持って調べていたらば・・・。「うちにもお墓があるので見てくれませんか・・」という人が車を停めた。聞けば、すぐそこに移住してきた人らしい。そこで、すぐ近くにあるおうちを訪ねてびっくりぽん。

 

 聞けば、「美術陶芸家」の及川さんという方で、遠く宮城からやってきているのだという。及川みのるさんは、東京藝術大学大学院(陶芸)修了後、福祉施設や老人ホームで「土あそび」として表現活動の手助けをしながら制作。2002年より東京、茨城、大阪、NYのギャラリーで個展。ヨーロッパ各国でグループ展に参加し、世界を舞台にキャリアを広げてきたという。

 

 東日本大震災後、茨城~宮城間で出張陶芸教室を行っていたが、2012年香川県東かがわ市「五名(ごみょう)」の自然や住人にふれ、移住を決意したという。及川さんは若い芸術家さん達と意見を交換しながら、この里を盛り上げて行きたいと活動されているのだという。

 

 私は「芸術」や「アート」は皆目わからんのだが、この及川さんの陶芸作品を見てこころが揺れた。目の前で、こういうアートを見るのは初めてだ。こういう作品が、そこいらにずらりと並んでいる。

 

 特に、これらの作品が気に入った。気にいったのだが、お値段を聞くのも失礼かと思って黙って工房を出た。

 

 その及川さんが案内してくれたお墓も、遍路墓らしくはあったけれど、どこにも「生国」が刻まれていない。お遍路さんのお墓だとは思うのだけれど、どこにも、それらしい刻印のない石仏が数体、草の中に埋もれているばかり。この地の人のお墓なのか、お遍路さんのお墓なのかは判断がつきかねて、今回は調査を打ち切った。

 

 今日の掲示板はこれ。「こだわりを捨てれば心は五月晴れ」というもの。「邪念を捨て、こだわりを捨てよ」 これを、禅門では放下著(ほうげじゃく)と云う。中国の言葉だが、要するに”捨ててしまえ”ということ。人生の苦しみ の多くは執着の心より起こるもの。執着の心とは、つまり、”こだわり”。仏教はこの”こだわり”を捨てよと説いている。こだわりがないといけないこともあるし、こだわりが良い結果を生むこともあるけれど、往々にして、人を出口のない欲望と迷いの渦中に巻き込んでいくこともまたあるもの。どうしたら、さまざまなこだわりから自由になれるのか?どうしたら、仏様のような柔和な心になれるのか。うちの庄松(しょうま)さんは、「角の生えたまんまじゃぞ」、「持ったまんまじゃぞ」と言うたのだけれど。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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