高野山地方は気圧の谷の影響で朝方は雨となり、午後からは高気圧の影響で晴れ間が見えるようになった。気温は16度から21度、湿度は100%から60%、風は0mから1mの北東の風が少しばかり。
一階に若者がたくさん宿泊していて、朝からにぎやかな声で起こされた。まだ、外は霧雨のような小雨が降っていたが、時間が経つと次第に明るくなってきた。
朝の6時半から本堂での勤行である。若者たちもしずしずと勤行に参加してきた。般若理趣経のお勤めだった。その後、住職さんの短い法話があった。感謝することを大切に・・みたいなことだった。
7時からはお隣の毘沙門堂での「護摩供養」である。
7時半からは朝食。一汁一菜の簡単な物。感謝でおいしくいただいた。
簡単に荷物をまとめて、8時には宿坊を出る。バスはもう、門前に止まっている。お土産の「高野槙」の苗木を1本買った。奥方へのお土産はこれだけ。
バスは8時30分に出て、霊宝館には9時前に着いた。一番乗りで霊宝を拝観させていただく。
館内は、こんな感じ。ネット画像からである。もちろん、館内は模写も撮影も禁止である。
これが目玉だったのかな・・・。「孔雀明王像」である。
あたりは、朝靄だろうか、深い霧に覆われていた。このあと、胡麻豆腐を買いに走る人が続出して、一時は行方不明者も出て、バスは20分遅れになってしまった。おばさまたちのお買い物はその後も続く・・・。
なんだかんだがあって、「金剛三昧院」に到着した。ここは駐車場が狭く、それまでの道路も狭いので、添乗員さんはやきもきしながら駐車場の確保に走り回っていた。
ここはお寺の内部は拝観させていただけないものだから、外観や、国宝の多宝塔あたりを見て回る。もう、シャクナゲはすっかりと終わってしまっていた。
これがその、国宝の多宝塔である。ここでも、納経をしてもらう人が続出して、これまた混乱してしまった。これで、高野山の見学とお参りはおしまい・・・。
その後は、山を下りてしまって、「慈尊院」にお参りをする。
これが有名な高野山を案内する名犬の「ゴン」の石像である。ま、有名な犬がいたのだけれど、その犬が亡くなると全国から寄付が相次いで、この石像が建てられたのだとか。うちの「迷犬ごん」もあやかってもらいたいものである。
これが、有名な「町石」だそうで、四国では「丁石」と呼んでいるが、「一町」は109mで、ここから高野山の大門まで180の「町石」が建てられているのだとか。約二〇キロだとか聞いた。昔の歩きの遍路道に建っているらしい。高さは地上部だけでも3m近いのだそうだ。
そこから30分ほどバスで走って、ようやくお昼のレストランに着いた。岩田市にある「ホテルいとう」というところ。このあたりには適当なお店がないとかで、ここになったらしい。
お弁当形式のお昼。男性陣は早くも「ビール」だ、「焼酎だ」と元気いっぱい。私はアルコールお休み中だから静かにお弁当をいただいた。女性たちはそそくさとお食事を済ませてお土産売り場に集結。両手に一杯のお土産を提げてバスに乗り込んでいた。
今日の掲示板はこれ。「人生を変えるのは 大きな努力よりも むしろ日々の小さな習慣であることが多い」というもの。自分の人生を変えたいと思って、さまざまな努力をしても、そうそうは人生は変わらない。むしろ、「あ!」と思うような一言や、思わぬ人との出会いであったり、ささいな日常のできごとあったりすることが多い。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。