まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

雨受けて 枯れる葉もあり 芽吹く葉も

2019年03月10日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雨が降っている。夜には雷を伴う所があるらしい。気温は7.5度から12.1度、湿度は80%から92%、風は1mから7mの東の風が強いらしい。明日11日の未明から強風や高波のおそれがあり、低気圧や湿った空気の影響で明け方まで雨や雷雨となる見込みらしい。

 

 121/81/59 36.3c-96% 61.6Kg 1018hPa,8c,68% 体調に変化はない。昨年のあの苦しみは何だったんだろうか。

 

 今日も、いろんな行事に誘われていたのだが、この雨の中、出かけていくほどの用事でもないので、みんなパスをしてしまった。

 

 早くも3月も10日になった。10日ごとに行う作業がある。この画面の上側に、2016、2017、2018というフォルダーがある。ここに、過去の1年分の画像が保管されている。2019のフォルダーは、今年の過ぎた画像をストックしている。

 

 こちらが、今日から20日までの画像フォルダーである。つまり、31y03m10 には、過去の3月10日分と、今日に撮影された画像が入っている。こういう画像ファイルの入れ替え作業をやっている。で、20日になれば、過ぎた10日から19日のファイルは、2019というフォルダーに保管する。あまり多くのファイルを持つと、動作が遅くなるし危険だからだ。

 

 こうして、私のブログは更新されていくことになる。だから、31y03m10 のフォルダーには、過去10年間の3月10日の記録や情報が入っている。昨年の3月10日は香川医大の病室にいた。一昨年の3月10日は神戸にいた・・ということがわかる仕組みだ。

 

 雨が降れば出かけるのも面倒なので、丁石の原稿の校正や修正をやっていた。

 

 「そんなものを作って、誰が読むのか・・」という人もいたが、誰かが書き残しておかなければ歴史には残らないし、記憶にも記録にも残らない。誰もが作らない、どこの本屋にも置いていない本を作るのが、「まほろば工房」の意味なのだ。

 

 私が図書館で探しても探しても見つからなかった本、そんな本を作り続けていきたいのである。それが、私の存在理由でもあるし、私の生きた証でもある。

 

 こうして、県立図書館に納本したものでも18冊の本になった。塵も積もれば山になる。小さなことからこつこつと・・・。

 

 暖かくなれば、このへんろ道を歩きながら、道標や丁石の再撮影やら再調査もやりたいものだ。

 

 その頃になると、歩くのにも慣れるだろうし、距離も伸びることだろう。

 

 季節のうつろいはあっという間だ。うかうかしていると夏が来る。夏になれば虫も蛇も出てくるだろうし、暑い太陽の真下ではへんろ道は歩けない。

 

 今日は終日、雨になった。

 

 今日の掲示板はこれ。「砂をしぼっても水は出ぬ わたしをしぼっても信は出ぬ 真実信心 むこうから」という放浪の真宗詩人『念佛詩抄』木村無相著よりの言葉である。木村無相さんは、熊本県出身で複雑な家庭環境の中、少年時代を朝鮮半島や中国大陸で送ったが、17歳で単身帰国。このころから宗教に対する関心を深め、京都の一燈園で過ごしたこともあったという。その後、職業を転々とし、流浪の身になった。仏道を歩もうと決めたのは、2度の自殺未遂を経て、26歳からの4年間を過ごしたフィリピンの開拓地だったという。その後、四国などのお寺に世話になりながら放浪の生活を続けた。種田山頭火と親交を結んだのは30歳過ぎのころ。山頭火の俳句が好きで文通を続けていたところ、山頭火から「あなたをお訪ねします」との返信があった。二人は1週間ほど、愛媛のお寺で寝起きを共にして、杯を傾けながら俳句や旅について語り合ったという。その後、二人が出会うことはなかったが、放浪の旅に救いを求め続けた二人の詩人が触れ合った一瞬だった。救われがたい我が身の心境が信仰に向かわせたのか、70歳前に出版した詩集『念仏詩抄』(永田文昌堂)には「砂をしぼっても水は出ぬ わたしをしぼっても信は出ぬ 真実信心むこうから」など、凡夫の自覚に満ちた詩がつづられている。無相さんの心の闇が何であったかは分からなままだが、無相さんは亡くなる前、親しい友人に「結論はなんにもいらんのや、凡夫なりに信心も安心もなにもないまま、凡夫のままで死んでいけばよい」と語っている。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。



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