まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

萌え若葉 今日の荷物は 重すぎる

2017年04月25日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方ははじめ晴れていたが、南からの湿った空気の影響で昼過ぎから曇ってきて、小雨まで降ってきた。気温は13.2度から21.6度、湿度は78%から60%、風は2mから3mの東南東の風が一時は強かった。明日の26日は、前線や低気圧の影響で曇り、昼前から雨が降る見込みらしい。

 

 今日は恒例の火曜日ということで、ここ、前山地区活性化センターへ出勤である。気候が良くなったので歩き遍路の人も増えてきた。今日も何組も何組もやってきては休憩をしていた。

 

 で、私は自分で調べた資料や調べた結果などを展示してみた。仙台白石藩の片倉小十郎のこともプレートにして展示してみた。

 

 善光寺のご朱印や、その由来などもまとめてみた。決められた狭いスペースに、あれこれと並べてみた。

 

 これで、私の展示スペースのレイアウトは完了した。ここの配布用資料をどうするか、それが今後の宿題だ。

 

 中島先生のブースも展示できるよう、準備が進んでいるみたい。女性陣は、後の資料の整理とか不要な資料の廃棄なんぞをやっていた。これで、一応の調査が終わるのだろうか。

 

 いやいや、寒川家の納め札の調査報告書も作らないといけないし、この、納め札以外のものの「調査研究報告書」も作成するのだとか。

 

 先の「年度総会(3/22)」の時、ちょっとしたはずみで、「レンズフード」が折れて壊れてしまった。ま、細くて薄い部分だから、これまでに何度も折れては交換してきた。

 

 だから、今回もamazon.comで注文して、今日の午前中に届いていたみたい。

 

 早速に交換、装着してみた。

 

 お昼からは、四国霊場88番札所の大窪寺にやってきた。明日の「学校支援ボランティア」の下見である。

 

 阿弥陀堂前の「御衣黄(ぎょいこう)桜」の様子を見に来た訳である。ようやくに赤いラインが見えてきている。花はまだまだ小さいものが多い。

 

 江戸時代に、京都の仁和寺で栽培されたのがはじまりと言われており、「御衣黄」という名前は江戸時代中期から見られ、その由来は貴族の衣服の萌黄色に近いため。古くは「黄桜」「浅葱桜(浅黄桜)」などとも呼ばれていたが、それがギョイコウなのかそれともウコンを指すものなのかはっきりしない。江戸時代にシーボルトが持ち帰った標本が現存しているらしい。

 

 このようなお大師堂前の藤を楽しみにしていたが、今年はようやく花が咲き出した程度。牡丹だって、まだまだつぼみのままだった。

 

  今日の掲示板はこれ。「かけがえのない自分の人生を そのまま受け取れない自分がいる」という、いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。二階堂行邦(にかいどう・ゆきくに)1930年、京都生まれの先生のお言葉である。『同朋』2002年9月号「真宗シリーズ」(東本願寺出版部)から。人はこの世に生まれた限りは、必ず死を迎える時が来る。誰一人として死を避けることはできないし、人生に代理人はあり得ない。しかし、私自身そうした人生 の無常性を感じながらも、どこかで自分だけは特別であり、例外であると思っている。いつも死を日常から遠ざけて、生に執着し続けている。代わってもらうこ とができない人生であるにもかかわらず、欲求ばかりが先行し、自分自身をそのままを引き受けることができずにいる。まさに「わかったつもり」でいることの 無明性から抜け出せない私がいるのである。私が「いつ死んでもよい」と覚悟をきめるものでもなく、思案をつけるのでもなく、かけがえのない人生にたいする まことの目覚めを持たない、あくまでそのような私のためにこそ思案をつけてくださった仏さまのお手回しにうなずき、ただおまかせしていくほかないと気づかされるのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。



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