まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

小手毬は こだわりもなく 昼寝する

2015年05月16日 | 今日もなんだかなぁぁ・・・だった日。

 さぬき市地方は前線の影響で雲が広がり昼前は雨が降っていたが、前線が南下するため夕方から次第に晴れてくるらしい。気温は19度から23度、湿度は98%から64%、風は4mから1mの西の風が少しばかり。明日の17日は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 朝から雨が降ったり止んだりを繰り返していた。遊びにいきたし傘はなし・・・。

 

 雨が降る日は天気が悪い。犬が西向きゃ尾は東、東に近けりゃ西には遠い・・・。

 

 数日前から、右足の膝の裏とかが痛む・・・。打ったり、切ったり、滑ったりはしていない。今日は土曜日、明日はにっちょ(日曜)、病院開くのは月曜日・・・。歩けないのでは医者にも行けぬ。今日は寝たり起きたりのゴロゴロ・サタデー・・・。

 

 わが家の電話は「非公開」。それでも、なぜだか電話がかかる。おそる・おそる・・電話を取れば、モーニング・セミナーの担当者さんから。講演依頼と日時の確認。

 

 原稿はおおよそはできているのだけれど、時間数が20分以下。せめて、30分から35分にはしたいのに、なかなかに情報が少ないから増やすに増やせない。今日は悪戦苦闘して、26分までにはなったが、それでもまだ・・・少しばかり足りない。

 

 整理をすればするほど、情報量が少なくなってしまう。ま、整理というのは、そういうものだ。増やすっていったて、小説や物語ではないのだからして、フィクションは入らない。

 

 休憩して、今度は来月の「興正学会」の研究発表会のリハをやってみた。こちらは、計算通りに20分台で収まった。「讃岐における法然上人の足跡に関する社会仏教学的考察」である。研究発表だから、粛々と、淡々と、清々と発表したいものである。

 

 白内障の時にも外出するのに困ったけれど、今回の右足の痛みもまた困ったものだ。じっと、こうしてデスクワークをしている間はいいが、立ち上がって歩こうとすると激痛が走る。少しずつでも歩いて居れば、10分でも20分でも歩くことはできる。でも、階段の上下なんかは厳しい物がある。これはいったい、何なんだろうか・・・。

 

 奥方は、「心臓の圧力が弱って、血管が詰まっているんでしょ」とか仰るが、そうなったら、足が腐ってしまうじゃないですか・・・。単なる疲労だといいのだけれど・・。

 

 月末には高野山研修があるので参加するのだけれど、歩けないのではどうしようもない。あと、10日以内になんとかなるだろうか・・・。

 

 来週には、所属寺院の春季永代経法要、俵札調査の電子化作業、県立病院での予約診察がある。このときに、足も診ていただこうか・・・。だんだんと、あちらこちらがほころびてきている。

 

 今日の掲示板はこれ。「面白がってやっているヤツと苦労してやっているヤツと、どっちが勝つかな。やっぱりさ、面白がってやっているヤツにはかなわないんだよ。」という、青島幸男さんの言葉から。「鉄ちゃん」と呼ばれる「鉄道マニア」は、鉄道社員より物知りで詳しいが、努力をしている訳ではない。「天体マニア」は、天文学者より知識があるが、そんなに努力をしたわけでもない。面白がっているヤツにはかなわないんだよ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


麦秋を 分けて来て見る 法然堂

2015年05月15日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がっている。夜遅くには前線の影響で雨が降り、雷を伴う所がある見込みらしい。気温は15度から27度、湿度は94%から70%、風は2mから4mの南南東の風が少しの蒸し暑い一日になった。明日の16日は、前線の影響で雲が広がり、明け方まで雨となる見込みらしい。

   

 で、今日はまたしても「法然上人の足跡」を再確認するために、綾歌郡まんのう町にやってきた。ここは、まんのう町四條というところにある、「真福寺森跡」。正面にある農具倉庫あたりに真福寺があったらしい。今は小さな五輪塔などが残るばかり・・。正面の山が「象頭山」こんぴらさんの「旭社」がかすかに見える。

 

 ここが、法然上人が止住したという「正福寺跡」らしい「西念寺」さん。このあたり一帯を「小松之庄」と呼んでいた。

 

 近くにあった、セミセルフのお店でお昼になった。ここは、セルフなのか、一般店なのかよくわからない。

 

 で、今日は蒸し暑いもんだで、「冷やかけ小」で200円・・・。あっさりと呑み込んでしまった。

 

 で、トイレ休憩を兼ねて、ここに寄った。国道32号線、もみの木の群生から『もみの木峠』と名付けられた峠沿いにある道の駅。仲南地区は飛行機発明の祖、二宮忠八が世界で初めて飛行原理を着想した地で、駅には、忠八翁が考案した玉虫型飛行器を復元した原寸大模型を展示している。

 

 これが、「二宮忠八飛行館」。 ライト兄弟が有人動力飛行に成功する14年前、世界で初めて飛行原理を着想した二宮忠八。子供時代から好奇心旺盛で、製図や漢文、絵画など進んで勉強していた。大空への夢を馳せながら何度も努力し続けた忠八。夢の実現に向けてカラス型飛行器や玉虫型飛行器を製作していったアイデアの発想のすばらしさに気づくとともに、各種のデジタルコンテンツなどを通して、「21世紀を担う子供達に夢見る力を育む」をテーマに展示を行なっている。(同館HPより)

 

 これが、「玉虫型飛行器」、飛行機ではなくて、「飛行器」である。

 

 こちらが、「カラス形飛行器」。

陸軍従軍中の1889年、「飛行器」を考案。その翌年には、ゴム動力による「模型飛行器」を製作。軍用として「飛行器」の実用化へ繋げる申請を軍へ二度行なうも理解されず、以後は独自に人間が乗れる実機の開発を目指したが、完成には至らなかった。なお、「飛行器」とは忠八本人の命名による。また、忠八の死から18年後の1954年、英国王立航空協会は自国の展示場へ忠八の「玉虫型飛行器」の模型を展示し、彼のことを「ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発見した人物」と紹介している。

 

 1887年(明治20年)、忠八は徴兵され、香川県の丸亀歩兵12連帯第1大隊に入隊した。ある日(1889年11月のことという)、忠八は野外演習の休憩で昼食の弁当を取っているときに滑空して来るカラスを見て、羽ばたいていないのに気付く。そして、翼で向かってくる風を受けとめることができれば、空を飛べるのではないかと考えた(固定翼の着想)。

 

 それを基に忠八は、「模型飛行器」を作成。これがいわゆる「烏(からす)型飛行器」である。主翼は単葉で上反角を持ち、翼幅は45cm。全長は35cm。機尾に水平尾翼、機首に垂直安定板があった。また三輪を備えていた。推進力はゴムひも(陸軍病院勤務であった忠八は聴診器のゴム管を流用した)で駆動される推進式の四枚羽プロペラであった。しかし、軍部の対応は冷たく、忠八は開発をあきらめて製薬会社を興した。

 

 大正8年、同郷の陸軍中将白川義則と懇談後、ようやく軍部は忠八の研究を評価し、大正11年(1922年)、忠八を表彰、その後も数々の表彰を受けた。1925年(大正14年)9月、逓信大臣から銀瓶1対を授与され、大正15年5月、帝国飛行協会総裁から有功章を受章、昭和2年勲六等に叙せられ、昭和12年度から国定教科書に掲載された。すでに陸軍を退役していた長岡外史は直接忠八のもとを訪れ、謝罪した。忠八はその後、飛行機事故で死去した多くの人を弔うために飛行神社を設立、自ら神主にもなっている。

 

 旧仲南町のマンホールである。カラス形飛行器と特産のタケノコと梅があしらってある。

 

 今日の掲示板はこれ。「まっすぐな木はまっすぐ使え 曲がった木は曲がったまま生かせ」という、いつもの荒了寛さんの言葉から。世の中には不遇な人がいるもので、曲がった木は役に立たぬと捨てられてしまう。二宮忠八もその一人。「戦時中だから・・」と、言われ、「衛生兵の考えることではない」と却下もされた。ようやくに自費で飛行機を作り上げた時、すでにライト兄弟に先を越されていた。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


新緑の 風もしっとり 濡れている

2015年05月14日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は湿った空気の影響で雲が広がり、瀬戸内側の西部を中心に雨や雷雨の所があった。気温は14度から24度、湿度は80%から52%、風は5mから2mの北の風が少しばかり強かったし、雷鳴が轟いたりもした。明日の15日は、湿った空気と前線の影響で雲が広がり、夜には雨が降り雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 朝方は晴れていたので山の旧宅に行って来た。タケノコが伸び放題に伸びている。この時期になると、イノシシもサルもシカも食べないらしい。人間様だって、もう、タケノコは飽きたし。

 

 そこで、サバイバル・ナイフで伐採をする。そうしておかないと、お墓の回りや旧宅の周囲が竹藪になってしまう。さすがに良寛さんみたいな優しい心には成れていない。

 

 で、本日はここ。高松市塩江町にある「ほたるの里美術館」である。ここは、緑と水に囲まれ、季節にはホタルが飛び交う小川も流れていて、自然豊かな場所にある美術館。館内は天窓から自然光をふんだんに取り入れ、香川の作家を中心に常設展と企画展を開催している。

 

 高松市塩江美術館では、「人人へのまなざし」と題し、コレクションから熊野俊一、小林正六の二人展を開催している。

 

 熊野俊一は、1908 (明治41) 年、塩江町に生まれた。1928(昭和3)年より3年間、香川県の小学校教諭として働いたが、画家になる夢をかなえるため、1932(昭和7)年に上京する。その後、戦前の二科会出品時代には人物を主に描いており、1952(昭和27)年より二紀会に所属してからも人物画を書き続けた。1963(昭和38)年に渡欧し、のちに無所属の画家として、日本とヨーロッパを行き来しながら主に風景画を描くようになったが、そこに登場する人物はいつも生き生きと描かれている。

 

 熊野俊一はいつも、最初にスケッチブックに水彩で描き、その後キャンバスに油彩で描き出す。ここでは、熊野が戦後に描いたスケッチを数多く所蔵しており、この本展では、その臨場感あふれる描線で描かれた人体デッサンをはじめ、渡欧先で描いた油彩画と小林正六の子どもたちへのやさしいまなざしを象徴するように、時間をかけ描きあげられた油彩画をあわせて、約40点紹介している。

 

 小林正六は1917(大正6)年、高松市に生まれた。およそ40年間、教師として小・中学校で美術を教えながら二紀展への出品をつづけ、1951(昭和26)年に初入選、1959(昭和34)年二紀会会員となった。1979(昭和54)年の出品を最後に退会し、その後も、熊野と同じく無所属として画家の活動をつづけてきた。小林の作品には、人物が数多く登場する。特に、モチーフにしている子どもたちは気取りがなく、天真爛漫なところにひかれて生涯をとおして描いている。熊野とは、小林が二紀会で初入選した際に出会い、その後交流を深めてきたという。

 

 ここは、美術館としてはめずらしく、自然光の入る気持ちのよい空間で作品鑑賞を楽しめる。また、周囲の公園では、桜やホタルや紅葉などの四季折々の風景が広がっている。

 

 お次にやってきたのは、さぬき市寒川町(さんがわまち)にある「21世紀館さんがわ」。「芸術文化とのふれあいを深め、人生にゆとりと潤いを実感できる芸術活動の拠点になるように」との願いを込めて、寒川町の学校給食センターが文化資料展示室に改修されたもの。その愛称が、「21世紀館さんがわ」。市民の生涯学習活動の発表の場として幅広く利用され、文化活動への貢献が目指されているらしい。

 

 ここで、柏原宏「第20回」記念写真展が行われている。奥方の友人が誘ってくれたもの。この左の方が柏原宏さん。SIC(さぬき・インターネット・クラブ)の写真部長を務めている。お隣は、大屋根さんという方で、この写真展の字を書かれた方である。

 

 会場の中は、こんな感じ・・・。我慢の作品だなぁと思った。こんな瞬間を切り取るには、じっと、我慢をしなければ撮れないなぁ・・と感じたことだった。

 

 これは、大地の虹という作品。

 

 これは、「いい湯だな」という作品・・・。

 

 「厳冬の釧路川」。四駆で寝泊まりしながら90日間をかけて撮影旅行をしたらしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「やってしまった後悔はやがて小さくなるが やらなかった後悔は大きくなるばかり」という、林真理子さんの言葉から。四十数戦全敗に終わった就職試験、お金、コネ、資格、美貌・・・。ないない尽くしのどん底からどうやって階段を上がっていったのかを綴った、「野心のすすめ」が現在、25万部の大ヒットの真理子さん!「やってしまったことはもうイイじゃないか!(笑)仕方ないのだもの!(笑)でも、やりたいことをやらずに、後々後悔だけは絶対にしたくないのである。

  

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


アイリスを 抱いて微笑む 六地蔵

2015年05月13日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れている。気温は12度から27度!!、湿度は56%から29%!!、風は2mから4mの東の風が気持ちよかった。明日の14日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 台風一過、今日は天気が良くなったもので、少しばかり遠出をして、丸亀市にある丸亀城内にやってきた。ここは、丸亀市立資料館。

 

 ここで、「丸亀六代藩主京極高朗展」をやっているので、これを見るためにやってきた。京極高朗は江戸時代後期に丸亀藩を治めた六代目の藩主で、歴代の丸亀藩主の中で名君として称えられる人物である。在任期間には、藩の財政難、鳥居耀蔵の預かりなど様々な問題に直面したが、苦労を重ねてそれらに対処し、数々の業績を残している。

 

 毎年、丸亀お城まつりにあわせて、南条町にある京極家の菩提寺玄要寺では、高朗の遺徳を偲び京極高朗公の墓前祭が行われている。平成8年より始まり、本年は20回目の節目を迎えたので、これを記念して丸亀市立資料館蔵の資料を中心に、高朗の業績と生涯をたどる展覧会を開催しているのだという。
 
 
 
 これが、肖像画の衣装らしい。
 
 
 
 次に向かったのが、仲多度郡多度津町にある「多度津町立資料館」。ここでは、「写真展・たどつ今昔 懐かしの町並み・風景」という写真展である。明治期には、四国の近代産業発祥の地として近代化を牽引していった多度津町の懐かしい町並みや風景の移り変わりを見てもらう目的で、昭和初期の写真を中心に展示をしているのだという。
 
 
 
 こうした子供たちの様子を写したものが懐かしいと思った。町の風景は見てもよくわからない・・・・。
 
 
 
 こういうものは、町民が見れば「あ・・・」と思うのだろうが、私には何がなんだか、よくわからない。
 
 
 
 続いてやってきたのは、高松市亀水町(たるみちょう)にある、「瀬戸内海歴史民俗資料館」である。ここも拝観料は無料である。
 
 
 
 ここには船や漁業に関するものが多く展示されているのだが、今回は少し趣向が違っていて、「人形」というシンプルな企画展。サブタイトルが、--呪術・信仰から祀り・芸能・玩具まで--というもので、
 
 
 
 今回は、土偶や人形(ひとがた)・流し雛、身代わり人型、身代わりサル・雛人形・八朔人形・嫁入り人形などから、この「リョースケサン」という人形や阿波デコのヨベッサンやふなだま」さんという漁船に乗せる人形も展示されている。
 
 
 
 これがフナダマ(船霊)サマの中に納める「ひとがた」である。阿波でこ(木偶)が瀬戸内海では漁師の井神様になっていた。そして、祭りと人形、見世物からおもちゃ、フィギュアから消しゴムまでが展示されていた。
 
 
 
 次にやってきたのが、高松市牟礼町牟礼にある、「高松市石の民俗資料館」である。さすがに、ここではすっかりと飽きてきてしまった。それでも、勇気をふりしぼって、長い石段を昇って行った。
 
 
 
 石の民俗資料館だけあって、さまざまな石のオブジェが並んでいる。これもその一つ。手前が、「アン・ツーゴの家内」で、奥にいるのが、「アン・ツーゴ」だという。盛岡量基さんの作品で、来年には子供が生まれるのだそうだ。
 
 
 
 ここでは、張り子作家の「宮内フサ展」をやっている。「奉公さん」に代表される郷土玩具・高松張子の作者として、宮内フサさんは全国に知られ、その手業は、子へ孫へと、現在まで引き継がれている。今回、宮内家をはじめとする、多くの方々の御厚意によって、「子へ孫へ」と大切に受け継がれてきた、宮内フサさんの郷土玩具や手紙等をまとめて紹介している。
 
 
 
 これが、代表的な「ホーコー(奉公)さん」。わが家にもフサさん84歳の時のホーコ-さんがいたが、台風で流されてしまったことである。
 
 
 
 今は、娘のマサエさんや、お孫さんたちが、この「高松張り子」を受け継いで継承している。
 
 
 
 今日の掲示板はこれ。「人間は耳が二つに口一つ 多くを聞いて少し言うため」というもの。しかしのかかし、会議や集会などを見ていると、やはり日本人は議論が苦手なのかな、と実感する。何が欠けているのだろう。それは「聞くこと」である。おしゃべりな人は議論ができない。では何をしているのか。一方的な「発表会」である。自分の思いを伝えることにご執心のあまり、他人の言葉が耳に入らないのだ。結局人間が他者や異文化を理解できない根本は、自らの耳元と口先に問題があるのかもしれない。
 
 
 
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

降り出した 雨をいただく 夏あざみ 

2015年05月12日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は21度から24度、湿度は82%から8/6%、風は3mから12mの南東の風が一時、強かった。明日の13日は高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 さて、火曜日は恒例の県営図書館通いの日。少し風が強かったが雨よりはましだと出かけてきた。さほど、火急の用件でもなかったが、じっとデスクワークばかりもやっていられないのだ。

 

 すっかりとアキニレの若葉が萌え出してきて夏らしくなってきた。今日は天気が悪いからか人出は少なかった。

 

 この「香川県立図書館は、1993年、旧高松空港跡地に整備された香川インテリジェントパーク内に完成した。地下1階、地上4階で、開架22万冊、書庫100万冊に整備されている。香川大学工学部の隣りにある。建物内に、「香川県立文書館」がある。

 

 またしても、法然上人関連の本を8冊ばかり借りた。すでに何回か借りて読んだ本ばかりだ。こういう本はなかなかに新しい本が入らない・・・。

 

 山頭火の本も読んでしまったし・・・。

 

 午後からは雨が降り出してきた。しきりにアマガエルが鳴き出している。

 

 この声を聞くと、「あ、田植え時だなぁ・・」と思ったりする。このあたりに田んぼはないのだが、アマガエルはどこに居て何をしているんだろうか。この集落には11軒の家があるが、今年、田植えをしたのは3軒だけ。多くが高齢化によって耕作放棄してしまった。

 

 午後からは、お友達の写真展を見に行く積もりだったが、こんなに激しく雨が降ると、なんだか面倒くさくなってしまう。また、明日にでもお邪魔することにしよう。

 

 で、講演会のリハーサルやら、パワーポイントの修正・追加作業などもやっておく。時間調整が難しい・・・。

 

 この雨をもたらせている台風6号(ノウル)は、12日14時半現在、種子島の南100Kmを北東に進んでいるらしい。中心気圧は994hPa、最大瞬間風速は40m/s。

 

 迷犬ごんは散歩に行きたそうにしているが、こんな日に濡れてまで散歩になんぞ行きたくはない。

 

 だんだんとあたりは薄暗くなってきた。今、まだ、15時過ぎ・・・。だんだんと、四国沖に近づいてきているような・・・。今のところ、風は収まっている。

 

 今日の掲示板はこれ。「やる前からあきらめて何もしない人は、永久にゼロよ。」という林真理子さんの言葉から。胸の中にある「これやりたいな」っていう気持ちや、忙しくて後回しにして、忘れてしまったり、諦めてしまったことってあるけれど、「これだったらできるかも」とか、「じゃあどうやったらいいのかな?」と、少し視点を変えて、自分のやりたいことに一歩ずつ近づいていけるといい。大きな一歩ではなくて、小さな一歩でいいから、まずは一歩を踏み出してみよう。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


雲のない 空いっぱいに ホトトギス

2015年05月11日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で夕方から次第に雲が広がり、夜遅くには雨の降る所があるらしい。気温は11度から25度、湿度は80%から45%、風は2mから6mの南南東の風が少しばかり・・。明日の12日は、低気圧や前線の影響で雨が降りやすく、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 掛かり付けの歯医者さんから、「そろそろ虫歯の治療をしましょうか」と言われたので、出かけることになった。今のところ、痛みも自覚症状もないのだが、そろそろ、歯が危なそう・・・というので、仕方なく出かけたが・・・。

 

 下の前歯が虫歯になっていて、折れそうで危ないというのだが、ヘタに触ると折れてしまいそう・・・ということで、あれこれやってみたが、今の段階では、このまま置いておこうか・・ということになった。痛みが出るか、折れてしまったら、そのときに対処することにして、治療はやめになった。なんじゃらほいほい、なんじゃらほい。

 

 で、久々に、ここにやってきた。東かがわ市小砂(こざれ)にある、「庄松同行墓所」またの名を「小砂説教所(跡)」である。昨日も観光バス2台がやってきた・・・と、地元の方が教えてくれた。その割に、芳名録には一人分の署名しかなかったのだが・・・。

 

 これが、「釋正真信士墓」と刻まれた、庄松(しょうま)同行のお墓である。このお墓は追善供養の墓ではなくて、報恩感謝の石碑である。没年は明治四年三月四日と刻まれており、他面には、大同行 俗称 谷口庄松 丹生村 と刻まれている。

  

 右一間は本尊阿弥陀如来立像で、左三間が庄松同行に関する祭礼壇である。読経拝礼は、この尊前前で行われる。

 

 これが、その「庄松同行」の似顔絵である。庄松同行は讃岐の国大川郡(ごおり)丹生(にぶ)村土居(現・香川県東かがわ市土居(どい))に生まれて、父を谷口清七といい、真宗興正派の同市三本松にある海暁山海暁閣勝覚寺の門徒であった。世にも稀な信者で、頑愚無欲で一生涯を独身で暮らし、東西に遊化し、よく人を諭したと伝わる。その言うところは質素ぼくとつ、ありのままにして、しかもご法義にかない、おもしろくありがたくあったと言われてきている。

 

 「石田村の一蔵同行が見舞いにきて云えるには、同行が死んだら墓をたててあげましょうと云えば、庄松『己れは石の下には居らぬぞ』と云われた。」絶対の慈悲に浴して、大信をさずかった者には、墓も卒都娑もいらぬ、追善、供養、施餓鬼一切無用である。追善供養は悪道に堕ちた者へする仕業である。庄松は極楽往生は治定の身であるからである。“親鸞聖人は、自分のなきがらは加茂川の魚に与えよ”と仰せられたではないか。「庄松は墓石の下にはいないぞ」である。然し、庄松の墓があるのは、御同行による報恩謝徳のはからいである。御恩報謝の念仏と同じである。供養のためではない。

 さて、ここにも半年ぶりかでやってきた。さぬき市津田にある「さぬきうどん羽立(はりゅう)」さんである。一般店でありながら、早くて安くて旨いお店である。

 

 ここは、こういうカウンター席だけしかなくて18席。それでも、回転が速いから、ここで行列になるのは見たことがない。席に着いて注文して、出来上がれば、カウンターの上に置いてくれるので、それを取って食べる。食べ終われば、上の段に戻して、会計をしておしまい。

 

 今日もあっさりと「わかめうどん」で300円。

 

 第一陣の田植えはあらかた終わったみたい。次は6月上旬から中旬・下旬・・・と続いていく。水利組合の慣行などから、6月10日とか、満濃池のゆる抜きとかが行われてから田植えに入る。このあたりの県営ダムの放水は6月上旬になる。

 

 東かがわ市からさぬき市へ入り、北から北上してさぬき市多和から兼割を経由して大窪寺で休憩。ここの藤の花もおしまいの様子。花の季節も一段落したみたい。

 

 ちょうど、お昼時ともあって、お遍路さんの姿も三々五々。

 

 今日の掲示板はこれ。「庄松いわく また生えにゃよいがのう 角があるまんまと聞こえなんだか」という、小砂説教所跡にあったお皿に描かれた言葉から。京都から名僧と評判の御使僧が来られたので、庄松さんもお参りしていた。すると、お説教を聞いていた隣の人が、涙を流して「いやぁ、今日のお説教はありがたかった。おかげで日頃の邪見の角が折れたわいなぁ・・」とつぶやきながらお念仏するのを、そばで聞いていた庄松さんの一言。「また、生えにゃよいがのぉ。わしは角があるままのお助けと聞いたがのぁ」と・・。「煩悩を断ぜずして涅槃を得る」という他力の大悲におまかせしてみると、悪業煩悩の角があるままお助けに預かっている悦びがある。凡夫のままに救われていく世界を庄松さんは感得されていたのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


花あざみ 休みの済んだ 気の重さ

2015年05月10日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。昨日の雨がウソみたいな一日になった。気温は14度から23度、湿度は90%から46%、風邪は1mから4mの北北東の風が少しばかり。明日の11日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 7日の夕食あたりから、おなかが膨らむ感じで食事がほとんどできなくなった。で、仕方が無いから焼酎とか、ウィスキーとかを飲んでぐっすりと寝たが、9日の朝からはいつもの「心不全」の兆候が出てきた。で、慌てて、「利尿剤」を二日分飲んだ。おなかがふくれてきて心臓を圧迫して呼吸困難になる症状・・・。

 

 ま、お大師まいりというか、お接待を頂いて回ったという感じで一応は終わった。その頃になると、お昼もなんとか食べられたが、今夜はどうなるかわからない。夜中には防災ヘリも飛んでは来られないし、島には救急車なんぞない。

 

 で、慌てて、わが家に戻ってきたのだが、不思議なことに、わが家に戻ると、まるきりの普通に戻った。だから、昨夜の夕食は、ごく、普通に食べられて、普通に飲んだ。一帯、なんだったんだろうか。今朝もまったく平常だった。

 

 で、朝の散歩で、恒例になった、県立大川ダムに行ってみた。やはり、朝だとは言っても暑くなってきた。しばらく歩くと、うっすらと汗がにじんでくる。それでも、呼吸困難になることはなかった。

 

 今年は雨が多かったから、田植えが始まっても、そんなにダムからの放流は少ないらしい。夏場もこのままで乗り切れたらいいのだろうけれど。

 

 散歩から戻るとシャツは交換した。やはり、濡れた下着は気持ちが悪い。そういう時期になってきた。寒いのはあかんけれど、暑いのもまるで弱くなってきた。それじゃ、ダメじゃん、春風亭昇太。

 

 学会発表も、一ヶ月を切った。そろそろと発表会のリハーサルもやっておかねばならない。発表時間は20分。今日は奥方が途中で入ってきたので、19分35秒だった。ま、そんなもんでもいいか・・・。

 

 今日の木村食堂も、昨日と同じで、お接待で頂いた即席ラーメンとお寿司になった。あとはスナック菓子ばかりになったが、うちの犬は、そういうものが嫌いらしい・・。ポテトなんたらを朝食にやったら、ほとんどを芝生の上にはじき出してしまっていた。困った、困った、こまどり姉妹。

 

 午後からは、法話用パワーポイント原稿の作成・・・。民話を元にして40分程度の法話にするのだけれど、民話なんていうものはわずか数分程度・・・。伸ばして、膨らませて、引きずっても20分から30分が限度・・。余分な話を入れると、ストーリーがややこしくなる。ここでも、困った、困った・・・、もう、エエか・・。

 

 あまり、脚色はしたくないし、あんまり、くどくどしい話にもしたくないし・・・。

 

 お昼からはのど自慢大会を見たり、なんでも鑑定団を見たりしながら、のんびりモード。三時を過ぎたら、お布団や洗濯物を取り込んで、迷犬ごんの散歩に行って・・・お風呂の掃除や準備と、ルーチンワークが待っている。

 

 あれだけ楽しみにしていた「島の家」だったけれど、一人もお客さんが来ないのでは草刈りや部屋の掃除も意味が無い。そのうえ、体調不良になっては、何のために島に行ったのやら・・・。ま、気分を入れ替えて、明日からの一週間を楽しい意味のある週にしたいものである。

 

 とりあえず、明日は歯医者さんで虫歯の治療らしい・・。あんまり歯医者さんは得意ではないし、痛くもない歯をいじられるのは楽しいことではない。

 

 今日の掲示板はこれ。「俺はキムタクにはなれないが、キムタクも俺にはなれない」というもの。ま、向こうさんは、俺になろうとも思ったりは絶対にしないのだろうけれど。こういうことはザラにあることで、子供の頃には、鞍馬天狗や七色仮面や白馬童子にあこがれたけれど、鞍馬天狗や七色仮面が私になりたいなんてことは考えもしなかったに違いない。そこには価値観の根本的な相違があることに気づかないだけである。このコペルニクス的展開こそが大切なのではないかと思った事だった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


島四国 はしゃぐ子供の 声ばかり

2015年05月09日 | 時にはぼぉっ~とする時

 丸亀市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で小雨が断続的に降っていた。気温は17度から20度、湿度は94%から63%、風は2mから1mの東南東の風が少しばかり。夜は高気圧に覆われてくるため晴れる見込みらしい。明日の10日は、高気圧に覆われて晴れるという。

 

 朝から小雨が降っていたが、土曜日ということもあって、子供連れの家族が大勢でやってきた。高速艇には積み残しも出たとか聞いた。今日は、ご案内の通り、「しわく広島のお大師まいり」の日。

 

 明治45年に、この島にミニ四国霊場八十八ヶ所、いわゆる島四国が開創された。今年は、その102年目になる。ここが、一番札所の「霊山寺」。多くが、ここから島四国を始めるようだ。この「立石集落」には一番から十四番までと、八十七番と八十八番の札所があって、お接待は三ヶ所、4札所で出される。

 

 次の「江の浦集落」には、十五番から三十四番種間寺までがあり、お接待は、四ヶ所で出される。

 

 次の「釜の越」集落には、三十五番清瀧寺から四十番観自在寺までがあり、お接待は四ヶ所。ここは旧道の峠にあるのだが、この日だけ、集落のなかほどに「出開帳」される。少し前までは「ところてん」のお接待があったが、それも絶えた。

 

 次の甲路という集落には、四十一番龍光寺から四十五番岩屋寺までがある。ここは、四十二番の仏木寺。甘酒のお接待で有名なところ。

 

 お接待のない札所は、このようになっている。これも新しい「よだれかけ」になっている。

 

 次の青木集落には四十六番浄瑠璃寺から五十三番円明寺までがある。お接待は三ヶ所。ここは本物のお寺、長福寺さん。お接待の多いところだから大勢の人がお参りに来ている。

 

 ここも、本来は旧道の山中にあったものを、自宅前の乗用車の中で「出開帳」をしている。

 

 ここは天台宗の「玉瀧寺」さん。この市井という集落には、五十四番延命寺から六十八番の神恵院までの16札所があり、お接待は四ヶ所だった。

 

 こんな形でお接待をやっている。

 

 最後の茂浦集落には、六十九番観音寺から八十三番の一宮寺までの15札所があり、お接待は三ヶ所だった。ここは新しい試みとして歴史講座をやっていた。ここは、正福寺という真言宗の寺院で、ここには咸臨丸に関連する書画や絵皿などが保管されていた。そういうもののお話をやっていた。

 

 で、最後の地福寺さんで私は打ち止め。

 

 今回は、このような、集落ごとのパンフレットを作成して配布していたのが印象的だった。お遍路だけでなく、その他の島の魅力を知ってほしいものとして作成されたもの。

 

 これが、本日に頂いたお接待の品々。スナック菓子が多くなって、ご飯物が少なくなったなぁ・・という印象だった。即席ラーメンも今年は二個になった。広島をグルリと回って、お接待のヶ所は二十ヶ所になった。毎年、二ヶ所くらいずつ減っていくように思う。

 

 これを品物別に整理してみた。おせんべい一枚というのがおもしろい。私は一人だったけれど、子供連れで四人だとすれば、これの四倍だから、リュックやトートバッグには入りきらない・・・。

 

 お昼は、頂いたラーメンと、お寿司に、賞味期限寸前のシュウマイをふかして食べた。

 

 そして、慌ただしく片付けをして、12時50分発のフェリー「しわく丸」に乗って返ることにした。どうにも草刈り疲れの肩風邪だろうか、妙に頭痛がするし、寒気がするので、早々に帰宅することにした。

 

 さすがに、いつもはガラガラのフェリーだが、今日は車両も満杯だし、一階も二階も三階も人であふれてすわる場所もない人が大勢いた。

 

 今日の掲示板はこれ。「これまでは出来なかったことも これからは出来るかも知れない 過去にとらわれずやってみることだ」という、荒了寛さんの言葉から。過去にはどうやってもできなかったことでも、そこから積み上げてきた人間的な経験や知識が上積みされていて、少しの努力で簡単にできてしまうことがある。過去にできなかったから、前にもやったけれど・・・などと考えずに、新しい気持ちでやってみることも大切なことだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


アイリスの 供えられたる 六地蔵

2015年05月08日 | 時にはぼぉっ~とする時

 丸亀市地方は高気圧に覆われて晴れている。気温は16度から25度、湿度は90%から40%、風は2mの北東の風が少しばかり。明日の9日は、気圧の谷の影響で雲が広がるけれど、夕方からは次第に晴れてくる見込みらしい。

 

 朝一番に、この草を刈ることにした。今の時期の草は柔らかいから、そんなに苦労しなくても刈り払うことができる。

 

 先月の「こんぴらさん」のおまつりの時に刈ったものだから草丈も長くはないし。

 

 ほぼ1時間で草刈りは終わった・・・・というか、燃料がそれだけしかなかったと言うことでおしまいになった。これから丸亀までフェリーに乗って燃料を買いに行くのも面倒だし・・・。家の裏の方が、少しばかり残ってしまった。

 

 次回には燃料を買ってこなければいけない。次回・・・、7月下旬に来ると、またも、草まみれになっていることだろうと思われる。

 

 で、浄化槽まわりやら水道の検針ボックスや浄化槽の点検口あたりには除草剤を散布しておく。草の根や木の根が入り込むとやっかいなことになる。

 

 その後は島一周のドライブに出た。向こうに見えるのは岡山県笠岡市だとか聞いた。島には七つの集落があるが、明日が「お大師まいり」だと言うのに、そんなに掃除をしたり、準備をしている様子はなかった。

 

 お大師まいり・・・というのは、ミニ四国八十八ヶ所参りで、このしわく広島を半周するように、こうした石仏が安置されている。でも、旧道や昔の道沿いなどもあって、いま、これら八十八ヶ所を回ることはできなくなっている。ここは、新しい「よだれ掛け」になっている。

 

 そこで、二十ヶ所ほどの「お接待」のある場所だけを回るようになってきた。だから、別名、「お接待」とも言う。ミニ八十八ヶ所霊場というのは、どこの島にもあるようだが、このしわく広島では、旧暦の3月21日に決まっていて、それが明日になる。

 

 今日は気温が高いから焼きめしとラーメンをやめて、そうめんにした。夏にはそうめんもまたおいしい。

 

 午後からはおこたを片付けて扇風機を出したり、部屋の掃除をしたりで時間をつぶす。例年、このお大師まいりには数人から十数人のお客さんが来たものだが、今年は誰からも連絡が無い。ないけれど、一応、家の周囲の草刈りをしたり、部屋の掃除などをやっておく。

 

 私がこの島に来て初めてのころ、この島にある「心経山」に登りたい・・・と言うたところ、「そんなら、お大師まいりの時がええでぇ・・。草も刈ってくれとるし、道も開けてくれとるから」と言われたので、その日に山に登った。すると、頂上には「大師堂」があって、そこで、パンやらジュースを頂いた。

 

 「あ、そうなんだ・・」ということで、ミニバイクでおせったいを頂きに走り回った。最初だったから、三周もしたので台所はお接待の品々で盛り上がった。さすがに今は、顔を覚えられたから、一回きりしか行けなくなった。

 

 今日の掲示板はこれ。「蒔けば生え 蒔かねば生えぬ 善悪の 人は知らねど 種は正直」というもの。人間は種を蒔きながら人生を歩んでいるようなものだ。よい種を蒔けばよいことが、悪い種を蒔けばよくないことが返って来るものだ。種を蒔く人はそれぞれあるだろうけれど、蒔かれた種は正直なものだというているのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


もの言わず 今日も暮れたり 山わかば

2015年05月07日 | 時にはぼぉっ~とする時

 丸亀市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がっていたが、夕方からは晴れてきた。気温は16度から21度、湿度は96%から62%、風は1mから2mの北北西の風が少しだった。明日の8日は、高気圧に覆われて晴れる見込みなのだとか。

  

 朝方は小雨が降っていたが、それも上がってきたので、8時過ぎにわが家を出て丸亀に向かった。朝方は肌寒いほどだった。

 

 丸亀港近くのスーパーに立ち寄って食材を仕入れた。ここに着いたのが9時半過ぎ。買い物が終わったのが10時過ぎ。買い物は、主に夕食用のビールのアテがほとんど。朝はご飯に味噌汁と漬け物があればいい。昼はうどんかラーメンでいい。夕食は豆腐と納豆があればいいようなものだが、島の夜は永い・・・。

 

 丸亀港から「しわく広島・小手島(おてしま)・手島行きのフェリーや高速艇が出る。今日は、11時10分発の高速艇「ニュー・ビサン」に乗って帰る。それまでの1時間が永かった。

 

 これが、高速艇「ニュー・ビサン」。これで海上約15分でしわく広島・江の浦港に着く。今日の乗客は20名ほど。やや多い・・・という印象。

 

 海上は曇ったまんま・・・。島に帰る人たちは食材や仏花などを多量に買い込んでいる。島にもお店はあるにはあるが新鮮なものは自分で調達したほうがいい。

 

 島に着くと、まずは、軽トラックのバッテリー交換。固定金具がさび付いて外すのに苦労したが、後はすんなりと交換できた。この左の白いタンク。これが冷却水用タンクだが、古くなって穴があいて冷却水がこぼれてしまっている。仮にガムテープで補強して走ってみた。

 

 左の水温計が動き出した。これまでは全く動作しなかったのに。なんとか、タンクの防水処理をやっておかねばならない。

 

 ほぼ、一ヶ月前にやってきて、草刈りをして帰ったのに、もう、こんなにも草が伸びている。ここの草刈りは明日の朝だ。

 

 ここが、島の家、「瀬戸のまほろば・暁光庵」である。

 

 昼食の後、ドライブに行こうとして気が付いた。右後輪の空気圧が低い・・・。道理でハンドルが重たい筈だ。このままではダメだと思って、タイヤ交換・・・。ところが、右に回すのか、左に回すのかが分からない。どちらにしても、ピクリともしない。さび付いてしまっているみたい。

 

 30分ほど、右に回したり、左に回したりしたが動かない。そこで、前輪で試したら左巻にすれば簡単に回ったので、左に左に回して・・・、とうとう、タイヤが外れた。スペアータイヤがまたさび付いて外れない。そこで、前の軽トラのスペアータイヤがあったので、それを履かせることにした。

 

 ところが、これも空気圧が少し低い・・・。仕方がないから・・・島にあるガソリンスタンドまで、のろのろ運転で走って行った。ところが、店長さんは配達中とかで不在・・・。30分ばかり、そのあたりを散歩して待って・・・。15時過ぎに店長さんが戻って来て修理完了。オイルも1リットルを追加してもらった。これで当分は走れそう・・・。

 

 そのガソリンスタンドから見た「高見島」。春霞のようでぼんやりとしか見えない・・・。

 

 甲路(小浦)の集落は、青木浦から石材採取のために入植した人たちが開いたところ。採石産業がほとんど。

 

 今日は、軽トラのメンテナンスで終わってしまった。さて、これからお風呂を沸かして、夕食の支度だ。

 

 今日の掲示板はこれ。「つまづいてころんで 腹をたてる人 悟る人」という荒了寛さんの言葉から。最近はクレーマーという人が多くなった。何にでもクレームをつけたがる人のこと。洋服から靴から食品から化粧品から・・・なんでもかんでもにクレームをつけて謝罪させて満足したり、金品を受け取ったりする。それで企業が倒産したり廃業に追い込まれることもある。が、一方では、そのクレームをただしく受け止めて新製品を作ったり対応のすばやさで評価されることもある。一つのことでも、どう、受け止めるかで、正反対の結果になることはしばしばあることだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


芍薬を 切ったハサミを 持たされる

2015年05月06日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、昼過ぎからは気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がってきた。気温は12度から24度、湿度は90%から53%、風は2mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の7日は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、朝まで雨の降る所がある見込みらしい。

 

 娘家族も帰っていって、また、夫婦二人の生活に戻ってしまった。山の旧宅の様子を見に行ってきたが、あの、「竹藪の怪人」の姿が見えなくなった。

 

 タケノコは、布団を脱ぎ飛ばして空を目指して伸び出した。ようやく重い目隠しが取れて気楽になったことだろう。

 

 過去の記録をみると、大窪寺前、八十八庵裏山の「シャクナゲ」が満開になっていることだろうと出かけようとしたが、奥方からのストップがかかって、私も連れて行け・・と仰る。面倒だけれど一緒に行くことになった。その上、ご近所のおばさんまで誘って行くことになった。

 

 ところが、行ってみると「終了しました」との張り紙が・・・。すると、奥方が「穴吹川へ行ってみたい・・」と言い出して、途中のスーパーでお弁当やら飲み物を買って、徳島県美馬市穴吹町に向かって走り出した。大窪寺からは南の方向になる。

 

 穴吹川は剣山に源を発して美馬市山間部の木屋平地区を北流し、穴吹地区で吉野川中流に合流する流程約41kmの河川。流域人口は推定約8千人。比較的小規模な川だが、吉野川の支流として一級河川の扱いをうけている。水質は良好で国土交通省四国地方整備局の一級河川水質調査により「四国一きれいな川」であると認定を受けている。天然の川魚が生息し、天然ものの鮎も吉野川から遡上する。夏休みには大勢の観光客であふれる水系でもある。

 

 早くも何十組の家族連れが川の中で清流を楽しんでいる。ちょうど、食事時ともあって、ここだけでも8組ほどの家族連れが食事を楽しんでいる。

 

 私は「焼き肉弁当」の390円。奥方たちは「シャケ入り竹の子弁当」+「アジの姿寿司」などというご馳走を食べている。

 

 ちょうど、ここは河川改修工事が行われているらしかったが、今日は工事はお休みだった。

 

 子供たちは、早くも裸ん坊になって川の中に入って大はしゃぎをやっている。

 

 これは、「知っていてもしらん・・・」という、紫蘭の花。これが、このあたりに自生しているのだ。どこかから、種か根が流されてきたものだろうか・・・。

 

 元気なこどもたちのはしゃぎ回る姿を目にしながら、穴吹川を後にしたのだった。

 

 次いでやってきたのは、美馬市穴吹町の穴吹川沿いの休耕地に植えられた「ポピー畑」。穴吹ポピー園へは、国道192号線から国道492号線(木屋平方面)へと入り、平ノ内の橋を渡り、県道254号田方穴吹線を数百メートル先右手にある。

 

 個人が運営されているポピー園であるが、駐車場を数箇所設けておられる。入園は無料。毎年沢山のポピーを咲かせて、県内外の観光客の目を楽しませているとのこと。国道492号線から見たポピー園の景観も素晴らしいものだった。

 

 穴吹町から脇町へ戻り、阿波市道の旧道を東進して「阿波の土柱」前を通り、阿波市八坂という集落に入る。その先、尾開(おばり)という集落に、今度は「シャクナゲ花壇」という、シャクナゲ園があった。

 

 ここは、「阿波はくちょう会」というグループが育てている芍薬園らしい。入園料は無料だが、切り花にすると、一本100円から・・・。

 

  新しく生まれた「阿波市八坂」(旧市場町尾開字八坂)に、1,000株の芍薬畑がある。1,000株から10本の茎が出ても、10,000本の花が咲いていそうなものだが、切り花として販売しているから、花の数は多そうには見えない。

 

 「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は…」と、美人の形容に使われる牡丹と芍薬の花は 区別が難しいのも事実であるが、その違いについてまとめてみた。

項 目 ボタン(牡丹) シャクヤク(芍薬)
科名・属名 ボタン科・ボタン属 ボタン科・ボタン属
原産地 中国 中国
木本・草本の別 木本性 草本性
小葉の切れこみ あり なし
蕾の形 先が尖る 先が丸い
その他 枝分かれする 枝分かれしない

 つまり、牡丹は木であり、シャクヤクは草である・・・というのが基本的な違いらしい。

 

 今日で大型連休はおしまいの人がほとんどだろう。ま、私は、全く関係ないので、連休らしいことは何一つなかったのだけれど、気分転換に、明日から、島の家に帰ることにする。

 

 今日の掲示板はこれ。「人間 みな兄弟 よろこびも悲しみも わけあって生きよう 分けあえば よろこびは大きくなる 悲しみは 小さくなる」という東井義雄先生の言葉から。原文は、

よろこびは大きく
人間 みな兄弟
よろこびも 悲しみも
わけあって 生きよう
わけあえば よろこびは大きくなる
悲しみは 小さくなる

 というもの。「愛の力」というものを教えてくれている。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


若葉切る はさみの音の 小気味よさ

2015年05月05日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は東シナ海に中心を持つ高気圧に覆われて晴れている。気温は13度から24%、湿度は74%から34%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の6日は、高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷の接近で夕方から雲が広がるらしい。

 

 昨夜は満月。旧暦三月十六日だった。昨夜は孫たちも部活が休みになって、久々にわが家でお泊まりになった。

 

 みんなはお休みだからとぐっすりと寝ていたが、私は5時半起きで犬の散歩を済ませて、山の旧宅、「木村宅やっ!!」にやってきた。今日はここの草刈り。昨日は、この足下まで刈ってきた。

 

 平成16年10月20日までは、ここにこんなおうちがあった。ここが大元の「木村宅やっ!!」だった。

 

 ここが、その、跡地である。ここの草刈りが今日の目標。奥の方にある赤い物が「竹藪の怪人」である。

 

 今朝はこんなに成長していた。どうやらこれは、こたつ布団らしい・・・。

 

 午前8時過ぎまでのおよそ2時間ほどで、ここもさっぱりとした。

 

 旧のログハウスがあった場所もさっぱりとした。これで、旧宅部分の草刈り作業は完了した。

 

 すっきりとした五月の空になった。今日は2時間ほども草刈りをしたが、汗がしたたるようなことはなかった。

 

 一休みしてから、バーベキューの準備をする。お昼はここで、BBQ。語源は、西インド諸島の先住民であるタイノ族の肉の丸焼き用の木枠を指す言葉が、「丸焼き」を意味するスペイン語のbarbacoaに転化した。英語圏ではBBQ(cueがQに置き換わる)やB.B.Q.Bar-B-CueBar-B-Qと略されることがあるらしい。意味は、巻、炭、ガスなどの直火によって肉や野菜、魚介類などを焼く料理、もしくはその調理法や行為を指す。(Wikipedia)

 

 この家を建てるとき、芝生広場・BBQコンロ、ウッドデッキの三点セットをお願いした。宴会好きな親戚家族には必須アイテムだった。

 

 これが娘家族。主人の「かねちん」は単身赴任で大阪在住。勤務の都合で、明日には戻って来るという。

 

 この緑の樫の木は、県道から宴会場が見えないようにする「グリーン・カーテン」。左の帽子のおばさんがけいこばぁ・・・。今日は日差しが強かった。娘家族は今夜もお泊まりだと言っている。

 

 もう、すっかりと夏の空、夏の山、そして、夏の雲になってきた。

 

 お昼からも、わが家の周辺の草刈りをすこしばかりやって、草刈りはおしまい。今度は、あさってから、島の家の草刈りである。島へは、7日から10日まで滞在予定。11日が歯医者さんでの治療が始まる。

 

 今日の掲示板はこれ。「課題は大きければ大きいほど動かない。ただ、最初の一ミリが動くと、あとはどんな大きな岩をも転がっていく」という、J.フロントリテイリング社長の山本良一さんの言葉から。山本さんは横浜市生まれ。横浜市立桜丘高等学校時代には、バスケットボールで県選抜として、国体出場。 明治大学商学部進学後は、体育会バスケットボール部に属しインカレ三連覇に貢献する。1973年大丸入社。大阪・梅田店営業企画部長、百貨店業務本部営業改革推進室部長などを経て2003年、13人抜きで役員経験なしで社長に就任。 2007年大丸と松坂屋の経営統合に伴い設立された持ち株会社のJ.フロント リテイリング取締役。2010年、大丸、松坂屋百貨店社長に就任。 2013年4月、J.フロント リテイリング社長になった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ほっとして 初夏の息吹を 知った朝

2015年05月04日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で雲が広がり、夕方までは雨の降る所があるらしい。気温は17度から23度、湿度は90%から80%、風は2mから3mの北西の風が少しばかり。明日の5日は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 やりたくはないのだが、いつまでも放ってもおけないのだからと、山の旧宅、「木村宅や」にやってきた。お墓の周囲も、これ、この通り・・・。朝の7時前から完全武装でやってきた。

 

 30分ばかりでここは刈り終えた。細い竹の子が伸びていて、スパスパと切り払っておいた。こういう所に竹が生えて欲しくはない。

 

 旧宅に入る進入路も、これ、この通り・・。まだ少し草丈は低いかなとは思ったけれど、ここも一気に刈り払っておく。

 

 長くてぴんぴんとしている草を刈り払うだけでも見栄えが違う。

 

 二時間ほどでおなかはすくし、体力的に疲れたので、今日はここまで。

 

 タケノコも草と一緒に刈り払ってしまっている。もう、タケノコなんぞ見たくもない・・・。

 

 シャワーを浴びて着替えをして、ホームページの更新作業をやっていると・・・。

 

 孫のはやて君やなぎちゃんたちがやってきた。で、竹の子掘りがしたいのだと言う・・・。朝方に切り払ったばかりなのに・・・。それでも、今年はあるもんだ。今年は多すぎて、イノシシのサルも食べ飽きたようで、きれいなものが残っていた。

 

 ま、孫たちの掘るのはこんなもんだ。

 

 さて、昨日の「旧道」部分が気になったので、「大川町土地辞典」というものを開いてみた。オレンジの部分が、わが家の位置。古い地籍図らしくて、新しい道は記入されていない。緑が旧道部分。しっかりと道路の標示がしてある。赤い線は、私が記入した今の道。

 

 ここが分岐点。ここまでは旧道が今と同じルートで残っている。右が新道部分。まっすぐに旧道があった。小学生の頃は、ここを歩いて通学していた。この草や竹が茂っている部分が旧道。それがわが家の下を通っている。

 

 川に沿って旧道があったが、人が通らなくなって草や竹が生い茂っている。

 

 ここも草だらけだったのを、私が木を切り、草を刈って、これだけになってきた。

 

 ここにコンクリート製の橋がある。下は、みろく奥池に通じる「みろく用水」である。ここから先は、前のおうちの畑になって旧道は姿を消す・・・。

 

  おとなりさんちの畑を通って・・・。

 

 これが旧道の跡・・・。昔は、ここを歩いて通ったもの。道を挟んで、おうちと倉庫を建てたものらしい。そして、今の道路に接続する。つまり、旧道の初めと終わりはない・・・。わが家のあたりだけに痕跡が残っているということだった。

 

 100mほどの旧道部分をどうこうしたいとか、どうこうしようとは思わないが、税金面では道路部分は残しておいて、わが家の面積には入れて欲しくないもの。

 

 今日の掲示板はこれ。「数秒間 「心を空っぽにする」これが人生のコツ」という、「沢庵宗彭(そうほう)」の言葉から。、澤庵 宗彭、は天正元年12月1日から正保 2年12月は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての臨済宗の僧侶だった。大徳寺住持を務めた。諡は普光国師(300年忌にあたる1944年に宣下)。号に東海・暮翁などがある。一般的に、沢庵漬けの考案者だと言われているが、これまた諸説あり。(Wikipediaより)

 目的が決まっている事ばかりしていたら、すぐに気持ちが詰まってしまいかねない。自分に、気ままに行動する事をやってみたいもの。すぐに、目的のない事をやる中に、実は大きな目的が潜んでいる事に気づくはずである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


やまつつじ 花揺れもせず 阿弥陀堂

2015年05月03日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は朝から18度から25度、湿度は94%から77%、風は4mから8mの南東の風が吹いていた。明日の4日は、前線の影響で雲が広がり、朝から雨が降りやすい見込みらしい。

 

 わが家の周囲も草だらけになってきた。刈らねばならぬ・・と思っていても、どうにも身体がいやがっている。そこで、身体ならしの積もりで草刈り機を出して来た。今年最初の草刈りになる。

 

 これはわが家の裏側(北側)・・・。ここを刈るときには苦しくて・・・身体が重い・・・。私が動けなくなったら、わが家はどうなるのだろう・・・と考えていた。でも、体温が上がってくると、どんどんと草がなぎ倒されていく。後ろを振り返るときれいになって行くので、力も入ってくる。

 

 この円形の切り歯は、親戚の叔父さんにもらったもので業務用のもの。一枚が6,500円もする。だから、よく切れるし、長持ちする。そこいらのホームセンターあたりの、二枚組で980円の切り歯とはまるきり違う。

 

 で、北側から東側の斜面なんぞを刈り払ったが、その長さは120mにもなる。

 

 これが東側部分。これだけで一時間半。一往復している。ブロックの上に1mの旧道がある。それと斜面部分で一往復。その上に少しだけ残っているが、ここは足場が悪いので二回目の時にまとめて刈る予定・・・。

 

 この旧道部分は公共のものだと思うのだが、ここを売ってくれた地主さんは、「かまわんから自分のものにしときな・・」と言った。その叔父さんも故人になったので、ここは、わが家のものになっている筈。だから草刈りもやらねばならん・・・。

 

 田植え時になったからか、アマガエルがしきりに鳴いている。今日は雨になるのか湿気が多い。

 

 奥方が、この噴霧器の調子が悪い・・・と仰るのだが、部品でもなくしたのか、それともパッキンが弱ったものか、修理しても圧力が掛からない。だから、買い換えて・・・と言い続けていたのだが、今日はようやくに「買い換え宣言」を出した。

 

 で、今日の朝昼兼用はここになった。こういうお店は苦手なんだが、奥方がスポンサーだから仕方が無い。どうにも、こういうお店は落ち着かない。

 

 で、和定食になった。半分ほどは「ポチのエサ」用にテイクアウト。どうにも、こういうものはのどを通らない・・・。

 

 奥方が選んだのはこれ。乾電池式で薬液を噴霧するもの。それでいて、数千円程度。私が買った島の家用の除草剤の方が高かった。

 

 これは奥方にもらくらくと使えそう。私はこういう農作業はどうにも好きになれない。

 

 奥方が、「山越えで帰ろう・・・」というので、あちらこちらの山越え道を走ってみた。で、珍しいお花を見つけると、「ストップ!」と、車を停めて植物採集。

 

 この谷には、こういうお花が多いが、なんという花なのかは知らない。

 

 それとか、フキとかタラの芽とかを採取する。

 

 これは・・・スズランだろうか・・・。

 

 そうそう、竹藪の怪人は、こんな風になってきた。布団が重すぎてタケノコが傾いてきている。これでは、途中で腐って倒れてしまうかも知れない。

 

 今日の掲示板はこれ。「恵まれすぎて人生をつまづいた人もあり 逆境から立ち上がった人もある」というもの。確かに過去から学んできた英雄とか成功者とかのなかにも、そんな人はざらにいるし、毎日毎日のニュースの中にもそんな人はごまんと居る。どちらだっていいのだが、最後には「しあわせだったよ」と死んでゆける人こそ、人生の成功者だと思っていたい。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


藤棚に 声なき風が 二礼する

2015年05月02日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は14度から24度、湿度は94%から64%、風は1mから2mの北東の風が少し。明日の3日は、はじめ晴れるけれど、気圧の谷の接近で次第に雲が広がり、夕方から雨の降る所がある見込みらしい。

 

 朝方は、おこたを片付けて書斎の大掃除。おこたを片付けるには参考書やデスクトップPCやら雑誌のたぐいなんぞを一時避難させておいてでないと作業にならない。いらない書類やらパンフレットなんぞもいつの間にか溜まっている。

 

 9時前にはどうにか片付けが終わったので、けいこばぁとお出かけすることになった。

 

 やってきたのは、香川県立ミュージアム。高松市玉藻町にある歴史博物館である。

 

 「春うらら」と題する「イングリッシュ・ガーデン」の展示会らしい。これをお奥方が是非とも見たいと仰るのだ。

 

 世界最大のボタニカル・アート・コレクションを誇る英国キュー王立植物園の17世紀から現代までの貴重なボタニカルアートの優品を中心に、植物のイメージから生まれた装飾美術やガーデニングの資料などを交え、厳選された約150点を展示している。世界遺産キュー王立植物園のコレクションは、四国初公開なのだという。この絵は、ユリ科の「オオカンユリ」である。こういうスケッチ、絵画などがこれでもか・・と並んでいる。

 

 これは「スイレン」を描いた陶器皿。絵柄の花は、当時出版された植物雑誌のイラストから採用され、19世紀初頭には、東アジアから到来したばかりの魅力的な植物であった。また、英国一の陶磁器会社を創設したウェッジウッド家とダーウィン家とは親戚で、『種の起源』の著者、チャールズ・ダーウィンがこれと同種の食器セットを所有していたという。

 

 肝心のイングリッシュ・ガーデンのコーナーはわずかしかない。とにかくお花に関する洋服、陶磁器、絵画、日本が、洋画のアートなどが並んでいるばかり・・・。少しばかり当て外れ。

 

 それでは・・・ということで、やって来たのは孔雀藤で有名な岩田神社。藤まつりをやっているというので来てみた。

 

 お客さんの言うことには、ここの藤はもう、終わりに近いのだと。へ・・・、盛りはいつだったんだろ。「五月になったら・・・」、「五月に入れば・・」と言うていたのに・・・。

 

 ここにも「春五月には・・・」と書いてあるのに。2メートルにもならぬうちにおしまいなのか・・・。

 

 そうか、もう、おしまいなのか。そういえば、露店が2軒から1軒になっていたな。

 

 近くの幼稚園児が奉納した絵馬だというのだが、幼稚園生が「大金持ちになりたいです」というのは、感心せんなぁ・・。最近は「キラキラ・ネーム」とかいうのが流行っておるらしいが、「かずら」君というのは、どういう字を書くのやら・・。

 

 途中のコンビニでお弁当やお茶を買って・・・。

 

 高松市西植田町にある藤尾神社にやってきた。ここで、フジを見ながらのお弁当。何組かの家族連れが同じようにお弁当を食べながらのフジのお花見。ここもハラハラと花びらが散っていた。

 

 山は新緑。車の中は暑いくらいだった。

 

 五月になればサツキの季節。これを見ると夏になったなぁと思う。世の中はゴールデンウィーク中だが、このあたりでは田植えの真っ最中。会社員はこの休みの間に田植えを済ませてしまう。あちらでも、こちらでも田植え機が走り回っている。

 

 最後は、町内にある「みろく自然公園」の「ふじ園」にやってきたが、けいこばぁは、もう、動かない。これだけフジを見たらもう満腹・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「不幸はすぐわかるが 幸せはなくしてからわかる」という、いつもの「荒了寛」さんの言葉から。普通に暮らしている時は、不幸だとは思うことはないが、特に幸せだと思う事もない。ところが、幸せを気づく瞬間がある。それは、なくした時である。「幸せはなくしてからわかるもの」なのである。なくして初めて気づいた幸せに、感謝するのである。あの時は幸せだったんだ・・・・と。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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