まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

薄曇り アジサイ園でも 見て来るか

2015年06月15日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高圧部となっており、概ね晴れていたが、梅雨前線が北上するため、夕方からは雲が広がってきた。気温は18度から27度、湿度は96%から65%、風は1mから5mの南東の風が一時強かったが平均的に落ち着いていた。明日の16日は、梅雨前線の影響で雲が広がり、明け方を中心に雨が降る見込みらしい。

 

 梅雨の晴れ間・・・でもなかったが、わが家の周囲はこれ、この通り・・・。梅雨が終わってからでもいいだろうと、呑気に構えていたが、「思い立ったが吉日」と云うことで、この水路周辺の草刈りをすることにした。讃岐弁で云うと・・・「ぞろくたげな」という風景。「だらしない」とでも云うんだろうか・・・。で、「ふうが悪い」。「みっともない」とか「かっこうが悪い」というような意味。

 

 最近は、アルコール分をお休みしている関係なのか、「身体が軽い!!」。そこで、一気に草を刈ることにした。

 

 草が柔らかいもので、簡単に草刈りはできる。ただし、刈った草はそのまんま・・。それも「ぞろくたげな」んだけれども、すぐに乾いて干からびて気にならなくなってしまう。

 

 北側の水路はそうでもないが、ここもついでに刈り払っておく。

 

 こうしておくと、「しょうらしげな・・・」「せいだして働き者らしい」家に見えると思う・・・。

 

 ところが、久々・・・というても、5月の連休前に草刈りをした筈なんだが、燃料タンクから燃料が吹き出している。穴が空いたらしい・・。農機具屋さんに見てもらったら、タンクの交換で一週間ぐらいかかりそう・・・というので、お願いしてきた。仕方がないものは仕方が無い。

 

 その後、一連のドローン騒動で、そのまんまになっていた、ドローンの組み立てを開始した。もう、三ヶ月分くらい、手つかずで山積みになっていたもの。これは、野猿の監視用と撃退用のためのもの。

 

 それを、おそるおそる・・組み立て始めてみたが、2mmX4mmのビスを・・・と云われても、感覚的に「これかなぁ・・」という程度で、寸法とか名前とかが入っていないものだからわからない・・。こうなったら、カンで組み立てていくしかない。

 

 部品が小さい、ねじ山が小さい、老眼でよく見えない・・・。とにかく、カンと想像で組み上げるしか方法がない。

 

 午後からは、けいこばぁと一緒に梅をちぎることになった。「ちぎる」というのは共通語やと思うけど、「桃をちぎる」とか「柿をちぎる」と云うと思うのやが・・・。

 ♪~ 二月三月花ざかり、うぐゐす鳴いた春の日の たのしい時もゆめのうち。

   五月六月実がなれば、枝からふるひおとされて、きんじょの町へ持ち出され、

   何升何合はかり売り・・・・。(うめぼしのうた)から。

 本当は、枝から振るい落として収穫するものらしいが、わが家では枝から振るい落とすと川の中へ落ち込んでしまうので、枝を掴んで、一個、一個、もぎ取るしか方法がない。

 

 それでも、けっこうな量になった。昨年はどっさりと採れたのだけれど、今年は裏作になるのかも知れない・・・。だから、量的には去年の半分以下かも知れん・・・。

 

 ということで、今週もまた楽しみなことがありそうな週が始まった。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は、できることに集中することであり、できないことを悔やむことではない」というもの。アインシュタイン以降の物理学、宇宙論の第一人者、スティーブン・ホーキング博士の言葉である。幼少の頃から数学や物理学に才能を発揮していた彼は、17歳でオックスフォード大学に入学。その在学中に、筋萎縮症性側索硬化症という難病にかかり、大きなショックを受けた。しかし、博士の強固な意志と周囲の協力により、精力的に研究を続けていった。ケンブリッジ大学院の研究生として本格的な宇宙論の研究を始め、1960年後半に「宇宙にはブラックホールが存在する」ことを示した。1980年代になってからは、宇宙の起源や量子力学が宇宙の運命に及ぼす影響について研究を開始。まだ、どうやって宇宙ができたかは解明されていないけれど、博士の功績はじつに大きなものであるという。筋萎縮症性側索硬化症は、筋肉に血液がうまく供給されず、次第に全身の筋肉が衰えていくというもの。さらに1985年に患った肺炎により、24時間介護が必要となった。喋ることもできなくなったが、スピーチ・シンセサイザーやポータブル・コンピュータを駆使し、大学等で講演活動を行っている。周囲の理解、協力が博士にとって大きな存在であることは間違いない。そして、それらを無駄しない、まさに「できることに集中する」人生を送っているといえるだろう。宇宙は無限かもしれないが、人の一生は有限。後悔の時間は、反省点を拾い上げる程度に切り上げ、できることに集中して仕事、生活、人生をこなしていきたいものある。

  

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


睡蓮に 寝ぼけ眼の 目をこする

2015年06月14日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は梅雨前線の影響で雲が広がり、昼過ぎまで雨の降る所があった。気温は19度から25度、湿度は92%から78%、風は1mから6mの南南東の風が少しばかり。明日の15日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 というご案内を受けていたのだが、奥方のけいこばぁが、「勝手に行ってはダメよ♪」というので、今日まで待っていた。なかなかに、奥方の自由時間と私の手空きの時間がかみ合わない。それで、ご近所のおばさま二人も誘って行くことになった。

 

 訳の分からない「おじゅっさん」の言葉展だけでは面白くないだろうからと、四国霊場八番札所の「熊谷寺」に寄ってみたが、おばさまたちは、「石段はいや」「坂道はいや」と仰せになる。そんなことを云うたならば、どこにも行けなくなるではないか・・・。

 

 「ここは、石段の横に舗装道路がありますから・・」とかと励ましながら、しばらく境内を歩いてもらった。こちらにも時間配分というものがあるのだけれど、念仏屋のおばさまたちは、観音さんやお大師さまには、とんと興味を示さない。

 

 それでは・・・ということで、JAさんの産直市場に寄ってみた。こういうおばさまは「おみやげ」を買うのも楽しみの一つらしい・・・。らしいのだが、そのおばさま二人は、このカボチャを一個ずつ買っただけ・・・。今夜のおかずにするそうだ。たった、一人なんだから、こんなものでも大丈夫なんだ・・・。

 

 で、この喫茶店のオープンが午前10時だというので、10時05分に、ここに到着した。綿密な計画と緻密な時間配分の結果・・・。ま、たまたまなんだけれども。

 

 「今回は、悩みや悲しみを抱えた人に伝えたい言葉が中心。会場となるギャラリーカフェ・ブリッサは遍路道沿いにあるので、何かを求めて巡礼してるお遍路さんの心にも響けばいいなと思っております。得意げ そして今回は、ただ言葉を額に入れて飾るだけじゃなく、なんというか・・・

 

 アート作品 的なものも何点か展示しておりますビックリマーク。この作品展は明日10日から21日まで、徳島県板野郡板野町羅漢字前田18-1のギャラリーカフェ・ブリッサにて開催されております。15・16日は定休日ですが10時から18時まで営業しておりますので、是非ぜひ足をお運びくださいね。音譜」と、「おじゅっさんの日々」というブログには書いてある。

http://ameblo.jp/daido22/entry-12036989474.html

 

 この二人が、近所のおばさま。ともにご主人を亡くされて一人住まい。退屈をしているというのでお誘いしたもの。ま、昨今だと、テレビを見ても面白くない。新聞ラジオも片付けてしまった。野菜を作ってもサルとイノシシのせいで収穫はない。だから、毎日がつまらないと仰る。何日も会話をしない日があるという。田舎の生活って、そんなものだ。

 

 で、こういう機会に、こういう言葉を見て頂いて、少しでも明るくなってくれれば・・・と、けいこばぁは考えているのだという。

 

 「まぁ、ええやん 苦が軽くなる あいことば」。「まぁ、ええやん」ということで、こころが少しでも軽くなればいいのだけれど。永年生きた、おばさまたちの「煩悩の炎」は強い。少々では軽くはならないが、気休めくらいにはなっただろうか。

 

 ルート上、四国霊場第8番札所、熊谷寺、7番十楽寺、6番安楽寺、5番地蔵寺、五百羅漢堂、4番大日寺、3番金泉寺、2番極楽寺、1番霊山寺をご案内したが、真宗念仏屋のおばさまたちは境内を一瞥しただけ・・・。あと、通りがかったスーパーでお弁当とお茶を買って、北灘の海岸線でお弁当を食べて戻って来た。それでも、おばさまたちは楽しそう・・・。まるで、子供の遠足だ。

 

 雨が降りそうなお天気ではあったけれど、どうにか、雨も降らず、照りつけもせず、暑くもなく、寒くもなく、徳島を旅してきたことであった。

 

 今日の掲示板はこれ。「心配しても仕方のないことを 心配しても仕方ないよ」という中原大道さんの言葉から。極めて単純明確な言葉である。心配しても仕方のないことを、あれこれと心配しても意味のないこと。今があることに感謝して、ありがとうと云えばそれでいい。昨日のことは済んだこと。明日のことは明日のこと。今日のいのちにありがとう。ただ、それだけでありがたい。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


アジサイの その明るさが 欲しいとき

2015年06月13日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高圧部に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷の影響で昼過ぎから雲が広がってきた。高温が予想されるため、熱中症など健康管理に注意してくださいと気象台では呼びかけている。気温は19度から31度、湿度は81%から54%、風は2mから3mの南の風が少しばかり。明日の14日は、梅雨前線の影響で雲が広がり、明け方を中心に雨が降る見込みらしい。

 

 朝方、町内にある「みろく自然公園」内にあるロータス・ポンドを見に寄った。ここは鉢植えになったハスがたくさん並べてあって、品種などもわかるようになっている。

 

 その後、トイレ休憩に寄ったのが、さぬき市長尾東にある「亀鶴公園の花しょうぶ園」。朝早くに、こうしてお年寄りたちが花の終わったものを一つ一つ摘み取っている。お世話役も大変だ・・・。

 

 そこから山道に入ったら・・・。おさるの軍団が散歩中・・・。

 

 お母さんザルが子ザルをおしりに乗せての移動中・・・。ほほえましいといえば聞こえはいいが、カメラを向けても急ごうともしないのは可愛くない。

 

 行基苑は香川県さぬき市昭和の「福祉の里」内にある老人福祉センターとして建てられ、「空(から)風呂」を活用して老人の憩いの場となっている。このあたりには各種施設が多く、あじさい園は、この福祉の里にあって「四国の道」沿いに作られた紫陽花公園である。施設の建物の間に有ることと福祉車両が頻繁に通るので、迷惑のかからないように利用したいもの。

 

 近くには、川上古墳・空風呂・稲荷山古墳・鍛地池(静薬師:静御前のお墓)・熊田池(木が小さいけど紫陽花が咲いている。)・行基堂など歴史的史跡が多くあることでも有名。

 

 老人福祉センター「行基苑」の敷地内になるアジサイ園では、6月初旬から7月中旬にかけて約800株のアジサイが花開き、園内を彩る。梅雨の時期のアジサイは趣があり、毎年大勢の見物客が訪れるという。

 

 で、今日は、「おへんろつかさの会」の役員会。議題は、会員への連絡方法について。往復はがきで行事の案内と参加希望の集約を行っているが、経費節減の目的で、WordPressやメーリング・リスト、ホームページなんぞを活用したいのだが、パソコンもスマホも使えない人や電話だと忘れる、メールだと読まない・・・などという人がいるという事実。確認のためと備忘録のためで往復はがきが有効という説もあって、進歩はない・・・。

 

 会社でさんざん、パソコンやメールを使ってきたのだから、退職後は、そういうものから開放されたい・・という人も居て、話は前に進むどころか、バックしてしまう・・・。

 

 活動計画にしても、こちらを立てれば相手が立たない・・・ということで、三すくみ、四すくみ状態で、前にはなかなか進まない。電話連絡するには200人近い会員に電話をするのも大変な稼働が必要になる・・・。

 

 結論らしき結論も出ぬままに時間切れ解散。ちょうど、バスを待っていたお遍路さんを乗せてあげて、道中、おへんろ談義に華を咲かせながら、大窪寺の門前までお遍路さんを送り届けた。川崎市からのお遍路さんだった。

 

 私は、いつものここでお昼になった。大窪寺門前にある「八十八庵」である。10日に来たばかりだったが、ここのアジサイの様子を見に来たもの。

 

 で、この前と同じ「団蔵うどん」。麺が細めの夏の風物詩である冷やしうどん。今から約40年前に、 今は亡き歌舞伎役者『市川団蔵』さんが、四国霊場八十八ヶ所巡礼の旅を終えた後、このお店に立ち寄り、 このうどんを食べて、「こんなうどんは今までに食べたことがない。 はじめて、うどんの味がわかりました。」と感嘆したことから「市川団蔵さん」を偲んで「団蔵うどん」と名付けられたもの。讃岐うどんにしては細麺過ぎるほどの細さの上品なおうどんである。これで700円。なお、その後、団蔵さんは瀬戸内海に身を投げて姿を消してしまった。そういう、おうどんなのである。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分というものをよくとらえないと 自分が生きていく方向が決まりません」という映画監督・新藤兼人さんの言葉から。母校の石内小に、新藤さんが卒業式に寄せた祝辞が残っている。「自分というものをよくとらえないと、自分が生きて行く方向が決まりません」。700字足らずの原稿に「自分」という文字が15回も顔を出す。悩み、もがき、追い込まれるたび、原点に立ち返ってきた。自分は何者か、何がしたいのかと。一世紀に及んだ人生の自問自答は、土壇場の日本でひときわ光を放つ。平成24年(2012)5月29日没。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


睡蓮の その張り切りように 励まされ

2015年06月12日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は梅雨前線の影響で雲の広がっている所があったが、午後からは高気圧に覆われるため晴れてきた。高松気象台では高温が予想されるため、熱中症など健康管理に注意するように呼びかけている。気温は20度から31度、湿度は98%から50%、風は1mから3mの南西の風が少しばかり。明日の13日は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 香川県のアジサイの名所を探したら、こんな画面が出てきた。これは古い情報だなぁと思いつつ、この「勝名寺」を訪ねることにした。高松市西植田町である。

 

 ここは「花の寺」として有名なところ。5月のつつじ、さつき、6月のあじさい、7月の蓮と睡蓮、10月には萩の花が咲き乱れる・・・。今の時期には、あじさいが20種類1,500株があるという。詳しい数は数えられないからわからない・・・。

 

 とにかく、お寺の東から南に掛けてはアジサイ畑。確かに本数はすごいと思う。ちなみに、香川県第1位は、讃岐まんのう公園の40種2万株、2位は善通寺の出釈迦寺で1万株、3位は観音寺市の粟井神社の3,000株、4位は三豊市の紫雲出山の2,000株、で、5位がここ勝名寺の1,500株と八十八庵の1,500株・・・らしい。少し古い数字だから確証はない。

 

 とにかく、本堂にお参りをしておかねばと、駐車場から本堂に向かう。なんまんだんぶ。

 

 すると、いきなり、こんなものが・・。梵鐘。釣り鐘である。それと本堂の鬼瓦らしい瓦の数々・・・。

 

 こちらが、鐘楼である。

 

 こちらが本堂である。「不動山勝名寺」といい、真宗興正派の寺院さんである。

 

 こちらが、「寺務所」で、しっとりと落ち着いた気分のお寺さんになっている。

 

 上の駐車場から見た、鐘楼・寺務所・本堂などの位置関係。

 

 道路脇のお堀には睡蓮の花が咲いている。

 

 ここの睡蓮は黄色いなぁと思ったことである。

 

 駐車場には入れ替わり立ち替わり乗用車がやってきて、家族連れやおばさまたちがやっては来るが、どなたも本堂にはお参りには下りていかない。ま、真宗寺院というのは門徒さん以外は立ち入れないような雰囲気があるのは確か。本堂のお扉が少しでも開いていれば、気分的にも楽になるかなぁとは思ったりする。

 

 でも、ここは、広い駐車場に休憩所やトイレなども整備されていて、お参りはしやすそうなお寺さんだなぁと思うことである。

 

 今日の掲示板はこれ。「この泥が あればこそ咲く 蓮の華」というもの。「この泥が あればこそ咲け 蓮の花」と詠んだのは与謝蕪村。似たような句である。「蓮の花」は 泥の中に根付くというか、泥がなければ根付かない。泥の中であろうと 澱んだ水であろうと、蓮は、澱んだ水を突き抜けて水面に花を咲かせる。ひとの世も同じ。この世は「泥」、澱む水は人々。そんな「泥の世」で、「よろこびの華」を探すことは容易なことではないが、泥の中だからといって後ずさりし、ひるむのではなく、怠らず、たゆむことなく励んで、力を超えたところの力が与えられることを信じ、自分を信じ、自分を支えてくれる周りの人々を信じ、ただひたすらに「生かされている」ことを感謝しながら生きてゆきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


花しょうぶ 水の重さを 知らされる

2015年06月11日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は梅雨前線の影響で雨が降っている。雷も鳴るらしいが、今のところ、それはまだない。気温は18度から23度、湿度は84度から96%、風は2mから4mの南南西の風が少しばかり。明日の12日は、雲が広がり明け方まで雨の降る所があるらしいが、次第に高気圧に覆われるため、昼前からは晴れてくる見込みらしい。

 

 雨が降っては仕方が無いと、香川県立図書館へやってきた。数日前に借りた本を返却するためである。いくらなんでも、子供用の「くもの糸」を五冊も借りても、中身は同じものだし、イラストが違うくらいなもの。何の意味もありやしない・・・。

 

 で、またも、香川の民話集とか・・・

 

 香川の民衆史とか、訳のわからん本を五冊ばかり借りた。でも、難しい本ではないので、気楽には読めそう・・・。

 

 空を見ると、雨も落ちてきていないので、この時とぞばかりに、坂出市に向かって走り出した。目指すは、この、「かわつ花菖蒲園」。期限はこの日曜日までだ。

 

 そのすぐ手前にあった、セルフのおうどん屋さん、「まいどまいど」に寄ってみた。剛麺というのか、力強い麺のおうどん。今日は、「ぶっかけ小の冷や」をお願いしたので、太くてしっかりとした麺がそのまんま出てくるので、かみ応えがあるというか、のどごしがたくましいというか・・・。

 

 これは・・「通」が好きそうな麺やなぁ・・・。エッジがしっかりと立ってるわな・・・。でも、なんやかんやと考えている間に食べてしまったのだけれど。これで280円。

 

 これが坂出市水道局の「川津浄水場」跡。今は「浄水場」としては使われていないらしい。その、四つの浄水池に、72種17,000株、約10万本の花菖蒲が植え付けられているのだと。

 

 場所的に、広くもないし、駐車場も広くないが、このあたりでは珍しい場所だから、ご婦人たちがわんさかと押し寄せているし、介護施設やデイサービスセンターなんかの施設からの見学者が多い。

 

 かわつ花菖蒲園では毎年、早生(わせ)・晩生(おくて)など、開花時期の違う品種を混生させていることにより、開放期間中、咲き具合が移り変わっていく様子を楽しむことができるようになっている。期間中、何度でも出かけても、時期時期の花が見られるという。新品種は小桜姫(コサクラヒメ)、金星(キンセイ)、立待月(タチマチツキ)、夢の羽衣などがあるという。

 

 これも、当時の上水道施設の何かなんだろうと思う。

 

 この地図にある「鎌田池」や、坂出中学校も元は池で、坂出市の重要な水源だったようで、あの、久米通賢が築造したとも聞いた。現在の坂出市あたりは元は塩田地帯の跡で、昔は非常に水に困ったところだったらしい。で、この鎌田池から大きな木の桶に水を汲んで荷車で水を売る「水売りさん」がいたという。だから、現在の川津浄水場や、その東にある「貯水池」も、坂出市の水を確保する大切な場所だったに違いない。

 

 今はどうやって水を確保しているのかは知らないが、讃岐は昔から水との闘いの連続だった。その記念碑が、ここの浄水場跡なんだろうなぁと感じたことだった。

 

 人々は、すっかりと、そんなことを忘れてしまって無邪気に花の写真を撮ってばかりいるけれど、こうして、浄水場の跡地に花しょうぶを植えて世話している人々の苦労を少しは考えてみたいものである。

 

 今日の掲示板はこれ。「この秋は、雨かあらしか知らねども きょうの務めに田草とるなり」というもの。横山丸三という人の「道歌」だとされているが、一方では「二宮尊徳」の歌だとする説もある。いずれにせよ、秋になれば雨が降ったり、嵐が来たりで、稲がどうなってしまうか分からないけれど、今はとにかく、目の前の雑草を取り除くことが大切なんだよと云うてるのであろう。今は、省力化などで、田草を取る光景も見なくなってしまったが、子供の頃には、「草突き器」とかで、草を取らされたものであった。

 

 さまざまな問題に対して、こうすれば大丈夫だとか、こうしておけば安心だとかといった確信が持てれば安心もできるが、逆に保証がない場合には不安に押しつぶされそうになってしまう。大きな問題にぶつかっている時にこそ、今、足下のことに全力でぶつかっていくようにしたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


梅雨もまた 旅の土産と してみたい

2015年06月10日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れてはいたが、気圧の谷や湿った空気の影響で雲の広がっている所があった。気温は18度から25度、湿度は88%から46%、風は1mから2mの南南西の風が少しばかり・・・。明日の11日は、四国の南海上に停滞している梅雨前線が北上するため、雲が広がり雨が降りやすい見込みらしい。

 

 この前から、「おへんろつかさの会」のホームページを担当しているが、そのトップ・ページのタイトル写真がいまだに桜の下を歩くお遍路さんの写真のまんまである。

 

 いつまでも、それではおかしいやろ・・ということで、夏の大窪寺あたりの画像が欲しいと思って出かけようとした。すると、奥方が、「そんな、勝手なことはやめて頂戴!!」と仰る。だって、おかみさんはピアノの練習でしょ。「ピアノは午前中で終わるの!!」だって・・・。

 

 結局の薬局で、お昼まで待たされて、しかも、おとなりのおばさままで連れて大窪寺へ行くのだという。<それは、無理やでぇ・・・>と思ったけれど、言い出したら聞かないのだから仕方が無い。

 

 大窪寺の門前にある「八十八庵(やそばあん)」に着いたのが11時58分。すぐにおうどんを注文した。今日は夏だから「団蔵うどん」を三人分頼んだら、「ここへ来たら、打ち込みうどんでしょう・・」などと通ぶって、奥方は打ち込みうどんを頼んでしまった。

 

 案の定・・・「熱い・・・」「あつい・・・」を連発して・・30分以上もおうどんと格闘していた。私はものの数分でざるうどんの「団蔵」を食べてしまって、境内の写真撮影を済ませて戻って来たのに、まだ、食べてはる・・・。「だから、云ったじゃないの・・・」

 

 今日のメインはこれ・・・。あじさい園の見学である。

 

 三人分の「無料入園券」を頂いて、裏山のアジサイ園に向かうが、おばさま二人はゆっくり・・・ゆっくり・・・。まるで、でんでん虫の行進みたいなものだ。

 

 ここが入り口のゲートである。入園は無料だけれど、入園券が必要。ま、整理券みたいなものだろうか。八十八庵で申し出たら、人数分の入園券を渡してくれる。むろん、おうどんを食べなくても、お土産をかわなくても大丈夫。大丈夫だけれど、おうどんも食べず、おみやげも買わずに、「入園券をくださいな」というのは、ちと、言いづらい。

 

 お店からあじさい園までは500mほどもあるだろうか。細くてなだらかな山道を右に左に進んでいくと、「入園券入れ」がある。

 

 お店の説明では、「入園者を確認するために入園券を入れてください」となっているが、入園者は、この数倍はいるような気がする・・・。

 

 とにかく、山いっぱいにあじさいの群れ・・・。人間様が、あんなに小さく見える・・・。

 

 お遍路さんも歩いて居るし、老人会らしい一団も歩いて居る。「新聞で見た」とか、「テレビで見たのはどこやろか・・」という人たちもいる。「まつたけはどこやろ・・」というトンチンカンなお方もおいでになる。

 

 ここの見頃は、この週末か、来週の半ば頃かなぁと云うていた。ま、あじさいの本数では、この近辺では随一かもしれない。奥方とおとなりのおばさまは足が痛くなった・・と、早めに寝てしまったということだった。だから、云わないことじゃない。

 

 今日の掲示板はこれ。「あすのことを思い煩ってはならない。あすのことは、あす煩えばよい。その日の苦労は、その日だけで十分である。」という、『新約聖書』マタイによる福音書第6章からの言葉らしい。私達人間はいろいろな悩みを抱えながら生きている。しかし、過ぎ去った出来事をいつまでも悔やんだり、遠い未来を思い煩ったりするうちに、大切な現在を見失ってしまうことがある。

 それゆえ、あなたがたに言っておく。命のために何を食べ、何を飲もうか、また体のために何を着ようかと、思い煩(わずら)ってはならない。命は食べ物にまさり、体は着る物にまさっているではないか。

 空の鳥をみなさい。種をまくことも刈り入れることもせず、また倉に納めることもしない。それなのにあなたがたの天の父は、これを養ってくださるのである。あなたがたは鳥よりもはるかにすぐれているではないか。

 あなたがたが思い煩ったからといって、寿命を一刻でも延ばすことができるだろうか。着る物のことをなぜ思い煩(わずら)うのか。野のゆりがどのように育つかをよく見なさい。ほねおることも、紡ぐこともしない。あなたがたに言っておく。栄華をきわめたソロモン王でさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

 きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草をさえ、神はこのように装ってくださるのだから、ましてあなたがたに対しては、なおさらのことではないか。

 だから、あなたがたは、『何を食べようか』、『何を飲もうか』、『何を着ようか』と思い煩ってはならない。あなたがたの天の父は、これらのものが皆、必要であることを知っておられる。

 まず、神の国とそのみ旨(むね)を行う生活を求めなさい。そうすれば、これらのものも皆、加えて、あなたがたに与えられるであろう。

 だから、あすのことを思い煩ってはならない。あすのことは、あす思い煩えばよい。その日の苦労は、その日だけで十分である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


梅雨ごもり 「花は咲く」だけ 聞いている

2015年06月09日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は南海上の梅雨前線の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は19度から24度、湿度は98%から66%、風は1mから3mの北西の風が少しばかり。明日の10日は、高気圧に覆われ晴れるけれど、梅雨前線が北上するため、夕方から雲が広がるらしい。

 

 梅雨らしく朝から雨になっていた。だから、犬の散歩はやめにした。で、毎週火曜日はここ。さぬき市前山という所にある「県営前山ダム」にやってきた。いや、別にダムの調査なんかではないのだ。

 

 そう、この「前山おへんろ交流サロン」である。ここの会議室をお借りしての「俵札調査」をやっていると云う訳。

 

 今回はメンバーが少なくて、この5名と、手前のパソコン端末担当の2名の7人での作業になった。ま、毎回、毎回、このボランティア作業に出られる訳でもない。この人たちは、小さな俵の中に詰まっていた紙くずの中から、お遍路さんの「納め札」や「護符」などを選び出して、開いて、ファイリングをしているところ。

 

 この右の方が、ファイリングされた納め札を読み取って、「県名や住所、年月日、氏名」などを整理票に記入している。それを別の方がデジタル画像に収録してある。

 

 それを、隣の先生が読み取ってくれるので、私がエクセル・シートに記入していく。今日も150枚ほどを入力した。今日の作業では徳島県の方が多かったように思う・・・。

 

 とにかく、全くのゴミの中から、宝物を探し出すような作業が続く。一般民衆がお遍路に出るようになるのは江戸時代後期から末期ごろと云われているから、文化文政時代の1800年から1830年代の頃の納め札などは宝物みたいなものである。

 

 だから、その頃の古い地名なども調べないといけない。「百合村」(もまいむら)は、讃岐国の何郡(ごおり)だったのか・・みたいなことで、古い地名辞典と首っ引きだし、

 

 こういう、古文書辞典などで名前を調べたりしながらの作業になる。

 

 午後からは、香川県立図書館に行ってきた。二週間前だかに借りていた本を返却するためである。すっかりとアキニレの若葉がきれいになった。

 

 おへんろ研究も一段落したし、山頭火の句碑集も終わった。民話をテーマにした講演会の資料もできたし・・・ということで、今日は「児童資料コーナー」にやってきた。

 

 で、借りて来たのは、「芥川龍之介」の本・・・。「くもの糸」や「杜子春」、「鼻」なんぞの懐かしいおはなしばかり。

 

 この、「カンダタ」のお話が夢の中でふくらんできて、気になって仕方が無い昨今。これを、パワーポイントで法話にできないかと思案中。

 

 梅雨の日には、こうしたお勉強もいいものではなかろうかと・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「濡れたらいやなその雨を 心から願う人もいる となえてつまらん念仏を 聞いてよろこぶ人もいる」というもの。どこの誰の言葉かはわからない。ここの住職さんの言葉かもしれない。私たちの挨拶にもなる「毎日の天候」。晴れたら晴れたで「晴れたねぇ」といい、雨になったら雨で「よう、降るねぇ」という。濡れるのはいやだけれども、雨を待つ農家の人もいる。晴れてよし、雨になってよし・・・なのだが、人それぞれの感想がある。お念仏だってそうだろう。称えても称えてもつまらない念仏を、それを後ろで聞いてよろこぶ人もいる。咲いた咲いた、花しょうぶ どの花見てもきれいだな。

 

じゃぁ、また、明日。会えたらいいね。


キリキリと 梅雨の合間の 新機軸

2015年06月08日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は梅雨前線の影響で雲が広がり、午後からは雨が降っている。気温は21度から24度、湿度は92%から98%、風は9mから3mの南南西の風が吹き荒れたこともあって、植木が倒れたり、空き缶が散乱したりと賑やかなことだった。明日の9日は、引き続き、梅雨前線の影響で雨が降りやすい見込みらしい。

 

 一応、先週のロードが終わったので、「おへんろつかさの会」の会長さんからの宿題を片付けておかねば・・・と、ホームページビルダーのSP版を起動した。トップ・ページのこの画像の上に、「おへんろ文化を全国に発信する。」という文字を入れる・・・という宿題。本当は簡単なことなんだが、どういう訳か、そのエディターがハングアップして、ホームページ・ビルダーが終了してしまう。それで、一週間ほど、お休みにしてあったもの。

 

 ああだこうだとやってみて分かったこと。元の画像がでかすぎたこと。これを、640X380pixelほどに落としてみたら、すんなりと文字が入った。

 

 これで、会長からのオーダーは完遂した。終わってみれば実に些細な事だけれども、ハングアップが続けば、どうしたらいいものだかとうろたえてしまっていたのは事実。明日の火曜日は例の「俵札調査の日」。会長さんとのお仕事になるので、期限ぎりぎりで間に合った。

 

 お次にこれ。まだまだ先の話なんだけれど、来月末の講演会の連絡票。テーマだのプロフィールだの配布用資料だの準備機材の要否、会場までの交通手段などの確認事項。最近はFaxを使ったことがないもので、エクセル文書をメール添付にした。

 

 これが、当日の配付資料であるが、パワポ文書。*.pptファイルだけれど、事務局では読めないと仰る。そこで、*.pdfに落として送信する・・・。ところが、久々にアプリを起動すると、バージョンが古いとか更新してくださいとかと文句をいう。

 

 で、手元資料の送信も無事完了。

 

 本体のほうも確認しておく。時間調整もほぼできて、35分から40分程度。この講演会分は、ほぼ、準備完了・・・。一ヶ月と20日も先のことなんだけれど。

 

 空は曇ってきて、雨が降り出してきた。

 

 あと、出拠(しゅっこ)の確認なんぞも合わせてやっておく。

 

 そんなところに、今度は島の自治会長さんからの講演依頼。夏休みに善通寺の中学生がボランティアで島で一泊するので、英国士官レキの墓や咸臨丸のお話なんぞを聞かせて欲しいとおっしゃる。ま、予定が空いているので承っておいた。8月1日から2日の間の予定。

 

 夕方になると本降りになってきた。こうなると、やはり、「梅雨だなぁ」と思ったりする。

 

 雨に花菖蒲はよく似合う。もう、アマガエルの時期は終わったんだろうか。カエルの声は聞こえない。

 

 今日の掲示板はこれ。「夢はある程度大きい方が良い さもないと追いかけているうちに見失ってしまうから」というもの。オスカー・ワイルドという人の言葉らしい。確かに、小さな些細な夢は、うかうかとしている間に忘れてしまう。「大工さんになりたい」とか「左官屋さんになりたい」などという夢は・・・おとなになると忘れてしまって・・「会社員になりたい・・」とかで終わってしまう。かと云って、「宇宙飛行士になりたい」とか、「アラブの石油王になりたい・・」という夢はまた・・・大きすぎて潰されてしまうのかも・・・。夢も希望も、身にあう大きさから少しばかり大きい方が良いかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


花しょうぶ 雨が欲しいと うなだれる

2015年06月07日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、前線の影響で雲が広がってきた。気温は14度から25度、湿度は92%から62%、風は2mから4mの南東の風が少しばかり。明日の8日は、前線の影響で雲が広がり、昼前から雨が降る見込みらしい。

 

 そろそろと、「みろく自然公園」の蓮の花が開く頃かなぁ・・ということで、出かけてみた。咲くには咲いていたが数輪ほどの花だった。まだまだ、これからだなぁと思ったことだった。

 

 蓮の花がまだだったら、どこに行こうか・・・と考えて、早めに、亀鶴公園の「花しょうぶ園」を見ておこうか・・・ということで、さぬき市長尾東にある、「亀鶴公園」にやってきた。ようやくに警備員が配置について誘導を始める前だったので、入りやすくて出やすい場所に車を停めた。

 

 時計をみると、まだ、8時20分過ぎだったので、人ではパラパラと言う程度。じっくりと、花菖蒲を見ることができた。

 

 このおじいさん、変わったカメラを持っている。なんとも旧式らしくて、フィルムカメラみたいだったので、声を掛けてみた。

 

 こういうカメラだった。もちろん、デジタルカメラだった。Fuji-Filmの、FX X100Sというらしくて、10万円以上もするらしい。それを先ほど、コンクリートの床の上に落として、調子が悪くなったと悔やんでいた。おじいさんだと思って油断をしていたら、写真の大家だということだった。A3版に引き延ばしても、このカメラは耐えられるとかなんとかの講義をしばらく受けた・・・。

 

 このおじさんは、さぬき市ケーブル・テレビのカメラマンらしい。8時半を過ぎたら、もう、手前の駐車場は一杯になってきたし、人の数もぐんと増えた。

 

 手前がさぬき市のマスコットの「サッキー」。あと二体は徳島県からのお客様らしい。

 

 こちらは、浴衣を着た「かぐや姫」である。なんで、かぐや姫なのかはわからなかった。ただ、この町(旧長尾町)は「竹の町」ということで、竹製品などの「加工品」が多い。そこで、竹から連想する「かぐや姫」を担ぎ出して、「かぐや姫カーニバル」というイベントが秋には予定されている。そのかぐや姫と、関係あるのだろうか。

 

 で、オープニングは、テープカットならぬ「しょうぶカット」で始まる。鉢植えのしょうぶを、鎌で刈り取る・・・というワイルドさ・・・。この来賓の方は国会議員さんや県議や市議の先生方や市長さんら・・・。

 

 その後、国分寺太鼓の演奏やら、「さぬき舞人」によるヨサコイソーランの演舞などが行われる。

 

 これが、その「国分寺太鼓」で、女性が中心の太鼓チームらしい。

 

 会場には、アイスやらおでんやら、おうどんやらの模擬店も出ていてにぎやかだった。ものはついで・・・ということで、「きつねうどん」を注文した。300円だった。

 

 これが、その「きつねうどん」である。こういう場所で、みんなで食べるからおいしいのかも知れない。

 

 今日の掲示板はこれ。「ほんとに忙しい人は 忙しいなんて云わないものだよ」という、荒了寛さんの言葉から。ついつい、「忙しいから」とか「忙しくって・・」と云うと、必ず、この言葉が返ってくる。「本当に忙しい人は、忙しいなんて云わないよ」って。そう、言われると、「だって、忙しいんだもの・・」と思ってしまうのだけれど、実際はどうなんだろうか。本当に忙しい人は、「忙しいと」気づかないんだろうか。ヒマだから「忙しいと」感じるんだろうか・・。忙しいときには忙しいんだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


あじさいに 今日の感謝を 述べてみる

2015年06月06日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は寒気の影響で雲が広がる時があったけれど、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は14度から22度、湿度は86%から52%、風は3mから5mの西北西の風が少しばかり。明日の7日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

  

 今朝は肌寒いくらいの体感温度。6月だというのにセーターを引っ張り出してきた。

 

 今日は午後からお客様がお見えになるというので、見えるところだけでも掃除をしておかねば・・・ということで、二階の書斎部分の掃除やら片付けやら・・・。別に二階の書斎までお通しするお客さんでもないのだけれど、その方が、私的には気楽なのだ。和室の座卓というのは足がしびれるし、手持ちぶさたで困るもの。

 

 お昼前にちらりと「亀鶴(きかく)公園」の「花しょうぶ園」をのぞいてきた。とても、明日の「しょうぶまつり」には手が出ない、足が出ないし、車が出ない。車を置くのも、駐車場から歩くのも邪魔くさいのだ。かと言って、近くに止めたら、今度は混雑して渋滞して出られなくなってしまう。どうにも人混みは苦手でしようがない。

 

 花はひっそりと見るのがいい。自分だけでこっそりと見るのがいい。好きな花だけをあっさりと見るのがいい・・・。

 

 さて、奥方のけいこばぁのお兄さん(すぐ上の二男さん)が、ようやくに市営住宅に入れるようになったらしい。その引っ越しの準備やら段取りやらで、けいこばぁが、急遽、神戸に出かけることになった。で、高速バスの手配やら予約やらをやらされて、しかも、お小遣いまで頂戴・・・と言われて・・・。そんなときにだけ「奥様孝行でしょ」と言われても・・・。

 

 私は午後からお客様がお見えになるので待機状態。予定というものは、いつもなんだか不安定。こころがいつもブランコ状態。

 

 ふむふむ。この旗竿ポール・・。お祝い用に「紅白模様」になっている。こういうポールは初めて見たぞ。だとしたら、お葬式用の「黒白ポール」というのもあってもいいが・・・。

 

 毎年、言うてるのかも知れないけれど、「ショウブ」の花はこれ。「菖蒲湯」の「菖蒲」は「サトイモ科」で、「花菖蒲」の「菖蒲」は、「アヤメ科」なんだそうである。で、アヤメと、花菖蒲は、これまた、微妙に違うというのだからややこしいや、ややこしや~。

 

 で、ここ、亀鶴公園には、約250種類1万5000株の花菖蒲が3000平方mの園内に、紫、白、黄色、ピンクと色とりどりに咲き誇っていて、来場者の目を楽しませてくれる。期間中の日曜日は多彩なイベントが行われる予定らしい。

  

  花しょうぶまつりのイベントは住民有志らでつくる実行委員会が主催してきて、今年で30回目。地域では、ショウブを「勝負」にかけて男の子の祭りとして位置付け、10月に開かれる「かぐや姫カーニバル」は女の子の祭りとして、合併前の旧長尾町時代から盛り上げてきたのだという。

 

 今年は、6月の7、14日の2日間にいべんとが開かれ、7日は午前9時半のセレモニーで幕開け。讃岐国分寺太鼓保存会、よさこい踊り連「さぬき舞人」などがステージショーを繰り広げるほか、竹細工の体験コーナーなどもあるというし、14日にはアコーディオンとバイオリンのコンサートなども予定されているそうだ。

 

  さて、私のホームページは、「OCN」というプロバイダーから「pikara」という電力系のプロバイダーに移転をしたのだけれど。とある方から、プロフィールに書いてある「人を見上げる」とか「見下げる」という言葉がよくないと指摘をされた。ところが、新しいプロバイダーの方は修正が可能なんだけれど、「OCN」のほうは、サービス停止になって、会員でもなくなってしまって、更新権がない。ないならば抹消削除してくれればいいのだが、漂流状態・・・。これまた、困ったものだ・・・。

  

 ま、ホームページに限らず、ブログでもツィッターでも、本人というか運営管理者が死亡したり、行方不明になったりしても、そのまま、存在し続けている。かと言って、死んだ本人が「やめます」とか「閉鎖します」とか言えないのだから、そのままになってしまう。こうした、「漂流HP]とか「漂流ブログ」はどんどんと増えていきそうな気がする。

 

 今日の掲示板はこれ。「絶対に不可能だと思えることでも、心を変えれば可能になる」という、京セラ名誉会長の稲森和夫さんの言葉から。目標も、成果も達成感も、屈辱感も挫折感も、すべて、私たちの心の問題ではないのか。物事は、全て、この私たちの胸の内にあり、こころの中にあるのではないだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


梅雨となり 昨日の日記を 振り返る

2015年06月05日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は低気圧や前線の影響で雨が降っている。気温は15度から18度と肌寒い一日。湿度も80%から88%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の6日は、高気圧に覆われて、概ね晴れるらしいし、気温も25度を超えるらしい。 

 

 今朝も朝から音を立てて雨が降っている。早くも梅雨だなぁという朝になった。自転車で通学する孫たちは大変だなぁと思うのだが、私の子供の頃には、雨もまた、楽しい通学だったのかなぁと思ったりした。ただ、学生服が濡れて困ったのは印象深く残っている。あの頃は乾燥機も着替えの服もなかったので、炭火で乾かしたりもしたような記憶が残る。

 

 さて、京都土産のおつけもの。傷みが早いので早めに食べてくださいということだったので、弟んちに届けることにした。みんな、今日はお出かけの出勤日だろうということで、早くに届けねば・・・ということで、5時起きの5時半出発。あんまり早すぎても寝ていても困るし。

 

 まずは、木田郡にいる二男の「よっくん」ちに行き、それから屋島の娘んちに行き、孫のお念珠も届けておきたいし。

 

 それから、丸亀市にいる三男の「たっくん」ちに行くという長距離コース。本当は明日の土曜日でも良さそうなのだけれど、早いほうがいいとも思うし・・・。

 

 というようなコース。おみやげも大変だ・・・。

 

 帰りに通りがかった「亀鶴(きかく)公園」の「花しょうぶ園」。今週日曜日から「しょうぶまつり」が行われるのだそうだ。ご存じのように、「しょうぶ(菖蒲)」は五月の頭に生えるもので花は付かない。ここにあるものは「花しょうぶ」で、菖蒲とはまるきり違うもの。

 

 ようやくに花が開きだしたという程度なんだが、早くも大勢の人たちがやってきている。

 

 今週から来週あたりが見頃なんだろうか。日曜日の7日と来週の14日には「しょうぶまつり」ということでイベントが開かれるらしい。

http://sanuki-kanko.jp/event/spring/post-2288.html

http://www.my-kagawa.jp/event/event.php?id=703

 

 夕方になると雨は一層、激しくなってきた。農家の人たちには雨は大切なものだろうけれど、このあたりではこれから田植えだという田んぼも多い。普通は、これから田植えというのが当たり前だった。

 

 防災工事の終わった県道脇の斜面にも植栽の草が伸び始めてきた。

 

 昨年の今日は、こんな具合だったのに。

 

 そうこうしながら、6月1日、2日、3日、4日と、更新できていなかったブログの更新作業をやっていた。しかしのかかし、大事な電源コードを忘れるなんて、なんてドジを踏んだものだろうか。寄る年波にはどうしようもない。

 

 今日の掲示板はこれ。「努力して結果が出ると、自信になる。努力せず結果が出ると、傲りになる。努力せず結果も出ないと、後悔が残る。努力しても結果が出ないとしても、経験が残る」というもの。どなたのものかわからないが、秀逸な言葉である。努力の大切さ、何事にも粘り強く取り組む必要性を改めて考えることができた。結果を問わず、努力している人は輝いている。努力に即効性はない。継続し続けていけば、数ヵ月後には人生の「苦」を「楽」へ転じる瞬間が来るかも知れない。目標を実現するために、心や身体を使って努めていきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


梅雨となり 昨日の日記を 振り返る

2015年06月04日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 京都市地方は高気圧に覆われて腫れていた。気温は18度から28度、湿度は87%から64%、風は1mから3mの北北西の風が少しばかり。明日の5日は気圧の谷で雨になるらしい。

 

 せっかく、京都にいるのだからと、眠たい眼をこすりながら、お隣にある本願寺さんの「おあさじ(お朝事)」にお参りしてきた。新門さんというか新しい御門主さまは出張だかでお見えになられなかった。

 

 それにしても、6時からの「おあさじ」にお参りするには早起きをしないといけない。みなさん、懸命だなぁと思った。私は久々に飲んだものだから、若干、寝不足気味のやや頭痛気味・・・。申し訳ないのだが、単にお邪魔している・・というだけ。

 

 天気が良くなってきたので、そのあたりを散歩して気分を入れ替えておく・・・。最近、ここでも落書きが見つかったとかで、警備の方も増えているし、「ドローン」とかは飛行禁止になっている。時代だなぁと感じさせる光景だった。

 

 こちらは、私どもの「御影堂」。親鸞聖人さまのお木像が安置されているお堂である。

 

 私どもの「興正寺」でも、阿弥陀堂で「讃仏偈」のお勤めがあり、その後、御影堂で「お正信偈」のお勤めがある。私どもは「ご晨朝(じんじょう)」と呼んでいる。

 

 朝御飯である。ご飯とお味噌汁とお茶と。あと、納豆・海苔が定番。あと、フリーチョイスで、昆布・梅干し・おつけもの。若者(比較的若者も含む)は、ご飯とおつゆのお代わりをするが、年配者は、これだけで充分としている。

 

 三日目の午前中は「副講」ということで、新任助教による講義が行われる。こういう場合の「座」も自然発生的に決まっている。本人は意識していないのだが、毎年、私の前には「梅園先生」と「大塚先生」がいる。最前列の席も、毎年、同じ方が、あの場所を占めている。不思議と言えば不思議な光景である。

 

 午前中で講義が終わると「閉幡(へいばん)式」が行われる。ま、閉会式である。ここで、レポートの優秀な方には賞状と記念略袈裟が授与される。その後、修了書も授与されて解散になる。12時半過ぎだった。着替えを済ませ、荷物をまとめ、お布団を片付けて宿舎を出る。

 

 で、孫の「なぎちゃん用」のお念珠を買う。前日にメールが送られてきて、その写真をお店の方に見せて、希望する色のお念珠を買った。気に入るかどうかはわからない・・・。

 

 時間が時間で、13時過ぎ。このお安いお店に入っての昼食。

 

 精進落としという訳でもないが、今日は珍しく「うな重」にした。780円だった。ご飯もうなぎも軟らかくて、呑み込むようにして食べた。お冷や(お水)を六杯も飲んだ。辛かった訳ではないが、ま、ビール代わりみたいなものだった。ここには一切、アルコール類は用意していないみたいだった。ま、ビールがなくても気にはならなくなった。

 

 西本願寺さん、東本願寺さんにお邪魔して、ブックセンターだのお買い物センターだのをのぞいたけれど、これという入り用なものが見つからなかった。欲しいものも、必要なものも少なくなったようだ。京都駅前には、このような修学旅行生がどんどんどんどん・・とやって来る。これに交差するように外国人のグループや親子などが歩き回っている。

 

 私の京都のお土産はこれ。おつけものである。本山に来ると、必ず、ここのおつけものである。本山興正寺の前に、ここのお店があるのだが、ここまでお漬け物を背負って帰るのならば、駅で買ったほうが楽ちんではないかということで、ここで買うようになった。横着ばかりが増えてきて困る困る・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生この先 何が起こるか分かりません。だからこそ一日一日を大切に、感謝の心で生きたいです。」という、西端春枝さんの言葉から。

[日々真心を込めて生きる]
 
■西端
昔の人の言葉に「喜ぶ人には勝てない」というのがあります。他人が辛かろう、寂しかろうといっても、いや自分は幸せですという人には誰も勝てないんですね。きょうのテーマは「万事入精」と伺いました。この言葉を聞いて頭に浮かんだのは、仏教の諸行無常という教えです。先ほど嘉納先生もおっしゃったように、人生この先何が起こるか分かりませんが、だからこそ一日一日を大切に、感謝の心で生きていきたいですね。
 
■嘉納
それは真心を込めて生きるということね。私も毎日一所懸命、真心を込めて生きています。まだ満足してないの。私の歌はもっと上手になるはずだし、私にできることもまだあるだろうにって。どなたがおっしゃったのか知りませんが、「五十、六十、花ならつぼみ、七十、八十花盛り、九十なってお迎えが来たら百まで待てと追い返せ」という言葉があります。私はもう百歳を超えましたが、まだ見たい、食べたい、聞きたい、歌いたい。欲張りな人間なんです(笑)。
 
■西端
私が尊敬している平澤興先生(京都大学元総長)という方もこんなことを書かれています。「六十歳で一応、還暦という人生の関所を過ぎ、七十歳で新しい人生を開き、八十歳でまた第三の人生が始まり、九十歳まで生きないと本当に人生は分からない」こういう言葉に触れると、心の底から元気が湧いてきますね。
 
[『致知』2014年9月号より引用]
 
 
 
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

子は鏡 梅雨の下にも 葉影にも

2015年06月03日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 京都市地方は土砂降りの雨になった。気温は18度から22度、湿度は100%から86%、風は1mから4mの北東の風が一時は強かった。明日の4日は高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日こそは本願寺さんの「おあさじ:朝のおつとめ」に行こうかと思っていたのだが、雨の音を聞いて、再び、布団の中に潜り込んだ・・・。そんなに信心深い方ではないのだからして・・・。

 

 朝食は午前7時から・・・。それさえも、どうでも良くなって来るような雨音・・・。食事にいきたし傘はなし。御影堂の軒下を逃げるようにして、興正会館一階の食堂に走り込む。

 

 ここの朝食はいつもこうしたもの。お仏飯のお裾分けを頂いている。

 

 今日も午前中は、三木先生の「観無量寿経・定善義」の講義である。

 

 岡山県倉敷市の先生である。

 

 午後からは、真宗大谷派教学研究所の安冨信哉先生の「月愛三昧」についての講義だった。

 

 講題は「教行信証」「信の巻」に学ぶということで、ここでも観無量寿経の「王舎城の悲劇」や「観経」禁父縁についてのお話があった。

 

 依然として、雨は降ったり止んだりを繰り返している・・・。

 

 こうした勉強の合間で言われることは、「田舎の勉強よりも都(京)の昼寝」という言葉。昔、田舎では、学問を学ぶ方法としては、本を読むくらいしかなかったようで、都の 京都には、学問や道徳、芸などを身につけた本物の人や先生がたくさんいるので、そういう人たちと、 つきあいができれば、多く深く学ぶことができるという意味がある。また、 田舎で3年学ぶのと、都で、昼寝をするのは、ほとんど差がないという意味で、 「田舎の三年京の昼寝」とも言うようである。

  

 で、レポートを20分ばかりで書き上げて提出して、京の都に出ることになった。

 

 この方が、夜の京都の講師の「堤先生」である。手にしているものが、最近完成した「近世珍話」という「京都博物館所蔵」の同書を翻刻したものである。これを研究したのが、堤先生らによる「京都幕末文書研究会」である。

 

 で、その研究員らが集う、「龍馬資料館」に行って来た。

 

 この男性が、その研究員でもある「赤尾先生」。知る人ぞ知る有名なお方である。

 

 課外講義はこの方。新内流しで有名な「日本コロンビア専属」の「新内枝幸太夫(しんない・しこうだゆう)」さん。さすが、「京の昼寝」はよく勉強になる。

 

 今日の掲示板は脈絡もなくて、これ。「子は親のいうようにはしないが 親のするようにはなる」というもの。けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる。とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる。不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる。「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる。子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる。親が他人を羨(うらや)んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる。叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまうし、励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる。広い心で接すれば、キレる子にはならない。誉(ほ)めてあげれば、子どもは、明るい子に育つし、愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ。認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる。見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になるし、分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ。親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る。子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つものだし、やさしく、思いやりを持って育てれば、子どもは、やさしい子に育つ、守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ。和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世はいいところだと思えるようになる。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


やれ一つ 荷物下ろして 梅雨となり

2015年06月02日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 京都市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は17度から21度、暑くもなく寒くもなく。湿度は74%から55%、風は1mから3mの北東の風が少しばかり。

 

 朝の間はいい天気になったのだけれど、さすがに、朝の5時半に鳴る本願寺さんの梵鐘の音で起きる訳にはいかなかったし、6時からの「おあさじ」には出られなかった。足も肩も重いし鈍いし・・・。

 

 同部屋になった北海道の方々は、コンビニでサンドイッチやらおにぎりやらを買ってきて、朝の食事を楽しんでいるが、私は、朝の食事も欲しくはない・・・。

 

 興正寺の「ご晨朝:朝のお勤め」は午前8時から。この頃になると、ぼつぼつと人が集まるようになってきた。

 

 今日から三日間は「安居」というお勉強の期間。インドにおける雨季 (4月 15日または5月 15日より3ヵ月間) の間に寺院や一定の住居にとどまって外出しないで修行すること。雨安居ともいう。日本の禅宗は夏と冬に安居を行う。 (コトバンク・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説より)

 

 今日は、朝の10時から夕方の17時まで、びっちりと、三木秀海先生の「観無量寿経・定善義」の講義。

 

 お昼のお弁当。みんなで食べるお食事はおいしい。

 

 夕食が終わっての18時からが、「興正学会」。18時半までは「総会」が開かれて、決算報告だの事業報告だの、予算だとか活動方針なんぞが討議された。そして、18時半からは、それぞれの研究報告・研究発表が行われる。

 

 ま、こういう具合に、一人20分間の発表があって、その後、10分間の質疑応答が行われる。私は、今回は三番目の発表で、「讃岐における法然上人の足跡に関する社会仏教的考察」ということで発表をした。ま、概ね、好評だった。

 

 この前の右の方、西讃教区の大塚先生というのだが、毎回、鋭い質問をされるのだが、今回はおほめの言葉を頂いた・・・。

 

 で、ご褒美は、この「金一封」と「略袈裟」である。

 

 略袈裟には、このような字が書かれている。記念の輪袈裟である。

 

 今日の掲示板はこれ。「人と人との関係は歯車だ こちらも合わせないと回らないよ」という「荒了寛先生」のことばから。最近はなかなかに歯車のようにかみ合う人間関係が少なくなってきた。回っていると思うと空回り・・・。回らないと思うと、複雑すぎる歯車の組み合わせ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、合えるといいね。


あら六月 京の都に 立ちたれど

2015年06月01日 | たまには旅など・・。

 京都市の天候は気圧の谷の影響で薄雲がかかっている。気温は17度から31度、湿度は84%から54%、風は1mから3mの東南東の風が少しばかり。

 

 高野山から戻って、準備もあたふたと、今度は京都に向かっての旅立ちである。高速バスのチケットはWEBで購入済み。三日分の着替えとお衣装があればいいというくらいのお出かけであったが・・・。

 

 9時25分に高松自動車道の「高速大内」からJRバスに乗って、一路、JR京都駅烏丸口に向かう。昨日に渡った鳴門海峡大橋を渡り、淡路島を縦断して、明石海峡大橋を渡る。「昨日もここを通ったなぁ~」という思いばかりが駆け抜ける。別にどうでもいいことなのだけれど。

 

 お昼過ぎにJR京都駅に着いた。ちょうど、お昼の時間だから、駅前あたりの食べ物屋さんは行列ばかり。この時期は外国からの観光客や修学旅行生が目立つ。

 

 この子たちは中学生みたい。リュックザックにお土産の紙袋というスタイル。白のズック靴がかわいいなぁと思う。そこから、いつものコースの東本願寺さんにお参りする。

 

 だいぶ、修復工事が終わってきている。でも、まだまだ、工事用の屋根や障壁が構えられている。

 

 こういう企画は、おとなにも用意されたらいいかなぁと思った。

 

 ふと、おなかが空いてきたのを感じて、こういうお店に入ってみた。

 

 で、冷やかけうどんを注文した。140円だった。おなかが空いていたせいか、呑み込むようにして食べたがおいしかった。出汁は少しばかり辛めだった。ま、140円だから仕方がないか。

 

 ここが、和ろうそくの「わた悟」さん。京都本山御用達のお店だし、私んちの和ろうそくはここのものを使っている。ここのご主人が、英国女王の前でハーモニカを演奏したお方。ハーモニカの名手なのである。その後、西本願寺などを回って、14時過ぎに、興正寺に入った。

 

 ところがである。荷物を整理してみたら・・・。

 

 なんと、ノートパソコンの電源コードを忘れている。これでは、ブログの更新ができないではないか。あとは、タブレット端末でなんとかするしかない。

 

 今日から三日間、お世話になるお部屋とお布団。25名分くらいかなぁ・・・。こういう場合も、「座」といおうものがあって、同じ人は同じ場所にお布団を敷く。まさに「領地の占有」だし、「居場所の確保」である。

 

 「居場所の確保」ができたら、今日の街を散歩。孫の「はやて君」と「なぎちゃん」のお念珠を買いに出たが、男の子のものは簡単に選べたが、なぎちゃんのものは難しい・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「ものが縛るのではありません ものをとらえる心に縛られるのです」というもの。これは仲野良俊師(1916~1988)の『三誓偶(さんせいげ)講話』1983年発刊、東本願寺出版部)にある言葉です。師は京都府のお生まれで、大谷大学卒業後、1942(昭和十七)年からビルマ(ミヤンマーで日本語学校の教員をされ、1956(昭和三十二年より真宗大谷派教化研究所所員をされ、それ以降は教学研究に携わられ、北海道教学研究所所長、教学研究所所長を歴任されました。また、真宗大谷派専念寺住職でもあった方。生活がよくなるのはいいことであるが、白黒テレビを買えば、カラーテレビ、その次は大きなテレビ、さらには二台目のテレビと欲望は広がっていく。物を得てしばらくは幸福感があるけれど、後は当たり前になり、欲望はさらに大きくなっていく。この欲望となってくる心に注目しないと、物に流されるだけの生活になってしまうもの。このことを仲野師は、便利な物を手に入れれば、もっと便利な物がほしくなるといい、結局は次々と出てくる欲しい物、必要な物に縛られた生活になっていくとされたのである。しかしその実は、欲しい物に縛られるのではなく、欲しい物をとらえる私の心に縛られていると言われるのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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