気分転換

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日常を気楽に綴っています。

台湾で葬儀に参列しました

2015年05月06日 | 台湾

3泊4日の今回の台湾滞在は色々と盛りだくさんの内容になりました。

 

今回の台湾行、目的が孫の誕生日と実はもう一つありました。

この日に行く事は1か月前から決まっていたのですがそんな中、
あちらのおじいちゃんがお亡くなりになりました。

お義母さんのお父さんで94歳の大往生です。

行った時に何度もお会いしていました。

皆のじゃまにならないように隅の方で
静かに座っていたのが印象的です。

いつもにこにこ握手してくれました。

大腿骨の骨折から具合が悪くなったようです。

お義母さんの弟さん家族と暮らしていました。

 

台湾の葬儀事情というのも全然わかりません。

一番驚いたのは葬儀が亡くなってから1週間後と言う事でした。

暑い国なのに・・・

でもその間1週間何もしないわけではなくて色々な
行事?しきたり?の様な事が行われていたようです。

娘たちも途中で一度お呼びがあり行ったようでした。

亡くなった方を手厚くお見送りするのだなと感じました。

私達も近くに行っているのに知らん顔もおかしいので
葬儀に参列させて頂く事にしました。

服装も全然わかりません。

娘たちも「地味ならいいんじゃない?」とか言って詳しい事を
何にも知りません。

前の晩、実家に電話で聞いた所、普段着でいいというので
またまた理解不能状態です。

取りあえず私は持っていった黒のブラウスと黒のズボン?
で日本だったらそれらしくしていきました。

夫は礼服の黒ズボンと白いワイシャツ、黒ネクタイは無しで。

着いてビックリ皆さん本当に普段着なんです。

あの黒の礼服の様な物は無いみたいです。

ただし、近い身内はその上から黒のコート?の様なものを着ます。

葬儀社さんで用意されている物みたいです。

娘夫婦もそれを着るように言われて着ていました。

私と夫は白のタスキをかけられました。

ピンクのタスキの方もいます。

これで関係を分けているのだそうです。

 

そして葬儀会場は自宅前の大テントです。

花いっぱいの祭壇にある遺影も日本の様な額に入った物ではありません。

良く芸能人の等身大の立て看板?がありますが、あれの上半身の物が
飾られていました。

お経も日本のとは抑揚が全然違います。

そして、またまた驚きは音楽葬の様に生演奏の方たちがいました。

場面場面で音楽が演奏されます。

それもナント!知ってる日本の曲?が多いんです。

「大きな古時計」「ふるさと」他にもあったけど思いだせない・・・

そして最後の出棺は「蛍の光」でした。

私は孫娘がいたので一番後ろの席にいましたが途中でぐずり始めたので
外で遊ばせながらお守をしていました。

他の兄弟たちは小さい子供は親に預けて連れてきていませんでした。

他の同じ立場の親御さんたちは当日孫の世話があるので事前に
お悔やみを済ませていたようです。

外に出てからは中の事は見られなかったのでわかりませんが
夫は御焼香の時前の方を真似すればいいと思っていたら
名前を呼ばれて一人ですることになり緊張したと言っていました。

御焼香も日本ではない、内孫代表とか外孫代表とかあったと聞きました。

94歳ともなると孫もたくさんいて夫婦で参列しているので
若い人が沢山いました。

約2時間、蛍の光に送られて棺の乗った車が次の交差点を曲がる所まで
皆で行列で歩き見送り、終わりました。

お葬式の話はどうかな?と思ったのですが、日本国内でも地方に寄って
色々違いがあると思います。

まして海外の葬儀に参列はなかなか経験する事ではないので
その違いも興味深いと思いアップしてみました。

とても暑い日でしたが4月だったので暑さもまだ我慢できました。

でもこのテントの中では夏はきっと大変でしょうね。

今まで全然気にも留めていませんでしたが、「あそこもお葬式かな?」
と張られているテントが目に留まるようになりました。

都市部にはきっと葬儀場もあるのでしょうが
地方ではまだこの自宅葬儀のようです。

日本でも田舎は数年前まで自宅でが多かったですが
家の中を使わないこのテントは家族にとったらありがたいですね。

外で孫を遊ばせていると近所の方や、かたこと日本語が話せる方が
何気なく声をかけてくれました。

どこで日本人てわかるのでしょうね~

でも行けて良かったです。

私達が行かなかったら孫をみる人がいなくて娘夫婦はちょっと
大変だったかもしれません。

少しでも役にたてたのは良かったです。 

「葬儀の後は賑やかな所に寄ってから家に帰るように」 と言われ
それで油桐花の公園に寄って帰ったわけです。