残暑お見舞い申し上げます。
いやはや連日暑いのなんの…
異常気象と言われて何年も経ちますが、こうなったのも元はといえば人間の仕業。
文句は言えないので、少しでも涼しくなるように今日は久しぶりに「水辺の風景」シリーズであります。
斐伊川放水路工事の関係で、迂回路があるため本来の水の流れとは異なりますが、ここが出雲市内を潤す高瀬川の基点となるところ。
来原岩樋
斐伊川の水を農業用水に利用するためと、高瀬舟によって物資を輸送するために、岩山を掘りぬいてつくられたものです。
入口に水量を調整する水門があります。
この岩樋、元禄13年(1700年)に松江藩によって掘られ、その後もう一度改修されたのが今の岩樋だそうです。
涼しいよん
かつて出雲平野は海だったことを示す地名があります。
上流から左岸の出雲市には上津、船津、大津などの地名があり、帆掛け舟が行き通い賑わった水辺の風景を思わせますね。
大津にとって斐伊川は「暴れ川」ではなく「母なる川」です。
寛永の東流以来(それまで斐伊川は日本海方面へ流れていた)、一度の氾濫も起こしていないそうです。
ここを起点にひとつは高瀬川となって今市を通り、高松、荒木方面へ流れます。
間府川は塩治地域を潤します。
公園として整備され、トイレや水車もあるよ。
モーターや発動機の無かった時代、水の流れを利用して水車を廻し精米とか製粉をしてたのでしょう。
高瀬川
どひゃ~と流れる水の音、高瀬川界隈の散策も楽しそうですね。
近いうちに練習がてら、走ってみたいと思うのでした。
いやはや連日暑いのなんの…
異常気象と言われて何年も経ちますが、こうなったのも元はといえば人間の仕業。
文句は言えないので、少しでも涼しくなるように今日は久しぶりに「水辺の風景」シリーズであります。
斐伊川放水路工事の関係で、迂回路があるため本来の水の流れとは異なりますが、ここが出雲市内を潤す高瀬川の基点となるところ。
来原岩樋
斐伊川の水を農業用水に利用するためと、高瀬舟によって物資を輸送するために、岩山を掘りぬいてつくられたものです。
入口に水量を調整する水門があります。
この岩樋、元禄13年(1700年)に松江藩によって掘られ、その後もう一度改修されたのが今の岩樋だそうです。
涼しいよん
かつて出雲平野は海だったことを示す地名があります。
上流から左岸の出雲市には上津、船津、大津などの地名があり、帆掛け舟が行き通い賑わった水辺の風景を思わせますね。
大津にとって斐伊川は「暴れ川」ではなく「母なる川」です。
寛永の東流以来(それまで斐伊川は日本海方面へ流れていた)、一度の氾濫も起こしていないそうです。
ここを起点にひとつは高瀬川となって今市を通り、高松、荒木方面へ流れます。
間府川は塩治地域を潤します。
公園として整備され、トイレや水車もあるよ。
モーターや発動機の無かった時代、水の流れを利用して水車を廻し精米とか製粉をしてたのでしょう。
高瀬川
どひゃ~と流れる水の音、高瀬川界隈の散策も楽しそうですね。
近いうちに練習がてら、走ってみたいと思うのでした。