ふと蕎麦が食べたくなったときに、自然と足が向かう店がある。
出雲市平田町の「そば処・喜多縁」だ
以前は出雲市役所の西側に暖簾を掲げていたが、数年前に平田に移転した店。
蕎麦屋ですが、天丼も旨いとの評判。
天丼と割子一枚のセット
エビ2本のほか、季節の野菜の天ぷらがのった天丼は、岩海苔の吸い物つき。
サクサクの天ぷらが絶品
蕎麦ももちろん旨い。
人気店なので行列覚悟でお出かけください。
ふと蕎麦が食べたくなったときに、自然と足が向かう店がある。
出雲市平田町の「そば処・喜多縁」だ
以前は出雲市役所の西側に暖簾を掲げていたが、数年前に平田に移転した店。
蕎麦屋ですが、天丼も旨いとの評判。
天丼と割子一枚のセット
エビ2本のほか、季節の野菜の天ぷらがのった天丼は、岩海苔の吸い物つき。
サクサクの天ぷらが絶品
蕎麦ももちろん旨い。
人気店なので行列覚悟でお出かけください。
歳をとると挨拶好きがいて、集まりなどで指名を受ければ嬉々として登壇。
まず自己紹介を丁寧に、世相分析、エピソード、格言引用など「思うに」からはじまって延々と続く。
「長くなりましたが」でようやく終わると思うと「最後にひとつ」とまたはじまる。
主題(祝辞とか)を外れて、何のために喋っているかわからず、みなが飽きているのにも気づかない。
なかには妙にもの慣れて、受け狙いのユーモアや気の利いたつもりのシャレを入れ、さも名スピーチであるかのようにひとりで酔っているものもいる。
だがみんな知らぬオッサンの名士気取りの独演など聞きたくもない。
挨拶は「言うべき人が、言うべき場所で、言うべきときに、言うべきことを言う」ものだ。
短ければ短いほどよく、その人の「本来わきまえた人格」が発した平凡な言葉を、平凡こそ本当だなあ、と思わすのが挨拶だ。
機智の利いた挨拶はすべて二流と心得る。
このたびの国政選挙で、どこまでバラ撒き合戦の公約をするのか。
ツケ(借金)だけ残すのは、我が懐から出た銭(税金)ではないので、あとは知らないよと若者たちに任せている気がしてならない。
日本沈没を招くのは、今のバカタレ政治家たちなのである。
そんな人は基本的に信用しないことにしている。