この十二月雪深い信州・白馬で農民騒動があった。文政8年、西暦1825年のことである。この年はひどい凶作で、松本の城主は年貢を半分にした。白馬から小谷は麻の産地で、この現金収入で食いつないでいた。ところが大町・松本の麻商人が足元をみすかし値引きする。米を貯蔵してるのものは庶民には売らず、酒屋に売るなどに農民の不満が爆発したのだ。藩の力も弱くなっていたので一気に抑えられなかった。。白馬から蜂起した農民は大町・池田をあらし穂高まで入ったが、ここらあたりで力を失った。白馬の蜂起にあわせ小谷の蜂起組は合体する手はずだったが、この版画の源長寺というお寺の和尚に説得され、合流をあきらめたが・・・・・不満は抑え切れず村内の金持ち、庄屋などの家を襲った。この時、北のはずれで庄屋をしていた私の祖先も被害にあっている。
そんな歴史の版画はかなり前につくったものです。