長野県は「教育県」と呼ばれた。現在はそれに比べ・・・・と嘆く長老が多い。
もともと幕末の寺子屋の普及率は全国一だった。
なぜか商業特に綿花などの栽培が活発になり、読み書きそろばんが庶民の間に必要になったからだ。明治にはいると産業教育のため民間の学校を作ることが盛んになった。これら学校の数は他県の比較にならぬほど多かった。こういうところが出発点なのだ。
波田の昔の役場をモデルにした。現在は公民館?として使用されているらしい。こういう建物はだんだん消えて、どこへ行っても同じような建物があり、コンビニがすぐ側にあり・・・・
なんか安っぽい日本の風景が多いな―――