連休に帰省した娘殿が東京に高速バスで帰った。これが渋滞で4時に出たのが夜中の1時着。
近くなったようで遠い時もある。ということで東京物語。
過ぎ去ってしまったが明治元年の7月17日は「江戸」を「東京」と呼ぶと天皇が勅語を出した日である。首都をどこに置くか。大阪か東京かの論争があったそうだ。結局東京になったのは大阪はもともと商人の町だから商業都市として栄えるだろう。しかし東京は幕府の保護のもと発展してきたから、幕府がないとただの原野に戻る。・・・・ということらしい。たしかに土地も2割が町人、あとは武家、大名の割合だったから・・・サムライの存在が消えると、大名は国元に帰る。旗本は縁故を頼りにと江戸を逃げ出す。武家を頼りに商売していた町人も江戸を逃げ出した。あれほうだいの土地に政府はなんとかしょうと売り出した。当時の下っ端役人の月給で軽く1000坪は買えたそうだが、全然売れなかったそうだ。
この当時、買っておけば今は左団扇だろう・・・・・・・・・
なんとか恐竜骨版ができた。
近くなったようで遠い時もある。ということで東京物語。
過ぎ去ってしまったが明治元年の7月17日は「江戸」を「東京」と呼ぶと天皇が勅語を出した日である。首都をどこに置くか。大阪か東京かの論争があったそうだ。結局東京になったのは大阪はもともと商人の町だから商業都市として栄えるだろう。しかし東京は幕府の保護のもと発展してきたから、幕府がないとただの原野に戻る。・・・・ということらしい。たしかに土地も2割が町人、あとは武家、大名の割合だったから・・・サムライの存在が消えると、大名は国元に帰る。旗本は縁故を頼りにと江戸を逃げ出す。武家を頼りに商売していた町人も江戸を逃げ出した。あれほうだいの土地に政府はなんとかしょうと売り出した。当時の下っ端役人の月給で軽く1000坪は買えたそうだが、全然売れなかったそうだ。
この当時、買っておけば今は左団扇だろう・・・・・・・・・
なんとか恐竜骨版ができた。
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三日かけて「微妙に」動く恐竜を完成させました。この動きに数回失敗しました。・・・しばらくすれば新しい仕組みが浮かんでくるかも・・・・
三日かけて「微妙に」動く恐竜を完成させました。この動きに数回失敗しました。・・・しばらくすれば新しい仕組みが浮かんでくるかも・・・・
昨晩の遠雷から一転快晴の気配だ。朝からへリが飛んでいる。災害関係だろうか。被害にあった方には気の毒だけど、油断ならぬのは自然だ。地面をコンクリートで覆ってしまった都会では水の行き場がないのだ。人間のなせるわざがひとつの原因になっているのだな。
雨があがれば緑もきれいだ。写真は土手のフキである。庭にも出てくる。かたっぱしから採って、塩をまぶして、皮をむいて煮込んだ。「かたい」と言われて食べたら、結構堅く歯ごたえがあった。よく見て採らないと・・・・山に入って便意を催すと、このフキの葉がいい。なんとなく柔らかくて水分を含んでいる感触がいい。紙が貴重な時代には、これを家でも使ったとか。私の小さい頃は新聞紙を小さく切って置いてあった。これをもんで柔らかくしてつかっていた。それ以前の話である。「フキ」で「ふく」であるから、フキの語源は「ふく」という事でもない。
遠雷を日記に押し込め旅に出るfont>
南極点に最初の到達するのは誰か。今から100年ほど前イギリスのスコット隊、ノルウエーのアムンゼン隊が南極点めざしていた。結果はアムンゼン隊の方が1ヶ月先の到達した。スコット隊も到達したが帰路消息を絶った。両隊とも周到の準備はしていたと思われるが誤算のひとつはアムンゼン隊はエスキモー犬であったが、スコット隊はモーターぞりが使えなくなりポニー(子馬)の使用にあったとか。
荷物を運ぶ犬・馬はに荷物が減るにつれそれを殺して進む。ところが犬に比べスコット隊の子馬は一頭殺せば、相当な馬力を失う。殺さなければえさは犬の数倍も食べたとか。
7月16日はアムンゼンの生まれた日である。後に彼は北極点も制覇し、遭難事故救助に向かったまま消息をたった。
荷物を運ぶ犬・馬はに荷物が減るにつれそれを殺して進む。ところが犬に比べスコット隊の子馬は一頭殺せば、相当な馬力を失う。殺さなければえさは犬の数倍も食べたとか。
7月16日はアムンゼンの生まれた日である。後に彼は北極点も制覇し、遭難事故救助に向かったまま消息をたった。