仕事の上で知り合う膨大な人のなかで何人かは生涯の友となる。そんな一人が1990年代初頭、ロンドンで知り合ったスウェーデンの銀行家、RS氏だった。折しもフィンランド、ノルウエイ、スウェーデンといった北欧の銀行が経営危機に陥り、こちらとしてはどのように取引を行ってよいものか、情報収集に駆け回っていた頃だ。当時、スウェーデンの銀行のロンドン代表をしていたRS氏は、スウェーデン人にしては珍しく気さくで偉ぶらない、また、エキセントリックではない銀行家で、初めから好印象をもてた。幸い、同氏もこちらを信頼してくれて、常に最新の詳細な情報を提供してくれた。その後、日本の銀行が不良債権で危機に陥った90年代後半、RS氏はスウェーデンの銀行の東京代表として着任、今度は攻守ところをかえての付き合いとなった。RS氏が外国の日本支社代表として長く駐在したことから、最後には外国銀行団の代表として日本の金融当局との窓口ともなる重責を務めた。日本での勤務を終えてスウェーデンに帰国その後は顧問として一線からは退いていたが、毎年、クリスマスカードのやり取りが続き、2013年末にはシドニーで夫人と仲睦まじくクルーズ旅行を楽しんでいる写真が同封されていた。2015年には、いつも通り夫婦宛にこちらから送ったクリスマスカードに返事がなかったが、たぶん旅行ででも忙しいのかとあまり気にもしていなかった。
それが今日、スウェーデンから思いもしない手紙。それはRS氏の3人の子供の連名による、母親(RS氏夫人)が闘病の末1月20日逝去したとの連絡だった。もし夫人が亡くなったのなら、なぜ、RS氏の名前がないのだろうかと不思議だった。考えられることはRS氏も連絡できないような状況にあるということだ。
手掛かりを求めてRS氏の名前でインターネットを検索したら、今年3月22日、ストックホルムで開催された日本銀行副総裁の講演会がでてきた。主催者のあいさつの中で、この講演が可能になったのはRS氏の助力のたまものであり、次いで、RS氏への黙祷がささげられた。同氏は短期間の闘病の末、2015年5月20日に逝去したと。それからちょうど8か月、まるで夫人が彼の後を追っているようだ。
想像もしなかった展開に、陳腐な言い方ではあるが、RS氏との思い出が走馬灯のように頭に浮かんできた。当時所有していたイギリス・アスコット競馬場の特別室に招待し競馬を楽しんだこと、出張時の同氏の定宿であるホテルオークラで落ち合い、彼の好物だった鉄板焼きに招待したこと、杉並の拙宅にまで来てもらったことやその返礼で南麻布の彼の自宅に伺ったこと、こちらがロンドンに滞在中、サウスケンジントンの同氏の英国の自宅で3人のお子さんに会ったこと、自分がニューヨークに転勤する直前に、築地寿司清本店で寿司を食べたこと、10年ほど前になるが、エストニアに出資する案件で彼の人脈を使って無事完了できたことなど、思い出は尽きない。今日は彼と夫人を偲んで一日静かに過ごしたいと思う。