しばらくぶりに姉と話をしていたら、彼女の孫の男の子(自分から見れば又甥?)が大学受験で志望校に不合格となり、一年浪人することとなったという。受験の時期になると「現役」とか「浪人」という言葉をよく耳にする。長い人生から見れば再度志望校に挑戦するのは決して悪くない。かつては一年浪人したことを「一浪」と書いて「ひとなみ」と「人並」にかけられたこともあった。受験の場合には「現役」という言葉には高校からすんなり志望校に合格したということで「優秀さ」の代名詞のようにも聞こえる。その証拠?に今でも高校の発表する合格者数の内訳にわざわざ「現役」と書き出しているところがある。
社会に出てからは「現役」という言葉は「引退(あるいは定年退職)」との対照で用いられる。還暦を迎えた頃に大学の同期会があった。学生時代の話をひとしきりしたところで、一人があまり親しくなかった、隣にすわった同期の女性に「ところで君は現役?」と尋ねたところ、訊かれた方が「いや、一浪でしたよ」と答えて辺りに困惑というのか、行き違いというなにか妙な雰囲気が漂ったことがある。たぶん訊いた方は職業人として「現役」なのかを尋ねたのに対して、答えた方は大学入試の時の事として返したのだ。彼女はいつも少しのんびりというか天真爛漫なところがあたので、この答え、決して受け狙いではなかったと思う。ただ、どんな時でも不用意に現役、という言葉は出さない方が良いかもしれない。
「生涯現役」といえば、元気一杯の老人を想像する。もちろん前向きに生きている姿を貶めるのはよくない。しかし、後進に道を譲らずいつまでも「現役」にとどまって引退しないのは困りものだ。
困りものどころか、20年以上も「現役」を続ける大統領を戴くある国の行状をみれば、一人の人間による絶対権力・長期の支配がいかに危険かが良く判る。何とか早く「引導」を渡すことはできないか。