夜中にふと目覚めて、何の脈絡もなく遥か昔のことを鮮明に思い出すことがある。先日は、仕事を始めたばかりの頃で昼食を社員食堂でとっていた時の、そこにいる同僚の顔や話題までが思い出されてきた。何十年間一度も回想したことのない風景が急に目の前に現れてきた。この光景は潜在意識の中にあったのか、あるいは、何層にもなっている記憶の引き出しから急に顔を出してきたのか。
一方で忘れないだろうと思っていたことが思い出せないこともある。人の名前や話したことを忘れるという物忘れと言ったものならともかく、ここで問題になっているのは記憶に残っていて当たり前、忘れるはずのないようなものの事。
もうかなり前になるが、自分が10代の時に亡くなった母親の顔や、母親との会話などがどうしても思い出せない、頭に浮かんでこない、ということがあった。子供の頃と言っても10代後半なのだから多くのことを覚えていそうなはずだが、思い出そうとしても何か霧の向こうに行ってしまったようで手が届かない。母とは沢山のやり取りをしたし一緒に過ごした時間も多かったはずなのに思い出せないというのは、情けないような、悲しい気分だった。
そういった経験を同じような境遇の友人に話したら、「自分も全く同じような経験をしている。多分誰でも忘れてしまうのではないか。また、そうしなければいつまでも過去に縛られて身動きが取れなくなるだろう」と、慰めてくれた。そうか、こういう忘れ方をするのは自分だけではないと少し安心したものだ。
また、ある時は、記憶はしっかりとあるのにそれが自分の経験したことと思えないようなこと。まるで、誰か他人が経験したことのように思えてどうしても自分の経験と思えなくなることもある。確かに自分の経験したことなのに、まるで実感が湧かず、他人事のように思えること。
こういった現実感が失われてゆくのは、年齢のせいなのか?若い時分にはこんな感覚を持ったことはなかった。いつも、自分の経験とそれを記憶している自分との同一性に何の疑問も感じなかったものだが・・・。
おととし引退したアシュケナージによるラフマニノフのLPレコード。多分彼がアイスランドに居を移した頃、1970年頃の演奏と思う。