回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

記憶

2022年02月04日 14時51分52秒 | 日記

夜中にふと目覚めて、何の脈絡もなく遥か昔のことを鮮明に思い出すことがある。先日は、仕事を始めたばかりの頃で昼食を社員食堂でとっていた時の、そこにいる同僚の顔や話題までが思い出されてきた。何十年間一度も回想したことのない風景が急に目の前に現れてきた。この光景は潜在意識の中にあったのか、あるいは、何層にもなっている記憶の引き出しから急に顔を出してきたのか。

一方で忘れないだろうと思っていたことが思い出せないこともある。人の名前や話したことを忘れるという物忘れと言ったものならともかく、ここで問題になっているのは記憶に残っていて当たり前、忘れるはずのないようなものの事。

もうかなり前になるが、自分が10代の時に亡くなった母親の顔や、母親との会話などがどうしても思い出せない、頭に浮かんでこない、ということがあった。子供の頃と言っても10代後半なのだから多くのことを覚えていそうなはずだが、思い出そうとしても何か霧の向こうに行ってしまったようで手が届かない。母とは沢山のやり取りをしたし一緒に過ごした時間も多かったはずなのに思い出せないというのは、情けないような、悲しい気分だった。

そういった経験を同じような境遇の友人に話したら、「自分も全く同じような経験をしている。多分誰でも忘れてしまうのではないか。また、そうしなければいつまでも過去に縛られて身動きが取れなくなるだろう」と、慰めてくれた。そうか、こういう忘れ方をするのは自分だけではないと少し安心したものだ。

また、ある時は、記憶はしっかりとあるのにそれが自分の経験したことと思えないようなこと。まるで、誰か他人が経験したことのように思えてどうしても自分の経験と思えなくなることもある。確かに自分の経験したことなのに、まるで実感が湧かず、他人事のように思えること。

こういった現実感が失われてゆくのは、年齢のせいなのか?若い時分にはこんな感覚を持ったことはなかった。いつも、自分の経験とそれを記憶している自分との同一性に何の疑問も感じなかったものだが・・・。

おととし引退したアシュケナージによるラフマニノフのLPレコード。多分彼がアイスランドに居を移した頃、1970年頃の演奏と思う。

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驚愕

2022年02月03日 18時21分44秒 | 日記

夕方、ふと外を見たら家の前の道路にパトカーが赤色灯を点けて止まっている。数メートル後ろには軽乗用車が、ハザードランプを点灯して止まっている。別段音も聞かなかったし、救急車も来ていないから、事故ではなさそうだ。以前、同じ場所で車同士の衝突事故があった時は、パトカーが数台集まって数人の警官が入れ代わり立ち代わり現場を検分していた。それに比べると今回はずいぶん長い間この2台が止まっていたものの、そんな物々しさはなかった。交通違反なのか、あるいは何か別の理由なのかは判らない。しかし、こういう光景、いずれにしてもあまり気持ちのいいものではない。

それで思い出したのだが、イギリスの警察はとにかく目立たないし、静かだ。テロ事件でもなければ、パトカーがサイレンを鳴らして走り回ることはない。特に住宅街などに来るときにも、いつ来たのか判らないほど隠密でまるで忍者のようだ。そんな小型パトカーには白黒のチェックの模様が入っていて、「パンダカー」というようなニックネームも付けられていた。普通イギリスの警察官は丸腰のようだし、一般的には治安がいいから、ということなのかもしれない。もちろん、凶悪犯やテロリストに対しては重装備で立ち向かっているのを見たことはある。しかし、普段はあまり威圧感を感じない。

一方で、ニューヨークの警察、パトカーは何かにつけて騒々しい。遠慮なしにサイレンを鳴らすし、また、あの大型のパトカーは乗っている警官のせいもあるが、その威圧感たるや相当なものだ。夜中でも頻繁にサイレンが聞こえる。いつの間にか、サイレンが聞こえないと不気味に感じるくらいだ。そうでもしないと治安が保てないという実態があるのだろう。たしかに、銃社会のアメリカでは警察官にはいつも命の危険があるということも事実。

日本はその中間のように思える。制服の警察官は警棒と銃を携行している。この面ではアメリカ的。しかし、簡単には実力行使できないようになっているので、イギリス的なところもある。

幸いこれまで、パトカーに世話になったことはない。ただ一度、不審な男が自分の家の敷地の中に入ってきたことがあって、110番したことがあった。警官がパトカーで到着する寸前にその男は立ち去ってしまい、その後どうなったのかは知らされなかった。こういうことがあるとしばらくは後味の悪い、不安な気持ちになってしまう。

結局1時間以上もこの2台は止まっていた。軽自動車とパトカーの間でどんなやり取りがあったのか、何か揉めていたのだろうか。こういうものが目に入ってきてしまうのは、今の時代避けられないものなのかもしれない。

バーンスタイン指揮、ハイドンの「驚愕」。とにかく平穏であるように、驚くようなことは起きないで欲しい.

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四季

2022年02月02日 18時15分50秒 | 日記

「冬来たりなば春遠からじ」と言われるが、このところの天気と、耳を塞ぎたくなるような事件、感染者数記録を更新するコロナなど、どうも今年は春の気配がどこにも感じられない。月が替わったので、少しは気分が変わると期待したいが・・・

以前シンガポールに出張した時、彼の地は一年中30℃前後であまり季節感がなく、日本のように四季がはっきりしているのが羨ましい、と現地の人に言われたことがあった。四季があるのはいいとは思うが今のような時期にはあの暖かなシンガポールが懐かしく感じる。シンガポールは1819年、イギリスの植民地行政官トーマス・ラッフルズが港を開き、以後イギリスのアジアの拠点となったところだ。

イギリスのような寒冷なところからシンガポールに来たイギリス人はこの気候にずいぶん戸惑ったのだろうなと思う。しかし、そこは七つの海を支配した彼らのこと、何とか快適に暮らせるように知恵を絞ったに違いない。彼の名前を冠したラッフルズホテルにもいろいろと暑さしのぎの工夫がなされていたのがわかった。高級ホテルにもかかわらず天井にシーリングファン(プロペラのような換気扇)が回っていたところがあったのは、南国の雰囲気を出すためだろうか。

「冬来たりなば春遠からじ」は、イギリスの詩人パーシー・ビッシュ・シェリーの「西風に寄せる歌 Ode to the West Wind」の最後の一節「If winter comes, can spring be far behind?」から来ている。この詩がフィレンツェ近郊で書かれたのは、たまたまラッフルズがシンガポールを開港したのと同じ1819年だ。

レーモン・ルフェーブルが演奏したポップス調の四季のジャケット

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友人

2022年02月01日 17時45分23秒 | 日記

昔ひとから、友人の中に医者と弁護士がいると何かと心強いものだ、と言われたことがあった。医者は家族の中にいる。一方の弁護士。大学の教養課程の時に便宜的に作られた50人ほどのクラスのうち、弁護士になったのは3人。それに裁判官と検事が一人づついるから、クラスの中の1割が法曹界に進んだことになる。1970年代、司法試験に合格することは大変厳しかった。だから彼らの努力にはいつも敬意を払っている。

そのうちの弁護士になった一人とは、官僚になった一人と研究者になった一人と自分の4人で(コロナ禍が始まるまでは)定期的に酒を飲む間柄で特に親しい。普段は仕事の話はしないが、親がやっていた事業の関係で世話になったことがあり、それを相続した後は今度は自分が世話になっているので、純粋な飲み仲間、というわけでもない。

ちょっとした相談事があって先週彼の事務所を訪ねた。裁判所のすぐ近くにあって、同じビルにはほかにも弁護士事務所がいくつかある。コロナのせいで、今は対面ではなく原則オンラインでの相談になっているが、久しぶりということもあって時間を指定して会ってくれた。一応用件の話が終わったので、最後に、自分の遺言書を頼みたいと切り出した。彼の事務所では相続案件を多数取り扱っているから、遺言書などはお手のものだ。彼は少し驚いた様子だったが、お互いそろそろ考えた方が良いかもしれないね、と言って快諾してくれた。

残される家族のことを考えると、遺言書があれば何事もスムーズに進むだろう。1月は何かと気忙しく、また、3月に入るといろんなことが起きそうだ。その意味では2月に準備を始めるのは悪くない。それに、彼に頼んでおけば万事滞りなく処理してくれると思う。持つべきものは弁護士の友人、と言える。

昨日のアダモと同じころに買ったルービンシュタインのLPレコード。「王者ルービンシュタインの極めつけのショパン」というフレーズに時代を感じる。久しぶりに聴いてみよう。

コメント (2)
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