どうやったら写真が上手くなるのだろう。
以前は、被写体をよく見るとか、素直にイイナアと思うとか、いろいろ考えた。
もちろんフレーミングや露出のコントロールも大事だ。
でも、もっとも大切なことはそんなことではない気がしてきている。
えっ、何?って思うだろう。
今私は、写真が上手くなるための推進力は写真が上手く撮れないということだと思うのだ。
写真が上手く撮れない限り、写真は上達し続ける。そういうことだ。
逆に言うと、もうこんなもんでいいと思ったとき、上達は止まるのだ。
この法則はきっと人生すべてにおいていえることだと思う。
自分の目の前にある事柄に満足したら、もうその人に明日はない。
いや、明日はあるかもしれないけど、それは今日と全く同じだ。
今日と全く同じ明日。そんなことってあるだろうか。時間が止まったといってもいい。
時間は止まるのだろうか。
そういえば写真というのは時間を止めることかもしれない。
時間が止まるのは写真と言うバーチャルリアリティの中だけにある。
誰の時間も止まりはしない。すべての人にとって時間は刻一刻と進んでいくだけ。
だから、誰でもみんな進歩し続けるのだ。すべてに満足する人なんて決していない。と思う。
以前は、被写体をよく見るとか、素直にイイナアと思うとか、いろいろ考えた。
もちろんフレーミングや露出のコントロールも大事だ。
でも、もっとも大切なことはそんなことではない気がしてきている。
えっ、何?って思うだろう。
今私は、写真が上手くなるための推進力は写真が上手く撮れないということだと思うのだ。
写真が上手く撮れない限り、写真は上達し続ける。そういうことだ。
逆に言うと、もうこんなもんでいいと思ったとき、上達は止まるのだ。
この法則はきっと人生すべてにおいていえることだと思う。
自分の目の前にある事柄に満足したら、もうその人に明日はない。
いや、明日はあるかもしれないけど、それは今日と全く同じだ。
今日と全く同じ明日。そんなことってあるだろうか。時間が止まったといってもいい。
時間は止まるのだろうか。
そういえば写真というのは時間を止めることかもしれない。
時間が止まるのは写真と言うバーチャルリアリティの中だけにある。
誰の時間も止まりはしない。すべての人にとって時間は刻一刻と進んでいくだけ。
だから、誰でもみんな進歩し続けるのだ。すべてに満足する人なんて決していない。と思う。