10月1日、日頃 暇を持て余しているひげ爺にとっては忙しい一日になった。
早めの朝食、天候を気にしながら上尾に住む孫の運動会の参観に向かう。
幸い雨も降ることなく運動会が始まり、ひげ爺はカメラを手に大忙しだった。
午前中だけ参観、11時過ぎに孫と昼食した後急いで北川辺支所に戻った。
13時からは、市長と地域住民との「市政についての話し合い」に出席した。
会議後一休みして 17時からは大利根で「ヒゲの隊長」の講演会に出席だ。
この地域は、9月中旬に稲刈りが終わると急に催事・行事で忙しくなるのだ。
元自衛官であった佐藤氏は、イラク先遣支援隊の初代隊長として有名だ。
つけていたヒゲは、ヒゲが当たり前のイラク国民から歓迎され信頼された。
以来「ヒゲの隊長」と親しまれ、参議院議員になった今もつけ続けている。
今回の演題「私たちが守るべきもの」は、氏の経験 心情を語るものだった。
福島の出身だけに大震災の緊急救助活動にふれ、自衛隊の誇りを語った。
日頃の厳しい訓練が、緊急時に「守るべきもの」のため貢献出来たのだと。
イラクへの派遣時には、隊員や家族を前に「全員の命を守る」と決意したと。
命がけの現場経験から、「守る責任」は大変なことなのだと力説していた。
竹島や拉致を例に、国民の意識が高まらないと「国土 主権は守れない」と。
「国民の意識レベルを越えた政治レベルはなく 守るためのレベルもない」と。
国民は、個人が一番大切と考え 家族 地域 国の大切さを忘れかけていた。
しかし、政権交代に続いて大震災と原発事故で守るべきものを知らされた。
そして政治には、国を守り 安全と安定と安心を確保する責任があると言う。
そのためには想定外を作らず、あらゆること全てを考えておく必要があり、
その努力と備えをしていれば、非常事態にも想定通り「守りきれる」のだと。
「ヒゲの隊長の講演を、私はひげ友として聞いていた」と、ひげ爺の独り言。
氏の語った「守るべきこと」は、身近な家庭や地域づくりにも通じるようだ。
早めの朝食、天候を気にしながら上尾に住む孫の運動会の参観に向かう。
幸い雨も降ることなく運動会が始まり、ひげ爺はカメラを手に大忙しだった。
午前中だけ参観、11時過ぎに孫と昼食した後急いで北川辺支所に戻った。
13時からは、市長と地域住民との「市政についての話し合い」に出席した。
会議後一休みして 17時からは大利根で「ヒゲの隊長」の講演会に出席だ。
この地域は、9月中旬に稲刈りが終わると急に催事・行事で忙しくなるのだ。
元自衛官であった佐藤氏は、イラク先遣支援隊の初代隊長として有名だ。
つけていたヒゲは、ヒゲが当たり前のイラク国民から歓迎され信頼された。
以来「ヒゲの隊長」と親しまれ、参議院議員になった今もつけ続けている。
今回の演題「私たちが守るべきもの」は、氏の経験 心情を語るものだった。
福島の出身だけに大震災の緊急救助活動にふれ、自衛隊の誇りを語った。
日頃の厳しい訓練が、緊急時に「守るべきもの」のため貢献出来たのだと。
イラクへの派遣時には、隊員や家族を前に「全員の命を守る」と決意したと。
命がけの現場経験から、「守る責任」は大変なことなのだと力説していた。
竹島や拉致を例に、国民の意識が高まらないと「国土 主権は守れない」と。
「国民の意識レベルを越えた政治レベルはなく 守るためのレベルもない」と。
国民は、個人が一番大切と考え 家族 地域 国の大切さを忘れかけていた。
しかし、政権交代に続いて大震災と原発事故で守るべきものを知らされた。
そして政治には、国を守り 安全と安定と安心を確保する責任があると言う。
そのためには想定外を作らず、あらゆること全てを考えておく必要があり、
その努力と備えをしていれば、非常事態にも想定通り「守りきれる」のだと。
「ヒゲの隊長の講演を、私はひげ友として聞いていた」と、ひげ爺の独り言。
氏の語った「守るべきこと」は、身近な家庭や地域づくりにも通じるようだ。