ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

田中正造翁の足蹟に学ぶ

2013-03-12 13:23:45 | 地域活動・つながり
冬の寒い日が続いていたが、3日前から突然的に春の暖かさがやってきた。
そんな9日土曜日、地域で活動する会員と田中正造の遺跡を訪ねて回った。
車3台に分乗し9時に出発、遊水地から渡良瀬川に沿って田中霊祠を視察。
廃村に抵抗する住民とともに居残った正造翁の霊祠を、その後移したところ。
続いて佐野市郷土博物館、入り口では正造の銅像があって出迎えてくれた。
田中正造に関する資料や遺品も展示され、翁の苦労と功績が分かりやすい。
次に厄除け観音として有名な惣宗寺へ、葬儀をした寺で立派なお墓がある。

続いて田中正造の旧宅を見学、病気の父のために建てた隠居所や翁が生ま
れた母屋などを、ボランティアの説明を聞きながら有意義な見学ができた。
正造翁の人柄に感服すると、お腹がすいてきたので「佐野ラーメン」の昼食。
次に足利市の壽徳寺へ、ここは近年になって公表改修された分骨墓がある。
館林市に移動し、正造終焉の地であり「押し出し」で農民が集合した雲龍寺。
そこは、谷中村残留民家屋が強制破壊されたのち、翁が渡良瀬川周辺地域
の河川調査で訪ね歩くなかで倒れた『庭田家』に隣接し分骨地になっている。

次に、被災農民の「押し出し」が警官隊と衝突した川俣事件発生地を訪れた。
最後に、地元の分骨地である北川辺霊場のお墓を参拝し研修会は終了した。
翁の遺骨が6箇所に分骨されている事で、その偉大さが分かるというもの。
「真の文明は 山をあらさず川を荒らさず、村を破らず人を殺さざるべし」と。
また翁言う「デンキ開けて、世間暗夜となれり」と、伝言は現在にも通用する。
「話は替わるが、各寺内で梅の花が満開になっていた」と、ひげ爺の独り言。
参加者中の女性3名も花だったが、それを「姥さくら」とは決して言いません。

 *パソコンを新機(Windows8)に変えたら、不慣れでもあり面倒になった。
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