立春を過ぎても寒さが続くなか、騎西地区での歴史を訪ねる街歩きに参加した。
騎西は 関東平野のほぼ中央部にあり、2010年の合併で加須市に加わった。
その歴史は古代から続き、律令時代には畿内河内の 私市(きさいち)から移り
住んだ人によって興隆し、地名「私市」が生まれ のちに「騎西」となったようだ。
そして地域の武士団は、鎌倉時代を中心に武蔵七党の 私市党として活躍した。
今回は 地元騎西人にガイドいただき、城の跡地と釜屋酒蔵を見学してまわった。
現在ある天守閣は、二の丸跡に建てた昭和の模擬天守で資料館になっている。
元来の城は、私市城や根古屋城とも呼ばれ沼に囲まれた平城であったようだ。
足利時代の後期には、古河公方足利氏と関東管領上杉氏の攻防にさらされた。
ある時は上杉謙信の「八つ当たり攻め」で落城、後に北条氏の統治下に入った。
小田原の役後、徳川家康の実子と云われる松平康重が二万石で城主となる。
慶長9年(1632)に、城主大久保忠職の美濃移封にともなって廃城となった。
城跡は曲輪土塁の一部を残すのみで、本丸跡等は田圃や住宅に変わっている。
続いて寒風の吹く街中を少し歩き、近くにある「株式会社釜屋」の見学となった。
寛延元年(1748)創業の酒蔵で、醸造の説明を受け 試飲と蔵内の見学をした。
興味を持ったのは、明治時代に建てた酒蔵内部と資料館の歴史的資料だった。
この地は、利根川と荒川の間にあって水とお米に恵まれ「良いお酒」が出来る
と云い、造られる代表的お酒は「力士」で 北埼玉地域の人気銘柄になっている。
『騎西のお城も酒蔵も、自然の水の恵みで守られていた 』 と、ひげ爺の独り言。
車で行って参加した ひげ爺は、用意された無料「きき酒」を一滴も飲めなかった。
騎西は 関東平野のほぼ中央部にあり、2010年の合併で加須市に加わった。
その歴史は古代から続き、律令時代には畿内河内の 私市(きさいち)から移り
住んだ人によって興隆し、地名「私市」が生まれ のちに「騎西」となったようだ。
そして地域の武士団は、鎌倉時代を中心に武蔵七党の 私市党として活躍した。
今回は 地元騎西人にガイドいただき、城の跡地と釜屋酒蔵を見学してまわった。
現在ある天守閣は、二の丸跡に建てた昭和の模擬天守で資料館になっている。
元来の城は、私市城や根古屋城とも呼ばれ沼に囲まれた平城であったようだ。
足利時代の後期には、古河公方足利氏と関東管領上杉氏の攻防にさらされた。
ある時は上杉謙信の「八つ当たり攻め」で落城、後に北条氏の統治下に入った。
小田原の役後、徳川家康の実子と云われる松平康重が二万石で城主となる。
慶長9年(1632)に、城主大久保忠職の美濃移封にともなって廃城となった。
城跡は曲輪土塁の一部を残すのみで、本丸跡等は田圃や住宅に変わっている。
続いて寒風の吹く街中を少し歩き、近くにある「株式会社釜屋」の見学となった。
寛延元年(1748)創業の酒蔵で、醸造の説明を受け 試飲と蔵内の見学をした。
興味を持ったのは、明治時代に建てた酒蔵内部と資料館の歴史的資料だった。
この地は、利根川と荒川の間にあって水とお米に恵まれ「良いお酒」が出来る
と云い、造られる代表的お酒は「力士」で 北埼玉地域の人気銘柄になっている。
『騎西のお城も酒蔵も、自然の水の恵みで守られていた 』 と、ひげ爺の独り言。
車で行って参加した ひげ爺は、用意された無料「きき酒」を一滴も飲めなかった。