コロナ感染は相変わらず拡大中で、お盆帰省による人流増加の影響が心配になる。
暑さやコロナなどの感情が入り混じるなか、21日に中山道「高崎宿」を訪ねた。
「高崎宿」は江戸から13番目の宿場町、高崎駅に11時半到着なのでまずは昼。
駅ビル内にある「登利平」で、上州群馬の新名物といえる「鳥めし」でのランチ。
天候に恵まれるも温度は28度、西口から西南に街に入ると「旧井上房一郎邸」。
井上翁は、「高崎交響楽団」設立や「高崎観音」建設など地域振興に貢献した人。
西に進むと「新田町」でそこが旧中山道、右折して街道を北に進むと 駅前通りと
の交差点の左奥に「諏訪神社」、街道を進んで「連雀町」を右折した街中に入っ
て「大信寺」をのぞき見して街道に戻り、北に進むと 右側に「田町絹市場(跡)」。
このあたりが「高崎宿」の中心になるが、それらしい遺構も石碑も案内板もない。
その先「本町三」の角に老舗「山田家」があり、左折して左奥の「高崎神社」や
右の「長松寺」に立寄りながら進み、「山田文庫」で街道を離れ高崎城の外周へ。
左に右にと南方向へ、城の土塁に沿う「親水歩道」から烏川の堤上に出て高崎観
音を眺めながら南に歩き、和田橋の先を左折し「高崎公園」から「城址公園」を
左回りに歩きお濠端通りを北に、「高崎城乾櫓」を見学し東に出て「連雀町」に。
高崎城を一周したことになるが、高崎駅に戻ると歩数は15,600歩にもなっていた。
日曜日というのにコーヒー店は空席が多く、ゆっくりお茶してから電車に乗った。
『大宮はコロナで危ないから高崎へ、というのではない!』と、ひげ爺の独り言。
暑さやコロナなどの感情が入り混じるなか、21日に中山道「高崎宿」を訪ねた。
「高崎宿」は江戸から13番目の宿場町、高崎駅に11時半到着なのでまずは昼。
駅ビル内にある「登利平」で、上州群馬の新名物といえる「鳥めし」でのランチ。
天候に恵まれるも温度は28度、西口から西南に街に入ると「旧井上房一郎邸」。
井上翁は、「高崎交響楽団」設立や「高崎観音」建設など地域振興に貢献した人。
西に進むと「新田町」でそこが旧中山道、右折して街道を北に進むと 駅前通りと
の交差点の左奥に「諏訪神社」、街道を進んで「連雀町」を右折した街中に入っ
て「大信寺」をのぞき見して街道に戻り、北に進むと 右側に「田町絹市場(跡)」。
このあたりが「高崎宿」の中心になるが、それらしい遺構も石碑も案内板もない。
その先「本町三」の角に老舗「山田家」があり、左折して左奥の「高崎神社」や
右の「長松寺」に立寄りながら進み、「山田文庫」で街道を離れ高崎城の外周へ。
左に右にと南方向へ、城の土塁に沿う「親水歩道」から烏川の堤上に出て高崎観
音を眺めながら南に歩き、和田橋の先を左折し「高崎公園」から「城址公園」を
左回りに歩きお濠端通りを北に、「高崎城乾櫓」を見学し東に出て「連雀町」に。
高崎城を一周したことになるが、高崎駅に戻ると歩数は15,600歩にもなっていた。
日曜日というのにコーヒー店は空席が多く、ゆっくりお茶してから電車に乗った。
『大宮はコロナで危ないから高崎へ、というのではない!』と、ひげ爺の独り言。
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