春爛漫真っ最中の8日、中山道の宿場町「新町宿」と「倉賀野宿」の散策に向かった。
今回は二つの宿場町に加えて、岩鼻の古墳などを廻りたかったのでレンタカーを利用。
本庄宿から神流川を渡ると群馬県で、橋詰の右にある小さな常夜灯が出向けてくれる。
進むと「新町宿」に入るが、当初は玉村を経由していた街道を 直線的に変えた後にで
た宿場で規模も小さくなかったが、今は面影も見あたらず 散策して回る史跡等もない。
街道脇の「明治天皇行在所跡」に立ち寄って、旧中山道をそのまま北西方向に進んだ。
街道を走り JR高崎線の踏切を越えた先に、倉賀野追分「下町」があり 宿場町に入る。
まずは古商家利用の公共施設「おもてなし館」に立ち寄り、資料を頂いて車を預けた。
「倉賀野」の古くは武将の本拠地であり、江戸時代には中山道の江戸から12番目の
宿場町として、さらには利根川と烏川の川運を利用した物流拠点として大いに栄えた。
車を預けて散策を開始、街道を江戸方面に戻り「大山家」前から例幣使街道との分岐
地点で「道標」「常夜灯」を見学し、Uターンして 中町の古民家風の店でお蕎麦の昼。
食後 西に向かうと「本陣跡」の木札、さらに進むと右側に史跡「高札場/ 問屋場跡」。
その先が「上町」で、右側に明治期の建物を残す「脇本陣跡・須賀喜太郎家」がある。
さらに歩き古刹「安楽寺」を参拝して街道を離れ、市街地を南に入って「倉賀野神社」
から「倉賀野城跡」を廻り、烏川の河岸跡を眺めて出発地「おもてなし館」に戻った。
『おもてなし館で貰った資料は、おもてなし/どころか表も裏もあった!』と、独り言。
車で次の目的地へ、そこは江戸時代から一気に古代へ移って 岩鼻と綿貫地域の古墳群。
今回は二つの宿場町に加えて、岩鼻の古墳などを廻りたかったのでレンタカーを利用。
本庄宿から神流川を渡ると群馬県で、橋詰の右にある小さな常夜灯が出向けてくれる。
進むと「新町宿」に入るが、当初は玉村を経由していた街道を 直線的に変えた後にで
た宿場で規模も小さくなかったが、今は面影も見あたらず 散策して回る史跡等もない。
街道脇の「明治天皇行在所跡」に立ち寄って、旧中山道をそのまま北西方向に進んだ。
街道を走り JR高崎線の踏切を越えた先に、倉賀野追分「下町」があり 宿場町に入る。
まずは古商家利用の公共施設「おもてなし館」に立ち寄り、資料を頂いて車を預けた。
「倉賀野」の古くは武将の本拠地であり、江戸時代には中山道の江戸から12番目の
宿場町として、さらには利根川と烏川の川運を利用した物流拠点として大いに栄えた。
車を預けて散策を開始、街道を江戸方面に戻り「大山家」前から例幣使街道との分岐
地点で「道標」「常夜灯」を見学し、Uターンして 中町の古民家風の店でお蕎麦の昼。
食後 西に向かうと「本陣跡」の木札、さらに進むと右側に史跡「高札場/ 問屋場跡」。
その先が「上町」で、右側に明治期の建物を残す「脇本陣跡・須賀喜太郎家」がある。
さらに歩き古刹「安楽寺」を参拝して街道を離れ、市街地を南に入って「倉賀野神社」
から「倉賀野城跡」を廻り、烏川の河岸跡を眺めて出発地「おもてなし館」に戻った。
『おもてなし館で貰った資料は、おもてなし/どころか表も裏もあった!』と、独り言。
車で次の目的地へ、そこは江戸時代から一気に古代へ移って 岩鼻と綿貫地域の古墳群。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます