難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

5.13全国集会の堂本前千葉県知事のコメントについて

2011年05月13日 19時31分30秒 | 東北地方太平洋沖地震
堂本氏は、千葉県で全国初の障害者差別禁止条例を制定したときの知事で、無数のタウンミーティングを手話通訳付きで開いたと「自慢」していた?が要約筆記を用意していたとは言わなかった。
聴覚障害者は手話を理解する人だけではないということを未だに理解していないのが残念。

推進会議の委員として全難聴の委員の話を何度となく聞いているはずだ。

聴覚障害者6団体がこの全国集会を成功させたが今後ますます発展させるには、我々自身が聴覚障害や手話にたいする考え方を止揚する必要がある。

聴覚障害の本質の一つは音声と音が聞こえないということだ、手話は言語ということの中には聞こえる人との平等という意味があるがこのことにより、手話を使う人と使わない人との分断が持ち込まれては意味がない。

言語に手話が入る場合、言語は一般の言語を指すのではなく、音声言語のことを指している。あれこれの英語や日本語の民族ごとに使われいる言語のことではない。音声言語を使うことと手話を使うことは対等であるということだ。従って音声言語を手話で理解することと、要約筆記で理解することは対等だ。
障害者権利条約の合理的配慮とは個々の障害者に差別をなくす仕組みのことを指す。
手話を母語とする人には手話を、要約筆記が必要な人には要約筆記を、補聴器で聞きたい人は補聴援助システムを要するということだ。

もう一つの理解は、聴覚障害者は関係性の障害を持つということだ。聞こえの障害のために地域で暮らしていても職場でも人との関係が疎遠になる、密接な人間関係が築けないという障害を持っている。家族との関係すら危うい。
これはろう者も難聴者も変わらない。盲ろう者もおなじだ。

三つ目はこの二つの障害が外から見えないということだ。そのために気づかれにくく、理解を遅らせている。これも聴覚障害の特質だ。

聴覚障害の本質はろう者、難聴者、盲ろう者で同じだ。ニーズが異なるだけでそれを実現するために合理的配慮が必要なのだ。


ラビット 記

情報・コミュニケーション法整備を求める全国集会開催中!

2011年05月13日 14時05分24秒 | 東北地方太平洋沖地震

読売ホールで、WeLoveコミュニケーション法整備をもとめる全国集会が開催中。

デモの参加者数は700人と石野対策部長から報告。

谷博之民主党PT責任者、田中智子日本共産党参議院議員、自民党加藤紘一議員が挨拶。

パネルディスカッションは、小中対策本部事務局長、堂本睦子元千葉県知事、藤井克徳JDF幹事会議長が報告。

聴覚障害者6関係団体で開催。