東京都の中途失聴・難聴者向け手話講習会は今年30周年だ。昭和50年の1975年から始まったので、2005年の今年は30周年になることに、一昨日気がついた。
東京都の障害者福祉事業でこんなに長く継続している事業は少ない。何度も事業の廃止の動きはあったが、その度に受講生を中心に継続を働きかけて来た。それだけ、要望の強い講習会だ。
中途失聴・難聴者が手話を学ぶことの意味は何だろうか。同じ障害を持っている人と出会い、コミュニケーションの断絶から持っていた孤立感が消え、また不十分ながらもその場で通じるコミュニケーションの成就体験を重ねることにより、障害の本質を理解し、聞こえない自分を受容するようになることだ。
「手話を覚えていくうちにだんだんと自分を取り戻していくような気がする。無事卒業できれば、たとえ聴力を失っても少しずつ自信がついてくるような気がする」と書いた方もいた。
受講生を対象にしたアンケートの結果では、同じ障害を持っている人と学べることが89.9%、同じ障害を持っている仲間と出会えたことが88.8%と非常に多かった。このことは、中途失聴、難聴者は家庭でも地域でも人間関係が孤立していることを伺わせる。私も幼時から自分と同じように子供で聞こえないのは他にはいないと思っていた。
手話を学んで世界が広がったと答えた方が80.9%もある。補聴器だけでも読話だけでも不十分なコミュニケーションの機能を手話が補って、通じる楽しさを感じるからだ。
単なる手話の学習以上のものを学ぶこの中途失聴・難聴者手話講習会は講師の不足もあって、区市レベルではほとんど開催されない。
これだけ都民に喜ばれる税金の使われ方もない。東京都は、障害者自立支援法の成否に関わらず、継続すべきだ。
ラビット 記
東京都の障害者福祉事業でこんなに長く継続している事業は少ない。何度も事業の廃止の動きはあったが、その度に受講生を中心に継続を働きかけて来た。それだけ、要望の強い講習会だ。
中途失聴・難聴者が手話を学ぶことの意味は何だろうか。同じ障害を持っている人と出会い、コミュニケーションの断絶から持っていた孤立感が消え、また不十分ながらもその場で通じるコミュニケーションの成就体験を重ねることにより、障害の本質を理解し、聞こえない自分を受容するようになることだ。
「手話を覚えていくうちにだんだんと自分を取り戻していくような気がする。無事卒業できれば、たとえ聴力を失っても少しずつ自信がついてくるような気がする」と書いた方もいた。
受講生を対象にしたアンケートの結果では、同じ障害を持っている人と学べることが89.9%、同じ障害を持っている仲間と出会えたことが88.8%と非常に多かった。このことは、中途失聴、難聴者は家庭でも地域でも人間関係が孤立していることを伺わせる。私も幼時から自分と同じように子供で聞こえないのは他にはいないと思っていた。
手話を学んで世界が広がったと答えた方が80.9%もある。補聴器だけでも読話だけでも不十分なコミュニケーションの機能を手話が補って、通じる楽しさを感じるからだ。
単なる手話の学習以上のものを学ぶこの中途失聴・難聴者手話講習会は講師の不足もあって、区市レベルではほとんど開催されない。
これだけ都民に喜ばれる税金の使われ方もない。東京都は、障害者自立支援法の成否に関わらず、継続すべきだ。
ラビット 記
聴覚に障害を持つ公務員は、国家公務員から市町村自治体の職員まで幅広くいる。
一般企業の聴覚障害者同様に、いろいろな差別を受けている。まず、採用の前から大きな問題がある。採用試験の際に、要約筆記や手話通訳が用意されないとか、面接前にどういうコミュニケーション方法が必要とするか聞いても面接では通訳が付かなかったとか、面接で電話が出来るかどうか聞いたりする。
電話が出来るかどうか聞くのは障害を理由にした採用拒否につながる差別だ。職場配置に必要というが、それは採用後にどういう配慮、設備が必要か聞けば済むことなのに。
大概の場合面接で通常勤務では通訳は不要と言わざるを得ないことから、採用後も研修や会議の際に通訳の配置を要求しにくくなっている。
国や自治体が相手にするのは障害を持つ人も含む国民だ。障害を持っているからこそ、障害者向け施策が出来るというものだ。障害者基本法や障害者雇用促進法があっても、民間の範であるべき国や自治体が聴覚障害者の雇用に消極的なのはなぜだろうか。
莫大な累積赤字を抱えているから、通訳の配置まで予算がないというのだろうか。難聴者を含む聴覚障害公務員の処遇をきちんとしてこそ、国民、市民へのサービスが提供できるのではないだろうか。
昨年、聴覚障害公務員会が、聴覚障害を持つ人が国や全国の自治体の採用試験を受ける場合の条件や日程などを調査した。大変苦労してまとめたが、それらの内容の問題が今年解決しているのだろうか。
今年も採用試験が始まる。聴覚に障害を持つ仲間の合格を一人でも多く期待したい。そして、職場の環境改善に立ち上がって欲しい。
一般企業の聴覚障害者同様に、いろいろな差別を受けている。まず、採用の前から大きな問題がある。採用試験の際に、要約筆記や手話通訳が用意されないとか、面接前にどういうコミュニケーション方法が必要とするか聞いても面接では通訳が付かなかったとか、面接で電話が出来るかどうか聞いたりする。
電話が出来るかどうか聞くのは障害を理由にした採用拒否につながる差別だ。職場配置に必要というが、それは採用後にどういう配慮、設備が必要か聞けば済むことなのに。
大概の場合面接で通常勤務では通訳は不要と言わざるを得ないことから、採用後も研修や会議の際に通訳の配置を要求しにくくなっている。
国や自治体が相手にするのは障害を持つ人も含む国民だ。障害を持っているからこそ、障害者向け施策が出来るというものだ。障害者基本法や障害者雇用促進法があっても、民間の範であるべき国や自治体が聴覚障害者の雇用に消極的なのはなぜだろうか。
莫大な累積赤字を抱えているから、通訳の配置まで予算がないというのだろうか。難聴者を含む聴覚障害公務員の処遇をきちんとしてこそ、国民、市民へのサービスが提供できるのではないだろうか。
昨年、聴覚障害公務員会が、聴覚障害を持つ人が国や全国の自治体の採用試験を受ける場合の条件や日程などを調査した。大変苦労してまとめたが、それらの内容の問題が今年解決しているのだろうか。
今年も採用試験が始まる。聴覚に障害を持つ仲間の合格を一人でも多く期待したい。そして、職場の環境改善に立ち上がって欲しい。
難聴者がどういう基準で車を選ぶか。もちろん予算や家族構成、利用目的もあるだろうが、やはり車の静粛性だ。一昔前の車は走行音やエンジンの回転音が車内に響いて、会話が出来なかった。一時、ワイヤレスの送受信機を装着して乗っていたが、いちいち付けるのが面倒になってやめてしまった。
先日も難聴者の知人の車に乗せてもらったが、失礼ながら定年退職された方にしてはずいぶんと立派な車だなと思ったが、家族と会話をするために静粛な車を選んだと言う。やはり。
車内の会話といえば、会社の慰安旅行とか団体旅行で観光バスを使うが、幹事のゲームもガイドさんの名ガイドも良く聞こえないので、楽しさも半分以下だ。
東京都の難聴者協会はこのバスのバリアフリーに取り組んだ。全国中途失聴・難聴者大会のバスツアーのバスに補聴設備を付けたのだ。懸念したノイズもそう入らずに磁気ループで、バスの放送が補聴器ではっきり聞こえた。本当に簡単なアンプを付けるだけなので、普及すればかなり助かる。
さらに、普通は屋内の部屋で行う要約筆記も付けた。バスにオーバーヘッドカメラを積み込み、ガイドさんの話を要約筆記して、それをビデオカメラで撮って、ビデオ入力して車内のテレビに映したのだ。
バスの行き先表示は文字で出るようになって来たが、考えてみると、バスや劇場など聴覚障害者の生活におけるバリアーはまだまだたくさんある。
雨の中、車に鍵をかけようとして、何度もリモートキーのスイッチを押したがロックされない。いったん家に入って再度よく見たら、エンジンがかかっていた。停車中のエンジンの音が聞こえなかったのだ。
まだ、代車に乗っている。
今日の東京新聞に自転車事故の急増が取りあげられている。
記事で被害にあった人はみな高齢者だ。自転車のベルが聞こえず事故にあって、いつも後ろを振り返りながら歩くという体験も寄せられている。
自転車のベルは金属のカサをハンマーで叩く方式なのでチンチンという高い音が高齢難聴者には聞こえない。昔のペポペポというラッパだったら聞こえるかもしれない。
日本は人も自転車も歩道で一緒だが、昨年訪れたヘルシンキでは歩道に自転車レーンがあった。歩道の敷き石の色が変えられていたり線で区分されている。知らないで歩いていたら、ここはダメと注意されてしまった。
聞えの問題は、社会全体が理解していないと対応できない。
ラビット 記
聴導犬は補助犬のひとつだ。身体障害者補助犬法の施行により、盲導犬同様に公共の場などの入場を拒むことはできない。
聴覚障害を持つ人に対して、いろいろな音や信号音を知らせるように訓練されている。
盲導犬は、視覚障害を持つ人の移動、おもに歩行にあたって、指示を受けたり、信号や段差、妨害物をよけたりする。しかし、聴導犬は指示を受けることなく、屋内では来客のチャイム、室内外の異音や警報その他を聞いて知らせたり、道路では車や自転車の接近音を伝えてくれる。能動的に働く。
聴導犬は、この騒音にあふれた社会では大変な役割を背負わされているのではないか。何とか聴導犬の負担を軽くしたいものだ。
人の会話や放送などは通訳や字幕などが必要だ。
ラビット 記
聴導犬と他の補助犬の違い
http://www.hearingdog.or.jp/arimamoto/hojokenkouza4.htm
自立支援法に反対する緊急集会が日比谷野外音楽堂で開かれ、1万1千人の参加者が会場内外にあふれた。
呼び掛けから10日間でこれだけ集まるのはすごい。
8日か13日にも採決される可能性があるという。多くの障害者が反対する法律を何故そんなに急ぐのか、自立支援法の元は厚生労働省の障害者福祉施策の大改革案グランドデザインだ。これはもともと全国知事会など地方六部会が補助金削減の対象に障害者福祉事業を加えたことから、厚生労働省が対抗案として出したのだ。
つまり、財政問題が元になって出されているところに無理の根幹がある。障害者の自立は二番目以下だったのだ。国も地方も財政赤字で首が回らないのは障害者施策のためではない。毎日の新聞を賑わす談合や無駄な公共投資だ。
参加している障害者は介護を受けているが仕事の保障を求めている。そろそろ障害者も国民も馴れ合い政治や談合企業に矛先が向かいそうだ。
ラビット 記
道路の奧が国会。先頭は国会に着いていると思うが、会場ではデモの行列がまだ出発を待っている。
集会実行委員会では、当初会場では9千人と発表したが、その後参加者数を1万1千人としている。
http://www.normanet.ne.jp/~jadh/75action.html
昨日は都議会選挙の投票日だった。出先から急いで戻り、投票の責任を果たした。
投票所には車椅子用のスロープもあり、点字投票もできるが、難聴者には国民の基本的人権である選挙権は保障されていない。街頭演説は何を話しているのか分からないが、公職選挙法では要約筆記者がその場で書いても文書配布にあたるとして、認められていない。パソコン要約筆記で文字表示をすれば電光ニュース、ネオンに相当するとして、これも認められない。都議選のような選挙は政見放送もないので字幕も手話もない。選挙になると知人に投票依頼をするが、聞こえないからとファックスするとこれも文書になるのでできない。
しかし、今回の選挙は東京都青年会議所が選挙前に公開討論会を都内23区で開催し、これに手話通訳と要約筆記が付き、会場よっては磁気ループも設置された。民間の取り組みとはいえ、大変嬉しい。
これまでの選挙は聴覚障害者参政権委員会が政見放送ビデオ上映会で、手話通訳とOHPによる字幕を付けていた。これは聴覚障害者や手話・要約筆記関係団体の全くのボランティアで、とても全部の選挙区にはできない。
聴覚障害者のバリアフリーはまだまだ。字幕放送やインターネットの普及した今は、新しい形の参政権保障を考えなくてはならない。
ラビット 記
下記の写真は、NHKのおはよう日本の選挙報道。生放送に字幕放送が実施されている。
振動呼び出し器が棚から出てきた。使っていないので乾電池が液漏れしていた。
電話やファックスが着信したことを手持ちの振動器が震えて知らせる機械だ。昔流行ったポケベルみたいだがもう少し大きい。
確かに家の中ではファックスが来てもわからないが、今はパソコンや携帯のメールがほとんどだ。
電話は結構大きな音で鳴動するのでわかるが、IP電話に換えたら、ファックスの電話とファックスの自動切り替えが聞かなくなってしまったので、何でもプルルと鳴るので煩わしい。
この自動切り替え器が開発されたのは聞こえない人向けにファックスと違う方式の通信機が開発され、それがファックス/電話自動切り替えが効かなかったからだ。
情報バリアフリー技術の開発も周辺システムとの整合性が求められる。そのためにがJIS規格ができる。
ラビット 記
近くのアウトレットモールに出かけ、シャツを購入した。
大分体型も変わっているので、サイズを採ってもらった。首回りが39cm、袖丈が83cm。
難聴者は数字はとても聞きにくい。イチ、シチ、ハチと発音も口型が似ているからだ。普通の話のように聞こえない言葉を前後の言葉から類推ができない。
聞き漏らすまいと店員の口元を凝視していたら、口型を大きく話してくれ、私も復唱して聞くとゆっくりまた繰り返してくれたのでわかった。
私が難聴であることがどうしてわかったのか、いぶかった。ラメの補聴器は店員の反対側だし。
一緒に行った連れあいがピザの宅配をしている子供の話を聞かせてくれた。あるお客様に配達に行ったところ、自分の口をジッと見つめているのでこの方は耳が聞こえないのだなと思ったと。それで、どういう訳か普段は家の外では使わない手話で「手話ができますか」と聞いたんだそうだ。すると、その方はぱっと顔を明るくして、「出来ますよ、あなたは手話が出来るんですか」と聞かれ、子供はうんとうなづいて帰って来たということだ。
生まれた時から難聴の私たちと暮らしているので、親が口も見ながら話していることは当たり前の息子だから分かっているが、先の店員はどうして知っていたのか。
また、シャツを買いに行こう。
審議されている障害者自立支援法は、「地域生活」が元になっている。地域で福祉サービスが提供されることも大事だが、こうした障害者に対する配慮が社会に知れ渡っていて、地域住民も社会も自然に対応してくれるというのがこの法律の目標だ。
それなら、なおさら、障害者の声を聞いて進めて欲しい。
ラビット 記
我が家には、骨伝導電話がある。
「こつでんどう」は今は騒音の中でも聞こえる携帯電話の仕組みにも使われているので、知っている人もいるかも知れないが、音をスピーカーやイヤホンではなく、鼓膜の後ろにあるアブミ骨などを直接振動させて、聞く仕組みだ。
受話器の部分にある丸い振動子を耳介の後ろやアゴなどに当てて聞く。私には余り明瞭に聞こえなかったが、同居の祖母には大きな効果があった。音を感じる機能に障害がある感音性難聴には余り効果がないようだ。
しかし、この電話は購入した時は郊外の家電店で大々的に宣伝し、そこそこ売れていた。
一千万人に及ぶ難聴者の電話に対するニーズは大変大きなものがあるが、どういう訳か2、3のメーカーを除いて製造していない。
電気通信アクセス協議会が定めた電気通信機器のアクセシビリティ指針を元に、JISを作成し、現在審議中だ。これには、メーカーに磁気コイル対応や拡声機能が求められる。
ラビット 記
月末に勤務先の異動する人の挨拶があった。
入社時に寮で同居して以来の同僚だったので、感慨深い。私の難聴の社内の一番の理解者でもあった。異動先でも力を発揮して欲しい。
その後、派遣社員の退職の挨拶があった。えっ、退職するの?!初めて聞いたので、驚いた。2、3日前に新しい派遣の方と一緒に簡単な手話を覚えてもらったばかりだ。「ありがとう」、「おいしい」、「わかった」、「わからない」の四つ。これからと思っていたので残念だ。
こうした情報は会議でもあったはずだし、休憩時間などでも話されていたはずで、女性たちは品物を渡したりしている。それが私にはいかに伝わっていなかったかということだ。
結婚した女性を旧姓で呼んだり、4年間席を並べて仕事をしていた同僚が既婚者だと送別会でわかって恥をかいたことなど、数限りない。
問題は仕事に関わる情報も入らないことだ。過去に社内に大きな問題があって、自分だけ知らなかった時は大変ショックで、仕事に対する意欲が萎えてしまった。その問題が分からなかったこともさることながら、入社以来、自分が得られていなかった情報や知識の膨大さに気が遠くなったからだ。人間関係も希薄だ。
会社にグループウェアが導入され、これで社内の情報交換が活性化すると思われたが、甘かった。若手の課長すらメールなどでコミュニケーションはできないという。私の考えるコミュニケーションと会社で使われているコミュニケーションは違うのだ。
同じ職場に少し歩行やパソコン操作が困難な同僚がいるが、何が大変か見て分かるので皆気を使っている。しかし、聞こえなくて困っていることは周囲にはわからない。難聴の聞こえない自分にどれだけ情報が入っていないかもわからず、その必要性を訴えるのもコミュニケーションが必要で、大変困難を持つ障害だ。
この意味で社会の難聴者には戦友というか、強い連帯感を感じる。
新しいトップも「コミュニケーション」が大事だという。
再び、自分を奮い起たせなくてはならない。
ラビット 記