酔い日は佳い日

日々の食卓、晩酌事情。by こたりん

素材主義

2013-08-29 | 酒風景


ポテサラが食べたかったんじゃない。どうにもイモが食べたくなって、粉ふきにしてバーターをのせようか、じゃーまん芋にしようか、とか考えた挙句、こんなふうになった。

イモをマッシュして玉ネギ、キュウリ、そして少量のマヨ。なんだ、ただのポテサラじゃんと言われそうだが、使ったマヨはあくまでもつなぎだ。イモがはらはらと散らないように。
なら潰さなきゃいいじゃんと言われそうだが、そのままではただのイモなので何か混ぜてみたくなったという次第。

なんて、説明の多い回りくどいものをたまに食べたくなる時に偏屈な自分なのだった(いつもじゃんと言いなさるな)。

で、これをどうしたか。
マヨをピピっとかけてひとくち、ソースをかけてひとくち、あらびきマスタードでひとくち、醤油ちょっとでひとくち等など、一粒で二度おいしい、いやひと皿で何度もおいしくイモを楽しむという趣向だ。
これを舐め舐め酒を楽しむのである。

調味料過多で塩分多そう(笑)


記事中、何気なく一粒で二度おいしいと書いたが、自分は口癖のようにつかっている、これ実は我々世代には体に染み込んでいる懐かしのキャッチコピーだ。自分の記憶では、グリコの子供向けキャラメル「アーモンドグリコ」の宣伝に使われていたもの(違ってたら申し訳ない)。
キャラメルの中にアーモンドの粒が混ざっていて、キャラメル本来の美味しさに加えアーモンドの食感が加わって二度美味しいという意味だったと思う。

時は大量製造大量消費で日本が盛り上がっていた高度成長期。
テレビCMではサウンドロゴまであったような気も。違ったかなあ。

たしかに当時の裕福ではない少年(自分のこと)にはキャラメルは夢のような美味しさだったが、グリコのそれに関しては一粒で何度おいしかろうが何よりオマケが魅力。たしか、男の子用、女の子用と同じキャラメルで二つのカテゴリーがあったはず。

懐かしい。
グリコキャラメルは今にして思えば、駄菓子類とは一線を画するもので安い商品ではなかった。なので遠足の時、おやつは100円までですよという規制の中、けっこうなウエイトを占める悩ましいひと品であった。たしかメガネチョコ、ココアシガレットが5円とか10円の時代にグリコは30円とか50円だったような。

遠足の携帯品について、先生バナナはオヤツですか、というのはよくある話。
ちなみに自分の小学校では、バナナはお弁当の副食であってオヤツではないという見解だったような。昔々、遠足の前の日、学級会で先生からおやつの購入で関する諸注意があった際、バナナはオヤツじゃないですよとの先生の話に対し、ではトマトはオヤツですか、キュウリはオヤツですかの質問があがった。農家の子が多く、おやつと言えばそれ。自分も友達の家に遊びに行っては畑に入りその場であれこれ食べさせてもらったものだ。
終いにはカリンズは?ぐすべりは?トウキビは?花りんごは?と質問の嵐。業を煮やした先生は「家で作っている野菜や庭先の木に生っているものはすべておやつにあらず」と子供らの愚問を一蹴してけりが着いた。

そして遠足当日、ルールに従い悩み抜いて選んだおやつを皆が披露する中、ある子が出したのは持ってきたのはタッパにたくさんのイチゴだった。
後日、また学級会で、いちごは果物だろと大論争。つまり果物はおやつなので他に持ってきた菓子類と合算すると金額がオーバーする。先生、○○さんは間違っていると思いますなんて吊るし上げに対し当人は泣きながら「ばーちゃんが野菜だと言った」と反論。木になるものは果物でツルや葉のものは野菜だと言う。どんな判決が下ったか忘れてしまったが、平和な時代だったねえ(いや、当時の子供は意外と惨忍)。

あれあれ、朝から何を書いているんだか。話が逸れた。逸れまくり。
サゲないまま、これにて一巻の終わり。


注釈)「カリンズ」は赤スグリという小さな赤い実が房状に生るもの。「ぐすべり」はグースベリーのこと。田舎では舶来の果実だろうが日本語にしてしまう。「花りんご」は不明。低木に小さいリンゴのような実が生る。食べるとやらた酸っぱ渋い味。どれもよく農家の庭先に生っていた。また、バナナはオヤツじゃないから菓子の他に購入しても良いと言われても、当時バナナは高級品。誕生日か病気になった時しか食べさせてもらえなかった。