楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
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O (散歩に出て思うこと 28)

2004年03月15日 09時04分00秒 | つれづれなるままに考えること
(O)
丸なのか、ゼロなのか、オーなのか、これでは判らない。
文字は大別して二通りあって、表音文字、表意文字があるが、
世界では数え切れないほどの文字があるという。

ボクたちが住んでいるアジア地域は、文字の多さでは
世界で一番多いと聞いている。
何でも、3000以上の言葉があるというが、
数えたことがないので解らない。

元に戻そう。表題の(O)は血液型のO。
戦時中、国民全員が血液型を調べた。
それは爆撃などで怪我をして輸血が必要になったとき、
即座に解るように、着衣に名札を縫いつけ、
氏名と一緒に血液型を記していた。

家族(両親と兄弟6人)が全員血液型を同時に調べた。
父がB,母がA型で兄弟はAもしくはB型であったが、
ボクだけO型であった。
父母がA,B型であるので、兄弟からお前だけは、
「貰われてきた子だ」とからかわれた記憶がある。

これが後年まで記憶のそこにあり、
中学に入ってから血液型について、かなり勉強したことがある。
血液型は、A=AO型、B=BO型、O=OO型、
そしてAB型であることを知った。

この時、ボク自身が色弱であることから、
遺伝についてもかなり勉強したことは
以前(オバカサン 11/1付け)で書いた。

両親がAO,BO型からは、AO,BO,AB,OO型が
生まれることを知って、胸を撫で下ろした記憶がある。

最近の研究では、OO型同士の夫婦からは、
稀にAO型が生まれることも解っている。
このO型の人は、限りなくAO型に近いOO型なのであろう。

この両親の子供でAO型の子が生まれ、
血液型の遺伝について詳しくない御夫婦の場合、
悩ましい事件が起こりそうである。

「これは誰の子供?」という問題に発展しそう。
医師に説明を受けても、
「ハイ、そうですか」と即座に納得いかないに違いない。
紆余曲折を経て納得したにしろ、その子供は
きっとボクのように密かに調べることになると思う。

さて、血液型を研究された方の本によれば、
日本人は元々血液型A型であったらしい。
「らしい」とは、研究者も推測の域を脱しないないという意味だ。

日本列島の血液型分布の地図を作成すると、
北の北海道から始まりA型が多く、
南に下がれば下がるほどB型が混じって入り、
西へ行くほどB型が増えていく。
そして日本列島の中間に当たる関東地方は、
A,B型の人数が拮抗しているという。

歴史のその昔、日本は殆どがA型人間であった。
西の地方に、大陸からあるいは南方から異民族が
やってきてB型が混じっていった。
そう研究者は推理している。

ボクの父はB型である。
父の実家は450年以上も続く、旧家であるというが、
実は日本に移住してきた異民族の血が
流れていたのではないか?
思えば、父は髪の毛に癖があり、すこしカールしていた。
目は褐色に近く、二重瞼であった。
どう見ても異民族と思える。

A型の母は、目は黒く一重瞼で、直毛であった。
日本人らしい顔かたちをしていたから、どう見ても
日本人原人のようである。

母親の遺伝子が優性であったかどうか知らないが、
子供たちは全員、一重瞼で、直毛である。

そしてボクだけがOO型で、西へ行けばBO型の人が
殆どというが、山口県出身の母を持ち、
九州出身の父を持つ、台湾生まれのカミさんは、
AO型であるのに髪には癖があり、少々カールしている。
なおかつ、目は大きくて二重瞼だ。
血液型でいえば、B型がふさわしい。

その子供たちは、やはりボクの遺伝子が優勢なのか、
二人とも一重瞼であるが、髪の毛は直毛である。
血液型はAO型である。

つまり、どうも推測の域を脱しない血液型の分布地図は、
あまり当てにならないと、言うことになる。











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