楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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後悔 (散歩に出て思うこと 23)

2004年03月08日 09時30分00秒 | つれづれなるままに考えること
(我、事において後悔せず)
この言葉は宮本武蔵の「五倫の書」に出てくるという。
五倫の書を読んだことが無いので、確かかどうか判らない。

後悔とは、後で悔いること、であるが、辞書を引くと
次のようにある。

{後悔}=〈悔い改める気持ち〉 《形式》 repentance;
〈残念な気持ち〉 (a) regret;
〈自責の念〉 remorse

アルバム 4(男の子の15歳:私の場合11/14付)で書いたが、
この時以来、ボクは後悔していない。
まさに「我、事において後悔せず」である。

その時の後悔は、母の言いつけを守らず、弟を迎えに行かなかったことだ。

弟は叔母の家に一週間も遊びに行っていた。
叔母の家は、我が家からは電車に乗って
七駅くらい離れた田舎の農家であった。
同じ年頃の従兄弟がいて、楽しいので母は帰ってきたが、
弟だけ叔母の家に残った。その村に赤痢が流行している
ニュースを聞いて、母がボクに迎えに行くように云いつけたが、
ボクはクラブ活動のサッカーに夢中になっていて、
二日後なら迎えに行くと、返事がしてあった。

その二日後の朝、ボクが迎えに行こうとしている間に、
叔母に付き添われて弟が帰ってきた。
母の言いつけに背いて、ボクが弟を迎えに行かなかったために、
弟は赤痢に罹ってその日のうちに死んだ。

その後悔で、責任を取って自殺しようとした話は書いた。(11/14付け)
弟を思い出すと、自責の念に駆られる。
生き残ったボクに出来ることは、弟と二人分生きること、
弟と二人分のやらねばならぬことをしようと決心した。

しかし、弟を思い出す度に自責の念に駆られる。
弟のランドセル、弟の靴、帽子、写真、玩具などなど、
見る度に心はゆれる。
兄弟や両親が、話題として弟に触れるたびに、
「責任を取るべきではないか」と、ボクの心は激しく揺れ動いた。

どんなことでも、弟に関わる品物や言葉に触れるたびに、
心は自責の念で一杯になる。

ある時、責任を取ろうと決意して、腕に剃刀を当て、
引けばいつでも死ねる状態で、また考えた。

そして、弟の分も生きることで心に決着をつけた。

いつも精魂傾けて、これ以上のことは出来ないほどに、
全力を挙げて、事に当たれば後悔することは無い、
そう心に誓った。

以来ボクの人生は、何事にも精魂傾けて、
全力を傾注するよう心がけている。

そしてその後は、どんなに弟の話題が出ても、
弟の楽しそうな写真を見ても、二度と後悔することは無くなった。

そうした、心の整理が付かないで
苦しみや悲しみを引きずっている間に、
苦しみや悲しみの原因となっていることを、
周りで話題にすることは、苦しみ悲しみを抱いている人には、
耐えられないことであることを知った。

18歳程度の思春期の若者には、まだまだ心構えが
出来ているわけではないので、原因となるものに
接すると心は揺れ動くことになる。
出来ればその心がしっかり落ち着くまでは、
そっとして置いて上げるのが、人としての思いやりである。

亡くなった人の思い出を語る、
慰めのつもりでお悔やみを言う、あるいは激励することが、
かえって苦しみや悲しみを持つものの心を、
揺さぶり自責の念を煽り立てることになる。

そして苦しみや悲しみとは違ったところへ、
目を移すことが出来て、夢中になるものが
そこに出来たと思われる頃に、激励してあげるのが、
真にその方を理解しているといえよう。

ボクはその事件以後、何事にも、後悔したことが無い。
ご飯を食べるにも、仕事をするにも、ゴルフをするにも、
カミさんを愛する上でも、全力を尽くす。
これ以上のことは出来ないほど、全力を尽くすので、
後に後悔は残らない。

では、失敗したときはどうするの?
という疑問が残ると思います。
失敗した原因を追究し、反省はするが後悔はしない。
何故ならいつも全力で投球するから、それ以上の事は
出来ないからである。

そして今後二度と失敗しないように、
着実に実行できる手だてを考える。
いつも先のことしか考えない。

娘が小4の頃、担任の女先生の御父君が亡くなられた。
女先生は父と二人暮しで母親は先に亡くなられていた。
お通夜告別式には、生徒もその親も顔を見せた。
父上がなくなられて、三日目から生徒の親にお礼を言うべく
一軒一軒訪問された。

その折、大変でしたねと、お話しすると、父上を思い出されて、
ほろっと涙された。
聞くところによれば、父が仕事をしながら
一人で娘を育てたらしい。
わがまま一杯に育って、父に一度も優しい言葉を
かけたことが無かったことが悔やまれると、
涙ながら話をされた。

(生徒の親は、お礼に来ていただくより、
先生が早く仕事に復帰され、
子供たちに元気な姿を見せることを
期待していますよ)と、お話した。

先生は肯いて帰られた。
父上死後の後始末をすまして、先生は一週間後に、
仕事に復帰し、元気な姿を子供の前に見せた。
教壇では楽しそうに教鞭を振るっていらっしゃると、
娘から聞いた。
教鞭をとっている間は、授業に打ち込み、子供たちとふれあい、
きっと、父の死を忘れていられるであろう。

その後一週間も経たないうちに、その先生が亡くなられた。
生徒の父兄らは、そんな様子は見えなかったと、口々に噂話をした。
父兄たちは、先生が寂しかろうと毎夜のように、
入れ替わり立ち代り、先生宅を訪れていたらしい。

毎夜のように、慰めを言われて、先生は後悔で涙したらしい。
父兄の慰めが慰めにならず、先生の心には、慰めの言葉が、
言葉の暴力になっていたに違いないと、ボクは思う。
先生は自責の念に駆られて亡くなられた。

遺書に、わがまま放題であった自分をゆるしてもらうため、
天国で父に親孝行して、現世で足りなかった分を償いますと、
書いてあったという。

生徒の父兄が後悔しても遅いが、人の立場をよく考えて、
人には人の思いがけない苦しみ悲しみがあることを
考えるべきである。
その悲しみを掘り起こして、追い討ちをかけるようなことは、
止めたい。そっとして置いてあげるのが、本当の気配りである。

苦しみ悲しみから方向転換して、真の人生のあり方を探り、
後悔の原因となる事と決別して、他のことに興味を持ち、
後悔を思い起こさない何かに、没頭できるように仕向けることこそ、
大切なことではないだろうか?

苦しみ悲しみの痛みを、当事者でない他人がいつまでも
引きずって、当事者を追い込むことだけは、
どうしても避けたい。

医者の話では、ボクの寿命は「三年間生存率 30%」というが、
命の終わりは誰にもわからない。

仮にそこで命を終えたにしろ、ボクは心に残すものは何も無い。
いや、残さないように一所懸命生きている。

神の思し召しにより、いつ終わるか解からないが、
命ある限り後悔しないように、
今の信念(何事にも全力を尽くす)を貫き通したいものである。











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