僕には弟子が何人かいる。
ただし芸能や匠の世界の弟子と師匠の関係ではないし、自分のことを師匠などと呼ばれたいわけでは全くない。
言葉を変えれば、兄貴分と弟分、人生の先輩と後輩、そんな間柄か。
弟子などと言うと、師匠との上下関係がつきものだが僕の考えでは上下ではなく方向性が合致しているかだ。
弟子達に教えることは、物の考え方とか人としての生き様であり、何かの技術を伝えるというものでもない。
相談があれば聞いてあげるが、最終的には「自分がやるべきことをやりなさい」というとことん抽象的なアドバイスしかしない。
唯一具体的な教えは「親より先に死ぬな。順番は守れ」である。
そういった上で、互いに信頼関係で結ばれていて、何かのおりには旧交を暖める。
日本にもニュージーランドでもそういった人が何人かいるが、皆自分がやるべきことを淡々とやっている。
そのうちの一人がタイである。
タイとの出会いは20年近く前になるか。
クラブスキー場へのガイド会社を立ち上げたばかりの僕に、弟子入りを望んできたのが奴だった。
その時の僕は自分の生活で精一杯で、とてもそんな余裕が無かったので当時の相方のJCに託した。
奴が日本で数年の経験を経てニュージーランドに戻って来てから多少の面倒を見たものの、これといって具体的に何かを教えたわけではない。
奴は奴でブロークンリバーでシーズンを過ごし、フランツジョセフやマウントクックで技術を磨いた。
山の知識でもスキーの技術でも体力でもあっという間に追い越され、年齢という絶対に追い越されない点だけでかろうじて優位を保っている。
以来ズブズブというのか、なあなあというのか、ぬるま湯に浸るようにというか、とにかく奴との関係が続く。
そんなタイがガイドを務めるマウントクックのヘリスキーへ行ってきた。
以前から誘われてはいたものの何かと忙しかったりでタイミングが合わなかったがやっとその時が来た。
ヘリスキーはクィーンズタウンでもメスベンでもやったことはあるが、マウントクックがベストだと思う。
なんと言っても地形がすごい。
二つの海底プレートがせり上がって断層になり、それが捻れて隆起した山脈が氷河で削られた。
ヘリコプターでその上を飛んでいる時に心に浮かんだ言葉は『迷宮』
迷路という言葉が最初に出たのだが、それを打ち消すように迷宮という言葉が強く心に響いた。
迷路は平面を真上から見た二次元的なイメージが自分にあるのだが、目の前の景色はそそり立つ崖が複雑に絡み合い、より立体的である。
遊覧飛行でも何回か飛んだことがあるが、それはあくまで遠い視点から眺めるものであり、人間の存在がその地形に合致しない。
神の視点で山を見ているような気がするのだ。
だがヘリスキーの場合は、もっと山の近くを飛び、そのうちの一つの山頂もしくは尾根の上に降り立つ。
そこに立った瞬間に否応なしに自分の存在と地形を合致させなければならず、神の視点から一気に人間の視点に移行させられる。
人間の視点とは個々の存在を含んだものであり、自然の中での人間の無力感や一歩間違った行動を起こせばすぐに死に繋がる脆さをも含む。
山の上では個人の社会的地位や財産の有無と言った人間界での権威は一切意味を持たず、適した行動をするという状況判断だけが要求される。
そこで必要なのが山岳ガイドなのだ。
ヘリが飛行中はのんきに写真や動画を撮るのだが、狭い尾根の上に着きヘリから降りてから、ローターが巻き起こす強風に体を縮めやり過ごす。
ガイドのタイが全員のスキーを下ろし、荷物用のカゴやヘリのドアなどチッチッチと指差し確認をして、ヘリのパイロットにOKのサインを出す。
目の前のヘリがゆっくりと浮上して、あっという間に谷底の方向へ飛んでいくと、そこはただひたすらに静寂な世界だ。
神々の領域へいとも簡単に踏み込んだ感覚さえもある。
そこからは人間の楽しみ、スキーの世界である。
新雪は10cmぐらいだろうか、滑っていくと途中から雪質が変わり春の雪となる。
いずれにせよ人が踏んでいない所を滑るのは気持ちが良いものであり、複雑な地形の中でスキーを楽しんだ。
この日のスキーは終始、タイの仕事ぶりを見るような1日でもあった。
朝、集合してからの流れ、ヘリコプターのパイロットとのコミュニケーション、お客さんの技術に合わせた斜面の判断、天候の読み。
お客さんへの山の説明、ジョークを混じえたエンターテイメント、他のグループも含んだツアー全体の流れ、面倒臭そうな都会の金持ちへの対応まで。
雪山という人間の生活空間とは掛け離れた場所を仕事場にするのは、体力的にも精神的にも強くなければやっていけない。
すごい仕事だなぁと思ったし、立派なガイドになったなぁとも思った。
特にヘリの乗り降りの際の、指差し確認は時間にすれば1秒にも満たないものだが非常に好感を持てた。
一事が万事という言葉がある通り、そういう所の所作が大切なのだろう。
それをお客さんは見ていて、それがガイドへの信頼感に繋がる。
人間同士の関係というのは信頼と利害関係で成り立っている。
この人とは信頼が90%で利害が10%だけど、この人とは逆に利害が90%で信頼は10%、というようにそれぞれが無意識に関係を作っている。
利害関係とは利害が一致すれば強く固まるが、そうでなければバラバラになる。
一番わかりやすいのは、共通の敵がいればこちら側はくっ付く、イジメなどもこの構造だろう。
信頼とはそれとは性質が違うものでとにかく信用がベースにあるが、その割合は人それぞれだろうし常に流動的に動いているものでもある。
そしてまた信頼とは時間が作るものでもある。
長い付き合いの間に、こちらも向こうを見るし向こうもこちらを見る。
そういった上で、人間相互の関係ができる。
長い時間をかけて作った信頼関係とは強い絆でもある。
若造の頃から知っているだけに、立派なガイドに成長したタイを見て、かける言葉は一つである。
「その調子でどんどんやりなさい。」
こんな景色をバックにヘリを待つ。ガイドのタイは他所のグループの面倒を見たり何かと忙しそうだ。
そして本日の一本目。神々の領域で遊ばせてもらう。
タイが先頭を滑り、自分は他のお客さんの様子を見ながらテールガイドのつもりで最後に滑った。
今日の雲の動きは早く、その場での状況判断が要求される。
NZ最高峰マウントクックと二番目のマウントタスマンをこの角度で’見たのは初めてだ。
本日のというか今年の快心の一本。気持ち良かったぞ。
タイが滑っている所を撮ってくれた。なかなか自分が滑っているのを見る機会はない。
いやあそれなりにカッコいいじゃん。
お昼はこんな所で和気あいあい。
やるじゃん、オレ。まだまだいけるかなぁ。