翌朝、暗いうちに起き出す。
コーヒーを入れているうちに辺りが明るくなってきた。
コーヒーカップを片手に朝の散歩に出かける。
一面真っ白な朝もやに包まれ、木、シダ、コケ、土、岩、クモの巣、全ての物が細かい水滴をつけている。ベルバードの声が森に響く。美しい世界だ。
数時間前の夜の世界と同じでありながら違う世界。
朝の森のエネルギーを深く吸い込み深呼吸。文字通り深い呼吸は瞑想に通ずる。
小屋に戻ると何人かは起き出して行動を始めていた。ミホコ父もそこにいた。
「いやあ、おとっつぁん、お早うございます。よく寝られましたか?」
「ええ、もう、ぐっすりと」
「良かった良かった。お父さんは、今日は次の小屋までですよね。」
「そうです。もう一泊です。」
「じゃあ今日はゆっくりですね。昨日みたいなペースで歩いたら早く着いちゃうでしょうからね。まあ森を楽しみながら歩いてみて下さいよ。お父つぁんともここでお別れかあ。まあ、またどこかで会えますよね」
「ええ、ま、そうですね」
朝食を済ませ、荷物をまとめて小屋を出るときに親父が見送ってくれた。
「そんじゃ、おとっつあん、また会いましょう。気をつけて楽しんで下さい。」
「ええ、聖さんも気をつけて。あの・・・聖さん」
「ハイ?」
「あの・・・ミホコをこれからもよろしくお願いします。」
その言葉は僕にでなく、トーマスにだろう、と思ったが、それをその場で口に出すほどヤボではない。
「いえ、あの、そんなヨロシクだなんて・・・。それはこちらこそですから・・・」
あらためて言われるとドギマギしてしまうが、親の素直な気持ちだろう。僕の父だってこっちへ来た時に、僕の友達全員にそう言っていた。
その時の僕の言葉はゴニョゴニョと小さくなってしまったが、今ならはっきり言えるだろう。
「だーいじょーぶ、だーいじょーぶ、おとっつぁん。小屋の中にアンタの娘がしっかりやってる証拠があったじゃないの。娘さんは他の場所でのほほんと生きてるヤツより、よっぽど充実した生活をしているから」
親父に別れを告げ、僕は朝もや立ちこめる森を歩き始めた。
今日は1日森歩きだ。全体的に緩やかな下りでリラックスして歩けそうだ。
歩いていてもコケの美しさに見とれたり、ちょっとしたのり面で土ボタルのいそうな所で探したりするのでなかなか進まない。
しばらく歩いた所で森が開けた。頭上の雲は厚いが、朝もやは晴れて山は見える。
午前のポイントビッグスリップである。
トラックを離れ、岩場にザックを下ろし休憩。まだ歩き始めて1時間も経っていないのだが休憩。
気にいった場所があると迷わず休んでしまう。なかなか進まないわけだ。
目の前の大きな崖崩れは1984年1月の大雨でおきた物だ。ルートバーンにもその時にできた大きな崖崩れがある。
他にあちこちにも、僕の知らない所でこんなのがあるに違いない。
一体その時に何本の木が死んだのだろう。もしこれだけの人間が死ねば世間は大騒ぎなんだろうが、物言わぬ木が倒れても、それは自然界の一つの出来事なのである。
進行方向を向けば、遠くに谷の出口、そしてその向こうに雲に覆われた広い空が見える。あのあたりがマナポウリか。
旅も終わりに近づいてきたな。
僕は立ち上がり、大地にしっかり足をつき、深く息を吸い、止めて、ゆっくりと吐く。
見えないパイプは地球の核から僕の体を貫き、頭上の厚い雲を突き抜けその上にあるであろう青空、さらに上へ伸び無限の広がりの宇宙へと繋がる。
大地のエネルギーと天のエネルギーが胸のチャクラを開く。そのエネルギーは手足の隅々まで行き渡り、手がビリビリとしびれてくる。
こうなると、もう怖い物なしである。『木の気』も感じ取ることができる。
ブナの葉の上に手をかざすと、何かフワっとした暖かいものを感じる。
シダの葉っぱはもっと暖かい。これがコケだとフワっとした感覚はひんやりとしている。
植物によって気はちがうものなのだ。
気のせい?そう『気』のせい。ひょっとすると『木の精』なのかもしれない。
歩きながらでも、葉っぱの上に手をかざし木の気を楽しみながら歩く。
知らない人が見れば、何やってんだろこの人、と思うだろう。
ひょっとすると気味悪がられるかもしれない。
いい年したヒゲ面の親父が、歩きながら葉っぱに手をかざし、「おお」とか「わお」とか「うーん」とか「これはこれは」などと言い、ニヤニヤしてたら普通の人は寄りつかないだろう。
そんな歩きをしていると、ちょっとした台というか数mの段差になっている場所に出た。
一面クラウンファーンの森だ。休憩、休憩、僕はなかなか進まない。
クラウンファーンはその形が、昔の王様がかぶる冠のような形なのでクラウンファーンだ。ひねりは無い。
このシダが一面、森の奥、目の届かない場所まで地表を覆い尽くしている。
いろいろなシダが交ざるのもきれいだが、このように一つの種類がとてつもなくたくさん生えるのも幻想的で美しい。
無数のシダの葉は森を抜ける風にさわさわと揺れ、緑色の波をつくる。
そんな風景を見ながら昼飯。ハムチーズきゅうりサンドのランチも今日までだ。
歩き始めてすぐに森を抜けロッキーポイントという、文字通り岩がゴロゴロしている場所に出た。これまた休憩。
川に出て流れる水を手ですくい、飲む。
ウマイ水だ。
流れている水をそのまま飲める喜び。
南米ペルーを旅した時に、アンデスの山を歩いた。
きれいな清流が流れていたのだが、地元の人に飲んじゃダメだよ、と言われとても残念だった。
見た目にはきれいでも、人間には害のある菌かなにかがいるのだろう。
この国ではどこでも飲める。
これだけのことで僕は幸せになれる。
要はどれだけ水を飲むという単純な行為に意識を集中できるか。その時を深く味わえるか。
こういうことをするために僕はこの国に住む。
できればここでコーヒーでもいれてボンヤリしたいが、先はまだ長い。
僕は再び歩き始めた。
道はなだらかに下る。
トラックはよく整備され、道の脇には側溝がほってある。これがあれば雨の時に水は側溝に流れ道が痛まない。
日本ではこういう配慮がないようで、ミホコ父がしきりに感心していた。
ケプラートラックではケプラー・チャレンジという山岳レースがあるのでも有名だ。
これだけドラマのあるコースを早い人は6時間ぐらいで駆け抜けてしまう。
彼等は走るときにかなり神経がとぎすまされていて、そんなスピードで走りながらも、ここにこんな花が咲いているとか、この鳥がここにいたとか感じ取れるらしい。
ランナーのお客さんと一緒にルートバーンを歩いた時には、こんな所を走れたら気持ち良いだろうなあ、としきりに言っていた。
マウンテンランニングか。気持ちいいだろうなあ、それは。
自分もあと10キロ体重が少なかったらやるか?
いやいや、きっとその10キロ分はザックの中のビールとなり、あいかわらずえっちらおっちら山を登ることだろう。
視界の開けない森を歩いているうちにも、木々の向こうの山が遠くなっていくのが分かる。
標高も低くなってきた。今までなかったリムも姿を現す。
「やあやあ、リム君、ここでも会えたね」
細い棒状の葉を手で包む。この感触が好きだ。
まもなく急に視界が開け湖に出た。マナポウリだ。
水面は穏やかに静まり、厚い雲に覆われた空を映し出している。
遠くに見える対岸は人の住む世界だ。
湖から始まった旅は、山、森を経て湖に戻ってきた。
湖沿いに歩いていくと山小屋にたどり着いた。モツラウ・ハットだ。
この小屋にもやはりミホコの笑顔が貼ってある。親父よ、嬉しかろう、という思いを抱きつつ小屋を後にした。
すぐにシャローベイ・ハットの分岐点である。『レインボーリーチ1時間半、ハット25分』の看板。
寄り道、寄り道。将来、ひょっとするとシャローベイ・ハットを使う時が来るかもしれない。下見は必要だ。
僕はザックをシダの中に置いた。身が軽くなり、足取りも軽くなる。
道は一度湖に出て再び茂みに入りシャロー・ベイに着いた。ローカルのおじさん2人と会話を交わす。
こぢんまりとした小屋は定員6名。暖炉もある。薪になるような木はどこにでもありそうだ。
シャロー・ベイ、浅い入り江の名の通りなんだろう。子供が泳ぐのにも良さそうだ。
湖の向こう正面は、今日自分が下ってきた谷間、そしてラックスモアも見える。
ふうむ、悪くないな。駐車場から1時間半ぐらいで来れるだろうし、問題はサンドフライか。
いろいろな想いを持ちつつハットを背にする。
荷物の場所まで戻り、ザックを担ぎ先へ進む。
あと1時間ぐらいでこの旅も終わる。
湿地帯に脇道あり。開けた場所から山が見える。
風がでてきた。のんびりと休むような気分になれない。
疲れてきたのだろうか。今を集中するよりも、この先、旅の終わりに意識は向いてしまう。
その先で吊り橋を一つ越える。フォレスト・バーン。昨日の昼飯を食った場所から流れだしている川だ。
川面を見つめること数分。
想いは昨日の尾根歩きへ飛んでしまう。今この瞬間ではない。
そろそろ潮時だろう。
このトラックはレインボーリーチで終わった方がドラマチックだな。トーマスの言う通りだ。人の話は素直に聞くもんだ。
見慣れたワイアウ川沿いの森を抜け、レインボーリーチの吊り橋を渡り、僕は一つの山旅を終えた。
完
コーヒーを入れているうちに辺りが明るくなってきた。
コーヒーカップを片手に朝の散歩に出かける。
一面真っ白な朝もやに包まれ、木、シダ、コケ、土、岩、クモの巣、全ての物が細かい水滴をつけている。ベルバードの声が森に響く。美しい世界だ。
数時間前の夜の世界と同じでありながら違う世界。
朝の森のエネルギーを深く吸い込み深呼吸。文字通り深い呼吸は瞑想に通ずる。
小屋に戻ると何人かは起き出して行動を始めていた。ミホコ父もそこにいた。
「いやあ、おとっつぁん、お早うございます。よく寝られましたか?」
「ええ、もう、ぐっすりと」
「良かった良かった。お父さんは、今日は次の小屋までですよね。」
「そうです。もう一泊です。」
「じゃあ今日はゆっくりですね。昨日みたいなペースで歩いたら早く着いちゃうでしょうからね。まあ森を楽しみながら歩いてみて下さいよ。お父つぁんともここでお別れかあ。まあ、またどこかで会えますよね」
「ええ、ま、そうですね」
朝食を済ませ、荷物をまとめて小屋を出るときに親父が見送ってくれた。
「そんじゃ、おとっつあん、また会いましょう。気をつけて楽しんで下さい。」
「ええ、聖さんも気をつけて。あの・・・聖さん」
「ハイ?」
「あの・・・ミホコをこれからもよろしくお願いします。」
その言葉は僕にでなく、トーマスにだろう、と思ったが、それをその場で口に出すほどヤボではない。
「いえ、あの、そんなヨロシクだなんて・・・。それはこちらこそですから・・・」
あらためて言われるとドギマギしてしまうが、親の素直な気持ちだろう。僕の父だってこっちへ来た時に、僕の友達全員にそう言っていた。
その時の僕の言葉はゴニョゴニョと小さくなってしまったが、今ならはっきり言えるだろう。
「だーいじょーぶ、だーいじょーぶ、おとっつぁん。小屋の中にアンタの娘がしっかりやってる証拠があったじゃないの。娘さんは他の場所でのほほんと生きてるヤツより、よっぽど充実した生活をしているから」
親父に別れを告げ、僕は朝もや立ちこめる森を歩き始めた。
今日は1日森歩きだ。全体的に緩やかな下りでリラックスして歩けそうだ。
歩いていてもコケの美しさに見とれたり、ちょっとしたのり面で土ボタルのいそうな所で探したりするのでなかなか進まない。
しばらく歩いた所で森が開けた。頭上の雲は厚いが、朝もやは晴れて山は見える。
午前のポイントビッグスリップである。
トラックを離れ、岩場にザックを下ろし休憩。まだ歩き始めて1時間も経っていないのだが休憩。
気にいった場所があると迷わず休んでしまう。なかなか進まないわけだ。
目の前の大きな崖崩れは1984年1月の大雨でおきた物だ。ルートバーンにもその時にできた大きな崖崩れがある。
他にあちこちにも、僕の知らない所でこんなのがあるに違いない。
一体その時に何本の木が死んだのだろう。もしこれだけの人間が死ねば世間は大騒ぎなんだろうが、物言わぬ木が倒れても、それは自然界の一つの出来事なのである。
進行方向を向けば、遠くに谷の出口、そしてその向こうに雲に覆われた広い空が見える。あのあたりがマナポウリか。
旅も終わりに近づいてきたな。
僕は立ち上がり、大地にしっかり足をつき、深く息を吸い、止めて、ゆっくりと吐く。
見えないパイプは地球の核から僕の体を貫き、頭上の厚い雲を突き抜けその上にあるであろう青空、さらに上へ伸び無限の広がりの宇宙へと繋がる。
大地のエネルギーと天のエネルギーが胸のチャクラを開く。そのエネルギーは手足の隅々まで行き渡り、手がビリビリとしびれてくる。
こうなると、もう怖い物なしである。『木の気』も感じ取ることができる。
ブナの葉の上に手をかざすと、何かフワっとした暖かいものを感じる。
シダの葉っぱはもっと暖かい。これがコケだとフワっとした感覚はひんやりとしている。
植物によって気はちがうものなのだ。
気のせい?そう『気』のせい。ひょっとすると『木の精』なのかもしれない。
歩きながらでも、葉っぱの上に手をかざし木の気を楽しみながら歩く。
知らない人が見れば、何やってんだろこの人、と思うだろう。
ひょっとすると気味悪がられるかもしれない。
いい年したヒゲ面の親父が、歩きながら葉っぱに手をかざし、「おお」とか「わお」とか「うーん」とか「これはこれは」などと言い、ニヤニヤしてたら普通の人は寄りつかないだろう。
そんな歩きをしていると、ちょっとした台というか数mの段差になっている場所に出た。
一面クラウンファーンの森だ。休憩、休憩、僕はなかなか進まない。
クラウンファーンはその形が、昔の王様がかぶる冠のような形なのでクラウンファーンだ。ひねりは無い。
このシダが一面、森の奥、目の届かない場所まで地表を覆い尽くしている。
いろいろなシダが交ざるのもきれいだが、このように一つの種類がとてつもなくたくさん生えるのも幻想的で美しい。
無数のシダの葉は森を抜ける風にさわさわと揺れ、緑色の波をつくる。
そんな風景を見ながら昼飯。ハムチーズきゅうりサンドのランチも今日までだ。
歩き始めてすぐに森を抜けロッキーポイントという、文字通り岩がゴロゴロしている場所に出た。これまた休憩。
川に出て流れる水を手ですくい、飲む。
ウマイ水だ。
流れている水をそのまま飲める喜び。
南米ペルーを旅した時に、アンデスの山を歩いた。
きれいな清流が流れていたのだが、地元の人に飲んじゃダメだよ、と言われとても残念だった。
見た目にはきれいでも、人間には害のある菌かなにかがいるのだろう。
この国ではどこでも飲める。
これだけのことで僕は幸せになれる。
要はどれだけ水を飲むという単純な行為に意識を集中できるか。その時を深く味わえるか。
こういうことをするために僕はこの国に住む。
できればここでコーヒーでもいれてボンヤリしたいが、先はまだ長い。
僕は再び歩き始めた。
道はなだらかに下る。
トラックはよく整備され、道の脇には側溝がほってある。これがあれば雨の時に水は側溝に流れ道が痛まない。
日本ではこういう配慮がないようで、ミホコ父がしきりに感心していた。
ケプラートラックではケプラー・チャレンジという山岳レースがあるのでも有名だ。
これだけドラマのあるコースを早い人は6時間ぐらいで駆け抜けてしまう。
彼等は走るときにかなり神経がとぎすまされていて、そんなスピードで走りながらも、ここにこんな花が咲いているとか、この鳥がここにいたとか感じ取れるらしい。
ランナーのお客さんと一緒にルートバーンを歩いた時には、こんな所を走れたら気持ち良いだろうなあ、としきりに言っていた。
マウンテンランニングか。気持ちいいだろうなあ、それは。
自分もあと10キロ体重が少なかったらやるか?
いやいや、きっとその10キロ分はザックの中のビールとなり、あいかわらずえっちらおっちら山を登ることだろう。
視界の開けない森を歩いているうちにも、木々の向こうの山が遠くなっていくのが分かる。
標高も低くなってきた。今までなかったリムも姿を現す。
「やあやあ、リム君、ここでも会えたね」
細い棒状の葉を手で包む。この感触が好きだ。
まもなく急に視界が開け湖に出た。マナポウリだ。
水面は穏やかに静まり、厚い雲に覆われた空を映し出している。
遠くに見える対岸は人の住む世界だ。
湖から始まった旅は、山、森を経て湖に戻ってきた。
湖沿いに歩いていくと山小屋にたどり着いた。モツラウ・ハットだ。
この小屋にもやはりミホコの笑顔が貼ってある。親父よ、嬉しかろう、という思いを抱きつつ小屋を後にした。
すぐにシャローベイ・ハットの分岐点である。『レインボーリーチ1時間半、ハット25分』の看板。
寄り道、寄り道。将来、ひょっとするとシャローベイ・ハットを使う時が来るかもしれない。下見は必要だ。
僕はザックをシダの中に置いた。身が軽くなり、足取りも軽くなる。
道は一度湖に出て再び茂みに入りシャロー・ベイに着いた。ローカルのおじさん2人と会話を交わす。
こぢんまりとした小屋は定員6名。暖炉もある。薪になるような木はどこにでもありそうだ。
シャロー・ベイ、浅い入り江の名の通りなんだろう。子供が泳ぐのにも良さそうだ。
湖の向こう正面は、今日自分が下ってきた谷間、そしてラックスモアも見える。
ふうむ、悪くないな。駐車場から1時間半ぐらいで来れるだろうし、問題はサンドフライか。
いろいろな想いを持ちつつハットを背にする。
荷物の場所まで戻り、ザックを担ぎ先へ進む。
あと1時間ぐらいでこの旅も終わる。
湿地帯に脇道あり。開けた場所から山が見える。
風がでてきた。のんびりと休むような気分になれない。
疲れてきたのだろうか。今を集中するよりも、この先、旅の終わりに意識は向いてしまう。
その先で吊り橋を一つ越える。フォレスト・バーン。昨日の昼飯を食った場所から流れだしている川だ。
川面を見つめること数分。
想いは昨日の尾根歩きへ飛んでしまう。今この瞬間ではない。
そろそろ潮時だろう。
このトラックはレインボーリーチで終わった方がドラマチックだな。トーマスの言う通りだ。人の話は素直に聞くもんだ。
見慣れたワイアウ川沿いの森を抜け、レインボーリーチの吊り橋を渡り、僕は一つの山旅を終えた。
完