あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

6月25日 Porters

2012-06-26 | 
ポーターズは22日にオープンした。
積雪は35cm、山の上部では50cmほど。
ベースはほぼ出来上がっている。
下部の雪の薄いところはこれからも人工降雪機で雪を作っていくことだろう。
この日の天気は上々。風は強いが快晴だった。
山頂に一人。
この景色は去年と全く変わらずボクを包んでくれた。
ただ西の方からは雲が広がってきているので、これから一荒れ来るだろう。


この辺一帯のプリンを並べたような地形は独特だ。


レイク・コーリッジが青い水を湛える。ニュージーランドは水が豊かな国だ。


マウントハットもきょうは快晴。平野の彼方に広がるのは太平洋だ。


この時期、雪の薄い場所もある。ゲレンデの石拾いはパトロールの仕事だ。


あわてないあわてない、一休み一休み。


山の上部は日当たりが良いが、下部は影の中である。


西の方から雲が押し寄せてきた。


ベースはほぼ出来上がった。あとは次の新雪を待つ。


この場所に身を置くことが幸せ。
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マウント・セバストポール

2012-04-08 | 
山が遠くなっていた。
山というのは不思議なもので近い時にはいつでも行けるが、一度遠くなり始めるとどんどん離れてしまう。
これは距離の話ではない。たとえ山が間近にあろうと歩く機会がないと指をくわえて見ているだけで山歩きのチャンスがめぐってこない。
言い訳はそれこそ山ほどある。
天気が悪い。風が強い。暑い。寒い。面倒くさい。疲れている。時間が無い。忙しい。
言い訳は全てやらない自分を正当化するためのもので、そんな言い訳を並べあげる自分を山は黙って見ている。
しばらく山にも登ってないしそろそろ登りたいな、と思い始めた頃に機会が来た。
そのツアーはゆったりツアーで、マウントクックビレッジに到着したのは午後も早い時間。その後はまるまるフリー。
南島を高気圧がすっぽり覆い、天気はこれ以上ないというぐらいの快晴である。
山がボクに行けと言っている。これは行かねば。
パックに必要なものを詰め、トレッキングブーツを履き、歩き始めた。



なんとなく今日はレッドターンズへ行ってみようか。
なんとなくというのは直感である。直感に従っていれば間違いはない。
時間を見ながら登り、行けるところまで行けばよい。
そんな気持ちで歩き始めた。
レッドターンズ往復2時間、という看板が出ている。
えてしてこういう観光ルートは時間を長めに書いてある。最後に行ったのはもう何年も前になるのでよく覚えていないがそんなに時間はかからなかったと思う。
まあとにかく行ってみよう。
道はすぐに急勾配となる。急な登りをガシガシと登る。すぐに汗が噴き出してきた。
日差しはきついが風はさわやかである。
これこれ、この感覚。
忘れていたものを思い出すこの感覚が好きだ。
途中の沢で水を汲む。
この国の山では流れている水をそのまま飲むことができる。
ボクはこれは最高の贅沢だと思う。
有史以前から人間が当たり前にやっていたことが、今の地球では贅沢なことなのだ。
レッドターンズには結局35分で着いた。悪くないタイムだ。
体調は万全、日もまだ高い。となればさらに上へ。
セバストポールへ登ろう。即座に決めた。



セバストポールには8年ぐらい前に1回登った事がある。その時も仕事の合間に登った。
ルートはそれほど難しくないはずだ。
整備された山道から、踏み跡をたどるルートへ進む。
ガレ場に道らしきものがあるのでそれをたどる。
そこへ入った瞬間、ピリっとした緊張感に包まれる。この感覚も好きだ。
この先は観光客も来ない本格ルートである。
レッドターンズまでは人もちらほらいたが、この先ではこの時間帯、人はいないだろう。
ザックには救急セットも入っているし、携帯電話も通ずる場所なので万が一にはそれを使うだろうが、こういったものは雪崩ビーコンと同じ。持っていて使い方を知っていてそれでいて使わない、というのが望ましい。
頼るのは自分のみ。単独行の醍醐味である。
ボクは気の合う友と山へ行くのも好きだが、一人で行くのも好きだ。
単独行というのは全ての判断、責任を自分で背負う。
ルート取りだって複数で行動するのとは違うものになることもある。
なによりも精神的なプレッシャーが大きい。
ルートが難しくなるほど、危険が大きくなるほど、ビリビリした緊張感も大きくなる。
その分、達成した時の感動も自分だけの物である。





ガレ場をしばらく歩き、急な登りとなる。
ペースを変えずガシガシ登る。額から流れ落ちる汗が心地よい。
なまっていた体が、どんどん山に順応するのが分かる。
忙しいという言い訳で遠ざかっていた山が再び受け入れてくれた。
忙しいとは心を亡くすことだ。
山に戻ってきて、僕の心も戻ってきた。
体力は使っているが、心は満ち足りている。心の充電だ。
時々、足を止め水を補給し、足元に生えているスノーベリーを口に入れる。
スノーベリーの果実のほんのりした甘みが口に広がる。ニュージーランドの夏の味である。
道は険しく急である。ランクをつけるとしたら中級コースか。
こちらの中級コースは日本で言う上級コースだ。
これはスキーの世界でも同じことだ。
日本のスキー場の上級コースはこちらの中級コース。
日本の超上級コース、上級者限定コースはこちらの上級コース。
そしてこちらのダブルブラックダイアモンド、超上級コースは、日本のスキー場ではコースにならない立ち入り禁止エリアである。
このセバストポールへ登るコースも風が強ければ稜線上から吹き飛ばされるだろう。
ここではないが近くのコースでは実際、風に吹き飛ばされて人が死んでいる。
天気が悪い時に無理に登る山ではない。
自然の中では人間は無力な存在である。
だが今日は無風快晴。ありがたく自然の営みを感じさせてもらおう。



急な岩場を越えると山頂は間近だ。
ここは登るより下る方が怖いだろうな。高所恐怖症の人ならここは無理だろう。
岩場にはエーデルワイズが咲き乱れている。娘がリコーダーでエーデルワイズの曲を練習していたことを思い出した。
ほぼぶっ通しで登り続け足が悲鳴を上げ始めた頃、山頂に着いた。
登り始めてから1時間40分。
なまっていた体にしては上出来だ。
日はまだ高い。ゆっくりと周りの景色を堪能する。





山の南側にはマッケンジー盆地、そして独特の色をしたプカキ湖が延びる。
ほんの数時間前に湖沿いの道をドライブしてきたばかりだ。
眼下にはレッドターンズの赤茶けた池塘(ちとう)。ターン、池塘とは高層湿原の池のことである。
そしてマウントクックビレッジがちんまりミニチュアのように固まる。
背後には目の高さよりやや高い場所に名も知らない氷河が横たわっている。
この場所からだとクックの東側のタスマンバレー、その奥にあるタスマン氷河の氷河湖。クックを挟んだ西側のフッカーバレーと両方見える。
高い所に登ると地形が立体的に見える。鳥というのはこういう視点で世界を見ているのだなあ。
そして二つの谷間の間に、どかーんとアオラキ・マウントクックがそびえ立つ。
いつもながらこの山で感じる自然のエネルギーは絶対なる存在感だ。



ボクは手を合わせ山に拝む。
山というのは信仰の対象だ。
日本にも古来、山を崇拝する民がいた。
マオリの神話でも、神様の4兄弟の長男がこの山になったと言う。
その長男の名前がアオラキであり、正式名称はアオラキ・マウント・クックである。
山とは神であり、神は自然であり、人間もその一部である。
山と空、大地との一体感。幸せである。
何故自分がこの世に存在するのか、という問いの答の一つがここにある。
ボクは感謝の言葉を唱えた。
「山よ、今日も晴れてくれてありがとう。おかげでお客さんも喜んでくれました。ボクも楽しく遊ばせてもらっています。無事に下まで下るまで見守っていてください」
山頂に一人。
孤独感は全く無い。
それよりも自然に包まれる恍惚感がある。
ボクは当たり前の言葉を口にした。
「やっぱり山はいいなあ」
存在感の塊のような山がボクの言葉を黙って聞いていた。





こんな場所だったら何時間でもいられるが、そうも言っていられない。
人間には人間の営みがある。
山は登ったら下らなくてはいけない。
鉄則だ。
そして下りは登るよりも難しい。
山の事故のほとんどは下りに起きる。
母親が滑落して死んだのも山の帰り道だ。
次にやることは無事に下ること。
事故が起こらないように、とイメージするのではない。
無事に下り美味しくビールを飲んでいる自分をイメージする。
再び山に向かい手を合わせ拝む。
山の神、アオラキがそれを受け止める。
そしてマオリの父方の神、イーヨマトゥアが肩口から見守る中、ボクは下り始めた。



下りはあくまで慎重に。一歩一歩踏みしめながら歩く。
岩場では手を岩にかけながら、充分すぎるぐらい慎重に下る。
時間を競うわけではない。無事に下ることだけに意識を集中させる。
それでも下りは早い。
あえぎながら登ってきた斜面もあっという間に過ぎ、立体的な景色はどんどん狭くなる。
ガレ場を下りきりレッドターンズに着いた時に、ビリビリした緊張感は抜け、ホーっと肩から力が抜けた。
ボクはこの感覚も好きなのだ。
いつの間にか日は傾き、眼下のビレッジは半分影の中に入っているが、僕がいる場所や山々はまだ日が当たっている。
ここで休憩。リラックスタイムだ。
背後のセバストポールを見上げ、自分を誉める。
「あそこまで登ったのか、良くがんばったな」
そして再び山に手を合わせる。
「無事に降りてきました。ありがとうございます」
おおげさな、と思う人がいるかもしれないが、山の怖さをボクは知っている。
同時に山の美しさと暖かく包み込んでくれる感覚も知っている。
その両方、これが即ち自然の愛である。



レッドターンズからの下りは整備された道を下る。
山の余韻に浸りながら、最後の最後まで気を緩めずに麓へ着いた。
宿でシャワーを浴び、ビールを片手に外へ出る。
谷間の底は完全に影に入っているが、山の上部にはまだ日が当たっている。
山に登る前に冷蔵庫に入れておいたビールはキンキンに冷えている。
「大地に」
ボクはつぶやくとビールを大地に流した。
十年以上前になるが、友が始めた儀式『大地に』。
自然の中でとことん遊ばせてもらった日の、最初のビールの一口は大地に捧げるという儀式である。
これをするのも久しぶりだ。
ボクは冷たいビールを喉に流し込んだ。
「くわーっ、うめえ!幸せだなあ。」
山が黙ってボクを見つめていた。

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10月9日 ブロークンリバー

2011-10-13 | 
10月に入り近辺のスキー場は軒並みクローズ。
この辺で開いている所はマウントハットとブロークンリバーだけだ。
この時期になると山に雪はあっても人が来ない。
先週はブロークンリバーでも20cmの新雪があったが、タイミングが合わなかった。
週末、天気が良くなるのを見計らって、オークランドから帰ってきた女房も一緒に家族でブロークンリバーに出かけた。
この日はクラブフィールド2回目というユタカも一緒だ。
彼は元ガイド、今は専門学校で建具の勉強をしているという。オリンパスに1回行ったことがあるがブロークンリバーは初めてだ。
金曜日に西海岸に住むタイから連絡があった。
週末にブロークンリバーに上がるという。
それならホワイトベイトを持ってこい、こっちからは自家製卵を持っていくぞと。
今年はまだホワイトベイトを食べていない。それを楽しみに僕らは山に向かった。
他のスキー場がクローズ、そして天気の良い日曜日、学校は春休みとあって駐車場はいっぱい。
グッズリフト乗り場にも行列ができ30分ほどの待ちがあった。
以前は駐車場から30分かけて歩いていた。それを思えば30分待ちというのはトントンだ。
だが人間の慣れというのは恐ろしいもので、これぐらいの待ちでもイラっとしてしまう。
まだまだ人間ができていない。
雪の状態は、日の当たらない場所はガチガチ。日が当たり緩んだ所を狙って滑る。
春の山の楽しみ方である。
上へ行くとすぐにタイに出会った。ユタカも言葉を交わす。
ユタカはタイと1回だけ面識があり、又会いたいと思っていたそうだ。
こうなればいいなと思ったことは実現する。それにはタイミングというものも大切だ。



パーマーロッジに着き、先ずはビールを1本。
ひたすらのんびり、これが春スキーだ。
女房と娘はここで読書。ゆったりするために本を持ってきてある。
ボクとユタカは山頂へ向かう。
100人いたら100通りの山の楽しみ方がある。こうでなければいけないというものはない。
山頂まで行けば奥の景色も見える。
ボクには見慣れた風景だが、ユタカは感動の渦に巻き込まれているようだ。
そりゃそうだろう。
自然が好きで山が好きでスキーが好きな人がここに来て感動しないわけがない。
彼はガイドをしていたぐらいなので、この辺の地理にも明るい。
アーサーズパスの主峰ロールストンもすぐに見つけられた。
全てを説明しなくても、1教えれば10理解できる。こういう人と一緒に行くとこっちも楽だ。
そしてアランズベイスンへ。スキー場のメインから全く見えないところで広大なエリアがあるというのは魅力だ。
ここへ来れば人工構造物は一切なく、気分はバックカントリーである。
自然の中に身を置くことにより、人は人間の小ささを知り自然の雄大さを知る。
そこらじゅうに雪崩の跡はあり、時と場合によっては人は埋まって死ぬ。
人間は自然の中では無力であり、死は常に隣り合わせのものだ。
故に生きているこの瞬間の大切さもそこにある。
山は何も言わないが、自分の心を通してそれを教えてくれる。
フィールドは常に学びの場であり、自分が試される場でもある。



パーマーロッジに戻り昼飯だ。
お目当てのホワイトベイトを持っているタイはまだどこかで滑っているのだろう。
まあそのうちに来るだろうから、自分の持っている物を焼き始める。
いつもこの時期は来る途中にアスパラを買い込んで、持参のベーコンでアスパラベーコンをするのだが、今日はアスパラが無かった。
行きつけの肉屋のグルメチーズソーセージを焼く。
ソーセージは大きいので半分に切って焼く。焼いているうちに中のチーズが溶けてにじみ出てくる。旨そうだ。
ちょど焼けたころ、タイとキミがパーマーロッジに戻ってきた。
いよいよメインディッシュのホワイトベイトである。
そそくさと準備を始めたタイに言った。
「タイよ、知ってるか?ポルシェだってフェラーリだってガソリンが無きゃ走らないんだぞ」
「はあ、まあそうですね」
「だからオマエもこれを飲みながらやりんしゃい」
ボクはスパイツのロング缶をヤツに手渡した。
こうでなけりゃ始まらない。
先ず卵を黄身と白身に分け白身を泡立てる。黄身も良く溶きホワイトベイトを入れ、泡立てた白身をそこに入れざっくり混ぜる。そして焼く。
「このレシピはアイヴァンが教えてくれたんだけど、これが一番美味いんですね」
タイが言う。
アイヴァンは僕達の共通の友達で、鴨撃ちもすれば、海に潜りクレイフィッシュも取る。自然の中で採れる食べ物は山菜、木の実、獣から鳥、魚介類、何でも取る男だ。
前回の話でさんざん白人の味覚をこきおろしたが、こういう繊細な味を作るワイルドな男もいる。
そして美味いやり方があれば、すぐに自分の物として取り入れてしまうのが僕達日本人だ。
タイが西海岸で取ってきたホワイトベイト、東海岸の家の庭で取れた卵がブロークンリバーでご馳走になった。まるで交易所だ。
「うわあ、黄色い!」
キミが叫んだ。。庭の菜っ葉を食べて育ったニワトリの卵は黄色が濃く、そしてこくがある。
持参したレモンを絞り、パンにレタスをはさみ、いただきます。
焼き上がりはふっくら、ホワイトベイトの白身の繊細な味、卵のこく、シャキシャキのレタス、風味付けのレモン。全てが完璧だ。
深雪も喜んでガツガツ食う。子供が健全な食べ物を喜んで食べる姿は宝だ。
しかもこのロケーション。雪山、青空、家族、友人、美味い食い物、ビール。
欲しいものは全てここにある。





パトロールのヘイリーがやってきてサーモンを焼き始めた。
タイがホワイトベイトのパテをヘイリーに差し出す。
ヘイリーにとってホワイトベイトは珍しいものではない。ヤツはちょっと味見して残りはカナダ人のスタッフにさらにおすそ分け。
こうやって幸せのバイブレーションは人から人へ伝わる。
なんとなくヘイリーと2ショットで一枚パチリ。この男とは長い付き合いだが一緒の写真はほとんど無い。たまにはこういうのもいいだろう。
焼きあがったサーモンをわさび醤油でヤツが食い、半分ぐらい残っているのを僕達のテーブルにドンと置き、「残り全部食っちゃえ」と言い残し去っていった。
テーブルの上には、これでもかと言わんばかりにご馳走が並ぶ。
横で見ていた人が「ソーセージにホワイトベイトにサーモン?次は何が出てくるんだ」と目を丸くしていた。
筋書きなら前菜に春の味覚アスパラベーコンだったけど、とてもそれは食いきらなかった。
アスパラが無かったというのも、これまたタイミング。
持ってきたベーコンはタイに西海岸に持って行ってもらう。ブロークンリバー交易所だ。





食後の運動に再びアランズベイスン。
雪山体験のグループが雪洞を掘った跡が残っており、深雪が中に入って遊ぶ。
いつかはこういう所で親子でキャンプをするのもいいだろう。
そして最後の1本はアランズベイスンから駐車場までのロングラン。
雪は適度に緩み滑りやすい。
「気持ちいい~」
女房が歓声をあげて滑ってきた。
そう、スキーは気持ちのいいものだ。
一番下まで滑ると雪はなくなり小川が流れている。
その小川の水をすくって飲む。
雪融け水は芯から冷たく、そして旨い。
何の心配も無く流れている水を飲める場所で僕たちは遊ぶ。
これこそが至上の喜びであり、こういう場所にいられることに感謝なのだ。
帰り際に振り返り、山の神に別れを告げる。
自分が感謝の心を忘れずに謙虚な気持ちで山に向かうことで、山は大きな喜びを人に与えてくれる。
僕たちは自然のエネルギーを充分にもらい帰路についた。


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8月21日 雪情報

2011-08-23 | 
今シーズン初のBR(ブロークンリバー)である。
日曜日だったので女房と娘の3人でファミリースキーだ。
今年はクィーンズタウンへ行ったり、ポーターズへ通ったり、ハットで滑ったりしていて、BRへ来る時間がなかった。
まあシーズン始まる前からBRに行くのは8月半ばになるだろうと思っていたので、予定通りと言えば予定通りである。
途中でタイとキミに出会う。彼らに会うのも半年ぶり。フォークスへ遊びに行った時以来だ。連絡を取って待ち合わせなどしなくても、会うべく時に会うようにできている。
パーマーロッジでほっと一息。
やっぱり自分にとってこの場所が一番しっくりくる。
こここそがボクのホームゲレンデだ。
パトロールのヘイリーも健在。固い握手をしてホンギ(鼻と鼻をくっつける、マオリの挨拶)を交わす。
友達のマリリンも指を骨折しているにもかかわらず滑りに来ている。彼女にはこの山にいることが何よりの薬なのだろう。
シーズンで最初の日はいろいろな人と挨拶を交わすのが忙しい。なかなか滑りに行けない。
ロープトーを乗り継ぎ山頂へたどり着くと、山はいつもと変わらず優しさで暖かくボクを包んでくれた。


キャッスルヒルにも新雪20cm。誰かが滑った跡がある。



国道から正面がBR。パーマーロッジやロープトーもこの位置から見える。
ここから向こうが見えるということは、向こうからこの道も見えるということだ。



パーマーロッジは日曜日の賑わいを見せる。



娘が女房の後を滑ってきた。



娘は9歳。この日初めてロープトーに1人で乗った。



スノーボーダーが山頂から滑ってきた。



今シーズン初のBRで娘もご満悦。子供の笑顔に勝るものはない。



南アルプス。雪を載せた山並みがどこまでも連なる。



アランズベイスン。風で叩かれた新雪が20cmほど。



今年、新しい看板ができた。



娘が喜んでパウダーを滑る。



のんびりと家族でスキー。幸せは常にそこに有る。



名物コース、リマーカブルを誰かが滑った。



帰りは駐車場までパウダーラン。ヘリスキー1本分はある。
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ガンズキャンプに雨が降る。

2010-12-31 | 
雨、雨、雨。
小屋の中は石炭ストーブが赤々と燃えているが、外はバケツをひっくり返したような土砂降りの雨である。
今回の仕事はミルフォード一泊二日。
お客さんをミルフォードサウンドへ送り、夕方4時半の船が出航したら次のピックアックは明朝9時。
それまでは自由。自分の為の時間である。
普通ならミルフォードサウンドにあるロッジに泊まるのだが、ピークシーズンで一杯の為、ホリフォードにあるガンズキャンプに泊まることとなった。
ここには何回か来た事はあったが、一度は泊まりたいなあと思っていた場所だ。こうしたいなあ、と思っていると、とことんそうなるように出来ている。
ガンズキャンプはホリフォードリバーのほとり、原生林に囲まれたところにひっそりとある。ニュージーランドの中でも最も人里離れた場所の一つだ。
ここの開拓者のガンさんの名前からガンズキャンプである。頭上にはマウントガンがあるはずなのだが雨で何も見えない。
夕方5時ごろガンズキャンプに着いた。プライベートキャビン3号室は予約済みである。
プライベートキャビンと聞くと聞こえがいいが、そこはそれガンズキャンプである。
こじんまりとした山小屋は六畳ぐらいの二部屋に別れ、一つは寝室、一つは居間だ。
居間には石炭ストーブ、流し(水は出るがお湯はない)、ソファー、椅子、テーブルがある。寝室には二段ベットが一つ。必要最低限の物はあるが余計なものは何もない。
キャビンの前にはトタン葺きの駐車スペースがある。その前にはホリフォードリバーが流れ、その向こうに森が広がる。
ここで雨の森と川を眺めボケーっとするのも悪くない。
ストーブに火をいれ、頃合を見計らって石炭をくべる。小屋の煙突から煙がもくもくと出て周りの森に消えていく。今晩の自分の城が出来上がった。
この周りもちょっとした散歩道はあるが、この雨では気軽に歩くという気分にもなれない。

椅子を外に出し雨を眺める。
ボクは山小屋のテラスなどで雨を見るのが好きだ。
何百億という雨粒は、あるものはコケを潤し、あるものは岩肌を伝わり、あるものはシダからしたたり、目の前の川に呑まれ大きな流れとなり海へつながる。
おおいなる自然の営みがここにある。
トーマスとこの先のモレーンクリークを歩いたのは何年前だっただろう。森を抜け湿地帯を通り岩肌を上った思い出がよみがえる。息を呑むほど美しい、あの池も今は雨の中だろう。
その時の経験は自分の財産となり自分自身を大きくした。
対岸の森は雨に煙る。この国特有のくすんだ緑色が美しい。見えるものは木々だが、あの下にもシダは生い茂り地表は厚い苔で覆われている。
何億という無数の命にボクは囲まれている。
森のエネルギーをひしひしと感じ深呼吸。体の中にエネルギーが入ってくるのが分かる。
こうなると指先はピリピリとしびれ、木々の一つ一つが浮かび上がって見える。緑色は美しさを増し、雨の匂いが漂ってくる。

目を閉じて音に意識を集める。雨は強さを増し屋根のトタンを叩く。川がゴーッと流れる音が響く。
ボクは今、幸せだ。
幸せとは常にそこにあるものなのだ。
こんな場所でギターがあったらなあ。
ぼくはダメモトで管理人のオフィスに行った。ひょっとしたら誰かが捨てていった、絃が何本か切れているボロボロのギターがあるかもしれない。
「あのう、ここには借りられるギターなんてのはないでしょうか?」
「あら、あなたギターを弾くの?あるけど絃が一本切れているのよ」
「一本?じゃあ5本は残ってるんですね。借してもらえませんか?」
「いいわよ、ちょっと待っててね」
おばちゃんは奥からケースに入ったギターを出してきた。切れているのは6弦だけで、予想に反してちゃんとしたギターだ。
「チューニングは合ってると思うわ。どんな曲を弾くの?」
「マオリの曲なんかを少しね」
「あら、いいわね。私はカントリーをやるのよ。ギターは明日返してくれればいいわ」
「ありがとう。お借りします」
ボクはテラスにすわりギターを弾き始めた。
この景色の中ではマオリの唄だろう。それが一番この景色に合うからだ。
民族音楽と景色とは関連がある。
南米アンデスを旅したときには、『コンドルは飛んで行く』のようなパンパイプの音がアンデスの山々の景色に合った。
南太平洋を旅した時には、沈む夕日にヤシの木のシルエットという景色がウクレレとかハワイアンのような音に合った。
シルクロードを旅した時には、哀しげなびわのような弦楽器の音が、砂埃が舞う砂漠の街の風景に合った。
アルゼンチンではアコーディオンとギターのマイナー調のアルゼンチンタンゴがブエノスアイレスの町の景色に合った。
民族音楽というのはその地で生まれた音楽である。そこの景色にぴったり合うのが当然と言えば当然だろう。
そしてここニュージーランドでは、マオリの唄なのだ。
ギターを弾いて唄を歌う。
ガンズキャンプの親父がボクの曲にあわせ、踊りながら仕事をしていった。
悪くないぞ。全くもって幸せである。
親父が去ってからもボクは歌い続ける。
観客は雨だ。
ボクの歌声は雨に煙るフィヨルドランドの森に消えていった。
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ファーンヒル トラック 2

2010-12-12 | 
下りは急だ。松の林の中をジグザグに下る。
松の林は面白くない。下草は生えていないし、どこかしら人工的な感じがする。
ブナの森は木が一本一本違う。木の個性というものがある。
幹の途中からグニャリと曲がっている木には「あれあれ、君の人生には一体どんなことがあったんだい?」などと話かけてしまう。
りっぱなコブをつける木もあれば、『好きに枝を伸ばしたらこうなっちゃったんだ』というような木まで個性が豊かだ。
足元にはコケの中からブナの赤ちゃんが一生懸命そだっているし、シダの世界もある。ランが群生している場所もある。
多種多様な命の育みがある。だからブナの森は好きなのだ。
それに比べると松の林はみんなまっすぐで木の個性は見られない。まるで優等生ばかりの全校集会みたいだ。
そして松がなくなると今度はエニシダだ。この国で一番嫌われている植物だろう。
ちょうど花が咲く時期で、まっ黄色の花をたっぷりとつけている。不気味だ。
エニシダはマメ科で、この花一つ一つがさやになり、その中に種が10粒ぐらいできる。
夏も盛りになると、花が実になり莫大な数の種を落とす。地面に落ちた種は何十年も発芽可能な状態で芽を出すチャンスを待つ。
しかもこの植物は夏と冬、一年で2回花を咲かせる。
別の場所だが一山全部エニシダにおおわれた山を見たことがある。そうなるとその山は牧場にも使えない。
こんなに育つのではこの国で『侵略者』と呼ばれても仕方ないな。
ただしその『侵略者』をこの国に持ち込んだのは人間だ。
正直この区間はあまり歩きたくない。
次に歩くときにはパノラマが見えるところから、同じ道を引き返そう。
その方がよっぽど気持ちいい。

帰りがけに友達のカナちゃんの家に寄る。彼女も数年来の友達で言いたいことを言える人だ。
この人も面白い人でネタになるので今はとっておく。
「ねえカナちゃん、ビールないの?」
「ないわよ。あ、ジンジャービールならあるわ。これ飲みなよ。うちは誰も飲まないから。」
「ジンジャービールかあ、まあいいや、ちょうだい」
ジンジャービールとはジンジャーエールみたいなものだ。
ぼくはフタを開けつぶやいた。
「今日は『大地に』だな。一応ビールだしね」
『大地に』とは、地球の上で遊ばせてもらった時に飲むビールの最初を大地に捧げる、という儀式である。
「大地に」
ボクは外の階段に腰掛けると、ジンジャービールを少し芝生にこぼし、勢いよく飲んだ。
炭酸がほどよく喉を刺激する。よく冷えて美味い。
甘いのが難点だがジンジャービールも悪くないな。
「じゃあこれからビールやめて、ジンジャービールにすればいいじゃん」
という声がどこからか聞こえてきたが、それはそれ、これはこれってことで、まあまあまあまあ・・・・。

カナちゃんが用事を終えて外に出てきた。
今日はカレーをたくさん作ったのでご招待である。
彼女と歩いてクリスの家へ向う。
彼女が住むファーンヒルからクリスの家までは整備された道がある。
「ねえカナちゃん、ここからダムに行く道もあるんでしょ?」
そういえばダムの所で看板をみたっけ。
「あるわよ、行ったことないの?」
「ないよ」
「じゃあ、そっちから行きましょ」
彼女は先をスタスタと歩き始めた。
森に入ってすぐにボクはゴミを見つけてしまった。
ビニール袋と菓子の袋だ。
「まったく何でこういう所に捨てるかなあ」
ブツブツ言いながらビニール袋を拾ってみるとなんか黒い塊りが入っている。
「うへえ、犬のウンコだ~」
だが拾ってしまったがウンのつき。
それを再び捨てることは許されない。それは捨てた人と同じ罪だ。
まあだいぶ古いようだし、ウンがついたと思うことにしよう。
ゴミ拾いをしながら歩くのにビニール袋は必要だ。
森を進むと道は急に細くなり、かなり急な下りとなる。なかなか本格的なトラックだ。
ボクはトレッキングブーツを履いているので平気だが、甘く見てサンダルなんかで来たら痛い目にあうだろう。
さすがニュージーランド。奥は深いぜ。
急な下りを降りきると、さっき通ったダムに出た。ダムは土砂で埋まり歩いて渡れる。
ダムからは渓谷のわきの道を行く。
じめじめした谷間はシダが生い茂る。ファーンヒル、シダの丘なんだな。
ここから家はすぐだ。
家に帰りシャワーを浴びてマイク特製ビールを開ける。
ヤツのビールは当たり外れがあるが今回は当たりだ。ジンジャービールもたまにはいいが、本物のビールはもっと良い。
しばらくすると仕事を終えたキヨミちゃんも帰ってきた。
内面からにじみ出る美人達に囲まれカレーを食う。
この娘達はとてもよく食べる。見ていて気持ちがよい。
大鍋一杯に作ったカレーがほとんどなくなり、次の朝に完全になくなった。

夜、カナちゃんは暗くなる前に歩いて帰り、ボクは庭で一人ギターを弾く。
観客は木々、鳥たち、そしてときおり吹き抜ける風だ。
今日もまた密度の濃い時間を過ごせた。
自分に、自然に、そしてボクを取り巻く全ての人々に感謝。
こんな一日もいいもんだ。



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ファーンヒル トラック 1

2010-12-10 | 
初夏、花が咲き始める時期、ボクは友達のキヨミちゃんの家にお世話になった。
キヨミちゃんは数年来の友達で、以前はルートバーンでガイドをしていた。
マウンテンランニング、マウンテンバイク、バックカントリースキー、スノーボード、ロッククライミングその他もろもろをこなすスーパーウーマンだ。
彼女はバイタリティーの塊り、内面からにじみでる美人で、出会う人を幸せにする力を持っている。
本人にそれを言っても「え~、あたしは普通にやってるだけよ」というのん気な答えが返ってくる。
彼女のパートナーのマイクがこれまた面白い男で馬が合う。
キヨミちゃん以上にありとあらゆるアウトドアをやる。
おかげで一年中擦り傷が絶えない。そのキズを人に見せてうれしそうに話すのだ。自分の怪我をこんなにうれしそうに話すヤツを今まで見たことがない。
ヤツも元ガイドで以前はラフティングのガイドやトレッキングのガイドをやっていた。
話し好きなので会話がいつまでも終らない欠点はあるが、僕らは心の深い所で繋がっている。
二人は去年から自分たちのビジネスを始めた。
ルートバーンでガイドをやっていた経験を活かし、お客さんの車を廻し自分達はルートバーン39kmを走りぬけ反対側で車をピックアップして帰るというものだ。
一週間に何回もこのコースを走るという、彼らにしかできないことをやっている。
マイクの父親クリスがこの家のオーナーだ。
70に手が届くころだろうが、トライアンフのナナハンを乗り回し、週3回スイミング、週2回ヨットのレース、週1回ピアノのレッスン、合間に仕事という多忙なおじさんだ。
この国の元気の良い老人を絵に描いたような人だ。
引き寄せの法則どおりここに居るフラットメイトも明るい光を持っている。
アユミちゃんは以前ミルフォードトラックの山小屋で働いていた。一人でどんどん山歩きに行く行動力のある娘だ。彼女も内面から光っている。
木を基調とした山小屋風の家は市街地の外れにあり、ウォーキングトラックのすぐ脇、ブナの森に半分かかっている。
鳥も多く毎朝ベルバードの鳴き声で目が覚める。庭にいるとケレル、ニュージーランドピジョンという大きな山鳩が飛んでくる。
庭の畑はマイクとクリスが良く手入れをし、野菜が青々と茂っている。
とてもエネルギーの高い家だ。

ある夕方、庭の裏のウォーキングトラックを歩いてみた。
トレッキングブーツをはき森に入る。ここは散歩をする人も多い。
10分も歩くとダムに出る。
ダムと言っても幅10mぐらいの物だが、昔はこれで水をまかなっていたのだ。今は使っていないパイプが下へ延びている。
あたりはうっそうとしてシダが生い茂る。ここはちょっとした渓谷だ。
クリスの話だとこの辺りには土ボタルもいるそうだ。
スカイラインゴンドラとの分岐を越えると、極端に人が減る。
新しく作っているマウンテンバイクのコースを横目に歩く。
まったくパケハ(白人)ってやつは、どうしてこんなに自然の中で遊ぶセンスが良いんだろう。ラフティング、キャニオニング、ケービング、こんなのあげていったらきりがない。
自然の中で遊ぶという能力において、パケハは断然優れている。そのかわり味覚は絶望的だ。
これは民族の持つセンスである。それが森の中のコースに現れている。
こういうのは嫌いではない。

ブナの森をゆっくりと上る。
緑色のランが咲いている。グリーン・フーディッド・オーキッドだ。
「へえ、こんな所にも咲くんだ。」ぼくはつぶやきながら花を見た。
ルートバーンやミルフォードではよく見るが、こんな街の近くにもあるとは思わなかった。
チッチッと小鳥の声がする。視界の隅で動く鳥がいる。ライフルマンだ。
ライフルマンとは軍隊の狙撃隊のことだが、色が軍服の色に似ているというだけでぶっそうな名前をつけられてしまった。
しっぽが短くコロコロと可愛い鳥だ。ピンポン玉ぐらいの大きさで、この国で一番小さな鳥である。
これもルートバーンではよく見るが、街の近くで見るのは初めてだ。
これがニュージーランドの奥の深さなのだろう。
谷の奥で沢を越える。ここで水を補給。
こうやって流れている水をそのまま飲めるなんて。幸せをかみしめる。
あれは南米アンデスでトレッキングをしたときの話だ。
あるきれいな沢を越えた。水は氷河から流れていていかにも美味そうだったが、周りの人にこの水は飲むなと言われた。
たまたまそこだけが悪かったのかもしれないが、山に行ったらそこの水を飲みたい。
その点ニュージーランドは天国だ。
きれいな空気、きれいな水があるというのは豊かなことなのだ。

しばらく上ると急に森が切れ視界が広がる。
そこはタソックなどの亜高山植物帯だ。
道端にブルーベルが咲いている。キキョウの仲間のこの花は咲き始めの時期は青い。時が経つとだんだん白くなってなっていく。
ボクは立ち止まり今しかない、はかない青さをじっくりと眺めた。
道はまっすぐ進むが、脇道にそれると景色は広がる。
タソックの中に座り、一休み一休み。
谷間の奥なので視野は狭くパノラマではないが、湖もよく見える。
この場所の良いところは人工構造物が一切目に入ってこない。トラックからは陰になっているので人が通っても僕がここにいるのは気付かないだろう。
家から歩いて行ける場所に、こんな所があるなんて・・・。
深いぞ、ニュージーランド。
この瞬間を一人楽しむ。
自然の美しさはその瞬間ごとにある。
この瞬間に感じる幸せは永遠のものであり、体験として自分の心に刻み込まれる。
それは心を豊かにし、自分というものを大きくする。
普段こういうことは国立公園などの原生林で感じるが、なかなかどうして街のすぐそばでも行く所へ行けば良い所はいくらでもある。
いや、街のすぐそばだからという盲点でもあるのかもしれない。

のんびりしているといつのまにか影の中に入った。
まだ日は高いが、この場所はベンルモント山の麓にあるのですぐに影に入ってしまう。
この国は日向は暑いが、影に入ったとたんに冷える。用意してきた長袖を羽織る。
そろそろ動くか。
トラックに戻り、しばらく進むと再び視界が広がる。
今度はワイドパノラマで湖が横たわっているのが見える。だが同時に住宅街も目に入る。
さっきまでのひっそりした自然のふところという感じではない。
自分の居場所はさっきの谷の奥だな。
一人で納得する。

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グレートサミット 2

2010-10-31 | 
クィーンズタウンで休養後、撮影隊はグレーノーキーからダートトラックへ入る。
ダートトラックは数年前に歩いたコースで、その時にもボクはやっつけられてしまった場所だ。

http://www.backcountrytraverse.co.nz/rees1.htm
http://www.backcountrytraverse.co.nz/rees2.htm

是非とも一緒に行きたかったのだが、そのときボクは別の仕事が入っていて行けなかった。
数日後にリチャードから連絡が入った。
撮影が順調に進んでいるのでダートトラックの先、アスパイアリング・ハットへ迎えに来いとのこと。
そして皆、フリーズドライの食べ物に飽きているので、カレーを作ってくれと。
尚アスパイアリング・ハットにはガスはあるが、鍋はないとのこと。
こういうことはボクは得意である。
スーパーで人数分の食料を買い込み、大鍋二つを用意してワナカへ向かった。
ワナカで昼飯を食べ、山へ行く道でヒッチハイカー発見。
普段はボクは拾わないが、この時はなんとなく止まってあげた。
男の名はデイビッド。オタゴ大学の学生で今日はアスパイアリング・ハットへ行くと言う。いい道連れができた。
ラズベリークリークの駐車場からアスパイアリング・ハットまでは2時間ぐらいの歩きである。
ひたすら平坦な牧場の中を歩く、あまり面白くない道だ。
さっき拾ったデイビッドに鍋を一つ持ってもらい。おしゃべりをしながら歩く。
このデイビッドという男、面白いことに裸足である。この国ではたまに道を裸足で歩いている人がいるが、トレッキングの山道を裸足で歩く人に会うのは初めてだ。
この日はこの夏で一番暑い日だった。それに増してこのルートは日陰が全くない。
わずか2時間ほどの歩きだが、フラフラになって僕は山小屋に着いた。
カレーを作っていると、撮影隊が小屋に着いた。
昨晩はカスケード・サドルでキャンプをしたと言う。快晴しかも満月。なんとまあ羨ましい。
コニカルヒルといいカスケードサドルといい、よっぽどツイてるなあ。
その晩は皆、カレーをガツガツ食う。ボクもそうだが何日もフリーズドライの物を食べていると、新鮮な野菜や肉を食べたくなる。
体がそれを求めているのだろう。血のしたたるステーキを食いたくなるし、レタスなんかを丸かじりしたくなるのだ。
翌日は町へ戻るだけなので、ゆっくりスタート。
昨日道連れになった裸足のデイビッドはカスケードサドルを越え、その先ルートバーンへ、撮影隊が通ってきたルートを遡る。裸足で・・・。
「デイビッド、がんばれよ、気を付けてな。」
「うん。昨日は乗せてくれてありがとう。クィーンズタウンで君に会いたかったらどうすればいい?連絡先はあるかい?」
「そうだなあ・・・。オレに会いたかったら、オレのことを考えてくれ。そうすればオレは現れるよ」
「アハハハ、そりゃ良い。そうだね、その通りだ」
普段はこんな事は言わないが、デイビッドだったら本当にそうなりそうな、そんな不思議な雰囲気を持った男だった。

撮影は順調に進み、あとはクライマックスのアスパイアリング登頂を残すだけとなった。
今回はポーター、荷物運びである。
クィーンズタウンからの小僧達はワナカまででお役御免。そこにアスパイアリングだけを撮る為にニュージーランドへやってきたカメラマンが加わった。
クィーンズタウンからワナカまではリチャードと話をしながらドライブだ。
僕らは家族のこと友達のこと人生のことについて語り合った。考えてみれば彼とは20年近くのつきあいがありながらこんなにじっくり話したことはなかった。
かなり深くスピリチュアルな事まで話は及んだ。彼と話をしていると何故か分からないが涙がにじんでくる。困ったものだ。
ワナカからは山岳ガイド2人が入り、計8人のグループである。
この仕事からボクは三脚担ぎになった。ここで撮影という所で三脚を立て、ボクはカメラに入らない所で待つ。
だいたいはカメラマンの後ろにいるのだが、場所が取れない所では草むらの中に寝っ転がったり、木の後ろで直立不動だったり。
そしてそこの撮影が終わると、また三脚を持って歩く。この繰り返しである。
前回泊まったアスパイアリングハットで一泊。
そこから1時間ほどは平坦な道が続き、川を渡ると急登が始まる。このルートはボクは初めてだ。
時に岩を掴みながら、時に木の根っこを握りながらよじ登る。
その合間にも撮影はあり、その都度三脚を立てボクは隠れる。
森林限界を超えると見晴らしは良くなり、午後の早い時間にフレンチリッジハットに着いた。
荷物を下ろし休憩後、アスパイアリングに登る撮影隊は装備の点検、ザイルワークの確認などをする。
ボクはやることがないので、昼寝&景色を見てボーッとする。空は雲一つない青空。日差しが強いが、標高が高い分風は冷たく気持ちがよい。
ここまで来るとアスパイアリングは近すぎて見えない。山に背を向けると、谷の反対側、目の高さにリバプールハットが見える。
数年前にあの小屋にJCと登った時にはビールを1ダースも担ぎ上げた。
ビールを飲みながらフレンチリッジハットを見て、いつあそこへ行くのだろう、などと考えていたのだが、こういうことになるとは、いやはや人生とは面白いものである。

翌日、ボクは自分の持ち物をフレンチリッジハットに置き、三脚その他重い物をザックに入れ登る。
ここから1時間ぐらい、雪が出てきてアイゼンをつける辺りまでがボクの仕事である。
しばらく登り、まもなく氷河に出るという所で休憩。
ここでヘリを待ち、全員が歩いているところを空撮するという。
このまま付いて行ったらテレビにも出るかな、という俗物根性が出たが、ボクはどっちみちこのすぐ先で引き返さなくてはいけない。
小屋に残してあるゴミを持って2日かけて歩いて来た所を戻り、その後2時間かけてクィーンズタウンまで車で戻る。今日の行程も短くはない。
なのでボクはこの場から下ることになった。
重い機材を皆に渡しザックを空に、皆に短い別れを告げて下る。ボヤボヤしているとヘリが来てしまうので急いで下る。
案の定下り始めてまもなくヘリの音が聞こえてきた。
皆がすばらしい景色の中をたんたんと歩いている絵の手前にボクがいたら台無しになってしまうので岩陰に身を隠す。今回は隠れてばかりだ。
ヘリが去って行ったら後は自分のペースで歩ける。
フレンチリッジハットに戻りゴミを片づけパッキングをして、しばし景色を眺める。
次にここに来ることはあるかな。何がどうなるか分からない人生だ。次回があるとしたらビールを持ってきたいものだ。
ここからは急な下りだ。昨日の上りで足首を軽くひねってしまったのでかばいながら歩く。
こんな所で動けなくなるようなケガはしたくない。
無事に降りたら後は平坦な歩きだ。
アスパイアリングハットに寄ってゴミを集め、炎天下の中を歩きフラフラになって駐車場につきクィーンズタウンに戻った。

数日後、連絡がありワナカへ撮影隊を迎えに行く。彼らはアスパイアリング登頂の後、近くの小屋まで戻りそこからヘリで戻ってくる。
ワナカから30分ぐらい走ったヘリポートで到着を待つ。
数年前にもここで撮影隊を待ったことがあった。
それはアメリカのテレビ局の仕事の時だった。のんびりと読書&昼寝をして、「これでお金を貰えるんだからなんと幸せな」と思ったものだった。
http://www.backcountrytraverse.co.nz/maori4.htm
まもなくヘリが着き、リチャードが降りてきた。
「ヘッヂ、やったぜ!俺たちはやったんだ!」
彼は熱くボクにそう言った。ヤバイ、また涙があふれてくる。
「おめでとう。リチャード、がんばったね」
実際、彼の仕事は大変だったと思う。
彼はコーディネーターということで現地での撮影許可、宿の手配、ヘリの調達、人集め、日本とのいろいろなやりとり、お金の計算まで、ボクだったらやりたくないなということを全部やった。
それに加え現場ではガイドとして撮影に参加した。
私生活でも一月後には家族で1年間仙台に住むことが決まっていて、おおわらわだったに違いない。
撮影が終わった喜びは彼が一番味わっているに違いない。
そうしているうちにヘリが再びやってきて撮影隊を降ろした。
「お疲れ様でした。どうでした、アスパイアリングは?」
「良かったけど、怖かったよ。片側が1000mぐらい落ちていて反対側も同じくらいのガケ。その上を一歩また一歩と進むんだけど、そんな歩きが10万歩ぐらい続くような、そんな感じ」
「うへぇ」
「だけどまあ無事に戻ってきて良かったです」
無事に山から下る。当たり前の事だが一番大切なことだ。
後はクィーンズタウンの街中とか飛行場などの撮影があるそうだが、これはまあ彼らにとっておまけみたいなものだろう。
ボクは翌日から普段のガイド業務にもどった。

ボクの家にはテレビがない。テレビがなくても全然困らないし、テレビのない生活が好きでもある。
テレビの番組は作り手によって毒にも薬にもなる。洗脳の道具にも成りうる。
ボクが小学校の頃、父親がテレビを目の前でたたきつぶして以来、ボクはテレビの無い環境で育った。
今となってはその父親に感謝をしている。
今の世の中、あまりにくだらない番組が多すぎる。
ニュースさえもエンターテイメントだ。
だがしっかりした作り手がきっちりと作れば良い物はできる。
できることならその良い物だけを見たいものだ。
そういう意味でも今回の番組は非常に楽しみである。

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グレートサミット 1

2010-10-31 | 
11月3日、夜8時からNHKの衛星ハイビジョンでグレートサミットが放映される。
これはシリーズものでこの回はMt.Aspiring,New Zealand である。
このロケをやったのが今年の1月半ばから2月にかけて。ボクもロケ隊に入り仕事をした。
最初の予定では8月ぐらいに放映されると聞いていたが、結局11月になったようだ。
この話を最初に聞いたのは去年の冬、ボスのリチャードが家に遊びに来た時だった。
リチャードとはかれこれ20年近くのつきあいがある。
ボクがどういう人間か分かってくれるので、彼の下で働くのはすごく楽だ。
「NHKのロケの話があるんだけど、ルートはホリフォードを遡ってルートバーンを抜け、ダートトラックを上がりカスケードサドルを超え、マウントアスパイアリングまで」
「うわぁ、すげぇルートじゃん。面白そう!それにしても日本のメディアの人でよくこんなルートを考えついたね。よっぽどニュージーランドの山に詳しい人がいるんだ。」
「いや、ルートを組んだのはオレなんだけど・・・」
「あ、やっぱりね。そうだろうな」
「テーマはペンギンのいる海から氷河におおわれた山まで。最初は西海岸から始まってアオラキ・マウントクックの山頂まで、なんて言いだしたんだよ」
「いやあ、それはムリでしょう」
人は山を標高で判断する。アオラキ・マウントクックは標高3754m、富士山より少し低いくらいだ。
富士山は誰でも登れるがこの山は違う。これをやるには6000~8000mの山を登るくらいの装備、経験、体力、知識、そして運が必要だ。
毎年この山、もしくはこの近辺で人が死ぬ。そういう山だ。
ボクはこの山には登らない。というか登れない。登ったら死ぬだろう。
第一山頂でまったりとビールなんか飲めないじゃないか。
ボクが山に登るのは、山の上でのんびりとビールを飲みたいからだ。
それにはこの国のトレッキングで充分だ。人には身分相応というものがある。
そんな厳しい山に重い撮影の機材など担ぎ上げるのなど、考えただけでぞっとする。
そこでリチャードが提案したのがこのルートである。
これならば楽ではないにしろ、実現は可能だ。
「そういうわけで、聖、オマエにもこの仕事を手伝ってもらうかもしれないぞ」
「任せて下さいよ、ボス。何でもやりまっせ」
そして夏が来た。

夏はいろいろなツアーが入って忙しい。
忙しい中でスケジュールをあれこれ組まれる。スケジュール管理が苦手なボクだが、この会社はそれも分かっていてくれるので楽なのだ。
ある日オフィスへ行くともう撮影は始まっていた。
リチャードが司会の人と何か話しながらオフィスの前の道を歩いている。
「ここが私達のオフィスです」
ボーッと見ていたボクにリチャードが目で合図した。
「オマエ、そこにいたらじゃまだから隠れろ」彼の目がそういっていた。
ボクはあわてて物陰に隠れた。
オフィスと言っても普通の家である。看板が出ているわけでもなし。
へえ、こんな所まで撮るんだ。まあ本番ではカットされるかもしれないけどね。
そんな感じでロケが始まった。
撮影隊は日本から司会進行、撮影、音声の3人。さらにアスパイアリング登頂の時にはもう1人山岳カメラマンが加わる。
主役はリチャード。彼がガイドになりこの国の植物や鳥の話をしながら進む。
それにポーターとして地元の小僧2人。1人は知り合いの息子だ。
この6人でホリフォード・トラックを海から遡る。
この時にはボクは呼ばれなかったが、ルートバーンに入るときにお呼びがかかった。
仕事仲間のカズキと共に指定された場所、ルートバーン・トラックのスタート、デバイドで撮影隊と合流した。
ルートバーンは普通2泊3日で歩き抜ける。全長39キロの縦走コースだ。マウンテンランニングの人なら3~4時間で走り抜けてしまう。
そこを1週間ぐらいの予定で天気を見ながらゆっくり進む。
ボクの仕事は荷物運びとキャンプ地選び。
ルートバーンはグレートウォークと呼ばれ、NZでも指折りのトレッキングルートである。
勝手にキャンプをすることは許されない。
山道から500m離れればキャンプをすることができるので、撮影隊から一歩先を進みキャンプ地を決める。
地図を見ながらこの辺りは、というような場所で一度荷物を置き、道なき道をガサガサと登る。
キャンプ地が決まれば全員の食事の用意だ。日本から山用の食料がどっさり送られている。
今回、初めて日本のフリーズドライを食べたのだが、これが美味い。さすが日本。味のレベルの高さがこんなところにまでおよんでいる。
1日の移動が普通に歩けば半日ぐらいの距離なので時間はタップリある。撮影というのはとにかく待ちが長い。
普段なら小休止ぐらいの場所で昼寝もできる。景色を眺めて好きなだけボーッとできる。待ちの間に展望の良さそうな所へ登ることもできる。撮影本隊は忙しいだろうが別行動のボクらは気楽なものだ。
こんな感じで撮影は順調に進む。
ルートバーンのメインはハリスサドルとコニカルヒルだ。
太平洋プレートとインド・オーストラリアプレートがぶつかり合って断層になっている真上にある。スケールの大きい話だ。
ここはどうしても晴れて欲しい所で、撮影隊も良い絵が撮れるまで下手をしたら2,3日の天気待ちを考えていたのだが、行ってみると無風快晴の文句なしの天気。
ここは晴れていても海の方は白く霞んでしまったりするのだが、今回は西海岸の砂浜まではっきり見えた。こんなのシーズン中でも数回ぐらいしかないだろう。ボクが登った中でも文句なし、一番の天気だ。天は我らに味方した。さぞかしいい絵が撮れたことだろう。
だが山頂で彼らの撮影の様子を見ていて、ふと思った。
この人達は絵の素材とでしか、この国を見ていないのではないのだろうか?
彼らは撮影のプロである。良い絵を撮ることが全てなのだろうが、この状態で彼ら自身は感じているのだろうか?
数時間後、キャンプ地でリチャードがボクに言った。
「下ってくる時に撮影隊の1人が動けなくなってしまったよ。景色に感動しすぎちゃったんだろうな。仕事に戻るのにしばらくかかったよ。」
そうでなくっちゃ。ボクはその話を聞いて嬉しくなった。彼の感動が伝わってきて涙が潤んだ。年のせいか最近、涙腺がゆるくなっている。
きっと彼はこの国にやっつけられちゃったんだろう。彼がやっつけられた場所はコニカルヒルではなく、少し下った岩場だったのだ。
やっつけられる場所は人によって違う。
友達のエーちゃんのように何の変哲もないワナカの川沿いのキャンプ場でやっつけられる事もある。親友トーマスはクィーンズタウン郊外のスキッパーズでやっつけられた。
ボクは西海岸でやっつけられたし、友達の女の子はスキー場のてっぺんでやっつけられた。
高い山や、有名な場所、行くのに厳しい場所で常に起こるのではない。
それは空間、時間、その人の心がかみ合った時に襲う感動の嵐であり、それをぼくらはやっつけられたと呼ぶ。
山を下るとブナの森に包まれる。この先は日帰りハイクのコースで自分の庭のようなものだ。
フラッツハットには樹齢600年以上もあるようなブナの大木がある。ルートバーンの神様とボクは勝手に呼んでいる。
毎回日帰りハイキングの仕事の時には手を合わせてお詣りする。今回も撮影が順調に進んだ感謝を木に祈った。
町に帰り家に戻り先ずはビールだ。湖を見ながら5日ぶりのビールがのどにしみる。
無事に山から帰ってきた後の、仕事が順調に済んだ後のビールは美味い。


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あるスノーボーダーの死

2009-08-06 | 
クィーンズタウンにあるコロネットピークのコース外で一人のスノーボーダーが雪崩に巻き込まれ死んだ。
アバランチトランシーバー、雪崩ビーコンも付けておらず、捜索に時間がかかり死んだという。
僕がコロネットで滑っていたのは10年以上も前だが、多分あの辺の斜面じゃないかという見当はつく。
今、これだけの情報があり、それでいてビーコンも付けずに山で雪崩に巻き込まれたのならしょうがない。
あきらめてもらうしかない。
「知らなかった」では済まない。
僕らから見れば自殺行為だ。

だが20年前はそうではなかった。
当時はスキーでパウダーなど滑る人はほとんど無く、ビーコンという物もあまり出回っていなかった。
エラソウに言う僕だって、真冬の磐梯山に装備もなく登って滑ったり、働いていたスキー場のコース外を滑ったりしていた。
よくあの時に死ななかったと思う。
無知とは怖い物だ。
ビーコンが普及し始め、パトロールで経験を積み、雪崩のことを知るようになると、簡単に山に入れなくなった。
同時に今までどれだけ自分が無謀な事をしてきたか、背筋の凍る思いを味わった。

スノーボードが出回り、スキーもパウダー用の幅広スキーが出て、バックカントリーというものに人々が関心を持ち始めたのが10年ぐらい前か。
事故も増え、僕はスキーパトロールをやっていて何回もイヤな経験をした。
山は人が死ぬ所だ。
先ずこれを徹底的に理解する必要がある。
体力、経験、知識、装備、全て揃っていてなおかつ山で事故は起きる。
これのうちどれかでも欠ければ事故の可能性は格段に高くなる。

今やバックカントリーの世界では、ビーコン、ゾンデ棒、スコップは当たり前の装備だ。
こんな物は使い方を知っていて、持ち歩いて、それでいて使わないというのが一番良い。
使わないだろうから持ち歩かないというのはダメだ。
たまたま今回はこの装備がなかった、というそのたまたまの時に事故は起きる。

だがスキーやボードを楽しむ上で誰もがそんな装備を持つわけではない。
ビーコンだって安い物ではない。
そういう時はどうすればいいか?
スキー場の中で滑れ。
その為にスキーパトロールはスキーカットをしたり、爆薬でアバランチコントロールをしたり、データを取ったり、間違ってコース外へ行かないよう看板を立てたりするのだ。
スキー場の中だってパウダーはある。
逆に言えば、スキー場の中のパウダーを、来る人により安全に滑って貰うためにパトロールは仕事をする。
少なくとも僕はそうだった。
できることなら、あの山だってあの沢だって全部滑って貰いたい。
自分が滑りたいから。
けれどパトロールの仕事量は限られているので、どこかで線を引かなければならない。
「その向こうは外海だよ。気をつけな」というアドバイスはできるが、人間の行動を止めることはできない。
人が入りそうな所に立ち番をするわけにもいかない。そんなの労力のムダだ。
ロープ1本、看板一つあれば充分。読まないヤツや何の経験、装備もなくロープをくぐるヤツが死ぬなら仕方ない。
僕はそう思うのだが、昔この立ち番を本当にやらせたスキー場があった。
僕はこれに大反対して、その結果そのスキー場をクビになったが、そのスキー場も数年でつぶれてしまった。
当時一緒に働いていた人達は口を揃えて「ひっぢはあの時にやめてよかったよ」と言ってくれるので良しとしよう。
話がそれた。

プールで泳ぎを覚えた人が、いきなり波が荒れまくる外海に泳ぎ出す。
無装備で裏山に入るとはそういうことだ。
自然は甘くない。
人間が気を付けなければ痛い目にあう。
だが僕にはこのスノーボーダーを責められない。
この死んだスノーボーダーは20年前の僕だ。
この死によって一人でも多くの人が装備の大切さに気付く事を祈る。
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