山が遠くなっていた。
山というのは不思議なもので近い時にはいつでも行けるが、一度遠くなり始めるとどんどん離れてしまう。
これは距離の話ではない。たとえ山が間近にあろうと歩く機会がないと指をくわえて見ているだけで山歩きのチャンスがめぐってこない。
言い訳はそれこそ山ほどある。
天気が悪い。風が強い。暑い。寒い。面倒くさい。疲れている。時間が無い。忙しい。
言い訳は全てやらない自分を正当化するためのもので、そんな言い訳を並べあげる自分を山は黙って見ている。
しばらく山にも登ってないしそろそろ登りたいな、と思い始めた頃に機会が来た。
そのツアーはゆったりツアーで、マウントクックビレッジに到着したのは午後も早い時間。その後はまるまるフリー。
南島を高気圧がすっぽり覆い、天気はこれ以上ないというぐらいの快晴である。
山がボクに行けと言っている。これは行かねば。
パックに必要なものを詰め、トレッキングブーツを履き、歩き始めた。
なんとなく今日はレッドターンズへ行ってみようか。
なんとなくというのは直感である。直感に従っていれば間違いはない。
時間を見ながら登り、行けるところまで行けばよい。
そんな気持ちで歩き始めた。
レッドターンズ往復2時間、という看板が出ている。
えてしてこういう観光ルートは時間を長めに書いてある。最後に行ったのはもう何年も前になるのでよく覚えていないがそんなに時間はかからなかったと思う。
まあとにかく行ってみよう。
道はすぐに急勾配となる。急な登りをガシガシと登る。すぐに汗が噴き出してきた。
日差しはきついが風はさわやかである。
これこれ、この感覚。
忘れていたものを思い出すこの感覚が好きだ。
途中の沢で水を汲む。
この国の山では流れている水をそのまま飲むことができる。
ボクはこれは最高の贅沢だと思う。
有史以前から人間が当たり前にやっていたことが、今の地球では贅沢なことなのだ。
レッドターンズには結局35分で着いた。悪くないタイムだ。
体調は万全、日もまだ高い。となればさらに上へ。
セバストポールへ登ろう。即座に決めた。
セバストポールには8年ぐらい前に1回登った事がある。その時も仕事の合間に登った。
ルートはそれほど難しくないはずだ。
整備された山道から、踏み跡をたどるルートへ進む。
ガレ場に道らしきものがあるのでそれをたどる。
そこへ入った瞬間、ピリっとした緊張感に包まれる。この感覚も好きだ。
この先は観光客も来ない本格ルートである。
レッドターンズまでは人もちらほらいたが、この先ではこの時間帯、人はいないだろう。
ザックには救急セットも入っているし、携帯電話も通ずる場所なので万が一にはそれを使うだろうが、こういったものは雪崩ビーコンと同じ。持っていて使い方を知っていてそれでいて使わない、というのが望ましい。
頼るのは自分のみ。単独行の醍醐味である。
ボクは気の合う友と山へ行くのも好きだが、一人で行くのも好きだ。
単独行というのは全ての判断、責任を自分で背負う。
ルート取りだって複数で行動するのとは違うものになることもある。
なによりも精神的なプレッシャーが大きい。
ルートが難しくなるほど、危険が大きくなるほど、ビリビリした緊張感も大きくなる。
その分、達成した時の感動も自分だけの物である。
ガレ場をしばらく歩き、急な登りとなる。
ペースを変えずガシガシ登る。額から流れ落ちる汗が心地よい。
なまっていた体が、どんどん山に順応するのが分かる。
忙しいという言い訳で遠ざかっていた山が再び受け入れてくれた。
忙しいとは心を亡くすことだ。
山に戻ってきて、僕の心も戻ってきた。
体力は使っているが、心は満ち足りている。心の充電だ。
時々、足を止め水を補給し、足元に生えているスノーベリーを口に入れる。
スノーベリーの果実のほんのりした甘みが口に広がる。ニュージーランドの夏の味である。
道は険しく急である。ランクをつけるとしたら中級コースか。
こちらの中級コースは日本で言う上級コースだ。
これはスキーの世界でも同じことだ。
日本のスキー場の上級コースはこちらの中級コース。
日本の超上級コース、上級者限定コースはこちらの上級コース。
そしてこちらのダブルブラックダイアモンド、超上級コースは、日本のスキー場ではコースにならない立ち入り禁止エリアである。
このセバストポールへ登るコースも風が強ければ稜線上から吹き飛ばされるだろう。
ここではないが近くのコースでは実際、風に吹き飛ばされて人が死んでいる。
天気が悪い時に無理に登る山ではない。
自然の中では人間は無力な存在である。
だが今日は無風快晴。ありがたく自然の営みを感じさせてもらおう。
急な岩場を越えると山頂は間近だ。
ここは登るより下る方が怖いだろうな。高所恐怖症の人ならここは無理だろう。
岩場にはエーデルワイズが咲き乱れている。娘がリコーダーでエーデルワイズの曲を練習していたことを思い出した。
ほぼぶっ通しで登り続け足が悲鳴を上げ始めた頃、山頂に着いた。
登り始めてから1時間40分。
なまっていた体にしては上出来だ。
日はまだ高い。ゆっくりと周りの景色を堪能する。
山の南側にはマッケンジー盆地、そして独特の色をしたプカキ湖が延びる。
ほんの数時間前に湖沿いの道をドライブしてきたばかりだ。
眼下にはレッドターンズの赤茶けた池塘(ちとう)。ターン、池塘とは高層湿原の池のことである。
そしてマウントクックビレッジがちんまりミニチュアのように固まる。
背後には目の高さよりやや高い場所に名も知らない氷河が横たわっている。
この場所からだとクックの東側のタスマンバレー、その奥にあるタスマン氷河の氷河湖。クックを挟んだ西側のフッカーバレーと両方見える。
高い所に登ると地形が立体的に見える。鳥というのはこういう視点で世界を見ているのだなあ。
そして二つの谷間の間に、どかーんとアオラキ・マウントクックがそびえ立つ。
いつもながらこの山で感じる自然のエネルギーは絶対なる存在感だ。
ボクは手を合わせ山に拝む。
山というのは信仰の対象だ。
日本にも古来、山を崇拝する民がいた。
マオリの神話でも、神様の4兄弟の長男がこの山になったと言う。
その長男の名前がアオラキであり、正式名称はアオラキ・マウント・クックである。
山とは神であり、神は自然であり、人間もその一部である。
山と空、大地との一体感。幸せである。
何故自分がこの世に存在するのか、という問いの答の一つがここにある。
ボクは感謝の言葉を唱えた。
「山よ、今日も晴れてくれてありがとう。おかげでお客さんも喜んでくれました。ボクも楽しく遊ばせてもらっています。無事に下まで下るまで見守っていてください」
山頂に一人。
孤独感は全く無い。
それよりも自然に包まれる恍惚感がある。
ボクは当たり前の言葉を口にした。
「やっぱり山はいいなあ」
存在感の塊のような山がボクの言葉を黙って聞いていた。
こんな場所だったら何時間でもいられるが、そうも言っていられない。
人間には人間の営みがある。
山は登ったら下らなくてはいけない。
鉄則だ。
そして下りは登るよりも難しい。
山の事故のほとんどは下りに起きる。
母親が滑落して死んだのも山の帰り道だ。
次にやることは無事に下ること。
事故が起こらないように、とイメージするのではない。
無事に下り美味しくビールを飲んでいる自分をイメージする。
再び山に向かい手を合わせ拝む。
山の神、アオラキがそれを受け止める。
そしてマオリの父方の神、イーヨマトゥアが肩口から見守る中、ボクは下り始めた。
下りはあくまで慎重に。一歩一歩踏みしめながら歩く。
岩場では手を岩にかけながら、充分すぎるぐらい慎重に下る。
時間を競うわけではない。無事に下ることだけに意識を集中させる。
それでも下りは早い。
あえぎながら登ってきた斜面もあっという間に過ぎ、立体的な景色はどんどん狭くなる。
ガレ場を下りきりレッドターンズに着いた時に、ビリビリした緊張感は抜け、ホーっと肩から力が抜けた。
ボクはこの感覚も好きなのだ。
いつの間にか日は傾き、眼下のビレッジは半分影の中に入っているが、僕がいる場所や山々はまだ日が当たっている。
ここで休憩。リラックスタイムだ。
背後のセバストポールを見上げ、自分を誉める。
「あそこまで登ったのか、良くがんばったな」
そして再び山に手を合わせる。
「無事に降りてきました。ありがとうございます」
おおげさな、と思う人がいるかもしれないが、山の怖さをボクは知っている。
同時に山の美しさと暖かく包み込んでくれる感覚も知っている。
その両方、これが即ち自然の愛である。
レッドターンズからの下りは整備された道を下る。
山の余韻に浸りながら、最後の最後まで気を緩めずに麓へ着いた。
宿でシャワーを浴び、ビールを片手に外へ出る。
谷間の底は完全に影に入っているが、山の上部にはまだ日が当たっている。
山に登る前に冷蔵庫に入れておいたビールはキンキンに冷えている。
「大地に」
ボクはつぶやくとビールを大地に流した。
十年以上前になるが、友が始めた儀式『大地に』。
自然の中でとことん遊ばせてもらった日の、最初のビールの一口は大地に捧げるという儀式である。
これをするのも久しぶりだ。
ボクは冷たいビールを喉に流し込んだ。
「くわーっ、うめえ!幸せだなあ。」
山が黙ってボクを見つめていた。