あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

走りに走った

2017-03-17 | ガイドの現場

僕の仕事はガイドである。
山を歩きながらガイドすることもあれば、車を運転しながらガイドすることもある。
今回の仕事では歩きはほとんど無く、ほぼ毎日運転をしていた。
クライストチャーチに始まりクィーンズタウン、ミルフォードサウンド、マウントクック、テカポ、クライストチャーチに戻り、そこからピクトンまで。
お客さんはフェリーでウェリントンまで行くので、そこでお別れして僕はその翌日にクライストチャーチまで戻ってきた。
ざっと2600キロを6日間で走ったのである。
2600キロと言えばあーた、本州を山口から青森まで一往復できるぐらいだ。
まあこの南島の南から北まで往復したようなものなのである。
そんなに運転して疲れないか?と聞かれれば疲れるがドライブはもともと嫌いではない。
それにニュージーランドの道は日本の高速道路と違って防音壁が無い。
99.9パーセントぐらいは牧場の中を走るので景色は常に開けている。
一般道なのでそれなりに変化があるのも良い。
日本の高速道路は運転しやすいが単調でつまらないと思う。
そしてここの道はトンネルがほとんど無い。
谷間をつめていって峠を越えて谷間を降りて平野部に出る。
地形が良く見えるし、人工的に作られた道よりも、旅をしている感覚を味わえる。

今回のツアーでは普段あまり行かないピクトンまで行った。
普通ならクライストチャーチからピクトンまでは片道5時間弱。
ドライブの仕事なら充分日帰りできる距離なのだが、昨年11月の地震で主要国道の1号線が土砂崩れで閉鎖。
今は大がかりな迂回をすることになり7時間半もかかった。
迂回路も今まではそれほど交通量が多くなかったのに、いきなり大型のトレーラーが増えたからか道路の傷みがひどいのだろう。
これもかというぐらいに道路工事をやっていて、そこに大型のトラックが多いので時間は余計にかかる。
お客さんとはピクトンでお別れして、空で帰るのだが日帰りは無理なので途中で一泊せざるをえない。
普段は泊まることのないブレナムに泊まることにした。
ブレナムでは以前クィーンズタウンでガイドをしていたミチコとチェコ人の旦那のピーター、二人の家で夕食。
数年前に彼らがクィーンズタウンで結婚式をした時に呼ばれて行った時に旦那と会っている。
ブレナムと言えばワインの産地、ミチコもピーターもワイナリーで働いていて、家には美味しいワインが有り、しこたま飲ませてもらった。
次の日の早朝、道路が混む前にブレナムを出てクライストチャーチに戻った。

クライストチャーチの我が家に帰ってきて1日の休みだがやることはある。
鶏の一羽が卵が詰まってしまったのだろう、動かなくなってしまった。
卵が詰まるのは割とよくあることだそうで、たいていそのまま死んでしまう。
僕が居ない時に死んだら妻子は困ってしまうので、その鶏を締めた。
いずれにせよ、あと数か月、夏が終わったら締める予定だったので、ちょっと早くあの世へ行ってもらおう。
捌いてみたら痩せて肉はほとんど無かったのでそのままココの餌に。
内臓をみたらやはり卵が詰まっており、卵の出来損ないみたいなものの中に出来かけの殻がぎっしり重なっていた。
なるほどなこれじゃあ動けないだろうな。
生き物を飼う上で避けられないのが死との対向である。
ペットになれば名前も付けるので情がわく。
情が多ければ多いほど死による別れは辛くなる。
それが嫌で生き物を飼わない人はいるだろう。
うちの鶏は名前をつけないが、それでも毎日世話をしていれば情がわく。
それを殺すのはやはり勇気がいる行動だ。
できることなら避けたいがそれも許されない。
飼う責任というものもある。
きっちりと仕事をせねば。

その他、庭仕事をこまごまとやり家での休日は終わった。
再び僕は旅の空へ。
きっと南の方では黄葉が始まっていることだろう。
もうしばらく忙しい時期は続く。


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イヤホンガイド

2015-12-11 | ガイドの現場
思いつくことは数あれど、いざそれを文にしようとすると躊躇してしまうことは多々ある。
本音を書けば傷つく人は必ずいるし、だからといって当たり障りのない話ばかりだとつまらない。
その辺りのバランスが大切なのだろう。

先日は1日ハイキングの仕事で添乗員にイヤホンガイドをしてくれと頼まれた。
ガイドが話すのがお客さん全員に聞こえると言えば聞こえはいいが、山でそれをやるか?
南極センターみたいな施設でやるとか、車の中なら話は分かる。
だがそれを自然の中でやるという感覚は僕にはまったく理解できない。
その時は添乗員がついて来ない仕事だったので、その場では適当にごまかして現場では使わなかった。
以前、山仲間のトーマスと同じような話をしたが、自分のところで実際に依頼されたのは初めてだ。
なんだろうね、こういうのって。
物事の本質を見失うとはこういうことなのだろうな。
森の中でイヤホンなんかつけたら、鳥のさえずりや水の音、風で木がこすれるなどの音という重要な要素が欠けてしまう。
それはその場にある最高のものを用意する、というおもてなしの心とは違う。
はっきり言ってしまえば、媚だ。
と、そこまで言えば添乗員も傷つくから、その場では「まあ、現場で様子を見ながら使うかどうか決めます」なんて言ってごまかした。
本音を言って、わざわざその人を不快にさせる必要はない。
それぐらいの社会性はある。
お客さんもイヤホンがないからといって文句をいうことなく、楽しく1日を過ごせた。
「もし、お客さん本人にそういうのを頼まれたらどうするの?」という質問にはこう答えよう。
「大丈夫、僕の前にはそういうお客さんは現れないから」

いつも僕のブログは長いから今回はこのへんでさくっと。
それでは皆様、また来週~。
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マラソンの日

2015-11-24 | ガイドの現場
クィーンズタウンでも去年からマラソンの大会が行われるようになった。
コースはアロータウンからクィーンズタウンまで、途中で湖をぐるっと回ると42kmぐらいになる。
それに出るおじさん2人が今回のお客さん。
前日の観光を兼ねた下見、そして当日はおじさん達をスタート地点へ送った後、先回りして走っている姿を写真に撮るという仕事だ。
コースのほとんどはサイクルトレイルを使い、車道は閉鎖されるので車で行ける場所も限られる。
僕はこの辺りの道は全て自転車で走っているので、どこの道がどこに抜けられるか知っている。
交通規制などの状況に合わせ歩いてコースを見に行き、みんなが走る姿を眺めるのは悪くない。
天気は曇りで時々晴れ間が覗く、暑すぎず寒すぎず良いコンディションである。
去年は寒くて途中でリタイヤする人も多かったと聞く。
アローリバーから車道を横切る所で渋滞していたので車を道端に置き、少し歩いて給水所の所へ行った。
ボランティアの人達がランナーに水を渡している。
派手な格好をしたおじさんが水を渡しながらみんなに話しかけている。
走る人も働く人も楽しそうだ。
マラソンの仕事は初めてだが、こういう角度から見ると又違うものも見える。
おじさんランナーに声をかけ写真に撮り、次のポイントへ。
その頃になると集団もばらけ車も少しずつだが進むようになった。

次のポイントはレイクへイズ。
レイクへイズはビューポイントで応援がかけつけやすい。
駐車場もちゃんとしていて、給水所もある。
湖と山をバックにランナーの写真が絵になる場所だ。
朝なので風もあまりなく、鏡のようにではないけれどぼんやりと山が湖面に映る。
このコースも何回も自転車で走っているし、お客さんと一緒に歩いたことも何回かある。
見慣れたいつもの風景も状況が変わると違って見える。
ポイントには生のバンドも入っていて、程よい大きさの音で場を盛り上げている。
うむ、こういうのもいいな。
犬と一緒に走っている人もいて、これもニュージーランドらしくてありだな、と思った。
コースは湖を一周するので、対岸に速い集団が走っているのも見える。
おじさん達を待つ間、ボケッと山を眺めながら、ランナーを見るのも楽しい。
相撲の着ぐるみのようなもの(空気で膨らましてある)を着て走っている人がいて、いやがうえでも目立つのだが、この人がなかなか速い。
そうそう、そういうバカなことは一生懸命やらなきゃ。
目立つので後何分ぐらいでおじさん達が来るのか目安になる。

レイクへイズを出て次はショットオーバーという川の河原沿いがポイント。
そこまでの移動は国道を通る。
マラソンコースは交通量の多い国道と重ならないような設計なので、渋滞もなく次のポイントへ行ける。
川を渡るのも自動車の橋と別に昔の橋があり、歩行者と自転車用に使っている。
この国のこういう所が好きだ。
マラソンコースは昔の橋を渡り、川に沿って下る。
そこの河原でまたしばしボンヤリとマラソンを眺める。
当たり前だが一人一人にはそれぞれ、自分が主人公のドラマがあり、その一部を垣間見るのはちょっと楽しい。
日本人のランナーが来た。
見ず知らずの人だがゼッケンに名前が書いてあるので日本人だと分かる。
「がんばってください」と言うと、最初は驚き、そしてそれが笑顔に変わった。
ああ、こういうのもいいね。
マラソンが行われるのは知ってたし、ある程度どんな具合か想像できたけど、それと自分の身をそこにおいて感じるものは別だ。
ランナーを待つ間、時間はたっぷりあるので色々な事を考えられる。
こういうボケっとした時間が本当は大切なんだろうな、などと思うのだ。
おじさんランナーがやってきた。
マラソンも中盤を超え、ペースが多少落ちたようだ。
川をバックに記念撮影をして、併走しながら言葉を交わす。
「マラソンが終わった後でマッサージを頼みたいだけど。誰かに頼めませんか?」
「分かりました、僕の友達がマッサージをやっていますので聞いてみます。がんばってくださいね」
おじさんの後姿を写真に撮り、友達のトモ子にメッセージを入れた。
とも子という人はとても多くて僕の知っているとも子もしくはとも子さんだけで10人以上いる。
このカタカナ表記のトモ子は昔からの友達で、15年ぐらい前にヤツが初めてニュージーランドに来た時にブロークンリバーへ連れて行った仲だ。
トモ子の話だけでブログが一つかけるぐらいのヤツだが、今はケトリンズでロッジを運営するかたわらマッサージとサーフスクールをやっていて、このマラソンでマッサージのボランティアのためにケトリンズからクィーンズタウンにきた。
前日はアワビを手土産にうちに来て、一緒に酒を飲み、昔話をしたのだ。

レースも後半になると列もばらけ歩く人も出てくる。
僕もゴール地点でおじさんを待つ。
ゴールには友達のトモ子がいるが、彼女はボランティアの仕事で忙しそうだ。
次々とランナーがゴールをするのを眺める。
彼らの心境は走らない僕には分からないが、見ていてほのぼのするのは悪くない。
そうしているうちに、おじさん達がゴール。
記念撮影をしてカメラを返し、あとは歩いてホテルに帰るというのでそこでお別れして僕の仕事も終わった。
帰り際にトモ子のいるマッサージテントを覗いたが順番待ちの人が列を作っている混雑振りで、話しかけるのもなんだしそのまま家に帰った。
いばらくして家でビールを飲んでいるとトモ子から電話がきた。
「もしもしひっぢ、あのね、あのおじさん、すごく喜んでたよ」
「そうか、そりゃ良かった」
「あんな、何回も写真を撮ってくれて、応援もしてくれて、嬉しかったって」
「そうか、そりゃ良かった」
「ガイドさんがすごく良かったって誉めてたよ」
「そうか、そりゃ良かった」
「あんまり何回も良かった良かったっていうから、こっちも嬉しくなっちゃってね。ウフフフ」
「そうか、そりゃ良かった ワハハハ」
ビールが一段と美味くなった。
ガイドにとって、お客さんが喜んでくれた時のビールに勝るものはない。
幸せのバイブレーションは人から人へ伝わり自分のところへ帰ってくる。
純粋な愛が根底にある行動は関わる全ての人を幸せにする。
客商売とはお客さんあってのものだが、一歩間違えると媚を売るということになる。
媚を売ることなく、その人が喜ぶことをする。
自分にできる範囲で無理をすることなく、自分も同時に喜びながら仕事をする。
ガイドの条件として、ガイドが楽しまなければいけないと僕はよく言うが、自分だけが楽しんでしまってもいけない。
自分ができることをやり、お客さんと楽しみや喜びや感動を分かち合うこと。
それがおもてなしの心であり、それこそが愛であり、それが僕達日本人が持つ精神性なのである。
こういう仕事もいいもんだ。





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カンタベリー観光。

2015-10-11 | ガイドの現場
よく晴れたスクールホリデーの1日、娘の深雪と友達の海ちゃんを連れてキャッスルヒルへ行った。
海ちゃんは深雪と同じ学校に通う日本からの留学生。
年は深雪より3つ上だが、馬が合うのかよく一緒に居て、時々うちにも遊びに来る。
最初はブロークンリバーにスキーに行こうか、などと話していたのだが雪があまり無いので急遽キャッスルヒルに行く事になった。
クライストチャーチから1時間ほど走ると岩場に着く。
キャッスルヒルは石灰岩が浮き出た地形で、岩登りのメッカでもある。
この場所は不思議な場所で、マオリの聖地でもある。
いわゆるパワースポットという所でエネルギーは高いのだが、ニュージーランドのパワースポットはひたすら牧歌的でほのぼのしていて、のんびりと時間が流れる。


「うーん、気持ちいい~」
「気持ちいいとは体が自然のエネルギーを感じ取っている証拠なんだよ」


岩のブリッジに登って記念撮影。


街から見える山の裏側にはこんな世界があるんだよ。


娘は何回もこの場所に来ているが、今回は違う見方ができたようだ。成長するにつれ景色も変わって見えるものだ。


今までにあちこちのパワースポットに行ったが共通して感じたのは、不思議な場所という感覚だ。
マオリ、それもワイタハ族の聖地であり、最近この場所で封印が解かれたという話をある本で読んだ。


そんな場所で食べるお弁当は旨いのである。


キャッスルヒルから車で5分、次のポイントへ。ブロークンリバーの川へ降りる。


するとこんな洞窟が。ここは1時間くらいかけて歩き抜けられる。ただしきちんとした装備が必要。


この日は入り口だけ見学。次は装備を整えて来ようね。


さらに車を走らせるとワイマカリリ川の広い川原、そして氷河を載せた南アルプスを一望できる場所に出る。


アーサーズパスのカフェでアフタヌーンティー。


お次は原生林の森林浴。


キャッスルヒルの岩場とは違う種類のエネルギーが森にある。


森の中を流れる清流で水を汲み、記念撮影。


そしてアーサーズパスの駅。


1日観光の締めは高原列車でクライストチャーチへ。


列車からの眺めは車と違うものがある。

二人の娘を列車に乗せ、僕は1人で車を走らせた。
自分に出来ることをするというのが信条だが、この日も1日自分がやるべきことをした。
そんな時に飲むビールは旨いのである。
それにしても盛りだくさん、フルコースの1日だったな。


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ツアーの合間に。

2014-12-16 | ガイドの現場
ツアーからツアーへ。
多忙な毎日である。
家に帰っても、畑をいじればあっというまに時間は経ってしまい、翌日からまたツアーへ出る。
体は大変だが心は荒んでいない。
全て自分が選んだ道であり、自分の心が身の回りの状況を作り上げている。
行く先々で人に会いお酒を飲む。
ガイドの仲間と一緒に飲むこともあれば、お客さんに高いワインをおごってもらうこともあるし、ついこのあいだはボスと一緒に飲んだ。
僕が飲む酒はいつも楽しい酒だ。
普段の生活でイヤなことがなければ、常に良い酒である。
イヤなことを忘れるために飲むのはダメだ。
たとえ酔って忘れても根本的な解決にならない。
それよりもイヤなことがあれば素面の時に解決して、その後に楽しく飲む。
これに限る。









先日はマウントクックで遊覧飛行に乗せてもらった。
冬にヘリスキーで飛んだが、やはりここの山はすごい。
こういう所へ来ると言葉が景色に追い付かず、口を開けばバカの一つ覚えのように「すごい」という言葉しか出てこない。
氷河の上に降り立ち、山に向かって拝む。
心からわき上がるのは感謝だ。
晴れてくれて素晴らしい姿を見せてくれる山の神に感謝。
高い料金を気前よく払って飛んでくれて、そこに自分を連れてきてくれるお客さんに感謝。
気持ちよく仕事をさせてくれる職場のボスに感謝。
家を空けるのに理解のある家族に感謝。
そして健康で元気に仕事ができ、美味しいお酒が飲める自分に感謝。
山に向かってそういった思いを唱える。
言葉として口に出すことは大切だ。
そこに言霊がある。









ガイド同士で飲んだ時にあるガイドが言った。
「リスクマネージメントは想像力だ。」
なるほど確かにそうである。
一番悪い状況を想定して、そこから引き算をしていきリスクを回避する。
山の天気というものは変わりやすく、そこにさまざまな人的要素が加わり事故は起きる。
今この場でこういう事故があったら自分はどういう行動を起こすか。
チームや同行者にはどういう指示を与えるか。
そういうようなシミュレーションを頭の中で思い浮かべることにより、リスクは減らせる。
それには想像力が必要なのである。
スキーパトロールの仕事をしていても、無線を聞いてこの人があの場所にいてあの人がどこそこにいて、こういう状況なので自分はこういうふうに動く。
こういうことが当たり前にできて一人前になるのだが、命じられた事はできるが自分で考えて行動ができない人はどうするのだろう。
とにもかくにも、そのように俯瞰(ふかん)で物事を見る事が大事なのだ。
俯瞰とは全体を上から見ること。
そこにいる自分、それを取り巻く状況や人などを全体で見ること。
もちろん自分の目では見えない。
そこで想像力が必要なのである。
街で車を運転していても、周囲の状況を俯瞰で見るように心がけている。
前の車はどういう車種でどういうドライバーか、後ろの車はどういう運転をする人か、対向車のスピードとライン取りはどんなものか。
その他、天気、路面状況、光の加減や風など無数の情報を整理して、そこの中で走る自分を上空から見る。
だが当然ながら全ての人がこれをできるわけではない。
今日も運転をしていたら遅い車が数十台の車を引き連れて走っていて、その列の中にいる自分を俯瞰で見てしまった。
これからの季節、こういう人はもっと増えるんだろうな。
やれやれ。
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親方物語 10

2014-09-23 | ガイドの現場
7月28日

頭が痛い。
久々の二日酔いだ。
昨日は嬉しくて飲みすぎた。
普段は仕事があってもなくても朝4時とか5時に起きる僕だが、今日は娘に起こされるまで寝てしまった。
こんなことはめったにない。疲れがたまっていたのかな。
撮影が無事終わり、最後の片付けの日なので朝はゆっくりできる。
娘と女房を送り出して、天気が良かったので犬と自転車で走りに行った後、オフィスへ行った。
オフィスはみんなが泊まっているホテルの一角にある。
ちょうど親方もオフィスへ顔を出す所で、挨拶を交わした。
親方も昨夜の後半はあまり記憶がないそうだ。お互い様だな。
今日の僕の仕事は雑用、頼まれるままに動く。
みんなの買い物に付きあい、そのままお昼をごちそうになり、レンタカーを返して一度家へ戻り、娘が学校から帰ってきたので自分の車に乗せてもう一度オフィスへ。



娘を車で待たせ、最後の精算を済ませ、親方の部屋へ挨拶に行った。
行ったはいいが、言葉が上手く出てこない。
何をしゃべろうとその場で色あせてしまう。
気持ちだけが溢れ言葉が付いてこない。
「今回は・・・本当にありがとうございました。」
それだけを言うのが精一杯だった。
そしてそれ以上の言葉は必要がなかった。
握手をしたら涙が溢れてきた。
涙というのは浄化の一環なので泣きたい時はボロボロ泣くのがよいのだが、さすがにそれも恥ずかしい。
涙がこぼれる前に作り笑いをして、そそくさと部屋を出た。
部屋の外で僕は泣いた。
車で待っていた娘に茶化された。
「お父さん、あのおじさんと別れて泣いちゃったの?」
「そうだ、泣いた。でもな、この涙は別れるのが悲しいからじゃないんだ。あのおじさんと出会えたことが嬉しくて泣いたんだよ。」
「ふうん」
娘が少し嬉しそうな顔をした。
こうして僕の夢のような十日間が終わった。



その後、山に雪が降り、僕は自分の現場である雪山に戻った。
きっと親方は日本で忙しく働いている事だろう。
一人で山に登りながらも、思い出に浸る。
いつでも僕の意識は、シーンごとの瞬間に戻る事が出来る。
終わってしまったわけではない。
瞬間とは永遠に存在し続けるものだ。
僕は又一つ経験という財産を得た。
こうして僕の心は豊かになり、その想いは人を幸せにする。
瞬間ごとに自分がやるべき事をする。
その積み重ねの上に今の自分が居る。
僕は妙に澄んだ気持ちになり、山に向かって手を合わせた。


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親方物語 9

2014-09-22 | ガイドの現場
7月27日
撮影最終日。
いつものように親方を迎えに行き、今日は娘のマルちゃんも一緒に現場へ行く。
現場は昨日と一緒の場所、サムナーの住宅地。
昨日は50年代の設定だったが今日は現代の設定。
道路標示の看板も現代風のものだし、道路の脇にはバスケットボールのゴールも置いた。
エキストラも今時の格好をした人達。
ロスっぽいのかどうか分からないが、ストリートバスケの小僧とかマウンテンバイクに乗った高校生ぐらいの女の子、スケボーとかスクーターに乗った子供達など。
車は現代の大きなアメリカっぽいトラックとシボレー。
親方とマルちゃんがいつものようにアメリカのナンバープレートを貼り付ける。
そしてガムテープで車のロゴを隠す。
車を使うシーンではこの作業を親方は毎回やっていた。
僕は気になっていた質問をした。
「このシーンはアメリカでしょ?シボレーが走っていても何もおかしくないじゃないですか。何故ロゴを隠すんですか?」
「これはね、車の会社がスポンサーになる時に他の会社の車だとうまくないのでその対策なんだよ」
「へえ、そうですか。それで今回はスポンサーに車の会社があるんですか。」
「イヤ、それはまだ決まっていない」
「え?じゃあ車の会社がスポンサーにならないかもしれない?」
「ならないかもしれない」
「その時にはこの作業は意味がない?」
「そう、全く無意味な作業なんだよ。オレがこの作業をしてる時に背中から哀愁が漂っているでしょう?」
「うん。思いっきり漂ってる」
「いつもバカバカしいなあ、と思いながら仕事をしてるんだよ」
確かにバカバカしいし無意味な作業だ。
例えばトヨタの車のロゴを隠して撮影してスポンサーがトヨタになった、なんてことになったらイヤになっちゃうだろうな。
つきつめて考えると、歪んだ社会の一部が垣間見える。
クリエイティブな人が余計な事を考えず、クリエイティブな事に専念して生きていける。
ガイドがガイドに専念して生きていける。
僕が夢見るのはそんな世界だ。



シーンはLAの住宅地。
シボレーが走り、スケボー少年が道を横切りマウンテンバイクの女の子が通り過ぎ、その横からバスケ小僧がパスをしながら女の子を見て「かわいいじゃん」みたいな顔をして、大きなトラックが通る。
というような、いかにもアメリカっぽいカットなのだが動きが多いのでタイミングがなかなか合わない。
そうか、当たり前だがこういうシーンも全部作るんだよな。
何回も同じ事をやって、エキストラも大変だなあ、などと思って見物していた。
親方が言う「この国の人達は皆、人が良いなあ。エキストラの人達だって何回も同じ事をやらされても最後までニコニコやってくれて。他だったらこうはいかないよ。直ぐに態度に出てくるから」
自分の住んでいる所が誉められると素直に嬉しい。
車のロゴを隠す作業の時もナンバープレートを貼りかえる時も、車のオーナーが作業を見張るというようなことはない。
ガムテープを切るときにカッターナイフを使うのだが、神経質な人だったら「こいつオレの車に傷つけるんじゃないか」などと考えそうなものだが、こちらの人はあっけらかんと「どうぞどうぞ、好きにやって」みたいな感じで、本人達は撮影を見物に行ってしまう。
こういう『人の良さ』というのがニュージーランドが観光でも人気のある理由なのだと思う。



昨日と同じくフェリーミードへ移動して昼食。
そして撮影は続く。
午後は南米のシーン。
エキストラもコロンビア人。
僕らの仕事は物売りの人のバスケットの用意。
小道具担当のジョシーが近くのスーパーでフルーツを買ってきていた。
バナナとかマンゴーとかパイナップルなどのラベルをはがして、布を敷いたバスケットに飾ってできあがり。
エキストラのコロンビア人と片言のスペイン語で会話をする余裕もある。
撮影ツアーもまもなく終了、めまぐるしく走り回ったジェットコースターも停車に近づいてスピードを落としたようだ。





そして最後のシーンを撮りに街中へ移動。
最後は大聖堂広場の一角で今度はパナマのオリンピックオフィスの設定。
これもホテルの看板の上に用意しておいたサインを両面テープで貼るだけ。
僕がやる事は何もない。
ここで娘と女房が撮影を見に来た。
親方にもきちんとご挨拶。
今日は『バレメシ』(業界の用語で各自バラバラにご飯を食べる事をバレメシと言うそうだ。)なので、仕事が終わったら我が家へご招待してある。
親子で撮影を眺めていたらゴードンがマフィンを持ってきてくれた。
ありがたや、娘と女房に一つづつもらった。
ゴードンの肩書きはユニット・マネージャー。
彼のトラックの中はエスプレッソマシーンがあり、ロケ中いつでもコーヒーが飲める。
このコーヒーが旨く、そんじょそこいらのカフェより美味い。
トイレの無い現場では簡易トイレを用意するのも彼の仕事だし、何もない場所ではテントも立てて椅子を出しヒーターもつけて休憩所を用意する。
そして十時三時にはお菓子やちょっとしたおつまみ、フルーツなどを用意して皆に配って歩く。
関係者だけなんてケチ臭いことは言わないで、その辺で見ている見物人にも「はいどうぞ」。
こういう配慮が嬉しい。
昔は撮影の照明をやっていたそうだが、第一線を引退して今はこういう仕事をしている。
撮影現場を陰で支える好々爺という存在だ。



娘が何かモジモジしている。
聞くと学校の先生にそっくりな人がエキストラにいるのだと。
「どれどれ、どの人だ?あの綺麗な人か。じゃあお父さんが行って聞いてきてあげるよ。『カークウッド(娘の学校)の先生ですか?』ってさ」
「やめて、恥ずかしいから」
「はあ?オマエ何を恥ずかしがっているんだ。別にいいじゃん。」
「イヤだ。絶対にイヤ」
そういわれるとちょっと意地悪をしたくなる。
「『うちの深雪がいつもお世話になっています』って言うぞ」
「やめて、本当にやめて」
そんなやりとりをしながら眺めていると、監督のOKが出て撮影終了。
場にほっとした気が流れた。



その後、買い物をして親方をホテルへ送り届け一度家へ戻った。
親方もマルちゃんも道具を梱包する作業が残ってるので2時間後ぐらいに再び迎えに行く。
家に戻ると女房が晩飯の仕度をしていた。
今日のメニューは餃子とチキンライス。
我が家のニラ、シルバービート、ニンニクが入ったNZで一番美味い餃子だ。
今年は唐辛子が豊作だったので、それで作ったラー油も絶品である。
おつまみに僕が玉子焼きを作る。
自分ができる事で、その場にあるもので、一番美味い物を出すのがもてなしの心である。
金がない僕が高い食材を買ってもてなしたら本質からはずれてしまう。
それはもてなしではなく、見栄であり、へつらいだ。
そんな事をしなくても家には美味い野菜と美味い卵がある。
そして自分は玉子焼きが焼ける。
たかが玉子焼きと馬鹿にすることなかれ。
卵の質、調味料の量、焼き方だって鍋の温度や裏返すタイミングなど奥は深いのだ。
いい加減に作ればそれなりの味だし、真剣に作ればご馳走になる。
僕は小学校3年生ぐらいの時から玉子焼きを焼いていたし、よく弁当のおかずに入れるので得意ではある。
自分のできる事をする上で大切なのは、自分を知ることだ。

日が落ちてから皆を迎えに行く。
今晩は親方と娘のマルちゃん、そしてオークランド在住で僕と同じように雇われたユカちゃんも来る。
ユカちゃんもこういう仕事は初めてで、衣装とかメイクの方で通訳も兼ねていろいろと仕事をしていた。
機転がきく女性でエキストラの面倒などもよく見て、初めてとは思えない仕事っぷりは日本のスタッフからも評判は良かった。
彼女もオーガニックとか自給自足などに興味があるようで、僕の庭を見たいと言っていたのだ。
家に着いたら先ずはガーデンツアー。
暗くなっているのでトーチで皆様をご案内。
ニワトリ小屋、菜園、温室をまわり、そしてご馳走の待つ暖かい食卓へ。
まずはビールで乾杯。そしてワインへ。これが僕らの打ち上げだな。
酒も食べ物も美味く、話は弾む。
これも撮影が無事に終了したからこそ。
あの時にああすればもっとよかったなあ、と自分を反省する所もあるが、まあ素人のやる事というわけで許してもらえる範囲だろう。
それより僕は目の前の親方と我が家で飲める事が嬉しくて、どんどん杯を重ねてしまった。
あげくの果てにギターを引っ張り出して『美術の親方の唄』なんぞを即興で歌ったようだ。
というのも、その頃には僕はベロベロに酔っ払ってしまって、記憶が断片的にしか残っていない。
夜も更けタクシーを呼び、皆を送り出す時に握手をしようとしたら親方が僕を抱きしめた。
うわあ親方、やめてくれ、そんな事をされたら涙があふれてしまうじゃないか。
そうでなくとも最近は涙腺がゆるくて、すぐに涙ぐんでしまうのに。
その夜は前後不覚、泥沼のような眠りに落ちた。

続く
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親方物語 8

2014-09-21 | ガイドの現場
7月26日
クライストチャーチの撮影はサムナーとフェリーミードで行う。
現場へ行く車の中で親方から面白い話を聞いた。
「以前やった映画で『それでも僕はやってない』という痴漢の冤罪のドラマをやったんです。今ね日本の電車は怖いですよ。誰かに『この人痴漢です』と腕をつかまれたら最後、自分がやっていようがやっていまいが連れて行かれて『やりました』と認めればその日に放してもらえるけど『やっていない』と言い張ったらそのまま拘留されるんです。その間に社会的地位はパアですね。裁判をすれば費用もかかるし、例え無罪になっても失う物が大きすぎる」
「はあ、何か本でそんな話は読んだことがあります」
「だからね私は満員電車でも両腕は下げない。片方はつり革か何かに掴まってもう片方は顔の前で本を読むとかします。そうすれば誰かが近くで騒いでも『私の両手はここにあります』と言えるから。ホント怖いですよ」
「そんなじゃ、通勤の時も大きなストレスですね」
「そう、満員電車で女の人に近くに来てもらいたくないもの。『お願いだから、あっちに行ってください』と思っちゃう。それが今の日本なんです」
社会の歪みとでも言うのか、ここで生活をしていると遠い世界の出来事だ。
後日、女房にそれを話したら、「オヤジ専用車両があればいいのに」と言った。
ナルホド、女性専用があるならオヤジ専用だってあっていいはずだ。
女性しか専用車両がないのはオヤジに対する差別だ。
そんなのができたら親方は喜んでそこに乗ることだろう。





この日はサムナーの撮影から。
ちょうど朝日が海から昇ってくる時で、スタッフも写真などを撮る余裕もある。僕も朝日に向かって拝んだ。
この日のシーンは50年代のロス・アンジェルス。
道路標示の看板を古いものに付け替えて、現代っぽい壁を植木で隠し、クラッシックカーを用意すると、サムナーの住宅害がLAになった。
親方が車のナンバーを貼りかえるのに付き合っていると、向こうから親子連れがやって来た。
僕が所属するブロークンリバー・スキークラブのメンバーで、娘も僕の娘と同じ年でかれこれ十数年のつきあいか。
彼らがサムナーに住んでいるのは知っていたし、ひょっとすると会うかもな、とは思っていたがこうもあっさり何気なく出会うとはね。
「あらあら、こんな所で何をしているの?」
「日本のテレビドラマの撮影で働いていてね。見物していくといいよ。この向こうの道は50年代のLAだよ」
「へえ、それは面白いわ。撮影はここだけ?」
「いや、昨日まではオアマルで四日間、その前はセントラルオタゴで二日間だったよ」
「そうなの。次に会うのは山で会いたいわね」
「全くだよ。じゃあね」
彼女の家族と会うのはいつも雪山だ。街で出会う事は珍しい。
今年は雪が無くスキー場が開いていないのでこういう事もある。
もしも例年通りに雪が降っていたら、彼女の家族はこんな週末には滑りに行っているだろうし、僕もどこかの山へ行っていてこの仕事をしていないだろう。
そうなったら当然親方にも会っていないわけで、そう考えると雪が降らないことにも感謝というべきところだが、スキーヤーの僕は諸手を挙げて、というわけでもない。
複雑な心境である。
それにしてもこの仕事をしていて、よく知り合いに会う。
日本人のエキストラは知った顔がほとんどだし、オアマルの街でセットを作っていたらクライストチャーチの友達家族にばったり会った。
同じ街に住んでいながら普段は全然会わないのにこんなところで出会うとは。
「ニュージーランドは人が少ないから知り合いにもよく会うんですよ」と親方には冗談半分で言ったが、こういう何気なく嬉しい出会いがあるのは、自分が良い状態にいる証しと僕は見る。





午前の撮影が終わると場所をフェリーミードへ移し昼食後は南米のシーンの撮影だ。
チンチン電車の看板をスペイン語の物に代えたり、小さな旗を飾ったり。
細々した仕事をしてフェリーミードの撮影を終了。
その後、全員で街中のホテルへ移動。
そこでこの日の最後の撮影が終わり、その後はそこのホテルのレストランで食事。
俳優のOさんと女優のTさんの撮影がこの日に終わったので全員で食事会。
撮影はもう1日残っているので打ち上げというわけではなく、あくまで食事会だそうな。
僕は親方と離れ撮影班の人達と並んで座った。
横に座った高橋君は30をちょっと超えたぐらいか。初NZどころか初海外が今回の仕事だと。
その高橋君が話してくれた。
「僕達は仕事の時は全体の出発時間より15分早く撮影班は集合するんです。準備とかいろいろあるので。僕が新人だった頃はそれよりも15分早く来て機材のチェックとかしました。言われたわけではないけど早く一人前になりたかったし、先輩に誉められたら嬉しいし。でも最近の新人君はそうじゃないんですよね。言われたままの集合時間に来るだけなんです」
「ああ、それと全く同じような話を聞いたことがあるよ。言われたことだけはそつなくこなすけど、それ以上は何もしないというのは今の風潮なのかねえ」
近くにいたADの田中さんが話し出した。この人も面白い人だ。
「この前なんか、うちの若い子が遅刻してきたものだから『どうして遅刻したの?』って聞いたら『家を出るのが遅れました』って言われちゃって・・・。」
「アハハハ」
「今のご時世、暴力なんかは絶対ダメだし、きつく言ってもパワハラなんて言われちゃうから、やさしく『家を出るのが遅れたのは分かったけど、じゃあ何故家を出るのが遅れたの?』って聞いたのさ。そしたら『何かいろいろやってたら、遅れちゃって・・・』とお話にならないんです。僕らが若い頃は遅刻したら『スミマセン、スミマセン、スミマセン』と平謝りに謝ったものだけど、今の若い子ってのはそういうものらしいねえ」
「いや若いとかそういう問題じゃないでしょう。人間としてどうなの?という問題じゃないですか。親の顔が見たいとはこういう事ですよね。」
親の顔が見たい、という言葉はあるが親を見たくない時もある。
親方は会社の社長をしているので、新入社員の面接もやるという。
その面接に母親がついてきて、あれこれ自分の子供のアピールをするのだと。
そういう親がいるというのは、何かの記事で読んだ事はあるが実際に面接でそういう親が来たという話を聞くとリアルさが増す。
「お母さん、残念ながらあなたのお子さんは不採用です。その理由はあなたです。自分の行動の判断と責任という、人間にとって一番大切な芽を摘み取っている事に気がつかない、あなたのような親が育てた子供に人並みの仕事が出来ますか?自分の事を自分でするという当たり前の事、自分の面接を自分だけで受けるという当たり前の事をさせないのはあなたです。それを許す父親も父親です。子離れできないバカ親とはあなたのような人のことです。いい加減に目を覚まして、子供への依存を止め、あなたが自立しなさい。」
僕がもしも面接官だったらこれくらいの事は言ってしまうだろうな。
そしてバカ親からすぐに苦情が来てクビになるだろう。
そういう親に育てられた子供が仕事に遅刻して謝る事もせず、上司は叱ることさえもできない。
一昔前なら「バカヤロー」って怒鳴られ、時にはゲンコツの一つでも貰って自分から気づいたのだろうが、歪みに歪んだ社会はそれも許さない。
可哀そうだ。みんな可哀そうだ。
自分の愚かさに気づかないバカ親も可哀そうだし、そんな親に育てられた子供も可哀そうだ。
そして自立できない部下を持つ田中さんもかわいそうだし、面接について来るバカ親の相手をしなければならない親方もかわいそうだ。
でも、早く一人前になりたいからと、自ら進んで早出をする高橋君のような若者も存在する。
歪んだ社会の闇だけではなく、明るい光もあることを忘れてはならない。


続く
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親方物語 7

2014-09-20 | ガイドの現場
7月25日
朝、モーテルを引き払い出発。
今日でオアマルの撮影は終了、その後クライストチャーチへ移動である。
移動日とあって内容は軽めのようだ。
先ずは車で5分ぐらい、丘のうえで景色の良い邸宅。
ここがメキシコの主要人物の屋敷となる。
今度はメキシコですか、もうどこへでも連れて行って下さい。という気分だ。
美術班の仕事は門の所の看板を外し、メキシコの国旗をつける。
アンディが撮影に付き合い、その他のメンバーは昨日の片付けと移動の準備だ。
その仕事は10分で終わり、後はぼんやり撮影を見たり、天候待ちの時にはスタッフとおしゃべりをする余裕もある。
僕が自分の庭で飼っていたニワトリを食べた話をすると女優のTさんが以前どこかで締めたばかりのニワトリを食べさせてもらってそれがたいそう美味かったとか、モンゴルかどこかの国でロケをした時には大草原についたて一つ立てて、見渡す限りの草原の中で用を足したなどと単なるお嬢さんではないような話を聴いた。



親方は監督やカメラマンと何か話をしている。
ふと思ったのだが、今回の撮影チームの中でうちの親方はかなり重要なポジションにいるのではなかろうか。
ひょっとするとこの業界では名の知れた人なのかもしれない。
そういえば、こういうこと(テレビとか映画とかの美術の仕事)をやる会社の社長とか、働く人も百人ぐらいいるとかって言ってたな。
だからといってどうこうの問題ではないが、僕の今までの経験だと、どの業界でもトップに立つような人はその事に対して全く自慢をしないし、どちらかと言うと謙虚な人が多い。
元厚生大臣もJTBの会長もオリンピック選手も青年実業家も大物人気俳優も、人間として対等のところで話ができた。
上下をつくるのは周りの取り巻きだ。
そしてうちの親方も、会社の社長さんでも現場に出続ける姿はかっこいい。そして決して偉ぶらない。
スターウォーズのダースベーダーのように一つの艦隊の指揮官をフォースの力で殺せるぐらいの絶対的権力を持ちながら、何か事が起これば「オマエ行け」ではなく「オレが行く。ついて来い」というような徹底現場主義。
燃え盛るドラム缶を動かすのに、「オマエ動かせ」ではなく自分でさっさと動かしてしまう行動力。
この時には僕はすっかりこの親方に惚れこんでしまっていた。



お昼を食べにベースに戻ると、エキストラで雇われた友達のシゲさんと息子のリクが来ていた。
シゲさんとは十数年の間柄、普段はなかなか会う事もできないので、一昨日の晩に家に遊びに行った。
その時にエキストラの話は聞いていた。
息子のリクは数年前にクィーンズタウンに遊びに来た時から知っている。
その時さくらんぼ狩りに連れて行ったのだが、ふざけてさくらんぼを投げて落とすので雷を落とした。
食べ物を粗末にする事は自分の子だろうと他人の子だろうと許さん。
悪がき小僧だったリクも今は17、人の子が大きくなるのは早いものだ。
二人の役は日系ブラジル人。
撮影は市内の教会をブラジルの教会に見立てて行った。
ここでは美術班の出番は無し。
今日は楽だな。
他の人の手伝いをする余裕もでてきた。
衣装の人が洗濯をしたいというので、モーテルまで送迎したり買い物に付き合ったり。
撮影が長丁場になるとみんな着替えなどもたいへんだろうな。
ちなみに今回親方は15日間の滞在になるそうで、パンツも15枚持ってきたそうな。
洗濯から帰っても撮影は続いている。
現場に近づくと周りのスタッフが口に指を当て、静かにというサインを出した。本番中なんだな。
覗いて見るとシゲさんが俳優と向かい合って何か話をしている。
おおお、シゲさんセリフ付きの役ですか、と思いきや何かが違うぞ。
よく見るとその声は録音されたものでシゲさんは後ろから映されている。
後ろ頭が映るのでこの為に髪も染めたとか。
日本で撮ったカットと、このカットと繋ぎ合わせて一つのシーンを作るのだろう。
ふーん、いろいろあるんだなあ。



撮影が終わると荷物を車に積み込みクライストチャーチへ。
ベースも引き払うので皆てきぱきと片付けをしている。
昨日のゲリラのアジトは当然ながら跡形も無く、倉庫の片隅、何の変哲も無い空間があるだけ。
確かにこれだけのことをやって一々感傷に浸っていたら何も進まない。
だけど素人の僕だから感じる『何か』もある。
それが何かは分からないが、自分の心の奥にある想いとリンクしていて、それが自分という存在の一部でもある。
経験、それは自分の大いなる財産。
この年になっても貴重な体験という財産ができた。
ただひたすら、ありがたやありがたや、なのである。



親方とマルちゃんを乗せて車を走らせる。
この二人の会話はまるで親子のようだ。
きっと前世のどこかでこの二人は親子だったのだろう。
親方がうちの娘、と言うのが分かる。
そういえば、スタッフの誰かも親方のことをパパと呼んでいた。
親方には自分の子供はいないそうだが、みんなから慕われるお父さんなんだな。

続く
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親方物語 6

2014-09-19 | ガイドの現場
7月24日
朝いつものように親方をホテルでピックアップしてベースへ行き、ぎょっとした。
衣装とメイクの間にライフルや機関銃がずらりと並び、その周りには軍隊で使うような物が置かれてる。
その一角だけ即席軍用品展示コーナーがあるようだ。
そういえば今日はキューバのゲリラのシーンがあるような事を言っていたな。
そのために色々な物を借りるんだろう。軍事マニアらしきおじさんが緑色の軍服を着てそこにいた。
全く毎日毎日いろいろあって楽しい。





その日の撮影は中米の町並みから。ベースから歩いて数分の距離だ。
スペイン語の看板はすでに用意されているし、交差点のストップサインを隠す看板も用意済みで、本番の時にちょいと引っ掛けるだけ。
段取り八分現場二分、あわてることもなくスムーズに撮影に入った。
『いつもこうありたいものだ』という僕の願いはこの後、見事に吹き飛ばされるのだが目隠しジェットコースター状態の僕にはそれを知る由もなかった。



中米の町並の撮影が終わると次は南米の客車のシーン。
僕らのベースの建物の裏はほとんど車の通りのない道がありその向こうは線路、そしてその先は海だ。
オアマルでは今でもたまに蒸気機関車を走らせており、今回の撮影も蒸気機関車を出してもらった。
そのシーンでは美術班の仕事はなく、次のセットそして今晩のセットの準備へと向かった。





午後の予定はキューバのゲリラのアジト、そして夜はキューバの廃墟のような町並みとのことだが、それを聞かされても僕にはイメージが湧かない。
ベースの建物は昔の羊毛の倉庫で、太い柱に白い石を積み上げた壁、高い天井に板敷きの床という造りである。
この一角に厚手の布を吊り下げ、天井から裸電球をぶら下げ、弾薬や武器を入れるような木箱を並べるとナルホドそれらしくなった。
だがこれだけで終わりでなく、壁にスローガンを書いたり、キューバの地図やスローガンを書いた紙を貼ったりというような細かい作業がある。
だがゲリラのアジトは作業途中のまま放って置かれ、美術班は建物の外で今晩のセットの作業をやっている。
この国の人達は気ままな所があって、物事をノリでやる。
だからそのノリとタイミングが合えば全てスムーズにトントン拍子に行くのだけれど、筋道だって考えて行動するのは苦手だ。
夜の撮影のセットはまだ時間があるのだから後でやって、先に午後から始まるセットを仕上げるという、素人の僕でも分かる事ができない。
気分は外のセットへぶっ飛んでしまって、ゲリラのアジトは遠い忘却の彼方へ押しやられてしまったようだ。
そんな忘れられたゲリラのアジトに親方と二人。
ボチボチと作業をしながらちょっと心配になり親方に聞いた。
「あのう親方、彼らを呼んできましょうか?」
「イヤ、ちょっとこのままやらせてみましょう、ジョンなりに考えがあるだろうから」
ジョンというのは美術班のボスだ。
ちなみに美術班は常時5人、ボスのジョン、僕の古くからの友達のサイモン、看板やサインを作る純朴ペインターのアンディ、小道具などを担当するジョシー、そして雑用のヘイディという顔ぶれである。
そのまま作業を続け、撮影の時間も近づいてくる頃、美術班のメンバーもボチボチとアジトに戻ってきた。
そしてお決まりのドタバタ劇だ。
8時だよ全員集合のコメディが終わって歌謡曲に移る時のあの音楽、あれがBGMに欲しいぐらいである。
壁にでかでかと[Todo por la Revolucion](全ては革命の為に)という文字を書くのだが、当初のイメージでは基本黒文字でRevolucionだけ赤文字、とアンディに伝えたのだが全部黒文字で書いてしまった。
水で流せば消えるペンキだがやり直している時間はもうない。
「もうしょうがないからRevolucionのところだけ黒の上から赤でなぞって」
そしたらアンディ、今度は黒字の周りに赤で縁取りをしてしまった。
「あーあアンディ、そうやっちゃったか。うーん、じゃあ黒の周りを赤でベタベタ塗っちゃえ。」
現場合わせもいいとこだが、アンディが塗ると、どうしても芸術っぽくなってしまう。
「それじゃあちょっとポップだぞ、軽すぎる。革命なんだから、もっと力強く」
ポップというのは和製英語なのか?うまくアンディに伝わらない。
このあたりは僕の英語にも問題がある。ポップな字体、というような感覚を伝えきれない。
おまけに時間がなくてアンディも僕もあたふたしている。
結局は親方自ら筆を取って壁にペンキで力強くどかっと。
それでアンディも納得したようで、その後を引き継ぎなんとか壁のスローガンができた。
天井からロープを垂らし鉤をつける。
キューバの国旗と革命軍旗を飾る。
コーヒーで汚した地図を貼る。
そして軍事マニアから銃を借りてきて弾薬箱の前に飾り、なんとかゲリラのアジトができあがった。



撮影が始まると親方は床に水をまいたり煙を焚いたりあれやこれや忙しそうだが、僕の出る幕ではなく基本ヒマだ。
撮影の様子を見物したり、強面ゲリラが旨そうにデザートを食べるのを写真に撮ったり、他のスタッフとおしゃべりしたり、そんな余裕も出てきた。
ジェットコースターだってゆっくり走る時もあるさ。





午後丸々かけて撮影は続き、その間に外のセットの準備をする。
土のうが着いたというので行ってみると、軍用トラック一杯に土のうが積んである。
ただし中身はおがくず。本物は土を入れるがそれだと重いからね。
土のうを積み上げ塹壕をつくり、そこに機関砲を据え付ける。
こちらは本物だろうな、かなり重たかった。



夕食後は夜の屋外シーンである。
ゲリラのアジトと関連があるのだが、設定はキューバ革命時の廃墟のような町。
道端の車からは煙が流れ、塹壕の脇には無骨な軍用テント。
木箱が無造作に積み上げられ、民兵がドラム缶で焚き火をする。
建物の壁にはキューバ革命のスローガンがベタベタと貼られ、その横で革命軍の旗がなびく、というようなセットを美術班が作った。
夜空に照明が煌々と焚かれ、撮影が始まった。
美術班も配置に着く。
遠くに置かれた車から白い煙、近くの車からは黒い煙ということで、白い煙はスモーカーという機械を使い、黒い煙は大きな皿に燃料を入れて燃やす。
黒い煙の役目は旧友サイモンなのだが、こいつがやらかした。
気をきかして車のボンネットの中から煙を出そうとしたんだろうな、ゴムの部分が焼けてしまい本物の黒い煙がモクモクとふき出し臭い匂いが辺りにただよった。
そんな事をやってあわてて消したものだから、今度は次のテイクで間に合わなくなりあたふた準備をしなおすというドタバタ劇。
そのうちに焚き火をしているドラム缶からの火が弱くなり、サイモンが燃料をぶちこむ。炎が上がる。やけに嬉しそうだ。
それを見て親方が言う。
「人間って火を見て興奮するタイプと冷静になるタイプがあるんですよ。サイモンは典型的な興奮型だな」
ナルホド、僕も興奮する方だな。
サイモンが担当する黒い煙は、普段消しといて本番に合わせて点火ということになったのだが、またやってくれた。
いざ本番、さあ黒い煙を出せ、いう所で煙が出ない。どうしたサイモン。
見るとあのバカ、よっぽど興奮したのか女の子と話に夢中で無線も聞いちゃいない。
近くにいた小道具のジョシーがプンプン怒りながら言った。
「全くあいつは最低!どうしようもないわ。クロムウェルの市場の飾りつけの時からずーっとそうだったのよ」
美術班の中でも人間関係は色々あるようだ。親方にそれを伝えると言った。
「サイモンみたいなタイプは力仕事とか大きな仕事はいいけど、こういうタイミングを合わせて動くというような細かいことは苦手なんだろうな」
ごもっともである。
実際サイモンはスキー場では圧雪車のオペレーターだったし、今でも普段は重機を使った土方をやっている。



撮影の合間、カメラの位置か変わる時に細かい指示が出る。
焚き火を焚いているドラム缶の位置をずらせと。
熱々のドラム缶をどうやって動かすんだ、と思って美術班の全員がお互いに顔を見回していると、親方がどこからか木の棒を持ってきて、それでズリズリと動かしてしまった。
現場上がりの親方は強し、そしてかっこいいぜ。
僕だけでなく美術班全員が親方の事を認め、そして尊敬していた。
ちなみに親方はビッグボスと呼ばれ僕はリトルボスと呼ばれていた。
親分と子分みたいなものだな。
こうしてキューバの廃墟の撮影もなんとか終わった。



帰り道、一昨日撮影をした八百屋の前を通った。
当たり前だが八百屋の面影は全くなく、ここにあの店があったという事が夢のように感じられた。
それがわずか数日前なのだ。
そこから僕はベネズエラ、ブラジル、チリ、カリフォルニア、中米のどこかの町、そしてキューバ革命を旅した。
あまりに毎日がめまぐるしく変わるので、まるで現実ではない夢の世界で生きているような錯覚さえも覚える。
後で親方にそれを言ったら、笑いながら「これが現実ですよ」と言った。
うーん、まあそうだけど、こんな事を年がら年中やってそれが現実だというのもそれはそれですごい世界だな、などと思うのだ。


続く

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