ラグビーというスポーツがある。
とても乱暴なスポーツだ。
口汚く罵り、相手を蹴散らし引きずり倒し、相手のボールを奪いゴールに叩き込む。
地球上でこれだけ人間が転ぶスポーツはない。
それだけ激しいスポーツなので生傷はたえず、エキサイトするとすぐにケンカになる。
Fワードなどは当たり前の世界だ。
ラグビーの試合終了はノーサイドだ。
数あるスポーツの中でほとんどのスポーツはタイムアップとかゲームセットだが、ラグビーだけはノーサイドなのである。
時間内は「このヤロー、ぶち殺すぞ」ぐらいの事を言いながら、相手を倒すわけだが、一度時間が終われば「まあまあ、良くやったな。一杯やろうぜ」
これがノーサイドだ。
勝ちも負けもない。優れるも劣るもない。
どっちか一つ、というサイドがない。
あるとすれば、両方とも勝ちで両方とも優れている。
これがノーサイドの精神だろう。
これだけ乱暴なスポーツだからこそ、ノーサイドなのだろうか。
試合が終わってから
「オマエ、あの時オレを転ばしただろう」
なんてイチャモンつけられたらたまったもんではない。
とにかく一度終われば、仲良く一杯やるぜ、それがノーサイドだ。
だからこそ試合中は全力で相手をたたきのめすのだ。
競争というものの正しい姿だと思う。
プロは違う。
プロは結果が全てだ。
勝ちも負けもないなどとは言ってられない。
勝たなければダメなのだ。
ノーサイドとは相容れない所がある。
ボクが初めてニュージーランドに来た年に第一回のラグビーワールドカップがあった。
ニュージーランド対フランスの決勝戦をイーデンパークへ見に行った。
今なら考えられないが、当時はそんなチケットが$50ぐらいで買えた。
当時はプロリーグはまだ無く、選手の紹介に職業という欄があり、医者とかエンジニアとか農夫とか書いてあった。
その時のオールブラックスは強かった。
選手が純粋に国の誇りのために戦っていた。
プロリーグができてからボクはラグビーを見なくなった。
何故か興味が失せてしまったのだ。
結果を出さなければならないプロのスポーツは、それはそれでいいと思う。
人間の競争というものはあって当たり前だ。勝てばうれしいし負ければ悔しい。
競争というものがあったからこそ、人類の文明はこれだけ進歩してきた。
だが、今この世の中で、まだ競争は必要か?
競争はスポーツの世界だけでいいだろう。
競争社会ではなく、共存共栄の社会。
勝ちも負けもなく、優れても劣ってもなく、自分も相手もない。
そこには国境さえもない、一つの地球があるのみ。
人類のノーサイドの笛はいつ鳴るのだろう。
とても乱暴なスポーツだ。
口汚く罵り、相手を蹴散らし引きずり倒し、相手のボールを奪いゴールに叩き込む。
地球上でこれだけ人間が転ぶスポーツはない。
それだけ激しいスポーツなので生傷はたえず、エキサイトするとすぐにケンカになる。
Fワードなどは当たり前の世界だ。
ラグビーの試合終了はノーサイドだ。
数あるスポーツの中でほとんどのスポーツはタイムアップとかゲームセットだが、ラグビーだけはノーサイドなのである。
時間内は「このヤロー、ぶち殺すぞ」ぐらいの事を言いながら、相手を倒すわけだが、一度時間が終われば「まあまあ、良くやったな。一杯やろうぜ」
これがノーサイドだ。
勝ちも負けもない。優れるも劣るもない。
どっちか一つ、というサイドがない。
あるとすれば、両方とも勝ちで両方とも優れている。
これがノーサイドの精神だろう。
これだけ乱暴なスポーツだからこそ、ノーサイドなのだろうか。
試合が終わってから
「オマエ、あの時オレを転ばしただろう」
なんてイチャモンつけられたらたまったもんではない。
とにかく一度終われば、仲良く一杯やるぜ、それがノーサイドだ。
だからこそ試合中は全力で相手をたたきのめすのだ。
競争というものの正しい姿だと思う。
プロは違う。
プロは結果が全てだ。
勝ちも負けもないなどとは言ってられない。
勝たなければダメなのだ。
ノーサイドとは相容れない所がある。
ボクが初めてニュージーランドに来た年に第一回のラグビーワールドカップがあった。
ニュージーランド対フランスの決勝戦をイーデンパークへ見に行った。
今なら考えられないが、当時はそんなチケットが$50ぐらいで買えた。
当時はプロリーグはまだ無く、選手の紹介に職業という欄があり、医者とかエンジニアとか農夫とか書いてあった。
その時のオールブラックスは強かった。
選手が純粋に国の誇りのために戦っていた。
プロリーグができてからボクはラグビーを見なくなった。
何故か興味が失せてしまったのだ。
結果を出さなければならないプロのスポーツは、それはそれでいいと思う。
人間の競争というものはあって当たり前だ。勝てばうれしいし負ければ悔しい。
競争というものがあったからこそ、人類の文明はこれだけ進歩してきた。
だが、今この世の中で、まだ競争は必要か?
競争はスポーツの世界だけでいいだろう。
競争社会ではなく、共存共栄の社会。
勝ちも負けもなく、優れても劣ってもなく、自分も相手もない。
そこには国境さえもない、一つの地球があるのみ。
人類のノーサイドの笛はいつ鳴るのだろう。