あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

嘘をつかない。

2014-03-02 | 日記
僕は嘘をつかない。
どんな時でも正直でいようと心がけている。
嘘をついて他人をだませても自分の心は騙せない。
一つの小さい嘘を隠すために別の嘘を並べ、その嘘はどんどん大きくなる。
そうなるのが分かるのでどんな小さな嘘もつかない。
ただし聞かれないことまで、話す必要のない事までは話さない。
口は災いの元、でもある。
あるお客さんに聞かれた。
「この国の平均寿命は何歳ですか」
「分かりません。僕の考えでは寿命という物は各個人がこの人生でやるべきことをやり終えた時に迎えるものであって、その平均を出してもしょうがないでしょう。」
とバカ正直に言ってしまった。
お客さんは怒り「数字を出すことに意味があるじゃないか」と言ったが僕は動じず「そうですか、あなたの考えではそうなんですね。自分の考えは違うのでしょうがないですね」と言った。
君の立場で言えば君は正しい。僕の立場で言えば僕は正しい。
最初は怒っていたお客さんも1日山を歩き、その日の終わりには態度を改め「あなたが言った言葉の意味が分かる気がします」と言い、めでたく1日が終わった。

嘘をつかない、というのは常に正直であれ、ということだがこれはこれでしんどい時もある。
人によっては事実を突きつけられると傷つくこともあるからだ。
その人が隠しているもしくは気がついていないような心の奥が見えてしまう事もある。
そんな時にバカ正直に言えば、人は傷つき時に怒りだす。
僕もできることなら人を傷つけたくない。
なので口にしないことも多々あるのだが、そこはそれ人間なのでポロっと本音が出ることもある。
会社のお偉いさんに「なぜ君は私に挨拶をしないのかね?」と問われ「挨拶をするのに値しない人には挨拶をしません」と言って、その会社をクビになった。
若いと言えば若かったのだが、こういう人は日本の社会ではやっていけない。
なのでニュージーランドにいる。
幸いなことに挨拶をするのに値しないような人は周りにいないし、そういう人にも巡り会わない。

子供に対してもそうだ。
自分の子供が質問をしたとき、全ての質問に対し一切の隠し事をせずに答えることができるか?
僕はできる。
そしてそういう生き方をしている。
こんな事を言うのも先日会った知り合いと子供の教育について話したのだが、その人は自分が子供の頃から酒もタバコもやっていたのを隠しているそうな。
酒とはどういうものか、タバコとはどういうものか、それらを含めたドラッグとはどういうものか。
大人がそれをきっちり理解していなかったら、それを子供に伝えられない。
なので大人は「ドラッグ、それは悪いものです。」というような優等生の答しかでてこない。
そして自分がさんざんやって来たのに、子供にはダメと言う。
僕は自分がやってきたことは包み隠さず子供に話す。
子供の頃からお酒を飲んだのはもう話したが、聞かれたら高校生の頃にタバコを吸ったことも、小学生の頃に万引きをしたことだって、その他いろいろこのブログに書けないようなことも話すつもりだ。
だが聞かれなかったら話さないこともある。
誰も自分の恥を進んで話したくないからな。
子供に聞かれた時に嘘偽りなく全てのことを正直に話す。
これが教育だと僕は思う。

他人は騙せても自分は騙せない。
自分自身に対して嘘をつかないよう、そうやって生きるのが人間なのだと思うな。

コメント (2)
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