8月の後半にテカポとマウントクックに行く仕事があった。
スキーとは関係なく、高校生を連れてちょっとした山歩きと観光の3日間だった。
クックに泊まった時に旧知のタイとじっくりと話をした。
ヘリスキーガイドの喜びとか苦悩とか、山とか雪の状況とか、とりまく人間社会だのとか。
そんな話をワインを飲みながらした。
専門家には専門家の話があり、話のレベルも深い。
分からない人にはチンプンカンプンの話であろう。
ヤツと話をしていて感じた、いい男になったなと。
これは容姿の話ではなく、中身の話である。
滑り手として、ガイドとして、そして人間として、成長をしていると。
ガイドというのは3つの要素から成り立つ仕事だと僕は思う。
まずは道案内としてのガイド。
どこをとういうルートで行けば、安全で効率よく行けるか。
これは経験というものが物を言う、その土地を熟知した人間がガイドになるというのはよくある話だ。
当然ながらベテランガイドと新米ガイドでは経験が違う。
これは仕方がなかろう、だがどんなベテランガイドも昔はペーペーのルーキーだったのだ。
そこに経験を積んで一人前になっていくものだ。
二つめの要素は知識を伝えること。
装備の使い方、こういった場合にはどういう行動をとるとか、気象などの自然現象、などなど。
そういったものを自分で学習して、人に伝える教師のような一面もある。
かといって知識だけの話をしていても、学校の授業のようにつまらなくなってしまう。
そこでエンターテイメント。
ジョークを言ったり、つまらない親父ギャグを言ったりして場を盛り上げることも時にはある。
これが三つめの要素だ。
お客さんはお金を払うのである。
お金を払って嫌な思いをしたくない。
横柄な態度をとるガイドの話を聞いたことがあるが、それはガイド云々より『人としてそれはどうなんだ?』と思ってしまう。
だからと言って卑屈になってもいけない。
謙虚の下に卑屈あり、自信の上に傲慢あり。
中庸であれ、という言葉はここでも通用する。
これら三つの要素がバランスよく組み合わされ、ガイドとしての人格になっていくのだろう。
タイの仕事ぶりは、フェイスブックなんかでも時々見る。
お客さんが撮影したヤツの滑りっぷりは大したもので、正直に「こいつにガイドをしてもらって滑りたいなあ」と思った。
それはヤツの経験から来ているものが大きい。
ブロークンリバーでスタッフをして滑りまくったことから地形をうまく使った滑りを覚えた。
西海岸で氷河ガイドをしながら、ヘリコプターでどこの場所に行けるというようなことを知った経験。
それらが組み合わさって、今のヘリスキーガイドということに繋がっている。
というようなことをヤツはワインを飲みながら喋った。
経験が財産になり、そして行動がさらにそれを膨らませる。
そういう僕の信念をそのままやっているような男を僕は尊敬する。
そしてそういう人に年長者の僕が言う言葉は「どんどんやりなさい」だけだ。
誰もがタイのようになれるわけでもない。
以前出会った人はクィーンズタウンでラフティングガイドになりたいと言った。
だがなかなか雇ってもらえないと。
僕はその人に言った。
ラフティングガイドになりたいならカヤックでそこの川を下ってみろよ。
何回か自分で下って、そして自分ならこのポイントはどうするとか、そういうようなことをレポートしてみろ。
そうすればきっと雇ってもらえるさ。
だが彼はやらなかった。
きっとラフティングガイドの夢もあきらめてしまったことだろう。
時間がないという理由で行動を起こさない人は時間があってもやらない。
お金がないという理由で行動を起こさない人はお金があってもやらない。
忙しいからという理由で行動を起こさない人はヒマでもやらない。
結局は自分を正当化するいいわけなのだ。
ガイドになるにはそれなりの実力がいる。
先ず自分一人で行動できないヤツが、他人の面倒を見れるわけがない。
スキーガイドになりたかったらスキーができなかったらお話にならない。
それを教えてもらうもんだと勘違いする人もいる。
人から習うことも大切だが、まず自分が行動をしてみれば、先人の言うことも深く理解するであろう。
これはガイドに限らず、全ての事柄に当てはまる。
もう一人の滑り手、カズヤとも飲んだ。
カズヤは白馬でスキーガイドをしている男で、今はパタゴニアのアンバサダーなどという肩書きがついた。
スキーの腕前は一流で、毎年お客さんを連れてクラブフィールドへ来る。
若いころから知っており、初めて会った時はまだ十代だったな。
時間がある時にはクライストチャーチの我が家に滞在するが、今回は時間が無く帰国前夜に1時間だけ会った。
ホテルの部屋へ会いに行った時にはすでにヤツは出来上がっていて、二人で飲みながらバカ話をした。
飲んでいるうちにヤツはベッドにねっころがり、でかいおならを一発。
「すみません、せっかく会いに来てくれたのに、こんなオレで」
「全くだよ。あーあ、出来の悪い弟子を持った師匠の気分だよ。分かるか、カズヤ!」
「ていっす」
こいつは昔からこうだ。
ヤツが若いころにヘマをして、僕とJCが面倒を見てからというもの、ヤツは僕たちに頭が上がらない。
「一生奴隷となります」宣言をして、今でもその関係は続いている。
だがこいつも昔からスキーが好きで好きで滑りまくり、アメリカに修行に行ったりして今のヤツがある。
昔は貧乏でピーピー言っていたが、今はスポンサーもついた。
クラブフィールドを愛し、通い続け、彼と一緒に滑りたくてお客さんは来る。
やることをやっていれば結果はついてくる。
結局のところ、『やる』か『やらない』か。
やっているヤツにはいつもの言葉だ。
「カズヤよ、その調子でどんどんやりなさい」
「てぃっす」
「なんかお前と話していると力が抜けちゃうな」
「そうっすか。すんませんこんなオレで」
「しょうがねーよ。それがお前なんだから」
「てぃっす。北村家の奴隷としてがんばります。」
滑り手達との関係はまだまだ続くのである。
スキーとは関係なく、高校生を連れてちょっとした山歩きと観光の3日間だった。
クックに泊まった時に旧知のタイとじっくりと話をした。
ヘリスキーガイドの喜びとか苦悩とか、山とか雪の状況とか、とりまく人間社会だのとか。
そんな話をワインを飲みながらした。
専門家には専門家の話があり、話のレベルも深い。
分からない人にはチンプンカンプンの話であろう。
ヤツと話をしていて感じた、いい男になったなと。
これは容姿の話ではなく、中身の話である。
滑り手として、ガイドとして、そして人間として、成長をしていると。
ガイドというのは3つの要素から成り立つ仕事だと僕は思う。
まずは道案内としてのガイド。
どこをとういうルートで行けば、安全で効率よく行けるか。
これは経験というものが物を言う、その土地を熟知した人間がガイドになるというのはよくある話だ。
当然ながらベテランガイドと新米ガイドでは経験が違う。
これは仕方がなかろう、だがどんなベテランガイドも昔はペーペーのルーキーだったのだ。
そこに経験を積んで一人前になっていくものだ。
二つめの要素は知識を伝えること。
装備の使い方、こういった場合にはどういう行動をとるとか、気象などの自然現象、などなど。
そういったものを自分で学習して、人に伝える教師のような一面もある。
かといって知識だけの話をしていても、学校の授業のようにつまらなくなってしまう。
そこでエンターテイメント。
ジョークを言ったり、つまらない親父ギャグを言ったりして場を盛り上げることも時にはある。
これが三つめの要素だ。
お客さんはお金を払うのである。
お金を払って嫌な思いをしたくない。
横柄な態度をとるガイドの話を聞いたことがあるが、それはガイド云々より『人としてそれはどうなんだ?』と思ってしまう。
だからと言って卑屈になってもいけない。
謙虚の下に卑屈あり、自信の上に傲慢あり。
中庸であれ、という言葉はここでも通用する。
これら三つの要素がバランスよく組み合わされ、ガイドとしての人格になっていくのだろう。
タイの仕事ぶりは、フェイスブックなんかでも時々見る。
お客さんが撮影したヤツの滑りっぷりは大したもので、正直に「こいつにガイドをしてもらって滑りたいなあ」と思った。
それはヤツの経験から来ているものが大きい。
ブロークンリバーでスタッフをして滑りまくったことから地形をうまく使った滑りを覚えた。
西海岸で氷河ガイドをしながら、ヘリコプターでどこの場所に行けるというようなことを知った経験。
それらが組み合わさって、今のヘリスキーガイドということに繋がっている。
というようなことをヤツはワインを飲みながら喋った。
経験が財産になり、そして行動がさらにそれを膨らませる。
そういう僕の信念をそのままやっているような男を僕は尊敬する。
そしてそういう人に年長者の僕が言う言葉は「どんどんやりなさい」だけだ。
誰もがタイのようになれるわけでもない。
以前出会った人はクィーンズタウンでラフティングガイドになりたいと言った。
だがなかなか雇ってもらえないと。
僕はその人に言った。
ラフティングガイドになりたいならカヤックでそこの川を下ってみろよ。
何回か自分で下って、そして自分ならこのポイントはどうするとか、そういうようなことをレポートしてみろ。
そうすればきっと雇ってもらえるさ。
だが彼はやらなかった。
きっとラフティングガイドの夢もあきらめてしまったことだろう。
時間がないという理由で行動を起こさない人は時間があってもやらない。
お金がないという理由で行動を起こさない人はお金があってもやらない。
忙しいからという理由で行動を起こさない人はヒマでもやらない。
結局は自分を正当化するいいわけなのだ。
ガイドになるにはそれなりの実力がいる。
先ず自分一人で行動できないヤツが、他人の面倒を見れるわけがない。
スキーガイドになりたかったらスキーができなかったらお話にならない。
それを教えてもらうもんだと勘違いする人もいる。
人から習うことも大切だが、まず自分が行動をしてみれば、先人の言うことも深く理解するであろう。
これはガイドに限らず、全ての事柄に当てはまる。
もう一人の滑り手、カズヤとも飲んだ。
カズヤは白馬でスキーガイドをしている男で、今はパタゴニアのアンバサダーなどという肩書きがついた。
スキーの腕前は一流で、毎年お客さんを連れてクラブフィールドへ来る。
若いころから知っており、初めて会った時はまだ十代だったな。
時間がある時にはクライストチャーチの我が家に滞在するが、今回は時間が無く帰国前夜に1時間だけ会った。
ホテルの部屋へ会いに行った時にはすでにヤツは出来上がっていて、二人で飲みながらバカ話をした。
飲んでいるうちにヤツはベッドにねっころがり、でかいおならを一発。
「すみません、せっかく会いに来てくれたのに、こんなオレで」
「全くだよ。あーあ、出来の悪い弟子を持った師匠の気分だよ。分かるか、カズヤ!」
「ていっす」
こいつは昔からこうだ。
ヤツが若いころにヘマをして、僕とJCが面倒を見てからというもの、ヤツは僕たちに頭が上がらない。
「一生奴隷となります」宣言をして、今でもその関係は続いている。
だがこいつも昔からスキーが好きで好きで滑りまくり、アメリカに修行に行ったりして今のヤツがある。
昔は貧乏でピーピー言っていたが、今はスポンサーもついた。
クラブフィールドを愛し、通い続け、彼と一緒に滑りたくてお客さんは来る。
やることをやっていれば結果はついてくる。
結局のところ、『やる』か『やらない』か。
やっているヤツにはいつもの言葉だ。
「カズヤよ、その調子でどんどんやりなさい」
「てぃっす」
「なんかお前と話していると力が抜けちゃうな」
「そうっすか。すんませんこんなオレで」
「しょうがねーよ。それがお前なんだから」
「てぃっす。北村家の奴隷としてがんばります。」
滑り手達との関係はまだまだ続くのである。