酒蔵で働く日々が続く。
仕事は雑用である。
鍋を洗ったり、瓶を洗ったり、と洗い物が多い。
先日は麹が届いたのでそれをほぐす作業をした。
麹は味噌屋ゴーティーのところから仕入れる。
酒用の米、五百万石をゴーティーの所へ送り、その米で麹を作ってもらい、送り返してもらう。
日本の酒蔵は自分の所で麹も作るのだが、全黒は小さな蔵なのでそこまで手が回らない。
送られてきた麹は固まっているのでそれほ手でほぐしてバラバラにするのだ。
新鮮な麹は香り良く、何かの花のような匂いがする。食べても美味しい。
僕はそれをほぐしながら旧友ゴーティーの事を思い出した。
見知らぬ人が造ったものでなく友達が作ったものを扱うのである。
作業にも想いがこもるというものだ。
麹は持ってみると、意外に軽い。
スカスカというような感じだ。
麹菌が米のでんぷんを分解して糖分に変える。
その糖分をイーストがアルコールにする。
タンクの中で、でんぷんの分解、そしてアルコールの造成と二つの工程が行われる。
これはビールやワインと大きく違うところで、日本酒ならではのものだ。
その大きな役割を果たす麹を粉々にして、仕込みに使うために分量を量る。
こういった作業は料理と共通するものがあり、僕は好きだ。
自分が何のためにするのか分からないでやるのと、作業の意味を知りながらやるのとでは大きな違いだ。
他の作業としては酒の瓶詰作業。
瓶を熱湯消毒して、そこに酒を注いでいく。
これは家でも自家製ビールでやっていることだ。
そして火入れと呼ぶ殺菌、要は湯せんで温める作業。
63度まで温めると『火落ち菌』という菌が死ぬ。
この火入れをしていないものが生酒だ。
生の方が旨いだろうが、火入れをしないと品質が落ちる可能性があるので、工程に必ず入る。
さらにそれを冷却、キャップ締め、箱詰め、そういった作業を繰り返す。
日本酒を作る行程で大切な仕事で澱引き(おりびき)というものがある。
これはどういったことかというと、搾りあげた酒を放っておくと、下の方に濁った澱と上澄みに分離する。
この上澄み液を取るのである。
取った上澄みを1週間ほど放っておくと、再び澱が溜まるので、またそれを取り除く。
澱引きは2回行う。
澱は『取り除く』のではなく、『引く』ものなんだな。
今まで知らなかった酒用語を知り、言葉の深さを知る。
日本語って素敵だな。
容器を空にして、最後におちょこに集めチビリとやるのが楽しい。
「こら!お前、飲むんじゃない!」などと野暮なことを杜氏は言わない。
それよりお客さんが来て試飲をしていると、横にいる僕にもはおちょこを渡してくれる。
良い杜氏だなあ。
先日は仕込みの段階で米を蒸す仕事をした。
酒の米は炊くのでなく蒸らすのである。
大きな窯で水蒸気が横から逃げないように目張りをして1時間以上かけて蒸しあげる。
蒸しあがったら、しゃもじで全体をかき混ぜて「杜氏、お願いします」とデイビッドに確認してもらう。
米を手で丸めてべたついていないか、そして食べてみてちゃんと火が通っているかチェックするのだ。
これがなかなか難しい。
まず火が通っていなかったらダメなので、再び目張りをして蒸らす。
炊き具合であと5分とか8分とか指示を出される。
杜氏曰く、やりすぎると米がはじけてしまうので、そうやらないように注意。
蔵には米が炊ける良い匂いが充満する。
何回かやりなおしOKが出たら、今度はそれを冷ます。
冷ます時に手でほぐしてバラバラにする。
冷めきったら米をもろみのタンクに入れる。
冷めていないとタンクの中の温度が上がり過ぎてしまう。
時には氷をタンクの中に入れることもある。
徹底した温度管理が大切なのである。
僕のビールはここまで徹底した温度管理をしていない。
だいたいイーストの働く温度の枠の中で、割と適当にやっている。
時々失敗もするが、それでもそこそこの味のビールができるので良しとしている。
だがそれは趣味の話であって、商業的にやるには常に同じ味にしなくてはならない。
プロの仕事とはそういうものなんだろうな。
こうして酒蔵で働く毎日だが、11月に入りそろそろガイドの仕事も予定が入り始めた。
酒造りは見習いだが、ガイドはプロである。
山にはまだ雪があるが、夏のシーズンも間もなく始まる。
今年もいいシーズンになりそうだ。
仕事は雑用である。
鍋を洗ったり、瓶を洗ったり、と洗い物が多い。
先日は麹が届いたのでそれをほぐす作業をした。
麹は味噌屋ゴーティーのところから仕入れる。
酒用の米、五百万石をゴーティーの所へ送り、その米で麹を作ってもらい、送り返してもらう。
日本の酒蔵は自分の所で麹も作るのだが、全黒は小さな蔵なのでそこまで手が回らない。
送られてきた麹は固まっているのでそれほ手でほぐしてバラバラにするのだ。
新鮮な麹は香り良く、何かの花のような匂いがする。食べても美味しい。
僕はそれをほぐしながら旧友ゴーティーの事を思い出した。
見知らぬ人が造ったものでなく友達が作ったものを扱うのである。
作業にも想いがこもるというものだ。
麹は持ってみると、意外に軽い。
スカスカというような感じだ。
麹菌が米のでんぷんを分解して糖分に変える。
その糖分をイーストがアルコールにする。
タンクの中で、でんぷんの分解、そしてアルコールの造成と二つの工程が行われる。
これはビールやワインと大きく違うところで、日本酒ならではのものだ。
その大きな役割を果たす麹を粉々にして、仕込みに使うために分量を量る。
こういった作業は料理と共通するものがあり、僕は好きだ。
自分が何のためにするのか分からないでやるのと、作業の意味を知りながらやるのとでは大きな違いだ。
他の作業としては酒の瓶詰作業。
瓶を熱湯消毒して、そこに酒を注いでいく。
これは家でも自家製ビールでやっていることだ。
そして火入れと呼ぶ殺菌、要は湯せんで温める作業。
63度まで温めると『火落ち菌』という菌が死ぬ。
この火入れをしていないものが生酒だ。
生の方が旨いだろうが、火入れをしないと品質が落ちる可能性があるので、工程に必ず入る。
さらにそれを冷却、キャップ締め、箱詰め、そういった作業を繰り返す。
日本酒を作る行程で大切な仕事で澱引き(おりびき)というものがある。
これはどういったことかというと、搾りあげた酒を放っておくと、下の方に濁った澱と上澄みに分離する。
この上澄み液を取るのである。
取った上澄みを1週間ほど放っておくと、再び澱が溜まるので、またそれを取り除く。
澱引きは2回行う。
澱は『取り除く』のではなく、『引く』ものなんだな。
今まで知らなかった酒用語を知り、言葉の深さを知る。
日本語って素敵だな。
容器を空にして、最後におちょこに集めチビリとやるのが楽しい。
「こら!お前、飲むんじゃない!」などと野暮なことを杜氏は言わない。
それよりお客さんが来て試飲をしていると、横にいる僕にもはおちょこを渡してくれる。
良い杜氏だなあ。
先日は仕込みの段階で米を蒸す仕事をした。
酒の米は炊くのでなく蒸らすのである。
大きな窯で水蒸気が横から逃げないように目張りをして1時間以上かけて蒸しあげる。
蒸しあがったら、しゃもじで全体をかき混ぜて「杜氏、お願いします」とデイビッドに確認してもらう。
米を手で丸めてべたついていないか、そして食べてみてちゃんと火が通っているかチェックするのだ。
これがなかなか難しい。
まず火が通っていなかったらダメなので、再び目張りをして蒸らす。
炊き具合であと5分とか8分とか指示を出される。
杜氏曰く、やりすぎると米がはじけてしまうので、そうやらないように注意。
蔵には米が炊ける良い匂いが充満する。
何回かやりなおしOKが出たら、今度はそれを冷ます。
冷ます時に手でほぐしてバラバラにする。
冷めきったら米をもろみのタンクに入れる。
冷めていないとタンクの中の温度が上がり過ぎてしまう。
時には氷をタンクの中に入れることもある。
徹底した温度管理が大切なのである。
僕のビールはここまで徹底した温度管理をしていない。
だいたいイーストの働く温度の枠の中で、割と適当にやっている。
時々失敗もするが、それでもそこそこの味のビールができるので良しとしている。
だがそれは趣味の話であって、商業的にやるには常に同じ味にしなくてはならない。
プロの仕事とはそういうものなんだろうな。
こうして酒蔵で働く毎日だが、11月に入りそろそろガイドの仕事も予定が入り始めた。
酒造りは見習いだが、ガイドはプロである。
山にはまだ雪があるが、夏のシーズンも間もなく始まる。
今年もいいシーズンになりそうだ。