あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

夏の終わり

2019-05-09 | 日記
夏から秋へ。
季節は移り変わる。
今年はゴールデンウィークが10連休ということで、ニュージーランドに来る人も多かった。
連休の時期はまるで年末年始のような忙しさで、会社の予定表もびっしりと埋まっていた。
僕はツアーからツアーへという毎日で、非常にあわただしかったのだ。
この人とは二度と会わないだろうし会いたくもない、という出会いもあれば、たぶんまたこの人とは会うだろうというような出会いもあった。
今シーズン最後のツアーのお客さんは金持ちのお医者さん。
お客さん一人にガイド一人というものだった。
こういう時に相性が悪いと最悪だが、今回は波がバチっと合った。
本音で話しができる人というのは、一緒にいて楽である。
長いドライブの間でも話は尽きず、こちらも向こうも楽しい。
ビールとワインが好きというところでまた馬が合う。
食事も一緒に取るという仕事で、お客さんのおごりで高いワインを飲ませてもらった。
お返しに僕からは自家製ビールをご馳走したのだ。
へべれけにならない程度に飲んで、共に楽しい時を過ごした。
美味しい仕事とはこういうことを言う。



ツアー中、マウントクックに連泊した。
こういう時は天気も味方してくれる。
これ以上ないという晴天で山もばっちり見えた。
午後まるまる自由になったので歩きに出かけた。
行く先はマクナリティ・ターンズ。
どこでもそうだが、簡単に行けて景色がいい場所は観光客が多い。
そういう場所はゴミも多いし、うるさい。
じっくりと自然を味わうという気にならない。
それならば人の居ない場所へ行けばいいだけの話だ。
まがりなりにも山のガイドであるから、そういう場所も知っている。
この場所は存在しているのは知っていたが、遠目から眺めただけの場所だった。
歩き始めてしばらくは整備された道を行くが、そこからは踏み跡をたどるような歩きとなる。
そうやってたどり着いた場所は素晴らしかった。
村にわりと近い場所だが、人口構造物が一切見えないというのが良い。
もちろんゴミなど落ちていない。
完全なる自然の中に身を置く、という事は今の世の中では難しいことかもしれない。
自然の中にいると人間界の些細な出来事などちっぽけなことだと気づく。
山というのはそういうことを教えてくれるものだろう。



山の上にある池塘、小さな池は鏡のようにアオラキマウントクックを映す。
僕は手を合わせて拝む。
湧き上がる感情は感謝のみだ。
この天気に、こういう場所に歩いて来られる健康に、産んで育ててくれた親に、こういう仕事をくれた会社に、好きな仕事をさせてくれる家族に、そして山に。
手を合わせてありがとうございますとつぶやく。
この感情を持ち続ければ大丈夫だろうと、漠然と根拠無き安心感に包まれる。
こうして僕は夏の仕事を終え、家族が待つ家に帰った。
コメント (1)
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